幸せに追いつく


あ、やっぱいない。
起きてすぐそんなことを頭の中で呟いて枕に顔を突っ伏して声にならない声を出しながら手探りであの子の温もりを、本当ならそこに在るはずの場所を擦り探す。ないけど。

まだぼうっとするや…。身体には心地良いぐらいの疲労感と、心には幸福感が溜まってる。
すっげェ気持ち良かった…あんなに誰かを求めて同じかそれ以上求め返されたのは初めてだったし、正直ちょっとやり過ぎたかもしれないとは思うけどそれ以上に目どころか脳裏に焼き付いた陽菜の快感に酔う表情とか声とか、全部が愛しすぎて…もういいや。考えるの止めた。だって幸せには違いねェし。
タイミングを狙ったわけじゃねェから、そう簡単に授かれるとは期待しすぎないようにしようとは思うものの…あー…やっばい。にやける。もう少し落ち着いてからリビングに行こう。微かに聞こえる足音や食器の音、水の音を聞きながら枕に突っ伏したままもう1度深く息をついた。


「おはよ、陽菜」
「!おはよう、鳴」


まだ寝てて大丈夫だよ、と続ける陽菜の目の下が赤い。寝てなきゃいけないのは陽菜の方じゃん。なんて言ったって俺が起きる前に絶対に起きて朝食を用意してくれる陽菜のこと。聞きやしねェだろうから、ん、と短く返事をしてその手にある水にレモンとライムの入ったピッチャーを取る。目を丸くしてからふわりと笑う陽菜の感情の動きが見える瞬間がすげェ好きで、俺も顔が緩む。


「身体平気?」
「うん。鳴は?」
「んー?俺を誰だと思ってんの?」
「これは失礼しました。MLB常勝球団エースピッチャー成宮鳴さんでしたね」
「そうそう!」
「さて。それでは私は誰でしょう?」
「へ?」


そりゃ俺の奥さんでしょ。
語るに落ちた言葉に、ふふっ、と肩を揺らして笑った陽菜が答えをくれないまま離れて姿が見えなくなったかと思えばすぐに戻ってきて、はい、って…タオル?濡れてる。


「鳴、目が赤いよ」
「!」
「少し冷やして。頭は痛くない?もし良くないなら中嶋さんにもコンディションをちゃんと報告してね」
「…なるほど。俺の元専属マネージャーで、今は最愛の奥さんの成宮陽菜だったね」
「正解!」


フッと嬉しそうに笑う陽菜がタオルを俺に渡す代わりにピッチャーを受け取り、ソファーでどうぞ、と促して自分はパタパタと朝食の支度を再開。決して甘やかしたりしねェんだよね、陽菜は。側にぴたりと張り付くような甘さはないけど、俺よりも先に俺のことを気付いてくれるこっちに来てからずっと組んできた最高のパートナー。
頭は痛くないよ!と声を掛けてからソファーの背もたれに深く寄り掛かって濡れて冷たいタオルを目の上に乗せる。にやける口元までは隠せないか。俺と仕事をする関係であった時よりは柔らかく笑うようにはなったけど、まだ時々目に好戦的で煽り鼓舞するような一端がチラチラと見え隠れすることがある。ぞくりとする…下っ腹から湧き上がる対抗心にこれは夫婦の形として正しいのかと考えるのなんて無駄!俺と陽菜はどこまでも俺と陽菜であって、夫婦だからこう!なんて型には端から嵌らないんだからさ。

目に当てるタオルの冷たさがいい感じで、くたりと身体から力が抜ける。パタパタとキッチンとダイニングテーブルとの間を陽菜が行き来しているのが足音に分かって、そろそろ俺もやろっと、とタオルを取ろうとした俺の手に温かさが重なり、鳴、と呼ばれると同時にタオルが取られて解放された視界で最初にぱちりと陽菜と目が合う。


「お待たせ。食べれる?」
「ん!食う!すっげェ良い匂い!」
「そう?ごめんね、あんまり時間がなくて鶏飯にしちゃった」


品数少なくて、と申し訳無さそうにする陽菜の手を引きテーブルにつくけど全然そんなことないじゃん。確かにメインは鶏飯で、あとは卵焼きと漬物、ヨーグルトだけだけど鶏飯には野菜や鶏肉がたっぷり乗ってるし何より並々と器の中で揺れる出汁がめちゃくちゃ良い匂い!ゆらりと上がる湯気の温かさも心地が良くて増す食欲に腹の底から唸るように音が鳴る。


「いただきます!」
「いただきます」


手を合わせて、日常のありふれた当たり前のことを互いに丁寧に大切に扱う俺たちの1日が今日も始まる。


「鳴たちはいつを予定してるんだ?」
「へ?なんの話し?」


球団のトレーナーである中嶋さんに、そういえば、とそう聞かれたのはオフの今日に調整と含めた自主トレを一通り終えたその後、水分と栄養補給をしている時。
ボトルには球団のスポンサーとしてついている会社から提供されたというまだ未発売のプロテインが入っていて、一口飲んでベッと舌を出す。まっず!
いまいちか、と中嶋さんが商品のレビューを頼まれていたらしいアンケート用紙に書き込みながら話しを続ける。


「倉持選手が挙式あげるって、」
「はあ!?知らないそうなの!?」
「うおっ」


鳴、声。と片目を瞑り耳に手を当てる中嶋さんに構わず、続き詳しく!


「ていうか中嶋さん、倉持と面識あるの?」


知らなかった、と続けて口直しにスポドリを飲んでるのに、次こっちな、とまた違うプロテインの入ったボトルを渡されて顔を顰める。ありがたいけどさぁ…プロテインが身体造りをサポートするのは当たり前なんだからせめて美味さぐらいは欲しいっていうのが正直なところ。ま、俺は大人だからちゃんと飲むけど!

ハイハイ、と受け取りごくりと飲む。


「ん!うま!これプロテイン?」
「ベースはな。さすがは陽菜だ」
「へ?」
「鳴が新作のプロテインレビューに協力予定だって話したら多分ごねるだろうからその時はこれを飲ませてやってほしいって預かってたんだよ、それ」
「!…ふうん」
「ん?なんだ不満そうだな、鳴」
「俺が知らねェとこで連絡取ってんの?」
「オイオイ、こんなオッサンにも嫉妬するな」
「ガキだろうとオッサンだろうと関係ないね!男はみんな男だし!」
「こりゃ大変だな」
「俺が?」
「陽菜が」
「今更じゃん」
「陽菜の為に言うけどな、俺と連絡取るのだって鳴のためなんだぞ」
「そんなん分かってるし!俺が嫉妬を主張するかしないかとは別問題!」
「ブハッ!はははっ!それだけ吹っ切れてんならかえって心配いらないな!」
「心配なんてしてねェくせによく言うよ」


目を細めじとりと中嶋さんを見据えても、それはな、と陽菜が預けたのだというプロテイン入りのドリンクの説明を熱心にしだして駄目だ、これ。俺がこんな風に不満を示したってどこ吹く風。気にも留めずにこの味とあの味がぶつからないようになんちゃらかんちゃらと随分とプロテイン配合談義が楽しそうだけど話題ズレちゃってるしそろそろ軌道修正!


「で?なんで倉持の話題?」
「たまたまニュースで見たんだよ、今朝。面識はない」
「へー…」


するんだ、結婚。
そう続けた声に安堵みたいなものが混じったのが中嶋さんにも分かったらしく、不思議そうな顔で俺を見るから肩を竦めといた。

あれきり全く耳に入れることがなかったから、薄情なことを言えば忘れてた。青道野球部のOB会で会ったきりだし、あの後倉持と婚約者の彼女にどんな進展があったかなんて過程はともかく結婚して挙式あげるのならそれだけでおめでとうだし。
ただ、陽菜にとってそれが同じかどうかは分かんないけど。


「招待状きてないのか?」


陽菜は青道だろ?とスマホを操作する中嶋さんは、さあ?、と返す俺に、ほら、とスマホを渡す。
…あぁ、本当だ。
中嶋さんから渡されたスマホのディスプレイには日本語のニュースページ。球団からの正式発表としてマスコミ向けに発信された倉持のメッセージと一緒に今シーズンが終わったら挙式をあげる予定だという発表がされてる。よく芸能人の結婚発表で見るメッセージのように倉持からも、これからも温かく見守り応援してくだされば幸いです、だとか書いてある。ふうん、普通。つまんな!

陽菜が配合してくれたというプロテインを飲みながら、はい、と中嶋さんにスマホを返す。


「後で、おめでとう、ぐらいは送っておくよ」
「世代だなぁ」
「なに?」
「御幸くんも鳴も、同時期だろ?結婚」
「あぁ、そういう話し。そういうのってあるじゃん。子供とかもそうだって聞いたことある」
「確かにな」


そこまで中嶋さんと話して息を呑んでぴたりと思考停止。
……落ち着いたら、って思ってた。キャンプに入ってからは肩の調整で俺も陽菜も新婚生活さえままならなかったし、落ち着いたら落ち着いたで遠征の繰り返し。俺たちが一緒に過ごす生活が当たり前のリズムが漸く出来てきた実感が湧いてきたのだってつい最近。幸せに思考がなかなか追いつかなくて、やっとはたと足を止めたような感覚。


「鳴?おーい、どうした?」


俺のことを心配してるかと思いきや、それよりこっちも試してみてくれ、ってやっぱプロテインのことばっかじゃん中嶋さん。それよりって。
まぁそれはさておき。
俺と陽菜の挙式はどうするかって問題。お腹に子供がいるとやっぱ辛いだろうし、そしたら生まれてから?いや、妊娠してるってわけじゃねェけどそれはもう遠くない話し。すぐにする?そんなの現実的じゃないし、互いの家族を招待する時間もない。

中嶋さんから差し出されたプロテイン入りのボトルを受け取り傾け飲みながら今更考える自分の不甲斐なさに焦燥感が込み上げて全身に嫌な汗を掻いた。


「うっわ!マズッ!!」


出来ることなら吐きたい、とまで言った俺に、鳴は正直で助かる、と中嶋さんの苦笑いを聞きながら俺は帰宅して開口一番を心に決めた。


「陽菜!」
「鳴、おかえり」
「ただいま!あのさ!!ドレスと白無垢どっちがいい!?」
「はあ?」
「かーお!!」
「いたたたっ!ちょ、痛い!!」


あ、違う。こんな風にしてェんじゃなかった。
あんまりにも可愛くねェ顔をする陽菜の頬を引っ張った手を離して、ごめん、と手の平を見せる俺を唇を尖らせて睨む陽菜の頬を、ごめんてば、と撫でてあげる。痛ませたのも俺だけど。


「もう…いつも突飛なんだから。どうしたの?」
「えぇっと…あ!中嶋さんにドリンク渡してくれてたでしょ。ありがと!」
「ううん。飲めた?」
「美味かったよ」 
「良かった」
「中嶋さんが陽菜は商品プロデュースに向いてそうだから一緒に一旗揚げようとか言ってた」
「あはは!!魅力的な話だけど私は鳴専門だから無理だなぁ」 
「!っ……」
「鳴?」
「ん。あー…、ちょっと待って。にやける」 


俺専門って、サラッと言えちゃう大胆さから嘘がないのだと伝わってきて口が緩む。口を手で覆って目線を適当なところへ流す俺をくすりと笑った陽菜は身を屈めて、ひょい、と俺の顔を覗き込む。あんな顔見せんのにこんな仕草が可愛いとか、もうなんなの俺の奥さん。

チラッと見ればニッ!と悪戯っぽく笑う確信犯。可愛いけど小憎たらしくて俺が顔を顰めれば楽しそうにプハッ!と噴き出し笑っちゃってさ。ハイハイ、降参!俺も笑ってる方が楽しいし笑うことにする!


「鳴」
「ん?」
「お風呂とご飯、どっちが先?」
「!…陽菜は?」
「私はどっちでもい、」
「じゃなくて。その選択肢の中に陽菜はいれてくんないの?」
「…ベタすぎない?」
「みんなが使うからベタになるんじゃん」


1回聞かれてみたかったんだよねー、とにんまり笑う俺に、あれ…思ってもみなかった反応。目を丸くして、ふむ、と考えるように顎に手を当てる陽菜。え、そんな熟考必要?

陽菜の戻ってきた目線にジッと捉えられて思いがけず真面目な展開。待って。あの言葉だよ?


「鳴」
「な、なに?」
「ご飯にする?お風呂にする?それとも、」
「っ……」


うっわ…やば…!あの言葉だよとは思いながらもどくりと心臓が跳ねる。答えなんて陽菜一択だから早く早くなんて陽菜の言葉の続きを聞きたくて鼓動まで逸るし無意識にギュッと手を握り締める。


「私と挙式の話し、する?」
「!…へ?それ…」
「うん。倉持からきてたよ。招待状」


私と鳴宛、と手に持つ封筒をヒラヒラと振って見せる陽菜が、これを知ったからでしょ?、と言う。
封、開けられてない。中嶋さんが倉持のことを話しだしたのがきっかけなのは確かだし、だからと言って自分で知ったわけじゃないから肯定も否定もせずに封筒を手に取りクルクルと眺める宛名が確かに俺と陽菜の名前が連なり書かれていて目を細めた。どう見ても女の子が書くような字ではないし、まぁ自分が招待する相手の宛名書きは自分がするよね。ふうん。


「ん。じゃ、一緒に飯食って一緒に風呂入ってから一緒に話そうよ」


陽菜の手を握り引いて小さく独占欲を渡す俺の手を握り返す陽菜が、美味しいコーヒー見つけたよ、と眉を下げて笑った。



幸せに追いつく
「で、どうしてあんな反応?」
「え?なにが?」
「さっき。ベタって話ししてる時になんか考え込んだじゃん」
「あぁ、うん。……嬉しくて」
「!」
「鳴が今まで言われたことがないって言ったから。鳴の初めて、私にも残ってたって思ったら嬉しくて」
「っ……でも言わなかった」
「言ってって言われて言うのは違うでしょ」
「ふ、ふうん…じゃ、楽しみにしとこ!」

2021/07/01




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