優しさの温度


わぁ…!と球場全体を揺らすような歓声の降り注ぐその真ん中で、腕を振り上げ固く握った拳を空に突き上げるその姿が言葉で何を語るよりも味方を鼓舞する。
鳴…。鳴をこうして見つめている時の気持ちはなんて言葉にしたらいいのか…いつも見つからない。感動…んー…ちょっと違うかな。憧憬というに近いかもしれない。力強く頼もしく、とてもカッコよくて自身を振り返り焦りや悔しさも感じる。言葉にしなくても人の心を動かす鳴を尊敬する。
涙が浮かんで景色が揺れる。青く澄み渡る空に鳴の瞳を思い出しながら見上げると目尻を伝ってそれが流れ落ちた。

あれから間もなくして球団はアンディーの故障者リスト入りを発表し、同時にメディアを通じてファンからはなぜもっと早く対応出来なかったのだと批判の声が上がった。一方で当人であるアンディーは、焦らず快復を目指す、と前向きなコメントを出した。合わせて自身の料理レシピ本の出版を陽気に宣伝し大きな話題を呼んだ。
チームは長年主力として活躍していたアンディーを欠きいまいちリズムに乗れない連敗を喫してきたもののそんな中での今日。先発登板した鳴の完封完投の頼もしい姿に投打が噛み合って勝利が決したその瞬間を称え喝采を送られる鳴にチームメイトが駆け寄り解き放たれた緊張を喜びにして爆発させる姿をしばらく見つめてから席を立った。


「最後まで観ていかないのか?」
「!……ルイス」


聞き覚えのある声に足を止めて振り返り、手を上げてニッと笑う彼に、久し振り、と眉を下げ笑い返した。

予定がないなら少し付き合わないか?
そう誘われ目を丸くして頷いた私をルイスが連れて行ってくれたのはよく知るダイナー。丁度昼時で学生らしい若い人たちを中心に賑わう店内は内装や色使いに統一感がないところがわくわく感と親しみやすさを感じさせて明るい声が飛び交っている。
やぁルイス、と店主がルイスに声を掛けてから私にも気付いてくれて鳴との結婚を祝福してくれる。球団のオフィスすぐ近くとあって、ここは私たちが気軽に足を運ぶお店。店内のいたるところに歴代の球団スターの写真が飾られ、その中にアンディーの姿を見つけて足を止めるとルイスは私の肩を叩いてその近くの席に座った。


「…この前ね、私がピクルス好きだから買って帰ってやれって…アンディーがこのお店を鳴に教えてくれたんだって」
「そうか。アンディーらしいな」


見たよ雑誌、と先日の鳴と撮った写真が載ったファッション誌をルイスの子供たちも見てくれたらしく2人とも私たちに会いたいと言っているとルイスが穏やかな表情で続ける。鳴に伝えるね、と答えて私もルイスと同じテーブルに着く。


「何を食べる?」
「このお店を選んだ時点で私が頼むもの分かってるんでしょう?」


目を細める私に肩を竦めたルイスだけど手を上げて店員を呼び、バーガーセット2つ、とやっぱりね。


「目の下に酷いクマを作りながらよくここのピクルスを噛じってたなぁ、陽菜は」
「…だからここに誘ってくれたんだね。ルイス、ありがとう」
「いや、いいさ」
「やだなぁ…」
「ん?」
「私、こんな時に気に掛けてくれる女友達が全然いない」
「友達がいないわけじゃないだろう?」


クハッ、と可笑しそうに笑うルイスは広報の同僚だった子たちの名前を挙げる。頷きながら聞く私に時々話す店員の子が手を振ってくれるから振り返して、んー…、と店の窓の外を見るとも見ながら口を開く。
地元球団のユニフォームを着てる人たちが目立つ…観戦帰りかな?ここの店主も熱烈なファンだから彼らは外から店主に手を振って言葉は交わさずとも今日の勝利を喜び合ってるのが分かって、フフッ、とつい笑みが零れた。
球団で働くことはなくなったけど、私がチームのファンじゃなくなったわけじゃない。それどころかもっとただ純粋にチームの勝利を喜べるようになったはずなのに、ここのところずっと胸の奥深くに何かがつかえて苦しい。


「……友達はいるけど、弱音を吐いたり泣き喚いたりって出来る相手はなかなか居ないから」
「成宮は?」
「ルイス、私も"成宮"なんだよ」
「んん!?はははっ!確かに!なんだ?鳴って呼ぶか?」
「んー…なんか今更すっごい違和感」
「言っといてそれか!まぁ俺もそう感じたがな」
「ね。……鳴は、」
「……ん?」


鳴は十分励ましてくれてる。
私の心がどんなに泣き喚きたいと叫んでいても、私がそれを望むかはまた別の話し。それを分かってくれてるから、励ましや甘やかすような言葉を私に掛けるよりもあえて鼓舞するように接してくれてる。今日の登板からも私は勝手にそう感じた。
優しい鳴。そうして私を甘やかさない辛さを一緒に背負ってくれる。その優しさが私を支えてくれて、今日の試合で前を向いてろと叱られたような気がした。前には自分がいるから、いずれまた同じ場所に立つアンディーの方を向いているな、と。

たくさんの感情が胸に溢れて言葉が詰まり、俯く私にフッと穏やかな笑いが聞こえた。え…?ルイス?顔を上げれば眉を下げて笑っていたルイスはどこかへ目線を向けた。あれは…ルイスの写真。現役当時の。


「同じ顔をしてるな、陽菜」
「え?」
「俺が現役引退が決まってロッカーを整理している時に見せていた顔と同じだ」
「そうかな…自分じゃ分からない…」
「そんな顔するより怒ってやれ!陽菜」
「!」
「アンディーはまた戻ってくるに決まってる!いつも陽菜や成宮をからかい笑っていたアンディーはお前ら2人にだけは弱さを見せたくなかったのさ。それぐらい2人を認めてる。弱さを見せるのは必ずしも信頼の証じゃないだろう?」
「っ……うん」 
「で、戻ってきたらまた何事もなかったように喧嘩をすりゃいい。アンディーの居場所が変わらないことがアイツには何より嬉しいさ」


現役当初よりもずっと穏やかになったルイスが柔らかくそう言って、私は滲んだ涙を慌てて拭い何度も頷いた。
怪我や精神的なスランプで苦しむのはアンディーだけじゃなくて、球団の実力層は何層にも分かれて毎日のように繰り返される選手たちの入れ替わり。広報として働いていた頃から目の当たりにしてきた選手たちの苦しみの中にアンディーが今いると思うと何もできない自分の無力さが歯痒い。鳴が苦しんでいた時も私が出来たのはいつも通りの仕事と…信じることだけ。この無力感さえも自己満足の辛さだ。


「アンディーの奴…」
「うん?」


わ…声、震えた。あーもう…情けない私!
パンッと両頬を叩いて気合を入れる私に驚き訝る視線が集まるのは気付かないふりをしてジンジンと痛む頬から手を離しながらルイスに首を傾げていれば、お待たせ、とハンバーガーセットが2つ運ばれてきて、ありがとう、と声を掛けてから大きなピクルスを手に取りかじる。んー…!やっぱり美味しい!!ピクルス、自分でも漬けようかな。鳴の移動が少ない時期を選んで2人で食べられるように漬ければいいよね。


「アンディーは酒も飲めるし飯を作るのも上手い」
「うん」
「女遊びも女あしらいも上手いしな」
「あはは!なに?それについては否定しないけど」
「ただ、あれでなかなか寂しがり屋だ」
「!」
「加えて臆病者だからなかなか本心を口にしたりはしない。飄々としていつも明るく振る舞ってアイツ自身何も考えてないように見られることを望んでる節がある」
「ルイス…よく見てるね」 
「そりゃああのチームじゃアンディーと1番付き合いが長いからな」
「おみそれしました。で?」


あれ、ピクルスいつもより多い?
プレートに乗るピクルスがルイスより明らかに多くて首を傾げて店主の方を見ればグッと親指を立てられた。あ…サービスね。フハッ!と噴き出し笑い手を上げてお礼。私がここのピクルスを気に入ってること、バレバレなんだ。

ルイスは大きな口を開けて豪快にハンバーガーにかぶり付き、美味い!と唸るように言ってそれを飲み込んでからニッと笑う。あーもう…口の周り、ソースで汚れてる。ルイスの奥さんがぼやいたっけ…。ルイスが引退してから子供が1人増えたみたいだって。
もう、と笑って紙ナプキンを渡すと照れ笑いして口を拭う姿は確かに子供っぽいかも。すっごい大きいけど。


「アンディーは別に陽菜を苦しませたかったわけじゃない。子供を持てば陽菜もおのずと分かる。許してやれ」
「え……ううん。私はアンディーを責めたいわけじゃないよ。…あー…やっぱり怒ってるのもあるかな。一発いっとけば良かった」
「ブハッ!はははっ!!陽菜との喧嘩は体力が必要だ!なるほど成宮は適任だな」
「ちょっと…いくら私でもそんなしょっちゅう手を上げるような喧嘩はしないよルイス」
「どうかな」
「……多分ね」


え、そうだよね?と頭の中で鳴と繰り広げる喧嘩を思い返すけど叩いたり殴ったりはしてない、うん。大丈夫…だよね?言い切れないのが悲しい…。

今年は少し心掛けて穏やかになろうだなんて目標を決めたりして、肩を竦める私に可笑しそうに笑うルイスとはその後楽しく食事をして近い内に私と鳴に会いに家に来てくれると約束して別れた。
ルイスは少年野球チームの監督をする傍らで野球人口を増やすための活動を精力的に行っていて、一緒にどうだ?と子供を対象とした体験会に誘われ私に出来る事があればいつでもと頷いた。野球選手として脚光を浴びて活躍を続けることがだけが野球を愛することじゃない。その姿は希望。


「ただいま」


もう帰ってるはずだけど…声が返らない。
鳴ー?と声を掛けながらスーパーに寄って帰った袋を手に家のなかに入るけどリビングにもいない…。


「鳴?」


あ…いた。
ひょい、と覗いた寝室のベッドに多分飛び込んだそのまま眠ってしまったらしい鳴の姿を見つけて私もベッドに腰掛けながらホッと息をつく。
…疲れてるよね。球数が制限されて選手のローテーションをしっかり組むMLBではとても珍しいこと。球団はそれぐらい絶対的エースの力を必要としていた。

鳴の髪の毛を指で梳いて、お疲れ様、と声を掛けてから立とうと思ったけど名残惜しくなっちゃって今度は鳴の頭を撫でる。
ご飯作らなきゃ…だけど、胸が締め付けられるぐらいに愛しさが募って衝動のまま鳴の横に寝転ぶ。


「鳴…ありがとう」


ルイスが広い球場のいくつもあるゲートのその一箇所で何も伝えられずにあの場で私と会うだなんて、凄い確率の偶然。鳴が言ってくれたんでしょ?どうルイスに話してくれたかは分からないけど…ありがとう、鳴。
…鳴が起きたら…ルイスと会ったことと楽しく話したこと、ルイスの子供たちが会いたいって言ってたって伝えよう。

ベッドにつく鳴の手に触れて握り、自分の頬に当てて目を閉じた。規則正しい寝息に私も眠気を誘われてあっという間に眠りに落ちた。手が温かい人は心が冷たいだなんて、最初に言ったの誰よ。この人の手はこんなにも温かくても、心もとても温かいよ。



優しさの温度
「……めい」
「ん。おはよ、陽菜」
「おはよう…いつから起きてたの?」
「んー?いつからだと思う?」
「…え、まさか最初から…?」
「さあ?」
「もう…。鳴、話したいこと、たくさんあるの」
「ふうん。聞かせてよ。飯食いながらさ」

2021/05/11




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