嘘吐きが唄う



空に高く上がった白球を見上げ、目を細めながら距離感を測り落下地点にキャッチャーミットを構える。間もなく小気味良い音で収まったボールの感触が腕を通じて骨を響かせ心臓を高鳴らせる。
俺の心臓がこうして跳ねる時、よく似た感覚を知ってるだけにこの瞬間に時々あの子の顔が頭に過ぎったりするんだがこれがなかなか厄介なもんで顔が緩むんだよなぁ。

あ、やべ。また口が笑ってた。


「まーた来てんすか!?元キャップ!」
「お?」
「暇なら球受けてください」
「暇じゃねーし球は狩場や奥村たちに受けてもらえよ」


ったく、コイツらはまったく変わんねーな。沢村に至っては"また"と呆れたように言いながらもボールを手に、さあさあ!!、と球を受けろと意気揚々と催促してきやがる。
お前らね、と口の端を引き攣らせる俺にキョトンとすんな降谷!!

まだ夏の暑さと太陽の眩しさが身体のずっと奥に残ってるような気がする。試合での興奮も勝利を獲た喜びも負けちまった悔しさもついこの間のことみてーに俺の中に在る。
夏の本選は激戦区を勝ち抜き甲子園へ進んだものの、全国制覇には手が届かなかった。悔しさは引退した俺たち3年を夏へと置き去りにして縛り付けたが、そうも言ってらんねーよな。その決断は俺らの前…つまり哲さんたちが引退しチームの課題や欠けた戦力への補いを含むチームの立て直しを目の前にして敗戦に引きずられてたまるかと歯を食いしばった1年前と同じだ。俺たちには先がある。新たな課題を自分たちの手で解決しさらなる躍進を期待し俺たちが知らないチームへと作り替えていく後輩に背を向ければ先を歩いているはずなのに後輩の背を見るような感覚を、哲さんたちも感じていたんだろうか。

こんな複雑な心境をコイツらにゃ分かんねーだろうな。馬鹿だから!!

思わず、ククッと笑っちまう俺に、御幸一也ァァァー!!とお決まりみてーに胸ぐら掴んできて揺さぶる沢村。だからな、俺先輩。


「はん!!そんな性悪だから彼女の1人もいねーんすよ!イケメンの無駄遣い!!」
「はっはっはー!どうも」
「褒めてねェ!!」
「え…」
「「ん?」」


え…って、なんだよ降谷。いやいや、ジーッと見られても分かんねーぞ。こっちも相変わらず分かりづれー奴!本当、うちは面白れェ投手ばっかで退屈しなかった。俺が受けれるのはコイツら投手が投げるからだ。口にゃしねーけど、感謝してんだよ俺は。

金丸や小湊に東条たちが、お疲れ様です!と頭を下げて沢村と降谷に早く来いと声を掛けA面グラウンドに向かうのを手を振り見送る俺にようやく降谷が口を開いた。長かったな、間が。


「御幸先輩、彼女いますよね?」
「はあ?」
「なにィー!?本当か降谷!?」
「うん。本当だよ」
「こらこら。本人が目の前に居んのに置き去りにして結論を勝手に出すな」
「だって御幸先輩は本当のことを言わないでしょーが!!」
「散々な言い様だな」


さて。で?


「いねーよ、彼女なんて」
「そうだぞ降谷!こんな性悪に彼女なんて出来るわけがない!!」
「まぁ…確かに」
「納得すんな!」
「でも、僕よく見ますよ。御幸先輩が女の子と一緒に居るのを」
「な、なにー!?誰だ!?」
「凄く小さくて…ハムスターみたいな人…」
「ブハッ!!はっはっは!あー分かった。そういうことな」
「あー、ミニマム先輩か」


沢村が納得とばかりに頷いて、降谷がどういうことかと事情を聞く2人の前で腰に片手をあて、ふう、と息をつく。まさかコイツらと野球以外の話をする日が来るとはな。

沢村の奴がいつの間にか"ミニマム先輩"と呼ぶようになっていた。確か、夏大が始まる前で沢村いわく絆創膏を貰った恩人らしい。いや、恩人に対してミニマムはどうなんだよ。
野球部の中じゃ、俺に彼女なり好きな人がいるか、という伺いを女子に立てられると速攻であの子を思い出すぐれーの有り難い認識になってる。俺の好きな子、すげー大切な子である長谷伊織との関係が変わらずもう高校3年間の終わりが見えてきている。俺は多分ずっとこのまま、長谷が幸せになる日まで想っているんだろう。


「長谷はそんなんじゃねーよ」
「え、じゃあ御幸先輩の片想いですか?」
「うるせ。んなこたいいから早く行けよ。金丸たちに任せてんじゃねー、新キャプテン」


そう言ってグッと沢村の背中を押す俺を、へいへい!と面倒そうに言いながら1度も振り返らず行く後輩2人の背中が頼もしく見えんのは、さすがに感傷に浸り過ぎだな。


「うー!!分かんない…!!」
「机にしがみついても答えはもらえねーぞー?」
「う…!でも3年間机は私の味方だったもん」
「ブハッ!そりゃ硬い友情だな」
「でしょー?」


にまーっと笑うなちくしょう可愛い。降谷がハムスターと表現したのも分かる。この子が笑うと頬の丸さがより際立ってマシュマロみてーで触りたくなっちまう。で、よく頬に何か詰めてるしな。

相も変わらず苦手な数学の問題集の上に今日置かれたのはアーモンドチョコレートの箱で、問題に顔を顰めてたってのに一粒口に入れた瞬間幸せそうに顔を綻ばせる長谷とこうして放課後の時間を利用して勉強するようになったのは俺が野球部を引退してからで、もう2ヶ月になる。4大を狙う長谷とまだ公言はしないもののプロ志望届を近く提出する予定の俺。
静かな教室で、長谷が予備校のない時だけこうしてることに友達以上の関係がねェのが俺自身満足してる現状かっつったらそうだとは嘘はつかねェ。が、実際問題机を挟んで長谷と向き合う時間に心が満たされてんのもまた事実。
無いものを強請り、確かにある今を台無しにすんのは本意じゃねェんだ。


「今朝、いい匂いがするなぁって思ったんだ」
「ん?」
「金木犀。私、あの匂い好き」
「あぁ、あれか。確かに登校してくる時匂いしたな」
「学校の近くにあるんだよ。知ってた?」
「いや。匂いの強さからして近いだろうとは思ってたけど」
「うん。…もうすぐ1年が終わるなぁって金木犀の匂いがすると思う」
「!…だな」


俺たちがこうしていられる時間はきっと感じているよりずっと短いんだろうと思う。
暮れゆく外の景色を見ながらぽつりと返す俺の声にも無意識に寂しさや辛さが滲んじまって、ん"ん"ッ!と思わず喉を整えるふりをしてごまかすって情けねェ。

…綺麗だな、横顔。
もぐもぐアーモンドチョコレートを食べてっけど。


「御幸くんは卒業まで寮にいるの?」
「その予定。練習できる環境があるしな」
「なるほど」
「長谷は大学、実家から通うのか?」
「受かれば…」
「受からなかったら?」
「滑り止めに受ける大学はかなり遠くなっちゃうから一人暮らしの予定、かな」
「よし、頑張れ。ほらやるぞ」
「あれ。御幸くんが急にやる気に」


当たり前だろーが。一人暮らし?断固阻止だ。一人暮らしなんてしてみろ。やれサークルの飲み会だやれ合コンだと聞くに大学は誘惑に溢れてる。小さくて可愛い長谷が一人暮らしなんて周りの男が知ったら放っとくわけがねェ。

ポカンとする長谷をよそに、どこだ?と問題集に向き合う俺に間もなく長谷もシャーペンを手に取り…ってこらこら。またアーモンドチョコレートを口に入れんな。甘っい匂いだなおい。


「これが、ほら。こうなって…」
「……あ!分かった!!きた!ビビッと!こう!」
「ブハッ!はっはっは!いや間違ってっから!どこにビビッときたんだよ!!」
「えぇー…むー…」
「あぁ、そうそう。で、これな」
「……こう?」
「そう。良く出来ました」
「!……ふへへ」


こ、んの…!可愛いな!!問題が解けてふにゃりと嬉しそうに笑うから誰にも譲ってやるわけにはいかねーよこのポジション。俺、顔めちゃくちゃだらしなく緩んじまってんじゃねーかな。頬杖で隠せてっといいけど。

よーし!やるぞ!と次の問題に当てはめる公式を早速間違ってる長谷はいつそれに気付くか。気付かれねーように喉を小さく鳴らし笑う今が楽しいには違いないが、俺には笑ってばかりもいられねー憂慮が実はある。


「長谷」
「ちょ、っと待っ…あ、これじゃない!公式!」
「はっはっは!よく気付きました」
「早く言ってくれればいいのにー!」
「間違えに自分で気付いた方が覚えが早いだろ」
「な、なるほど。あ、それで何か言いかけた?」
「……いや、なんでも」
「そう?では、頑張ります!」
「おう」
「見ててね」
「!」
「ちゃんと頑張るから、見てて」
「……もちろん」


長谷が送ってくれる眼差しの強さの訳も、俺がずっと気に掛かっていることも聞けないのも俺が意気地なしだからに違いない。答えを聞いちまえば終わっちまう。

長谷が同じクラスの男子に構われてるところを見なくなってどれぐらい経った?気付いたのは夏が終わってからだが、思い返してみればA組の前を通り掛かる廊下で教室にそれとなく目をやっても長谷とあの気に食わねー男子が一緒にいるのを見なかった。明らかに長谷が好きで構いすぎてるあの野郎と長谷に変化があったことが俺を酷く焦らせた。あの野郎と同じだから分かる。変化があったっつーことは、何かをしたか言ったかでしかねーはずだ。
もし"した"だったら?
やべ…想像するだけで拳握れる。
"言った"としたら、長谷はどう答えた?
一緒にいねーんだからおそらく付き合うようなことにはなってねーんだろうが…先を越された感に胸の奥がヒリヒリと痛んじまう。

だからこそ。
俺は長谷への想いを進める一歩が踏み出せねェ。長谷は俺なんかを優しいと泣きながら俺が気にもしねェ悪意に向き合ってくれる優しい子だから、俺がこの想いを告げりゃ悩ませちまうからな。


「なぁ」
「うん?」
「帰り、なんか食ってかね?」
「いいの!?」
「うお!」


バンッと机を叩いて立ち上がったところで俺が長谷を見上げるのは僅かな高さなんだが、目をキラッキラさせて俺を見下ろす長谷とのいつもとは違うちぐはぐ感と勢いに、ブハッ!と噴き出し笑い、うん、と頷く。


「頑張ったらご褒美が必要だもんなー?」
「む!その言い方はちょっと」
「んー?俺が座ったままでも頭に手が届かなくなるぐれーに長谷が大きくなったら改めるわ」


嘘だよ。本当はこの距離感でずっといたい。お互いがこれから成長していけばずっとこうしてるのは無理だし、むしろ高校を卒業しちまえば連絡を取ることさえ難しいかもしんねェし。


「何が食いたい?」
「がっつりいきたいです!」
「さっきまでがっつり食ってたじゃん」
「お菓子は別腹なんだよ」
「んな、知らないの?、みてーに言われてもな」
「本当だもん!」
「最近太ったかもとかって泣いてなかったか?」
「な、泣いてないっすよ」
「はっはっは!嘘つくの下手すぎ!」
「…じゃあ御幸くんは何が食べたいの?」
「なんでもいいの?」
「好き嫌いないよ、私!」
「へー。それはそれは」
「なのに背が伸びないんだなって言いたいんでしょ!?」
「あれ、分かっちった?」
「怒るよ!」
「ごめりんこ」
「っ…もういいや。で、何食べに行く?」
「ラーメンはどうですか?」
「大賛成!!」


なんでもいい、なんて言われて一瞬頭の中に、じゃあ長谷一択で、と浮かぶもまさか口にするわけにもいかず。俺の提案にパァッと表情を輝かせて、やる気出た!、と問題に再び取り掛かる長谷に逃げ道のある告白をする。


「好きだよ」
「!…え、ラーメン?」
「ブハッ!…そう。すげー好き」



嘘吐きが唄う
「しょうゆに塩にー」
「え、そんな食うの?」
「ううん!何にしようかなって悩んでる。御幸くんが塩頼んだら私はしょうゆ!」 
「俺がしょうゆを頼んだら塩?」 
「半分こしよ!」
「はっはっは!…うん、しよう半分こ」 

続く→
2020/10/16



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