幸せの足跡



その日はすげェ綺麗な夕日だった。
整備の終わったグラウンドを眺めながら物思いに耽る。柄じゃねェ自覚はあるが別に誰が見てるわけでもねェし、たまにはいいだろう。

漸く戻ってきた。
青道高校野球部のグラウンド。
いつかいつかは、と思っていながらその道のりは俺が考えていたよりも遠かった。まさか高校の時あんな約束をした俺はこんな歳になるまで戻って来ねェとは思ってなかっただろう。
それだけあの頃は夢を身近に感じるほど強く抱いていたっつーことなんだろうが。


「伊佐敷先生」
「!……あ?なんだよ、お前かよ」
「失礼な。せっかく元同級生の活躍ぶりを見に来たのに」
「仕事は?」
「ちゃーんと終わらせたよ?前に練習に夢中になっちゃって提出プリント作成し忘れて、弛んでるぞ、って片岡先生に叱られてた伊佐敷先生と違って」
「てめ…!蒸し返すんじゃねェ!!」
「あはは。ごめん、なんかやっぱり嬉しくて」
「!…なにが?」
「なにって…1つしかないでしょ?」
「………」
「やっと此処に立てたね」
「……だな」


フェンスの向こう側からではあるが俺の青道に通っていた時の同級生でありこの青道の英語教師であり彼女でもある長谷とこうして一緒にこの場に立ってんのは万感の想いだ。
俺が社会人野球でやってる時、半年の短期留学をした長谷は戻ってくるなり青道へのキップを俺より先に手にした。
後を追う形にはなっちまったが、まぁ結果がすべてだ。
此処にいる。
それは周りが、元同級生、っつー括りで物珍しげに見るよりもずっと特別だ。


「やっぱり目標は甲子園出場?」
「ふざけんな。俺たちはいつでも全国制覇を目標にして練習してんだよ」
「それは楽しみ」
「おう。目一杯楽しみにしてろよ。甲子園、連れてってやるからよ」
「選手がね」
「あぁ、そうだ」
「あれ?意外。俺だ!、って言わないの?」
「そこまで図々しくねェよ。毎日頑張ってるアイツらを見てたらんなこと冗談でも言えねェ」
「ふうん」
「なんだよ?」
「伊佐敷らしい」
「そーか?」
「うん」


頷き目を細めて笑う長谷に胸が跳ねる。コイツと付き合うようになり考えてなかったわけじゃねェことが頭を掠める。
こういうのはタイミングが大事だとか、姉ちゃんが言ってたっけな…。


「これからまた選手の自主練見てあげるんでしょ?」
「おう。すぐオーバーワーク気味になっちまう奴がいるんだよ。見ててやらねェとな」
「あぁ……沢村くんみたいな?」
「あ?お前アイツ知ってたか?」
「伊佐敷がよく話してたじゃない。1年の、よく吠えて粋のいい子がいるって。面倒見いいのは昔から変わらないね」
「別に俺がそうしねェと気持ちわりィだけだ」
「あ、照れてる?」
「バッ……!ちげェ!!」
「あはは!吠えたー」
「うるせェ!!」


怒りながらも内心はこうしてる時間が満更じゃねェ。学校勤務ってのは思ってたよりも窮屈だ。俺たちの関係性を考えればそれは尚更、違和感が慣れるまでは募るだろう。
長谷先生、と生徒たちの手前呼ばなきゃならねェし必要以上の距離感を見せるわけにもいかねェ。グッと空いちまう距離に気持ち良くはなく、こうして何もかも間に挟まず話せてんのはホッとするもんがある。
そして明日になりゃまた空いた距離にヤキモキしちまう。いい加減いい大人なのは重々承知だがそろそろけじめをつけなきゃならねェと思う。いや、んなカッコイイもんじゃなくただ俺がそうしてェだけだ。


「……なぁ、そっから向こうの外野ネットまで何メートルあっか知ってるか?」
「え…知らない、けど。かなり遠いね」
「大体120メートル。肩の強い奴なら遠投で届いちまう奴もいる」
「高校生も?」
「おう」
「凄いね……」
「……久し振りにやってみっか」
「え?」


こうしてたまたま俺がグラウンドに居る時にたまたま長谷が来た。たまたま、どうすっか、と物思いに耽っていてたまたまボールが1つ忘れられたように落ちていた。
このたまたま全部がこのタイミングで重なったことは絶対にたまたまじゃねェ。
そう確信が持てるなら今が絶好のタイミングに違いねェんだ。
っつー勝負感も野球で培ったもんだからどこまで当てになるかは分からねェんだが。


長谷の何かを聞きたげな視線を感じながらボールを手に取りくるくると回す。


「……長谷」
「うん?」
「こっからあの外野ネットまでこのボール投げて届いたら、結婚してくれ」
「!」
「っ……」


くそ…!これ思った以上に恥ずかしくて後ろ向けねェ……!!

カッと顔に熱が上んのを感じるが……すげェ大事なことだ。冗談でもなんでもねェ。この先どんな人生になるか考えた時に長谷が傍に居ねェのは考えられねェ。
かつて着た青道野球部のユニフォームを着る俺は意を決して振り返る。
長谷は、どんな顔をしてる?


「!……なんか言えよ」
「……あ、ごめ……」
「!?っ駄目なのか!?」
「違う!!」
「お、おう」
「い……いいよ。その、ごめん。あんまりにもびっくりして…」
「そ…そうか。なら、いいけどよ」


焦った、すげェ焦っちまった。
思わず張り上げちまった声が安堵にと沈み俺らしくねェぐれェ小さくなる。
長谷は目を見開きまさに放心状態っつーやつで、コイツのあんな顔は初めて見たかもしれねェ。元々かなりしっかりしてるしいつも隙がねェ奴だ。

…つーか!"いいよ"っつったよな!?


「っ…絶対に届かせっから、見てろよ」
「うん」


あぁ…やべ。俺はたぶんすげェ顔が赤いだろう。それでも決意を伝える言葉を口にする時は目を逸らさずに真っ直ぐ長谷を見つめた。小さく息を呑んだ長谷が頷くのをしっかり見てからまた背を向ける。

心臓がすげェうるせェ……。
こんなに緊張すんのはいつ以来だ?ボールを握る手にも汗を掻いてきてそれを振って乾かす。くそ、震えんなよ指先。
ゆっくり息を吸いゆっくり長く吐き出す。
見据える先はかつて俺が守っていたセンターよりも向こう。


「っ……シッ!!」


振りかぶった腕に、指先に、肩にすべての力を乗せてボールを投げる。


「越えてけやオラァァッ!!」


このグラウンドに立つと未だに思い出すことが出来る。今よりずっとガキで夢に真っ直ぐで呆れるぐれェ諦めなかった俺たちの姿を。
センターからマウンドは近いようで遠い。あの場所に立ちたかった。外野手にコンバートしたのは生半可な気持ちじゃあなかったが、やっぱりいつもあの場所を見つめるたびにその想いが浮かんだ。
チームを見回すあの場所。
ホームへと投げ込んだ渾身の走者を殺すための一球。
マウンドで苦しむ投手の姿に自分が出来んのは声を掛けてやることと、絶対に守ってやるっつー自信を見せてやること。
チームを鼓舞する自分の役目を模索し続けた3年間。全員野球を教えられたグラウンド。夏の決勝戦で笑って戻ってこれはしなかったが、後輩の背中を押してやれることが出来たこの場所で俺は誓う。
あの時の自分がもう後ろを振り返る必要がねェぐらいに未来を眩しいもんにする。


「す…ごい」


掠れた長谷の声から間もなく、俺によって放たれた白球が、カシャン、とネットを揺らした。


「っっ…しゃあコラァァッ!!見たか!?」
「う、うん!!見た!!ちゃんと見た!!届いた!!」
「おう!!結婚しろ!!」
「は…はい!」


勢いよく振り返りその勢いのまま放った言葉に長谷が真っ赤な顔で返してくるそれに一気に身体の力が抜ける。


「っ…はあぁっ」
「伊佐敷?」
「……やべ、人生で1番緊張したかもしんねェ…」
「嘘」
「嘘じゃねェよ」
「…それなら私は人生で1番嬉しかった」
「嘘、じゃねェ…よな?」
「そこは自信持ってよ。さっきすごい格好良かったのに」
「う、うるせェ!!」
「よろしくお願いします」
「お、おう。よろしくお願いします」


フェンスの向こう側で改めて頭を下げてくる長谷に俺も頭を下げる。
ちくしょ…っ、口元ニヤけちまって締まらねェ…!此処が学校じゃなかったら長谷を抱き締めるっつーことも出来たんだがさすがにヤバい。堪えろ俺。

頭を下げたまま、ふぅー…、と長く息をついて、なぁ、と口を開く。


「仕事終わったらお前ん家行っていいか?」
「あ……」
「つーか、今日は絶対行……ゲッ!!」


長谷から返答がすぐに聞かれねェから何かと思いそこで漸く顔を上げれば頭を抱えて呻きたくなった。

長谷の後ろには俺がこのグラウンドで指導を受けていた時より老けたように見える片岡監督が相変わらずのサングラス姿で腕を組み立っていて、たらり、と嫌な汗が背中を流れた。


「…伊佐敷」
「か…監督?いつから居たんスか?」


頼む誰か嘘だと言ってくれ…!
それか此処は大人の対応で何も見てねェ聞いてねェと言ってくれ!!

そして俺は思い出すのだ。もういっそ泣きたくなるような心地で。
この片岡監督はどんな時も野球部員に容赦がねェ男なんだと。

監督はサッと俺から顔を背けてぼそりと言う。


「良かったな、伊佐敷」
「!」
「届いて」
「っっ…!」
「ボールはちゃんと拾っとけよ」
「プッ…!」
「長谷!てめェ笑ってんじゃねェェー!!」
「あははっ、ご、ごめ…!ほら、早くボール拾いに行かないと!」
「半笑いだっつーんだよ!!くっそ…!!だらっしゃァァァー!!」


結局俺はこういうことにとことん格好がつかねェ。長谷がクスクス笑うのを聞きながら外野ネットへ向かって走る俺はもうこのまま死んじまいてェぐれェ恥ずかしかったわけだが、ひたすら前を見て走る俺の顔はやっぱり緩みっぱなしだった。


「ゅん、……純?」
「ん……あ、眠っちまってたか…」


呼ばれて目を開けぼんやりと辺りを見渡す。一瞬記憶と思考が曖昧になり混乱したがどうやら夢を見ていたらしい。
人生で1番緊張して1番恥ずかしく1番情けなかったあの日の夢を。


「ちゃんと家に帰って眠って?」
「でもよ…」
「平気よ。先生の話しではまだまだ産まれないって」
「……辛れェか?」
「う…ん。痛いし苦しいけど大丈夫」
「わりィ。なんもしてやれなくてよ……」
「なに言ってるの。ずっと手、握っててくれたでしょ?」


初産は産まれるまで時間が掛かるとはこの産院の父親講習で聞いたが、こうまで掛かるとはさすがに気持ちの用意がなかった。
苦しげにしながらもふわりと綺麗に笑う伊織にただただ感服するしかねェ俺の手は確かに繋がっていて、何も出来ねェ俺はもどかしさにその手を握る力を込めた。


「楽しみだね。どっちかな」
「ここまで聞かねェできたもんな、性別」
「うん」


結婚して1年も経たない内に授かった新しい命を迎えるだろう今日、やべ……今から泣きそうだ。

伊織の頭を撫でてやり痛みからか火照る頬に手を当ててやる。
冷たい、と気持ち良さそうに俺の手に擦り寄る伊織にグッと胸に色んな想いが込み上げてくる。


「純…そんなに不安そうな顔をしないでよ」
「っ……けどよ、大丈夫なのか?すげェ痛てェんだろ?」
「そうだけど…ほら、私はいつもみたいに純が吠えてる姿の方がいいな。スピッツみたいに」
「誰がスピッツだ!!」
「ふふっ、うん。そんな感……っ、いた…っ、」
「い、痛てェのか!?」
「感覚…やっと短くなってきた、かも…」
「マジか!!先生呼んでくるわ!!」
「あ、ちょ…!……行っちゃった…せっかちなパパ。いつも、色んなことに一生懸命なんだから」


その後焦って先生を呼びに行った俺は年配の看護師長に、少し落ち着いてください、と叱られたわけだがその数十分後には今までのじれったさが嘘みてェに俺と伊織の子供が産まれた。
抱かせてもらったその身体は小せェくせに腕にずしりと重く力いっぱい泣いてやがって、男の子おめでとうございます、と掛けられた言葉に漸く現実味を押し寄せた俺は浮かんだ涙に構わず伊織に声を掛けた。

「ありがとう、伊織」



幸せの足跡
(おぉ…!ヒャハハッ!純さんにそっくりッスね!)
(本当だ。残念だったね、長谷)
(亮介てめェどういう意味だコラ)
(ヒゲ先輩!!抱っこしてもいいッスか!?)
(僕も…)
(栄純くんと降谷くんはやめておきなよ)
(なんでだ!?春っち!!)
(落としそうだから)
(はっはっはー!小湊の言う通りだな。に、しても……本当に似てますね)
(ヒゲ書いたらまんま純になるんじゃないのか?)
(哲!?や、やらせねェぞ!!)
(伊佐敷さんの病室はいつも賑やかですねー)
(す、すみません)


―了―
2015/06/18



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