離さない手


それほど前のことでもねェのに酷く懐かしく感じるそれらを思い出しながらちびりちびりと飲む酒はなかなか美味い。
疲れていたからなのか思ったより早く酔い潰れ今は気持ち良さ気に眠る山田さんは俺の話しの半分も聞いちゃいなかったろう。まったく投手って奴はどこまでも利己主義者だよなぁ。


「一也さん?」
「ん?おー、終わったか?」
「はい。ごめんなさい、部屋を散らかしてて…」
「ゴミが散乱してたわけじゃねェんだから気にするなよ」


申し訳なさそうに和室へと顔を出した葵依はさっき襷掛けしていた袖を下ろし眠っている山田さんに気付くと、あ…、と小さく声を漏らし和室の押し入れからブランケットを出した。


「ん。俺がやる」
「え?」
「他の男に甲斐甲斐しくしてやってんのを見んのは面白くねェしな」


素早く立ち上がりブランケットを葵依の手から奪えば目を丸くした後俺の言葉を聞いて嬉しそうにはにかみ笑い目を伏せた。白い肌にサッと差す赤みに気付き山田さんにブランケットを適当に投げてその頬に口付けを落とす。


「か、一也さん…!」
「はっはっは!茹蛸みてェ。こうもいい反応されちまうとなー…」
「ちゃんと下拵えしてないので美味しくないです!」
「ぶはっ!はっはっは!!え?なに?下拵えしてねェの?」
「は、はい!!ま、まだお風呂入ってないですし…」
「ふうん?じゃあ入って来いよ。俺は山田さんをベッドに運ばなきゃなんねェし。さすがにピッチャーを畳の上で寝かせるわけにはいかねェしな」
「バスソルト入れて入ります!」
「あー塩繋がりか。蛸のぬめりは塩を摩り込んで取るからな。あぁ、でもあんまがっつり入れんなよ?」
「なぜです?」


きょとんと不思議そうな顔をして問い掛ける葵依に、内緒、と今度こそ唇にキスを掠め取るようにする。おー、放心してる。本当、付き合いもそこそこ長げェし結婚してるっつーのにいい反応してくれるよなぁ。
まぁ蛸の下拵えに例えて湯にバスソルトを入れるのだとして、それ特有の匂い…ってのはそそるものがあんのは確かだとしてもやっぱ葵依自身の匂いも味わいてェし。変態と呼ばれても結構。


「っ…美味しくなってきます!!」
「はっはっは!!すげェ宣言!!」


腹痛てェ!、と腹を抱えて笑う俺から逃げるように慣れた様子でバタバタと着物にも関わらず走り風呂へと向かう葵依を見送り、さてと、とグースカ寝息を立てるうちの球団エースを見下ろし、ふう、と肩で息をつく。


「起きてますよね?」
「チッ、なんだよ。気付いてたのか」
「今さっきですけどね。俺がブランケット投げた時に少し目を開けましたよね」


しししっ、と悪戯っぽく笑う山田さんが身体を起こすのを横目に俺は酒や肉じゃがの入った器を手に台所へと向かう。
なるほどなー、と言う山田さんの表情はこっちからは伺い知れねェ。なんですか?、と簡単な片付けを終えた俺が戻ればにやりと笑うその顔に眉を顰めた。あーこの人今ろくでもねェこと考えてるな絶対。決してポーカーフェイスが得意なわけじゃないこの人が時々マウンドで見せるこの表情。自身のウイニングショットで打者を打ち取ることを考えると興奮がどうも顔に出ちまうらしい。配給がバレるから止めてほしいと言ってるんだけどな。ま、気持ちで投げるタイプのピッチャーはリードしてて面白れェからいいけど。


「いや、前に誰かが言ってたぜ」
「はい?」
「御幸は結婚してから当たりが柔らかくなった、ってよ」
「ははっ、なんですかそれ」
「俺にはいつも生意気だけどな」
「これが地なんで」
「改める気はねェのか」
「三つ子の魂百まで、って言うでしょう?」
「俺の子供は絶対そんな子供にさせねェ」
「はっはっはー。その前に相手見つけないと」
「うるせェ」


ったく口が減らねェ、とか、本当性格悪ィ、とかぶつぶつ言う山田さんの言葉を聞くとも聞きながらテーブルを布巾で拭き上げる。随分家事手伝うじゃねェか、となぜか上から目線の言葉に、共働きですからね、と返す。アイツはやらせたがらねェけど。


「入団したばかりの頃はよ、こう、なんつーか張り詰めてる、っつーのか?」
「いや俺に聞かれても」
「とにかく可愛くねェ可愛くねェ」
「はっはっはー、すみません」


軽く流すものの自覚はある。入団したばかりの頃はとにかく必死だったっつーのもあるし葵依は俺の見てねェとこで個展やらなにやらとどんどん活躍の場を広げてたってのもあって負けてらんねェと思ってたことも一因で他に構う余裕が一切なかった。
会えはしねェが幸いお互いに活躍の場を得て雑誌などで目に触れることが出来るから活躍すればしただけアイツの目に触れることが出来ると思えば女々しかろうがなんだろうが片っ端からそれを理由にこなした。とにかく、必死だった、という言葉に尽きる。思った以上に惚れ抜いちまったもんだからその葵依に会えねェ時間を費やす野球をますます大事に思った。

まさに理想の形で俺は葵依に恋をしたんだろう。それもこれもアイツが相手だったからこそなんだろうが。


「それが結婚したら脱皮したみてェにスッキリした顔になりやがってムカつくな」
「理不尽じゃありません?その怒り方」
「理不尽がまかり通るのが先輩だからな」
「ははっ、青道の野球部にもそんな奴いましたよ」


そう言えばまずパッと頭に浮かぶ独特な笑い方をする同輩は今期盗塁王を獲得しやがった。今や球界のチーターと呼ばれるようになったのは沢村がマウンドでモーションを盗まれ走られた時に叫んだそれを新聞記者が拾って記事にしてからだったな。OB会では毎回その事が話題になり倉持が沢村に技を決めるのが鉄板になってる。高校で一緒にプレイしていた時よりデカくなった沢村を、生意気なんだよ!、と手加減はしてるだろうが容赦なくタイキックを食らわす倉持こそ山田さんの言う理不尽な先輩だな。


「女子アナとの食事会にも来ねェし」
「スコア見直したかったんで」
「先輩の誘いを簡単に断りやがる」
「山田さんの誘いは広報からも気をつけろって言われてましたし」
「あーあー!俺も早く結婚してェ!!」
「近所迷惑です」


ったく酔っ払いめ。などとまさか言えず山田さんに客間のベッドで眠るようにと促す。それもまるっと無視して、なぁ、と今にも寝ちまいそうな山田さんに、はいはい、と返す。多分朝になったら何喋ったかも覚えちゃいねェな。だから週刊誌の良い餌食なんだこの人は。


「子供作らねェのかよ?」
「んー…そうですね…」


この手の質問は結婚した時に散々聞かれたなぁ…。苦笑いする俺には気付かずテーブルに突っ伏す山田さんの肩を冷やさねェようにブランケットを掛ける。

子供は欲しい、とは思う。
ただ自分が親になることについてまだ自らが勉強中の身なだけに実感が湧かねェのも事実。よく、子供と一緒に成長する、とは言うが例えば妊娠が判明してからの数ヶ月の間に心構えが出来るのかが疑問だ。ただ俺も球団が小学生を招いての野球教室を開き子供と触れ合う機会があったり葵依が塾でのことを話すのを聞くと、やっぱり子供がいれば賑やかだよな、とか、子供がいたら2人の時間は取れなくなるよな、とか色んなことを思う。
つまるところ今は葵依がいれば結婚生活万々歳なわけでそれ以上のものが手に入ることがただただ想像つかねェだけなんだが。


「ちょ、山田さん。寝ないでくださいよ。俺よりデカいんですから運ぶのも大変なんですよ」
「あー?エースを敬え……先輩を、うやま…」
「あーはいはい。ほら、行きますよ」


肩に担いでグッと足を踏ん張り山田さんをなんとか運ぶ。客間のベッドが見えた時には投げ出してやろうかと思ったが本人が言う通りうちのチームのエースなわけだ。ここは丁重過ぎるぐれェに扱いやっとの思いで寝かせリビングに戻る。

しん、と静かなそこに1人になると疲れた身体とは裏腹にもたげるのは欲求だっつーのがいかにも俺らしくて苦笑しながらも俺のそれを唯一解消出来るアイツのところへと足を向けた。


「お、なんだ。もう上がっちまったのか」
「下拵えが足りませんでしたか!?」
「んー……」


洗面台の鏡の前で髪の毛をタオルで拭き今からドライヤーをしようという雰囲気の葵依をつい顎に手を当て眺める。
コイツの場合、十中八九気付いてねェだろうが本当に色気が出てきた。山田さんが言ったのは聞き捨てならなかったが着物を着る姿ってのはそれこそそれを生業にするようなほど見事な色気だと思う。
今の上気し色づいたままの肌と濡れた髪の毛の姿なんてのは山田さんに見せられたもんじゃねェ。あー寝ててくれて良かったぜ、マジで。


「……なぁ、葵依」
「はい」


そっ、と葵依の首へと指を当てるとぴくんと薄い皮膚の下が反応する。あーやべ、いや、待て待て。もう少し話してェことがある。
とはいえ俺の目には欲情が隠せてねェのか葵依の瞳も心なしか揺れて濡れる。くそエロい。


「子供、欲しいと思う?」
「え……」
「や、結婚してからよく記者とかにも聞かれるしさっき山田さんにも聞かれたんだよな。んで、お前とそういう話し聞いたことねェなー…、って思ってな」
「んっ」


するりと襟から覗く鎖骨を指でなぞれば、ギュッ、と目を瞑った葵依から零れた甘い声。こらこら。煽んなよ……と思いながらも…やべ、葵依のこういうとこを見るたびに顔が緩みそうになる。こんな些細な事でも敏感に拾う葵依の神経の鋭さは俺が磨き上げてやったとか、思い上がりでもなんでもねェと思う。


「……ま、いいや。続きはまた今度、ってことで」
「え、あの…!」
「つか俺が無理。我慢出来ねェ」
「んっ…ふ、あ…」


強引に葵依の細い腰を引き寄せそのまま抱いて唇を重ねる。肌の温かさとバスソルトの匂いが欲を刺激する。啄むように合わせていただけのキスも1度唇を離し見つめ合った時に物足りなさそうな顔をされちまったらそれだけで収まるわけがねェ。
濡れた髪の毛に手を差し入れて後頭部を押さえより深く求める俺に次第に身体から力を抜いた葵依が自分を預けてくるのが堪らなく可愛い。


「ふあ、あ…一也さ、…っ」
「ん?」
「あ…っ」
「ははっ、肌熱ィ」


腰を撫でていた手を服の中に入れて直接肌を触れれば、びくん、と跳ねる葵依の身体を抱き締めいつの間にか乱れた呼吸をぶつけるようにまた貪るようなキスをする。頭の片隅に、髪の毛乾かしてやんねェと…、とは何度も過ぎったものの上がり続ける欲求には敵うはずもなくそれに忠実に従い葵依に受け入れさせ続けた。

いつか2人だけじゃなく、もう1人居たら、と自然に思うようになるんじゃねェかな。今はこんなにも葵依しか考えられず葵依を独占出来ることに不満もなんもねェし。ただ葵依に似た子供は俺が見ることの出来なかった幼い頃を重ねて見るようでもあるわけだから、この上なく可愛いのだろうとすでに娘の姿までぼんやりと頭の中に浮かべちまうんだからもしかしたら親バカの可能性もあんのかも。


「か、ずやさん…」
「わり、待つとか無理」
「でも……っ、ベッドの方が身体に無理がないんじゃ…」
「俺?」
「はい」
「今更だろ?もう何回もベッドじゃねェとこでしてるし、何もなかっ…」
「駄目です!」
「へ?」
「今までがどうであっても今日がどうであるかは分からないんですから!!」
「お、おー……、ぶはっ!はっはっは!本当お前には敵わねェ。じゃ、行きますか?」
「はい」


恭しく手を差し出す俺にふわりと笑い重ねられた小さな手を握ると急に込み上げた照れ臭さに噴き出し笑う。すると葵依も楽しそうに笑うこの瞬間が堪らなく幸せで、やっぱり子供はもう少し先になりそうだと思った。


「葵依」
「はい」
「好きだよ」
「はい!私の方が好きですけどね!!」
「譲らねェなー、それ」
「譲れないんです」
「ま、俺も譲らねェしこれから証明してやるけど」



離さない手
「あぁ、起きました?山田さん」
「……おう」
「はっはっは!すげェクマですね」
「誰かさんのせいでな!!」
「なんのことだか」
「この野郎…!ん?嫁さんは?」
「もう出掛けました。今日は出張で書道教室の方です」
「ほう……。そんなもんがあるのに随分盛ったな」
「あれ?気付きました?」
「白々しいんだよ!!確かに声は聞こえなかったが色々分かるだろ物音で!」
「はっはっはー、さすがですね」
「くそっ、悪びれる素振りも見せねェクソ度胸だな」
「いやぁ、それほどでも」
「褒めてねェよ!!」
「あ、朝飯食いますか?」
「…食う。うお!すげェ美味そうだな!!嫁さんやるな!!」
「なに言ってるんですか俺が作りましたよ。そうそう何回もアイツの料理食わせたくないんで。どうせ昨日の肉じゃがも覚えてないでしょう?」
「………」


―了―
2015/10/23


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