鴛鴦の契り


私の人生に於ての最上は紛れもなく彼に出逢うことが出来た事。
常々そう思ってはいるけれど、届いたメールに添付された画像を見て心も顔も緩むのを感じて改めてそう思う。例えばこの想いが成就しなかったのだとしても果たしてそう思えたかは分からないけれど、知り合いそして関われた事は大切な経験として心の片隅に仕舞われることは間違いない。


「栄純!懐かしい…」


添付された画像に写る、高校3年間を同じクラスで過ごした同輩。最後に会ったのは結婚式の時でそれほど前じゃない。けど思わず"懐かしい"と呟いてしまうほどどこか大人びて見える。髪の毛を短くしたせいかな?なるほど添付画像に添えられたメッセージが、進化、というのも納得。
くすくす、と1人笑いながら2人の後ろに見たことのある顔を見て目を細めた。この人は確か結城先輩、そしてその隣が伊佐敷先輩。オフシーズンに入り皆さんの予定が空くこの時期は決まって開催される青道野球部OB会。面倒なんだけど、としぶしぶ出掛けて行ったわりには楽しそうな笑顔に私まで嬉しくなる。
今シーズンは栄純のチームに日本シリーズを制されてしまったけれど、来年こそは一也さんのチームが制覇出来たらいいな。

さて、私もやれる事をやらなきゃ。
以前から懇意にしてくれていた方がお歳を理由に引退を考えるから引き受けてくれないかと持ち掛けられた小さいながらも地域に根差した塾。やってみろよ、と一也さんに背中を押されたこともあって慣れないながらもなんとか保護者の方の協力も頂いてやれている。個別に学習の進捗と先の課題をまとめるのは大変だけれどその分やりがいはとてもある。子供たちは個性に溢れていて刺激を受けるし。

そうして精を出して仕事をこなしどれぐらい時間が経っただろう。インターホンの音にびっくりして顔を上げた時に目に入った携帯画面には一也さんからのメールが入っていてハッと息を呑み椅子を立ち上がった。


「ごめんなさい!気付かなくて」
「ははっ、いきなりそれかよ」


飛び出るようにして玄関を出た私に、ししっ、と笑う一也さんが、シィー、と口の前に人差し指を立てる。あ…そっか。もうかなり遅い時間…。


「いいって。もう寝てるだろうと思ってたし」
「えっと…何時ですか?今」
「へ?あー…、と。その前に入れて」


玄関の前で立ち話になってしまっていた事に今更気付いて2人でおかしく笑いながら入る。改めて腕時計で時間を確かめた一也さんはピタッとそのままの格好で固まって数秒後、まさか、と低い声で唸るように言いながら顔を上げた。


「今まで起きてたんじゃねェよな?」
「当たりです!なんで分かったんですか!?」
「マジかよ…?お前、もう3時だぞ?」
「わ、一也さんの時計今日もピカピカですね」
「こらこら。そこじゃねェ。文字盤見ろ、文字盤を」


あまり物に執着しない一也さんだけどこの時計だけはずっと一也さんの腕にある。1度動かなくなってしまったけど修理に出してまたこうして時を刻んでる。
この時計はドラフトで指名されプロに入るその祝いと激励にとお義父さんから贈られたものなのだと知ったのは留学先から帰ってきてからだった。

その時計が確かに示す3時過ぎ。
確かめてから顔を上げれば一也さんの少し怒ったような据わった目と目が合った。


「風呂は?」
「まだです」
「飯」
「食べー……た、気がします」
「その様子じゃ碌なもん食ってねェだろ」
「一也さんは何食べました?」
「俺は牡蠣鍋」
「美味しかったですか?」
「いや、白州がめちゃくちゃ鍋奉行で……って、俺のことはいいんだっつの」
「いたっ」


コツ、と額を軽く小突かれて押さえればその手を掴まれ、ったく…、と繋いだまま部屋の奥へ。いつもより熱く感じるのはお酒を呑んでいるからかな?ふわりと香る一也さんの纏う匂いはお酒だけじゃない、食べたのだという牡蠣鍋とか色んな料理のそれ。少しふらつく一也さんの足取りは、きっと楽しかった証拠。あまりお酒は強い方じゃないから普段から自制をしてるのに呑んでしまうのだから。


「……何笑ってんだ?」
「いえ。楽しかったですか?」
「んー?……別に。沢村と降谷は相変わらずライバル心剥き出しで会えば面倒臭せェし倉持には蹴り入れられるし純さんには吠えられる。哲さんなんかさ、酔ってんの顔に出ねェからと思って油断してっとおしぼりで将棋やろうとか言い出すから面倒臭せェ面倒臭せェ」


ふう、とソファーに身体を投げ出すようにして座る一也さんに、ん、と手を引かれて隣に座ろうとすれば、違う、と拗ねたように首を振られて首を傾げた。違う……って、あ……。


「お水持ってきましょうか?」
「いらね」
「でも…酔ってますよね。朝辛くなりますよ?」
「ならねェから。それに酔ってもいねェ。それより、こっち。来い」
「え…きゃっ!!」


台所へと向かおうとしたところに手を強めに引かれて倒れた先は一也さんの膝の上で、いけない…!、と立ち上がろうとするんだけどすでにお腹の前に回った一也さんの両腕。おまけに、はあぁー…、とどこか安堵したようなそんな声が私の背中に頭を当てて零したものだから身体に響いてカァッと全身が熱くなる。


「ど、どうしたんですか?」
「……つまんなかった、わけじゃねェけど。やっぱお前が居ねェと物足りねェ…」
「え、でも一也さんがもっち先輩が私も誘ってくれたそれを断ったんですよね」
「そりゃ断るだろ」
「ですよね。男だけの場に女が行ったら水を差す…」
「じゃなくて」


ぎゅうっ、と一也さんの腕の力が強まって、一也さん?、と問い掛ければまた少し強くなった。やっぱり、少しどころじゃなくて…かなり酔ってるかな?ぐりぐりと背中に擦りつけられるその刺激がくすぐったくて身を震わせてしまう。
それより、足…大丈夫かな?
一也さんの腕の力は緩まらないし…けど口調は少しずつゆったりと舌足らずになってきてる。もう少しで眠ってしまうかな?

……温かいなぁ、一也さん。思わず首を捻って肩辺りにある一也さんの頭に擦り寄ってしまう。好き。大好き。胸の中がそんな想いでいっぱいになって感極まりじわりと涙さえ浮かんでしまうほどに。


「……お前、可愛すぎ」
「な…っひゃっ」
「それ無自覚?んなことされたら頑張っちまうっつーか頑張ってもらうっつーか…」
「え、え!?あの…っ」


ちゅっ、ちゅっ、とくすぐたくなるぐらいの優しい口づけが首の後ろに落とされて身動ぎしている内に力が抜けてあれよあれよとソファーに一緒に倒れ込む。くるり、とどうやって私より大きな身体を翻したのか見下ろされてるこの状況には目を白黒させてしまう。

絶対に酔ってる、一也さん。目が据わってるし……。お水…早くお水を飲んでもらわなきゃ。
もらわなきゃ……なんだけど。
けど、一也さんの眼差しが熱っぽくて欲に揺れているように見える。私も段々目が離せなくなってしまって、カァッ…と身体がまた熱くなる。どうしよう…このまま一也さんの目線を独り占めしたいだなんて贅沢を考え過ぎて罰が当たるかな?

私の頭の横につかれた一也さんの腕に触れればピクッとその腕が揺れて、あー…、と小さく呻く一也さんは頭を垂れた。


「気持ち悪いですか?」
「いや違くて。……OB会でもお前の話題になってよ」
「ご、ごめんなさい!!」
「は?」
「やっぱり一也さんには似合わないって…そういう…?」
「違げェよバカ!!…その逆。すげェ綺麗になって、お前には勿体ない。今度OB会に連れて来い。お前の酌で酒が飲みたい。だと」
「力になれるなら…」
「バーカ!」
「ふぐっ」


ムッと顔を顰めた一也さんにギュッと鼻を摘まれて思わず変な声を出してしまった私を楽しげに笑ったのも束の間。
一也さんは細めた目で私を見つめて、ありえねェ、とぽつり零した。


「させてたまるか。お前が他の男にちやほやされるとこなんか見たら俺、キレるわ」
「え……」
「本当は塾の生徒がお前に懐くのも面白くねェ。小学生はまだしもとして中3もいるだろ?」
「よくご存知ですね!」
「当たり前だろ。出来れば男なんか誰1人近寄らせたくねェんだよ」
「あ…あの!なんか、あの…っ」


するりと私の頬を撫でる一也さん。
大きくて固い手。何度もマメを潰し固くなったその手で私の肌を触れるのが最初は怖かった、そういつだか言ってくれた。
決して器用な方じゃないのだと思う、一也さんは。それでも懸命に想ってくれていると伝わるそういう瞬間は幸せに蕩けてしまいそうになるほど嬉しい。


「……なんで泣いてんだよ」
「一也さんが、好きすぎて…」
「!…俺も」
「ふふっ、同じ」


目尻に伝う私の涙を拭ってくれて覆い被さりぎゅうぎゅうと抱き締めてくれる一也さんを私も抱き締め返す。甘えるような、一也さんが私の首筋に顔を埋めすりすりとする仕草にくすくす笑えばムスッとした顔を一也さんが上げた。


「随分余裕だな、葵依」
「え!?そ、んなことは…ほら!心臓もバクバクですし!」
「服越しだから分かんねェよ」
「それは…残念です?」
「ん。つーわけで脱げ」
「え、ちょ…!」


なんでそうなるんですか!?、という反論虚しく手早く服を脱がされ、あ…、と声を零す猶予しか与えられず同じように服を脱いだ一也さんに再びギュッと抱き締められる。


「か、ずやさ…っ」


一也さんの肌…熱い。それに私もどんどん体温が上昇していくのを感じる。もう幾度も身体を重ねて覚えた快感を思い出して少し切なく心臓が窄まる。
どう身体を重ねたら。
どう強請れば。
どう感じてどう欲するのか。
全身で覚えてしまっているから期待や愛しさで胸がいっぱいになる。合わせた肌の固さや熱さ、こんなにも私を満たせる人は一也さんしか考えられない。高校1年の冬、あそこで想いが通じずあのまま平行線のままだったら私はきっと今も独身だったと思う。

ゆっくり腕を滑りながら一也さんが私の手を自分の背中から離して手を握る。かと思えば絡めた指を解いて何かを確かめたように触れる。左手の薬指。一也さんが私に一生分の幸せをくれた結婚指輪の嵌まるその指を何度もなぞって、葵依、と小さく私を呼ぶ。


「はい」
「………」
「一也さん?」


あ……れ?応答なし。それに首筋に当たる吐息が規則正しいリズムで……え、もしかして。


「一也さん!?こんなところで寝たら…お、起きてくださーい!!」


グッと肩を押したところでプロ野球選手の鍛え上げられた筋肉のつく身体が私なんかに持ち上がるはずもなくてなんとか起きてもらいベッドに入ってもらった時には一也さんの腕から外してあげた腕時計は4時半を指していた。
明日…というか今日は1日オフだと言っていたしゆっくり寝てくださいね。
そう告げて私はまだ片付け終わっていないリビングへ向かったのだった。


「いっ……てェ!!」
「!」


一也さんのそんな声と共にドスンという鈍い音がして慌てて寝室に飛び込んだのはもう昼を回った頃。そろそろ1度起こそうかなと思いながら台所に立っていた私はエプロンをつけたまま。
寝室に飛び入った私を見る一也さんはベッドの下に座り髪の毛を掻き乱していて私を見るなり、まだ夢か?、と掠れた声で言った。

野球をしている時とは大違いなその姿。愛おしさに、ふふ、と笑いながら一也さんの元へとしゃがみ首を横に振る。


「おはようございます、一也さん」
「おはよう。つーか…俺、なんかやらかした?」


バツの悪そうな顔をしてきょろりと部屋を見渡す一也さんはどうやらどこからか記憶が抜けてしまっているらしくどこまで覚えているかを聞けば、辛うじて家に入ったところまで、と答え痛そうに呻いた。


「あ、やっぱり辛いですか?」
「やっぱり?」
「かなり酔ってるようだったのでお水飲むように言ったんですけど…」
「あー……、なんか思い出してきた。いい。その先は。なんとなく、分かる」


くー…っ、と呻く一也さんに首を傾げるとジッと私を見つめてから恥ずかしそうに顔を伏せた。


「……OB会で先輩たちがお前のエプロン姿見てェとか言ってて」
「はあ…?」
「冗談じゃねェって思ってたから夢に見たのかもな」
「夢ですか?」
「ん。今みてェな感じの」
「夢じゃないですよ」
「……だな。触れる」


ふわ、と一也さんの手が私の片耳を包んで、遊ぶように耳を捏ねる。少しくすぐったくて首を窄めると、フッ、と優しく笑った一也さんがゆっくり顔を寄せてくるから目を閉じた。間もなく重なった唇はほんの一瞬で、今度は気持ちがくすぐったくなって笑えば一也さんもくたりと笑った。


「腹減ったな」
「もうお昼ですから」
「くそ、せっかくのオフが…アイツら飲ませやがって…」
「ゆっくり眠るのもオフにしか出来ませんから」
「まぁそりゃ…。食ったらどっか行くか?」
「いいんですか!?」
「ん」


自分でも分かるほど顔が緩んでしまう。そんな私に少し照れ臭そうにする一也さんが、何してェ?、と聞いてくれて間髪入れずに答えた。


「キャッチボール!また2人で、キャッチボールしましょう?」


大きく目を見開いた一也さんが顔をくしゃりと崩し笑い、はいはい、と頷いた。



鴛鴦の契り
「ところで一也さん」
「ん?お、この煮浸し美味い」
「ありがとうございます!」
「つーかお前、あんま食ってねェけど…どうした?体調悪ィのか?」
「そうですそれです!さすが一也さん!!」
「こらこら。元気に言うことじゃねェから。え、マジ?大丈夫かよ?」
「んー…、思えばここ最近ずっと…」
「ずっと!?」
「はい。微熱が続いていて少し気持ち悪くて頭痛も少しあります」
「お前それ…!!」
「え!?ど、どうしたんですか?一也さん、いきなり立ち上がって…」
「……病院行くぞ」
「え…そんな大袈裟な…」
「待ってろ。調べる」
「病院ですか?近くの…」
「違う。産婦人科」
「………え?…あ!!」


―了―
2015/10/29


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