掴まれた手


試合は今日勝てばランキングに大きく影響するだろう大一番。上位3球団が混戦状態を続けもうシリーズも終盤を迎える。見てる分にはどこが優勝するか最後まで分からねェっつー緊迫感で楽しめるかもしんねェけど戦ってる方は神経を擦り減らす。高校の時にやってた時とは大きく違う個としてのブランド価値みてェなもんを高めるのもプロとして1つの仕事だ。そりゃ野球で飯食ってんだから楽しいだなんだのの次に真っ先にそれがくるよな。誰もが望む少しでも長く野球をやっていてェって願いは個人の成績なしじゃ実現しねェ。
それだからこの日もマウンドに立つ投手が勝ち投手になれるかなれないかの場面を迎え緊張に身体が固くなっちまったのも、無理はねェんだ。

ただ俺がそれに気付いたのは止むなく交代を告げられた投手がマウンドを下りる時に尋常じゃない汗をその顔に確認した時で、こんなに近くにいるのに見えねェこともあんだな、と自分の未熟さとは別に驚きも冷静に受け止め試合は変わった投手でしっかり締めて見事ランキングを上げることが出来た。
試合終了は午後8時42分。ベンチに掛けられた時計をマスクを脱ぎ汗の掻く髪の毛を掻き上げ見据えていれば、トントン、と肩を叩かれ振り向けばチームメイト。


「なんですか?」
「いいからいいから」
「はい?」


あー…カメラね。本当この人好きだなぁ。年末のプロ野球特集とかで絶対にこの人のユニークさが取り上げられるんだよな。俺もこの人は面白いから嫌いじゃねェけど今は気分じゃねェんだよなぁ…。

とは、いうもののサービスもプロの仕事の内…なんて広報によく言われんだよな。まぁ確かに。つーことで肩を組まれ、あっちな、と指定された方に見えるカメラに揃ってVサインを送る。仲良いですねェー!、なんて番組のコメンテーターの言葉が浮かぶな、こりゃ。


「御幸、お前なんか機嫌悪ィな」
「そうですか?普通ですよ。それに無事勝てましたし?」


なーんて、良くはねェけど。

シャワーを浴びてロッカールームで着替えた後、飯行くか?、という先輩チームメイトの誘いを断り球場をタクシーで後にした。走る道々に自球団のユニフォームを着て歩くファンの姿を見つけ、フッ、と顔が緩むもののすぐに表情筋が強張っちまう。家に残してきた葵依とはまだ話が出来てねェ。何やってんだ俺は。葵依がアメリカから帰ってきて残された時間は1日のみ。今日はもうあと3時間もすりゃ終わっちまうし睡眠時間や明日の俺の球場入りまでの時間まで加味したら1日もねェ。


「くー…っ」
「お客さん、どうかしましたか?気分が悪いなら…」
「あ、いえ。大丈夫です」


こういう時は放っといてほしいんだけどな。
なんて苛立つぐれェ焦り髪の毛を掻き乱しくしゃりと握り込む俺を乗せなんの打開策も見つからねェままタクシーは間もなく俺の暮らすマンションに到着した。
……元々、誰かに合わせんのは柄じゃねェ。それだからこそ個を高めその上でチームに貢献するっつー意識の高けェ部員の揃う青道野球部を選んだんだ。俺が誰かと同棲だとか誰かと結婚だとか、あの頃の俺には頭にもなかっただろうし聞いたら、冗談だろ?、と腹を抱えて笑うかもな。

だからと言って手放すつもりも、ねェんだけど。


「ただいま」


家に入りそう声を掛けたらアイツのことだから何もなかったみてェに飛び出してくんじゃねェかって、んな甘くねェか。
少し期待してた分、疲れた身体に重く伸し掛かるっつーか……。

はぁ、と溜め息をついて暗い廊下を歩きながらリビングに向かう。物音1つしねェけど部屋に居ないわけじゃねェのは玄関の靴を見て分かってる。だとすると葵依はまだ寝室に篭ったまま…ってことになるか。アイツ…ちゃんと飯食えっつったのに冷蔵庫を開けて確認するもまったくの手付かず。ゴミ箱にもゴミはねェし…膠着状態も限界だな。


「葵依」


何度声を掛けてもうんともすんとも。返ったとしても突っぱねるばかりで余程腹を立ててるのが今までの4年の付き合いで分かるだけに口を開いては言葉を発しれず今も自分の家の寝室だってのにドアたった1枚前にしてノブを回せねェでいる。野球以外はポンコツだとなんとか言ってくれやがった倉持の高い笑い声が聞こえてきそうだぜ、くそ……。


「………」


あー本当…マジで。面倒だ。試合で疲れてるしスコアだって見直してェ。出来れば野球以外の事を考えるのは勘弁したい。そうして今までだって過ごしてきた。他者を自分の中に入れるってのはこんなにも自分が見えちまう。相手を鏡として、相手の返す反応に見えなかったもんが山ほど見えてくる。一例を上げるなら葵依と付き合いだしてからの俺は自分で思っていたより心が狭かったし思っていたより不器用だった。思っていたより臆病で思っていたより執着する。
思っていたよりずっと遥かに葵依を好きになった。
野球がなきゃたぶん俺には葵依しか残らねェって、それを幸せに思えちまうぐれェに。

なぁ、葵依。


「好きだよ」


きっとこの喧嘩も無駄じゃねェけど今はもう葵依とドア1枚隔ててんのは嫌だ。
グッと奥歯を噛み締めたのは無意識で、ドアノブを握った手をゆっくり回した。


「……って、寝てんのかよ…」


明かりの点けねェ部屋にリビングから差し込んだ明かりが伸びてベッドで眠る葵依の姿を照らす。ゆっくり上下する葵依の胸元を見ながら、俺の緊張返せ、と無茶苦茶な愚痴を心の中で零し緊張に溜まった息を静かに吐き出し静かに近付こうとすれば足に何かが当たる。
なんだ…?


「スクラップブック?」


よく見る表紙のそれに開かなくてもそうだと分かった。しかも足元にあんのは1冊だけじゃなく柄やサイズの違うスクラップブックが3冊ある。大学の関係の何かか…?

いけねェとは分かっていながらそれを手に取り開けば予想外の内容に息を呑んだきり継げなくなった。


「お、れの……」


白黒の新聞のものもあれば雑誌の切り抜きもある。小さな記事だって貼られていてそれはすべて俺のもんだった。
こっちはドラフトの…これは初試合の。これは初めて受けた雑誌の取材で……これなんかつい最近じゃねェか。どうやって手に入れたんだよ。お前アメリカだったじゃねェか。

息することも忘れてたのにハッと気付いて息をした時は口の中がどうしてかカラカラに渇いてた。
っ……もっと、言えよ。
明るく笑ってるだけじゃなく、昨日みてェにぶつけてきたらいいじゃねェか。どうせお前のことだから、自分がアメリカを選んだんだし、とかって我慢してたんだろ。それを少しも見せねェとか……俺よりずっと頑固じゃねェか。気持ちが強すぎる。

パラパラと尽きない俺の記事は葵依の尽きない想いを見せられているようで、カァッと顔に上る熱に見られてるわけでもねェけど口を手で覆った。
これは鳴と受けたやつか…、とすでに懐かしくも感じる切り抜きに目を留めてから捲ろうとするもふと余白に違和感を見つけて手を止めた。

何か書いた跡。消したけど残った凹凸になんとか読め…る……。


「!」


"会いたい"
光の加減で出来る凹凸が作る本当に僅かな陰影にそう読み取ることが出来たその跡に目が見開き心臓が大きな鼓動を打った。
おいおい…、と思わず呟いた声は掠れたものの口元は緩んじまう。
……あぁ、なんだよ。
ごちゃごちゃ色々言ったけどつまり、俺はこの一言が欲しかった。どうにも隠し切れずに漏れ出した確かな葵依の本音の欠片。

もう後は色んな想い全部引っくるめて衝動的に動いた。スクラップブックを閉じて床に置いてベッドで眠る葵依の側に腰掛け屈み、葵依、と呼んでも反応しねェけど額や瞼、頬に口づけを落とすたびに呼ぶ。
寝てんなよ。
起きろ。
もう1秒だって無駄にしたくねェ。

唇に葵依の肌の柔らかさを感じるたびに気分が高まって息が上がってくるのをグッと堪えてまた葵依の名前を呼ぶ。
柔らかけ…、と葵依の首を撫でて後頭部に手を回し髪の毛をゆっくり梳く。アメリカに行っちまったコイツは俺の知らねェ匂いをさせるようになったが、鼻を寄せて感じる肌の匂いは変わらねェ。それに酷く安心して髪の毛を避けて首元に顔を埋めた。


「葵依……好きだ」


なんつー声で葵依を呼んでるんだと自覚はあるが、その甘ったるさでも伝えきれる気がしねェ。何度も繰り返し強く吸い付けば付いたその赤い跡にカッと身体の芯が熱くなる。くそ、足りねェ。

葵依の上に被さりぎゅうぎゅうと抱き締める。眉根が寄っちまうのはこの愛しさが苦しいほど胸の中を独占しているからで、むしろ心地好い。


「葵依…」
「ん……」
「!…起きたか?」
「……一也先輩?」
「ん」
「なんで、私の部屋に?」
「は?」


こらこら。此処は俺の家だっての。

そう反論しようと葵依から身体を離し呆れたように眉を下げたもののやっと起きてくれたのは嬉しくて口元が緩む。さて、こういうことはやれる時にちゃんとやらねェとズルズル流れちまう。謝る言葉をちゃんと伝えねェとな。


「夢、かぁー…」
「!……は?」
「ふへへ、触れるけど」


手を伸ばされて、ひたり、と葵依の少し冷てェ手が俺の頬に触れる。突然のことで目を見開き固まった俺の下で、にこぉ、と嬉しそうに微笑んだ葵依はまた、夢…、とうわごとのように繰り返し目を閉じた。ね……寝惚けてんのか?びびった…葵依から触れられるとか、あんまねェしな。

……目の下が赤い。
この馬鹿、泣き腫らして擦ったんだろ?……まぁ、泣かせたのは俺だけど。


「一也先輩…会いたい」
「!」
「寂しい…辛い…会いたい…」
「っ……」


話したことはねェけど俺も夢の中でよく葵依に会う。俺の知らねェ誰かに囲まれていて呼んでも俺に気付かずどっかに行っちまうんだ。俺は俺でよく見知ったチームメイトや青道の連中に腕を引かれて、向けたくねェのに葵依に背を向ける。なんてよく出来た夢なんだと目覚めて泣きてェ気持ちになりながら苦笑いを零す。まんま今の俺の不安や想いを写し取ったような夢に。

会いたかった?
俺もだよ。
そう伝えてェけど夢だと思ってるコイツに言っても意味ねェ。


「ふぐっ!」
「……あ、やべ」


間違った。そうじゃねェよな。起こすために鼻摘むとか。

息苦しさに、ケホッ、と噎せながら眉根を寄せて目を開ける葵依を前にして、あー…、と自分の幼稚さを再確認する。


「え…一也先輩…えっと」
「此処は日本な。んで、俺の家」
「……どこから夢でしたっけ?」
「帰省して俺の家に来て喧嘩してお前が寝室に立て篭もったのは現実」
「あ!!な、なんで一也先輩ここに!?」
「まぁいても不思議じゃねェだろ。俺の家だし?」
「わ、私あの…!」
「ごめん」
「!」
「……うん。ごめん」


なんて言えばちゃんと伝わるだろうかとか色々考えたが俺を見てまた泣きそうになる葵依を見れば勝手に言葉が出てきた。放っとけば距離を置きそうな葵依の腕を掴み繋ぎ止める。ビクッと震えられんのは…ちょっと堪えるな。


「あんな風に言いてェわけじゃなかった」
「…つまりそれは本音も入ってるってことですか?」
「う…。お前鋭いよな…意外と」
「一也先輩のことに関しては自信があります」
「けどやっぱ、見えてねェことがあるよな。色々と」
「!…はい」
「…んな風に笑うな」


くたりと力の無い笑みを浮かべる葵依の頬を手で覆い目元を指で擦る。固く力の入る身体からゆっくり力が抜けていくのについ気を良くしちまって唇に目がいくが、いやいや……駄目だろ。まだ話してェことがある。1度触れりゃたぶん、歯止め利かねェし。


「全部飲み込んでたけど今更そんな必要もねェよな」
「………」
「嫌だよ、すげェ。お前が俺の見れねェところで俺の見れねェ姿を他の男に見られてると思うと腸が煮え繰り返る」


それがお前にとって友達でしかねェとしてもな。

そう続ける自分の声を聞いてると情けなくなっちまうな。苦笑いを浮かべる俺が言葉を続ける代わりに葵依が口を開く。


「これだけは、絶対ですから」
「ん?」
「命懸けます。私が一也先輩以外を好きになることはありませんから」
「!」
「それだけは覚えておいてください。じゃないと困ります」
「…ははっ、本当お前…」
「はい。一也先輩のことが大好…っんっ!」


悪い。すべてを言い切るまで我慢してやれなかった。勢いよく葵依の口を塞ぎそのままベッドに押し倒す。1度唇を離し至近距離で見つめ合ったものの葵依から拒絶は聞かれずまた唇を合わせる。

その瞬間に熱がぶわっと溢れ、それを受け止めさせんのも一瞬躊躇したがそれを感じ取ったように葵依が俺の手を握ったからさらに熱は増しもう止まれねェだろうと頭のどっか片隅で冷静に考えながらその手に指を絡めて強く握った。


「葵依」
「ん…っ」
「葵依」
「ふぁ…」
「葵依。……呼んで」
「は、ぁ…か、一也先輩…」
「先輩は付けなくてもいいんだけど」
「えぇ!?それはまだ私に経験値が足りません!!」
「経験値ってなんだよ!」


俺が此処に、葵依の前に居るっつーことを実感したい。恥ずかしそうにする葵依に何度もしつこく促しやっと呼んでもらった時、なんとか掴んでいた理性は手放して本能と共に葵依への愛しさへと沈み込んだ。



掴まれた手
「あの、一也せ……んんっ」
「んー?」
「雑誌に書いてあった通りですね!!」
「は?雑誌?」
「エッチの時はどうですか?って質問に、しつこいかも、って答えてました!」
「あー……、マジで?」
「はい!!さっすが一也先輩!例え雑誌の取材でも嘘をつかないんですね!!」
「え、つまり今俺しつけェ?」
「はい!!」
「ふうん…んな正直に答えられたらますます期待に応えなきゃなー?葵依」
「え、や…ちょ…きゃあ!」


続く→
2015/10/07


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