もう1つの攻防戦


ポン、と肩を叩かれてハッとそれに応じて顔を向けると不思議そうな双眼が俺を見下ろし、信二?、と呼ばれる。


「どうかした?さっきからずっとぼうっとしてるけど」


もしかして具合悪い?飯も進んでないしさ。

そう続けながら俺の隣に座った中学からの友人に、あー…、と間延びしたどちらともつかない声を返しながら頭を掻く。夕飯がまだ半分以上残ってる俺とは裏腹にコイツはもう食い終わって食後の一休みらしい。手に持つコップに入る茶から湯気が立ち上るのを見ながら苦笑した。朝食は練習も控えてるしそうのんびりしてらんねェけど今はその普段とは違うから夕飯もそうはいかないのだということを今思い出した。

年末の一斉帰省が命じられてる28日はもう明日。そんなに荷物があるわけじゃねェけど荷造りや大掃除がある。冬休みが夏休みより短いからといっても宿題がないわけじゃなくそれにも追われなきゃならない。年が明けてすぐ練習が始まることを考えりゃ、早く済ましておく方がいいに決まってる。バカ村はそこまで考えちゃいねェだろうから、休み明け寸前の俺の負担は不本意だが大きいだろう。……と、こんなこと考えてるとますます気が滅入ってきちまう。

クリスマス会が終わり合宿も大詰め。
確かに身体的にも精神的にも満身創痍状態で、俺がこうして放心してるのも不思議じゃないだろう。昨日なんか狩場が風呂で沈みそうになってたし沢村は沈んでたし降谷だってシャンプーをしたままの格好で寝てやがった。小湊と東条と3人でそいつらなんとか収拾付けたんだよな……。あー早く終われ。

そうすりゃ。


「………」
「信二?やっぱおかしいよ?」
「いや…」


そうすりゃあ、こんな風に実感しちまうこともねェしな。


「なんつーかさ、あんな顔あんま見ることなかったよな」
「え?」
「御幸先輩」


小さく東条に聞こえるような声で言った俺の意図を瞬時に理解してくれたのか、東条は何も言わずにちらりと御幸先輩へと目線を遣ってからただただ静かにコップを傾けて茶を静かに啜った。
焙じ茶なのか、香ばしい匂いに少し気持ちが軽くなる。


「別に怖いわけじゃなかったけど、あの人少し近寄りがたいとこなかったか?」
「そうかもね。積極的に関わってくる人でもないし」
「だよな」


短い会話だけれど俺の言いたい事は東条も理解したらしい。と、いうよりも少し前からあった御幸先輩の変化にコイツも気付いていた、という方が正しいのかもしれない。
東条は、うん、と1人意味深に頷いて御幸先輩を一瞥してから口を開く。


「葵依が関わるようになってからだよな」
「!……だな」


その事にどれくらいの奴が気付いているだろうか。端から見れば御幸先輩がガキっぽく騒ぐ阿呆な葵依をいなしているようにしか見えなかった少し前。
クリスマスをきりに2人の関係性ははっきりと変化して、食堂で携帯を見ては1人、ぶはっ、と噴き出し笑いそれを見られてはバツの悪そうな顔で自室へと戻る姿がよく見られるようになった。
あの人のテリトリーに入るのは本当大変だと思う。発言の1つ1つに自分が野球をすることへの意識の高さみたいなもんが見受けられるし思いも寄らない厳しさを携えてることもある。まだ記憶に新しい秋大本選中のゾノさんとの衝突での一幕はそんな御幸先輩の一面をより濃くした。
とにかく妥協がなくとにかく厳しくとにかく隙がない。
俺にはあの人がそう見えた。そう、見えていたんだ少し前まで。


「良かったよ。葵依がもう泣かないで済む」
「お前……」
「知ってた。知ってる奴、1年じゃ多いんじゃないかな。沢村でさえ気付いてたし」


爽やかな顔をしてにこりと笑う東条は時々的を得た辛辣な言葉を吐く。つまりは沢村が馬鹿だって言ってるよな?それ。

あんな奴だからきっと、御幸先輩に許されたんだ。テリトリーに入ることを。東条も狩場も小湊も吉川にも、いつの間にか野球部の奴らみんなとコネクションを築きそれが不快じゃない。阿呆だけどバカではない葵依が遠慮なく泣く姿を見せることを沢村が、すげェ嬉しい、と言ったのには少し驚かされたっけな。


「………」
「……信二」
「ん?」
「帰省する時、家に帰る前に付き合ってよ」
「あ?バッセンか?お前も好きだな」
「いや、たぶん…違うかな」


違うっつーと、投げんのか?

そうは問い掛けずに焙じ茶に目を落とし疲れの見て取れる東条に何も聞かず、俺は打つからな、と返せば苦笑いを浮かべた顔を上げた。投手希望から外野手へのコンバート。手に入れた背番号と引き替えに失ったあのマウンド。入学して8ヶ月、容易いとはいえねェ選択を繰り返して今に至ることを考えりゃそう簡単に年越し年明けを迎えられねェコイツの心情は100%は理解出来ねェんだろう、俺は。


「あー課題やらなきゃな。信二はそつなくやりそうだな」
「お前もだろ?それは。問題はあの馬鹿だ」
「ははっ、手伝うよその時は。葵依も誘おう」
「いやお前…それは、」
「友達だろ?」


そう言って東条がまた御幸先輩に一瞥を投げたのは気のせいじゃねェと思う。
無意識に寄った眉根を、シワ消えなくなるよ、と指摘した東条が、


「そこは譲らなくてもいいんじゃないか?」


そう言って立ち上がり、またな、と食堂を出ていく。
やっぱ、気付かれてたか……。
さすがというかなんというか。付き合いが長いだけはあるな。

目の前に残った飯が今日はどうにも喉を通りそうにない。ふぅ、と溜め息をついて背もたれに寄り掛かり目を閉じた。もう少ない食堂に残る部員。沢村辺りはまた走り込んでんだろう。知らねェからな、また御幸先輩にオーバーワークだと叱られてもよ。


……早く、食っちまわねェと。
この後荷造りして掃除も軽く仕上げでする。あー…そういや冬休み明けにテストあんだよな…。
テスト……テストか。

"将来は通訳になるのが夢。留学する"

書道部でよく分かんねェけどすげェ賞を貰ってるくせにそれに固執しねェで、ある意味じゃ対極にあるそれを目指すアイツが強く見えた。いつだったっけな……あれは。教室で…、みんなすげェ賑やかで…アイツも俺もなんか手にして…あぁ、そうだ。テストだ。期末テストが返ってきた時に英語のテストの首位をもってかれた相手がアイツだと驚いていた、あの日だった。



「うおォォー!!見てくれ金丸!英語もクリアしたぞ!!」
「うるせェ馬鹿!!」
「うおォォー!!やったじゃん栄純!!」
「お前も乗ってくんなうるせェから!!」


夏の本選が間近に迫り同室のクリス先輩からも一軍入りをした同じクラスである沢村の勉強を見てやってくれと頼まれていたから見てやったその結果、なんとか沢村はギリギリ赤点を免れた。
自分の答案用紙見るより安心したとか、なんかすげェ損した気分だぜ。


「金丸は!?何点だった!?」
「あ、てめ…!!」
「な!!…っ」
「……なんだよ?その顔は」
「お前…頭良かったんだな!!」
「てめェ俺をなんだと思ってんだ!!」
「いやぁ、都会特有のガラの悪いニイチャンかと」
「もうお前の勉強は見てやんねェ」
「んな……!神様仏様金丸様ァァー!!」


人目も気にせず泣きついてくる沢村に、なんとかしてあげなよー、と近くの女子が笑いながら声を掛けてくるけど冗談じゃねェぞコイツの馬鹿さ加減は。

とりあえず沢村は放っといて、はぁ、と溜め息をつきながら沢村の隣の席に座る星野を見遣る。
コイツも馬鹿そうだよな。前、授業中に沢村と漫画読みながら熱弁しすぎて教師に怒られてたし。


「え、なに?信二」
「や、別に。つーかいつの間に名前で呼ぶことにしたんだよ」
「駄目?」
「……別に」
「私のことも名前でどーぞ!ほら!say!」
「セイ!!」
「うるせェぞバカ村!!つか、」


今、発音がすげェ良くなかったか?

親父の影響もあって洋楽をよく聞く俺の耳に馴染むように聞こえた星野の英語。
目を見開くも目線の先ではまた沢村と英語の教師は絶対にカツラだとかなんとか馬鹿な会話をして盛り上がってる。いや、そこはそうっとしておいてやろうぜ。俺もそう思うけどよ。

……なんだ。気のせいか。
星野はテストもすぐにしまい込んじまって沢村の、何点だった!?、というまるで自分が上かのような自信を含ませた言葉も笑ってかわしてる。そんなとこを見る限り得点が高いとも思えねェし沢村と普段から馬鹿やってんのを見てると点数が高いのに見せびらかさないのもコイツの場合はねェだろうし。

さして気にする事もなく、沢村たちの話しはいつの間にかカラオケに行こうというところまで盛り上がっていて、俺も入れろよ!!、と突っ込む声に英語教師の声が重なった。


「今回の英語のクラス最高得点は100点だ。最低点は…」


100点!?俺は90点だから…それより、つーか…満点って、すげェな……。1年最初の期末テストは平均点高けェとは聞くがそうそう簡単に採れるもんじゃねェよな……?

教師によって最高点と最低点が告げられ沢村が丁寧に、俺だァァー!、と自分がクラス最低得点を採ったのと白状する中で俺は自分の答案用紙を見つめてからクラスを見回し最高点を採った奴を探すものの、それらしい仕草をする奴は見当たらずまた上がったカラオケの話しに参加したのだった。

驚愕はその数時間後。
カラオケの室内で、狩場と決勝で当たるだろう稲実のことを話している時だった。


「おいおい……マジかよ…」
「すっげェー……」


面子はどうしても野球部の連中になりがちで、部屋の中も吉川と星野以外はみんな男。さっきまで沢村が歌ってた、あとひとつ、が意外と上手く俺も久し振りに好きな洋楽を歌おうかとそんな事を思っていた……のに、だ。

今マイクを握りテンポ良く歌ってるのは星野で、隣にはタンバリンを持ったまま固まる吉川がいて、そのまた隣には……って、おい!!沢村!!ジュース倒してんぞ!!……と指摘するのも忘れ、ただ聴き入るとはまさに今の俺たちの状態だった。


「す……げェ!!星野!お前何者だ!?日本人じゃねェのか!?」
「え、日本人だよ。生まれは下町の江戸っ子」
「わぁぁっ、すごいね!英語の発音が、すごい!歌も上手いし!!」
「ふへへー。英語、好きなんだぁ」
「……星野」
「ふぁに?」


歌い終わったマイクを次に曲を入れてた金田に渡しポテトを口に入れた星野に眉を顰める。
もしかして、いや、まさか。
そんな予感に頭を振りたくなる。コイツはクラスの中で沢村と並ぶ馬鹿のはずだ。

けど確か今のは、近頃人気のアメリカの若手歌手の歌だ。


「…お前、英語のテスト何点だった?」
「んー?……んー。ん!」


今度はジュースのストローくわえながらかよ…。

鞄を自分の方へ引き寄せその中からテストらしき折り畳まれた紙を俺に渡す。
それだ!、とばかりに俺の側に寄って一緒になって俺が広げたそれを見る沢村と吉川も大体のことを予感していたらしい。

………あーちくしょう。


「んなァァァッ!!ひゃ、100点!?」
「ブイ」
「っ……」


数字にされると一気に現実味が押し寄せる。ペケのつかない答案用紙。大きく書かれた100という数字とCongratulationsの文字。
星野といえば絶句する俺たちを前にさして特別でもないというように手でVサインを作り何事なかったように金田の入れた歌を一緒に歌いだしやがった。金田といえば、すげェ…、と呆気に取られてところどころしか歌えてねェ。もう歌は最初っから星野のもんみてェになってる。


「信二、信二!」
「!な、なんだよ?」
「この歌!知ってる!?」
「は?…って、おま…っ」


近けェよ!!

デンモクを手に俺の隣に座りそれを見せんのはいい。けど顔の距離が近けェ!
慣れてねェなどとまさかこの距離感に狼狽えるところを見せるわけにもいかず、固まりながらもなんとかデンモクから読み取った曲名。英語の並ぶそれは俺もよく聴く歌だった。


「っ…まぁ、歌えるけどよ」
「じゃあ一緒に歌おう!」
「はあ!?てめェ1人で歌えやいいだろうが!」
「やだやだ絶対にやだ!今まで英語が出来る人なんて会わなかったんですというわけで入れたからさーLet's Sing!!」
「だ、からお前…っ人の話しを…っ、だあァァー!!くそ!マイク貸せ!!」
「いよっ!!青道の…えぇっと、外人歌手に例えるなら何がいいんだ?」
「沢村!!馬鹿丸出しだから黙ってろ!!」
「なんだと!?演歌だったら北島三郎だってことぐらい分かるぞ!!」
「聞いてねェよ!!」


俺はまだこの時思いもしない。
沢村と一緒になって馬鹿ばっかするこのクラスメイトの女子が放っておけなくなることになることも、ましてや特別に想うことも。
ただ、次のテストは絶対に負けねェからな!、とらしくもなく野球以外で闘志を剥き出しにした時に確かに胸の内には予感があったんだと思う。


「いいね!じゃあ次も私が勝ったら名前で呼んでね!」


そう言って心底楽しそうに笑い掛けられて俺も笑い返しちまったんだから。



もう1つの攻防戦
「金丸。おい、金丸」
「え……あ!!え、俺…寝て…」
「寝てたな。珍しいな、お前が寝落ちるとか」
「はは…すみません、御幸先輩」
「気にすんなよ。初めての冬練はそりゃ俺も堪えたもんな。ところでな、金丸」
「はい?」
「さっき葵依のこと話してなかったか?」
「………はい?」
「や、別に…あー……、聞き間違いならいいんだけどよ」
「…沢村がどうせ冬休みの課題を終わらせらんねェだろうからその時は葵依も助っ人として呼ぶか、みたいなことを話してました」
「あぁ…なるほどな。それじゃしょうがねェな
「え……」
「俺もその勉強会に付き合うか」
「あ、そっちッスか」


続く→
2015/08/08


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