意気地なし達のラブソング


はぁー…と長く息を吐き出して喉が震えるのは寒さだけが理由じゃねェと自分自身がよく分かってる。白い靄が外灯の明かり照らされ広がり間もなく消えたそれを見ながら、寒…!とぶるり身体を震わせながらも首にしたネックウォーマーに埋めた口元が緩んだ。


「一也くん…?」
「!…おー。久し振り」


やべ…また声が震えたかも。
俺を名前で呼ぶ奴はそう多くない。今日も所属する球団の年末の打ち上げだって集まったその場で俺を呼ぶ人は誰もいなかった。マスコミも入るからと広報に新調させられた窮屈なスーツを着てネクタイを締め、来年こそは一軍入りを果たします、と何人にも応えたプロ入り1年目の年末。去年の今頃は何をやっていたかと柄にもなく振り返り懐かしさに帰りたくなっちまうほど惨めな自戒を繰り返させられたような厳しい現実に身を置き疲れた心が簡単に浮上するのを感じる。

午後10時。久し振りに戻ってきた東京は自軍の本拠地がある場所より少し寒くて、どことなく空気が違う。どこがっつーとなんとも言えねェその曖昧さが今の俺の立ち位置から見るにリアルで呆れちまう。

川を渡る鉄橋を電車が走り、辺り一帯に走行音が響く。土手の車両通行止めの柵に腰掛けていた俺は土手の階段を上がりながら俺をジッと見つめるその顔が笑顔になるのを見てひらりと手を振りながら自分の顔が緩んじまう。まぁいいよな。今は誰も見てねェし、こちとら再会は高校の卒業以来。作った笑顔で表情筋が固まっちまってる俺へのご褒美っつーことで。


「久し振り!!」


元気だった!?私は元気!!
そう続け滑り込むようにして俺の前に立ったこの子が、俺がどうであってもきっと変わらないのだろうという不思議な自信に眉が下がる。ただこの自信が胸の中で膨れ過ぎちまうとポケットに突っ込んだ手で小さな身体を抱き締めちまうからあんま意識しねェようにする。

相変わらず小さくて、ふわふわしてて、笑顔が可愛すぎる俺の好きなこの子を。


「…わぁ」
「ん?」
「一也くんだ…」
「んー?はっはっは!なんだよ、どうした?」
「夢みたい」
「!」
「連絡くれてありがとう、一也くん」
「…うん。伊織もいきなり連絡したのにありがとな」


打ち上げの終わった9時過ぎにいきなり電話した俺に理由も聞かずに待ち合わせ場所を指定してこうして嫌な顔ひとつしねェで会いに来てくれる伊織。ずっとメッセージや写真だけでやり取りしていた希薄に見える関係は普通に考えりゃ突然の電話に待ち合わせして会うだなんて考えられねェんだと思う。


「寒くねェ?」
「大丈夫だよ」
「ちょっと歩くか」
「うん!私ね、良いもの持ってきてます!」
「良いもの?」
「じゃーん!!」


腰を上げる俺の前にバッと出された白いビニール袋ががさりと音を立てて目を丸くして伊織を見れば背伸びしててなんだこれ可愛すぎ。


「肉まんです」
「ブハッ!はっはっは!!なんでそんな自慢げなんだよ!」
「冬の夜道を歩く時と言ったら肉まんかおでんでしょ!?」
「いや俺はやったことねェや」
「えー!勿体無い!はい、食べよう?」
「ん、サンキュー。あー…変わってねェな、伊織」
「えぇ…メイク頑張ってるのになぁ」


あぁ道理でめちゃくちゃ可愛いと思った。とはまさか言えずブスッとして唇を尖らせる伊織を横に空を見上げながら口元を緩ませる。大学に通うようになって学食のメニューが美味いだとか友達と行く店が増えただとかそういう話しの中に混じるメイクが楽しいのだという話し。写真にもメイク道具を撮ったものも増えて、伊織が将来はメイクに関わる仕事に就きたいなぁなんて零すようにもなった。別人ってほどじゃなく、ぷくりとした唇や大きな目をさらに可愛く見せるメイクに隣を歩く伊織の内面は変わらないと感じるもののちゃんと大人になってんのを感じて焦燥を感じる。俺が見えねェところで伊織が変化するきっかけを与えるもん全部に嫉妬さえ感じちまうんだから、よくこの子が幸せであればいいだなんて殊勝なこと考えてたよな以前の俺。ガキ過ぎた。


「一也くんのは特別な肉まん」
「特別?」
「なんと213円の特製肉まん!お肉がゴロゴロしてて美味しいよ」
「どれどれ。…お、マジだ。美味い」
「でしょ!?私のマイブーム」
「へぇ。伊織、こういうのに関わる仕事の方が向いてんじゃねェの?」
「それ私も迷うところ!でもこの前、友達を通じて美大の子と友達になったんだけど」
「おー」


土手には走る人や犬の散歩を目的とする人と時々すれ違うだけで人気もなく、つい声が大きくなっちまうらしい伊織がハッとそれに気付き、落ち着こう、と肉まんに齧り付くのを噴き出し笑う。食うのかよ。


「その子が私の欲しいパッケージのイメージを話したらすぐに絵にしてくれたの。あとで写真送るね。で、凄いの。私の言葉1つじゃ10の内3ぐらい伝わるのがせいぜいなのに、その子がデザインしてくれたものは何倍にも魅力が膨れ上がる!だから、私はそういう魅力を届ける人になりたいなぁって」
「…なるほど」


何万キロも離れた場所、俺の知らない環境、人に囲まれて俺が関わらない決断をしていく伊織が楽しげに話す内容を聞く心の中は寂しさと焦りみたいなもんで複雑だ。肉感が美味い肉まんを食いながら相槌を打つ俺を一生懸命見上げて夢中で話す可愛さにいつだって庇護欲や愛しさが湧いて他のもんを掻き消すんだけど。


「一也くんは?」
「うん?」
「今、どうですか?」
「…んー…あんま良くはねェかな」
「うん」
「止まってんのか戻ってんのか、よく分かんねェ」
「うんうん」
「少なくとも進んではいねェな」
「進むって、どうやったら分かるの?」
「ん?…あー…一軍に入る」
「入って?」
「試合に出る」
「出たら?」
「勝つ」
「勝ったら?」
「なんだこれキリがねェな」
「うん。一也くんはいつもそうだったよ」
「!」
「キリがなくて課題山積でも、主将になった時も怪我をした時も大変そうだったけどいつもすっごく楽しそうだった!」
「…ブハッ!はっはっは!確かにな!」
「ね!だからそんな顔しなくたって、大丈夫!」
「!…俺、どんな顔してた?」
「こんな」


そう言って眉間に皺を寄せて渋い顔をして見せる伊織に絶句だ。マジか…伊織の可愛さは置いといて、俺そんな顔してたか…?
疲れる、と眉を寄せた眉間を指で解す伊織を見ながら柄にもなく泣きたくなっちまう。進むんじゃねェ、俺は野球をする一生を送るためにプロを選んだ。そこにいて野球が出来てりゃなんの問題もねェじゃねェか。その中での最善はいつだって負けることが大嫌いな俺の性分が勝手に選ぶ。
なんだよ、すげェ簡単じゃねェか。なんでグルグルとバカみてェにモヤモヤ考えてたんだ俺は。


「ありがとな、伊織」
「え、私なんかした?」
「したした。すげェ助かったわ」
「一也くんがこんなに素直にお礼を言うなんて、明日は…大雪…!?」
「はっはっはー」
「あー!!私の肉まん!!」
「こっちも美味いな」


最後の一口ほどの大きさが伊織の手に残っていて、ひょいっと食っちまうと思った通りの反応。こらこら大きく口を開けてショックを隠せねェ顔まで可愛いってなんだよ抱き締めちまうぞ、と出来たらこんなガキっぽい意地悪したりしねェんだけどな。
って…やり過ぎたか?
伊織が口を開けたまま固まっちまって、やべ…、と焦る俺はポケットに突っ込んだままになっていた"ある物"を握り込んで、どうする?今出すか?と内心狼狽していればぷくりと頬を膨らませて、それどんな感情の時だ?



「わっ、わわわ、」
「わ?」
「そっ」
「そ?」
「っ……す」
「え、なんて?もう1回」


お…これは分かる。泣きそうな…ってオイ!なんで泣きそうなんだよ!分かんねェ…!

外灯の下で立ち止まり俺を見上げる伊織が真っ赤で息を呑む。加えて涙目でかわい…じゃねェな、うん。どうした?と問いかける声が掠れて情けなくてもちゃんと受け止めてやりてェから、うん?となるだくあ優しく問いかけてやる。やべ…下っ腹がムズムズしてきた。


「それ…私の食べかけ、です」
「……は」
「な、なんで食べちゃったの?…っ」
「…あ!!そういう…」
「っ……」


恥ずかしいと両手で顔を覆う伊織に言葉をなくす。やべ…!全然気にしねェでやっちまった…!


「ごめんね…」
「いや、伊織のせいじゃ…俺が、」
「私そういうの全然慣れてなくて。合コンとか行っても男の子とか回し飲みなんて絶対に無理だし」


合コンについてはまたあとで聞くとして、ついにその場に蹲るようにしてしゃがんだ伊織の前に俺も目線を合わせるようにしてしゃがみ込む。真っ赤な顔…。触ったら熱いよな…。伸ばしたくて浮いた手を下ろし握り込むヘタレた俺。泣ける。その手をポケットにまた突っ込んでギュッと握る。俺の手の中には収まるけど、きっと伊織の手に乗せたら大きく見えるだろうな、これ。


「初めてだからってこんな反応して、大袈裟だよね…」
「初めて?」
「うん…」
「…責任取る」
「責任!?」
「いや違うな……くー…ッこんな時なんて言えやいいんだ?」
「お、落ち着いて一也くん」
「あー…えー…うーん…」


くしゃりと髪の毛を掻き乱して思案してみても、ああでもないこうでもないと浮かぶ言葉を片っ端から否定してりゃさっきと同じだ。
すげェ簡単で、ずっと前から出てる答えに俺は今日ついに白旗を上げる。
俺みたいに捻くれた奴じゃねェ方がいいとか、プロ野球選手という将来の約束されねェ男は相応しくないだとか、そうやって言い訳すんのは限界だ。伊織はずっと、いつ会って話しても伊織のままで俺をこうして見つめてくれてんだからここでちゃんと向き合わねェでどうすんだ。からかったり笑ったりする丁度良い距離感を保ちながら、その心地良い場所を失うことに臆病になるほど俺はこの子が大事だった。それは今も、きっとこれからも変わんねェけどこのまま伊織と友達以上の名前がつかない関係でいつかこの子が俺じゃない男と幸せになるのを祝福しなきゃならねェ苦しさや恐怖に比べたらなんてことねェことだ。

伊織を真っ直ぐ見つめてさっきポケットに突っ込んだ手を出して今度こそ伊織の頬に触れる。指先のほんのちょっとでも自分の冷えた指の冷たさを差し引いても熱く感じる伊織の頬にぶわっと俺も熱が上がって息がしづらい。


「俺も初めてだよ」
「!…嘘…」
「ん?」
「一也くん、いつも綺麗なお姉さんにインタビューされてるもん」
「女子アナ?」
「うん…」
「関係ねェよ。伊織だけが俺の初恋」
「え…」
「伊織」
「は…はい!」


やべ…手が震える。これ以上伊織に触れるなんてことしたらバレちまう。言葉にしたい想いは山ほどあるがいざ伝えようとすると開いた口から声が出ずに目を見開き俺を見つめる伊織を前に俯き髪の毛を掻き乱す。ほらな。だから髪の毛のセッティングなんていらねェって広報に言ったんだ。格好なんてつけようとしてもすぐにボロが出る。


「あー…だから、つまり。…伊織が好きだ」
「………」


反応ねェな、とは気付いたがもうこうなりゃヤケだ。整髪料でパリパリした髪の毛を握り込みながら俯き目が留まる先に伊織の小さな手があって何を考える前に握り締めた。


「言葉で聞いたら心臓止まっから、もし伊織が俺と同じ気持ちなら握り返して。…くれると、あー…嬉しいっつーか…意気地なしでごめん」


最後まで格好つかなすぎだろ俺…!
気温に反してぶわっ!と体温が上がる感覚に手汗も浮かぶような気がして焦る。くそ…世の中の男はどうやって告白してんだよ、ととにかく行き場のねェ八つ当たりをどっかに向けてねェとやっていられず心の中で呟く。

伊織の指、小せェな…と見つめていた時だった。
俺の手を伊織がゆっくりと握り返して息が止まる。握って…るよな?これ。間違いねェよな。
半信半疑でもう1度握り締めればまた強く握り返される。ハッと息を呑みやっと顔を上げれば伊織は俯き消え入りそうな声で言う。


「私も意気地なしでずっと伝えられなかったけど、一也くんのことずっとずっと大好きです」
「!」


震えた伊織の小さな声を何度も頭の中で繰り返し信じられない気持ちで、伊織、と呼ぶ声が掠れてかっこ悪ィ。ブンブンと首を横に振って頑なに顔を上げねェ伊織が、


「変な顔してるから、今」


そう言うけど俺だってさっきから格好悪すぎだ。心臓がバクバクして声も掠れるしどんな顔してっか考えるだけで好きな子を前にして情けなくなっちまう。
けど…やっぱ顔見てェよな。
やっと、もらえると思ってもみなかった言葉をくれたんだ。なにか。どうにか。いい言葉は…。


「!……伊織」
「は、はい」
「見てみ、ほれ」
「え……わ…雪…」
「ん。初雪だな」
「…うん」


はらりと舞うように落ちてきた白い雪に縋るようでやっぱ情けねェけど、これも何かの巡り合わせかもしんねェな。

やっと見れた伊織の顔は真っ赤で、やっぱ可愛くてくたりと力の抜けた笑みが零れた。キュッと唇を窄めて気恥ずかしそうにする伊織にポケットの中にずっと入っていた"それ"を出して、はい、と渡す。


「これ…」
「向こうのお土産、スノードーム。なんつーか、…今の俺たちみてーだな」
「わ…本当だ!」


本拠地になってるそこの河川敷は桜が並木になり名所になっていて、土産物屋にはその風景を写し撮った絵葉書やキーホルダーなんかも多くある。その河川敷を小さなスノードームの中に収めたこれは雪が降る土手にいる俺たちみてーで、そう言えば伊織はそれをジッと見てから嬉しそうに笑った。



意気地なし達のラブソング
「実は俺、しばらくこっちなんだ」
「え!?なんでどうして!?ご飯一緒に行ける!?」
「ブハッ!はっはっは!落ち着けって!…うん。行ける。主力の自主練に呼んでもらったんだ」
「あ…あのね!大学の近くのお店が美味しいの!それから前に合コンで行ったお店もおしゃれだし!あとね、」
「うんうん。合コンについて詳しく聞きてーなー」
「え?友達に好きな人いるって言ってたんだけど、会えない話せない名前も言えない、なんてアイドルじゃんって言われて無理やり連れて行かれちゃって…」
「マジ…?あー…(行くなって言えねェ…!)」

ー完ー
2020/03/14



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