知らないあの子


「こっちこっち。こっちにおいでよ。ね?御幸」
「………」


嫌な予感しかしねェ……!
ね?、という言葉は本来可愛らしいものであるはずで男の俺としてはわざとらしくハートマークがついてくるくらいの柔らかさだと尚いい。
だがなんなんだこの人が使う"ね?"の威力。無数の圧力が詰まっていて拒否権まるでなし。どうやらこの日のこの夕飯を食おうと食堂に足を踏み入れたこの瞬間に俺の生きるか死ぬかは食堂の奥で俺ににこりと笑い手招きしているあの人の手に委ねられたらしい。


「お疲れ様です、亮さん」
「うん。御幸もね」
「えーっと…」
「あぁ、待って。もうすぐ哲と純が…あ、ほら来た」
「……ははは」
「笑う気がないなら笑うなよ」
「いでっ!」
「ま、あからさまにつまんないって顔をされても落とすけど」


何を?、と聞かなくとも今まさに俺の頭に落とされた亮さんお得意のチョップのことだろう。身体の芯に響くような痛みに頭を抱えていれば間もなく俺の前に哲さんと純さんが座る。うお…、今にも襲い掛かってきそうな野犬みてーな顔で俺を見るのはなんでだ?


「俺がここに呼んだ理由、分かる?」


にこりと笑う亮さんに、いや…、と言葉を濁しながら辺りを伺う。やべェ。純さんが今にも吠えだしそうだ。
答え探しみてェに周りを見回したところで…いや待てよ。あの隅で固まって座ってんのは倉持と沢村じゃねェか。んで2人揃って悪巧み顔。……あーハイハイ。察したわ。


「御幸ー!!お前、」
「寮の前で女子とキスしてたというのは本当か?」
「ぐっ!哲、てめ…!俺が今言おうとしたんだぞ!?」
「?…俺が言うと何か不都合でもあるのか?純」
「ね、ねェけど!」
「哲も早く知りたくてそわそわしてるんだよ」


と、いうわけで。
そこで区切り亮さんは一層笑みを濃くして溜めに溜めてから、ねぇ、とまた低く俺に言及を始める。

お願いですから凄い威圧感なんで、もう少し緩めてもらっても……って無理か。


「答えろや御幸コラ。答えによっちゃあシメる」
「そうだよ御幸。答え次第じゃ延々と哲の将棋の相手してもらうから」
「む…それじゃ罰にならないぞ亮介」
「じゃあトスバッティング300球」
「それも罰じゃないな」
「だあー!哲の基準はどうでもいんだよ!!御幸!!」


バンッ!!、とテーブルを両手で叩いた純さんが、ぐるるる…!、と喉を唸らせながら俺をギッと睨む。


「説明しろ。詳しくな」
「あぁ、詳しく」
「楽しませてね」
「………」


人の噂も75日。
そういやクラスの中でもしばらくこの話題があちこちで囁かれていたが当の本人もその話しを振られるのを困惑しているようだ。まぁ自業自得なんだけどな。
青心寮の前という場所が場所なだけに噂の発信源は間違いなく野球部員。俺も迷惑被ったといえばそうなんだがそれでも男だから女の子が受ける羞恥ほどではないだろう。
気にするなよ、と声を掛ければ掛けただけ彼女が自分に気を寄せんのが分かるしかと言って放っておくのもあの日に見せられた慎ましさを思い出すとそれも憚れて、あの日別れ際にキスをされた翌日以来ずっとやりきれず不毛な日が続いてる。きっとお疲れ様ですと言った俺に亮さんが返してきた、御幸もね、という言葉はそれも指しているんじゃないかと思う。


「ほーう。積極的な女だなそいつ」
「見たけどなかなか可愛いじゃん、その子」
「念のため聞きますけど誰に教えてもらったんですか?亮さん」
「倉持」
「ですよね」


あらかた話し終えてどっと疲れた俺とは対照的に楽しげだなぁ…この人たち。哲さんなんて、続きはまだか?、とどこかそわそわしながら聞いてくる。あー…逃げたい。そんな想いでさ迷わせた目線の先ではクリス先輩が新聞を広げて読んでいる。くそぉー…紙面に取り上げられた、書道のコンクールなのかなんなのか見事な字を見ても心が全然に穏やかにならねェー……。


「まぁ…そんなわけですけど今のところその子と付き合うとかはないんで。報告はここまでですね」
「付き合わないんだ?キスまでしといて?どう思う?純」
「男なら責任取れや」
「そうだぞ、御幸。野球部の主将としても面目が立たんだろう」
「いや、ですが。好きでもなんでもないのに付き合うのはいいんですか?純さん」
「あ゙…?……あー…、まぁ確かにそうだな」
「なに?御幸、好きでもないのにキスしたのか?」
「うん哲。少し黙ってようか。話しが全然進まないし」
「うん?そうか?」
「まぁとにかく付き合う付き合わないなんて御幸の自由にすればいいよ」


じゃあなんでこんな問い詰められたんだ?俺は。

そんな俺の不満なんて亮さんには当然のように見破られるらしい。にこりと笑い、あーぁ、と肩を竦めてそれでも愉快そうに継いだ。


「つまんない。少しでも御幸が赤面したり狼狽えたりするところを見られるんじゃないかと思ってたのに」
「はっはっはー、期待に添えずすみません」
「ま、いいよ。丁度良い息抜きになったしね」
「それは良かった」
「あんまり目立つ行動するなよ?特にお前はそれでなくても目を引くんだからさ」
「はい」


あぁそうか。そう言った亮さんもそれを黙って聞いていた哲さんと純さんも、要するはそれを言いたかったのか。
いけね、俺が真っ先に気付かなきゃならなかったのにな……まだまだ、やっぱ敵わねェよな。この人たちには。


「すみません。気をつけます」


そんなわけで、俺は答えを出さなきゃならない。正直なところ面倒だと後回しにしてる場合じゃなかった。
翌日に早速その子を、今いいかな、と2人きりで人気のない階段へと連れ出した。それだけで好奇の目を集めるのが分かる。
……変だな。
星野の方がよっぽど俺に強烈で目立つアプローチをしてくるってのに、その時よりも視線を感じる。よっぽど星野のそれが冗談っぽく感じるってことか。まぁそれは俺も同じなんだが。つか最近アイツ来ねェな…そういえば。テストもあったし信じられねェが成績上位者らしいから控えてたのか?沢村もテストが終わり部活解禁になったその日に、星野のおかげで赤点免れたぜ!、と馬鹿笑いしてたしな。と、なると今日辺り来るか?


「あの御幸くん?」
「ん?」
「どこまで行くの?」
「へ?…あー…ごめん。考え事してた」


いつの間にか階段こんなに昇っちまって。
ははは、と笑い頭を掻きながら振り返ればそれに付き合い笑う彼女がすぐに緊張したかのように表情を強張らせた。
休み時間の賑わいが遠く感じるこの場所は"こういう話し"をするにはもってこいだな。


「えっとさ、ちゃんと言っておこうと思って」
「う、うん」
「もしかして俺のこと好いてくれてるなさ、悪いけど応えられないから」
「どう…して?私のことは好きになれないってこと?」
「うーん…それとは違うんだよね。俺が無理。野球のことしか考えられない」
「邪魔はしないよ?」
「でもさ、邪魔はしない、って俺に食い下がること自体もう俺の意を汲んでくれてないってことだよね?」
「!」
「本当、ごめんね」


グッと口を噤むこの子は同じクラスの女子だから出来れば波風立たせたくはないがこうも食い下がったのは俺が曖昧な態度で期待させたってーのもあるだろうし。悪いな、とは思いながら眉を下げ謝る。いじらしいところもある。可愛いとは思う。けど野球漬けの毎日の中で大切にしたいと思うほど彼女を好きになれる気はまったくしない。

しばらく沈黙が続いて、俯く姿にここは黙って去った方がいいのだろうと決して1歩足を踏み出せばそんな俺を引き止めるように口を開いた。


「あの子だって…」
「ん?」
「あの1年の!いつも御幸くんのところに来る、あの子」
「あー星野?」
「そう。あの子だって邪魔してるじゃない。いつもいつもうるさいし嫌がる御幸くんに構わず1人で話し続けて。どうしてあの子が良くて私が駄目なのか、納得出来ない」
「………」


あぁそうか。俺と星野は付き合っていることになっているから。一瞬どうして引き合いに出すのかと思ったがそういうことか。

こうも食い下がってくれるのは男として嬉しいことなのかもしれないよな。残念ながら俺には一切そんな想いが湧かないんだが。
必死に俺を見つめるそれに見つめ返せば頬を赤らめて視線は逸らされる。まぁ星野に比べたら全然可愛いしスタイルもいい。大人びた雰囲気は"そういう"相手にするのには申し分ないんだろう。それは認める。だからきっと彼女がそう思うことに不思議はねェんだろうな。

けど、自分でも今気付いたわ。


「アイツがいつ俺の邪魔したの?」
「!…え、だって…」
「少なくとも星野は俺が寄ってきてほしくねェ時は来なかったし部活だって邪魔されたことはねェよ?あんなにうるせェけどグラウンドに1度も来たことねェし、俺にああしてほしいこうしてほしい、なんて希望を押し付けたこともない」
「でも……!」
「確かにうるせェけどさ、その辺はちゃんと弁えてる」
「っ……」


そこまで話して、なにアイツを擁護してんだ俺、と1人で勝手に恥ずかしくなり彼女から顔を背けながら頭を掻いた。嘘は言ってねェ、嘘は。


「最近来ないから別れたのかと思った」
「いやいや」


そもそも付き合ってねェけど。


「それに御幸くん、私と付き合えない理由にあの子を出してこないし。そんなに好きじゃないんじゃないかなって期待した」
「!」


うわぁ、痛いとこついてくるな。つい、はは、と渇いた笑いを零しちまうんだが咄嗟に上手い言い回しが頭に浮かぶ俺は自他共に認める性格の悪さを実感して口を開きながらも内心苦笑する。


「けどアイツほど俺のこと好きじゃねェんでしょ?だって1度も、好き、って言われてねェし」
「!」
「これ以上は止めようぜ。同じクラスなんだし。別に俺は気にならねェけど」
「っ…そう。分かった。わざわざありがとう」
「いえいえ」


皮肉っぽい礼にも笑って返しヒラヒラと手を振れば悔しげに顔を歪めたもののそれ以上は噛み付いて来ずに背中を向けて去っていった。あー良かった。これ以上は俺もさすがに面倒だしな。


「いつか刺されろクソ眼鏡」
「うおっ!なんだよ倉持。聞いてたのか」
「聞かされたんだボケ。眠ィから少し寝ようかとせっかく人気のない此処を選んだっつーのに最悪だぜ」


くそ、とブツブツ言いながら上の階段から下りてくる倉持が蹴りを入れてこようとするのを避ける。あっぶねェー…あれ痛てェんだよ、よく沢村もやられてっけど。


「つーかいいのかよこんなところで寝てて。お前日直だろ?」
「あ?」
「次の授業で使う教材持ちに来いって言われてたじゃねェか」
「!…チッ」
「ちょ、おい!ネクタイ引っ張んな!」
「うるせェ安眠妨害したんだから付き合いやがれ。ていうかお前が全部持て」
「はっはっはー、なんだよ1人で行くの寂しいの?しょうがねェなー」
「うぜェ!!」
「いってェ!!」


そんな風にしてギャアギャア言い合いながらついた職員室前には礼ちゃんがいて、窓に何か掲示物を貼付けようとしているところに俺たちが居合わせたのを、丁度良かった、と手伝いを頼まれた。


「なんスか?これ」
「あなた達は受けなかったのね。先日行われた全国統一模試の結果よ」
「うげ。そんなん貼り出すの?」
「もちろん上位成績者だけね。あ、倉持くん。そっち少し曲がってるわ」
「ッス」
「ふうん。俺たちはそんな暇ねェもんな」
「あら。渡辺くんは受けたわよ」
「あーナベちゃんは器用ッスからねェ」
「あなた達も1度は受けた方がいいわ。この模試は学年別じゃなく、全学年統一なの。自分を知り今後の選択肢を絞るという意味ではかなりためになるわよ」


そうは言ってもあなた達は野球があるけれどね、と穏やかに笑う礼ちゃんに俺も倉持も口の端を上げる。今んとこ、こういうのには無縁かな。

そんな感じでいいわよ、と礼ちゃんに許可をもらい倉持は職員室に入り俺は成績者の名前を眺めた。


「校内の上位30名…か。ほとんど3年だね」
「それはね」
「ふうん……あれ?」
「どうしたの?」
「いや、知ってる奴の名前。1年」
「うん?……あぁ、彼女ね。御幸くん知ってるの?」
「あー、まぁ。沢村と同じクラスだし」
「そう。彼女は特待生でうちに入学したのよ」
「はあ!?アイツが!?」
「ええ。入学式で総代を務めたのも彼女だしね」


いやいや。……え?あそこに書かれてる名前、同姓同名の他の奴じゃないよな?星野葵依って…あの馬鹿で阿呆な、アイツだよな?

じゃあね、と職員室に入っていく礼ちゃんと代わる代わる俺の隣に立った倉持も呆然とそこに立つ俺の目線を追ってこの衝撃の事実に気付いたらしい。はあ!?、と俺と同じような驚愕の声を上げた。

名前の下に記された3年をも超える模試の合計点数。


「……マジで?」


俺は星野のことなんにも知らねェんだな、と呟いた時それをなぜだか胸に寂しさが湧いた。



知らないあの子
「みっゆきせんっっぱぁーい!!お久し振りです寂しかったですか私に会えなくって寂しかったですよねごめんなさい!」
「とりあえず俺に選択肢を与えようとしねェその阿呆っぽさをなんとかしような、星野」
「選択肢ですか?じゃあ3つ!」
「おー。言ってみ?」
「1、結婚する。2、結婚する。3、結婚する!」
「3つ用意すりゃいいってもんじゃねェんだよ馬鹿!お前やっぱ馬鹿だわ!」
「選択肢っていうのは必ずしもすべてが違うとは限らないんですよ?」
「それ選択する意味がねェじゃねェか」
「そんなことないですよ!こうして何回も刷り込むことによって御幸先輩は私を意識する!サブリミナル効果ってやつです!」
「妙に論理的すぎて怖ェよ!!」


続く→
2015/07/01


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