心で唄う



神宮球場のホームベースからセカンドベースを真っ直ぐ通る中堅の長さは120メートル。そして今、眼下にしてるのは1メートルにも満たない机。
俺よりも小さな、マメも知らない柔らかそうな手が綺麗にシャーペンを持ちスラスラと丸っこい女子らしい字を書いていくのを頬杖ついて眺めながら口元が緩むのを感じて、やべ、と顔を背ければ窓にその自分の顔が映って見えて今度はくしゃりと髪の毛を撫ぜた。

夕暮れ時で、日が落ちんのもあっという間だ。直に暗くなり道路にも外灯が点くだろう。だから窓を見れば外の暗さに教室の明かりが反射して教室全体が見える。つーことは俺の前に座り目を伏せるこの子のことも窓に映る教室の中に見えるわけで、まぁこれならずっと見ててもバレねーか。
少し大きめに見えるセーターは入学時に、おっきくなるから大丈夫!、なんて言ってたっけ。残念ながら大きくはならなかったみてーだけど。


「できた!」
「!…ん。貸して」
「お願いします」


なにとぞ、なんつって緊張した様子で畏まるからプッ笑い、承った、なんて返せば楽しげに笑うから口の端が締まり悪くなる。くそ、やばい。


「御幸くんが教えてくれるなんて、頼んでみて良かった」
「んー?」


頼むからそれ以上はヤメテクレ。心臓がやばい。んで、多分俺はそんな心境でもこの子には普段と同じように見えてっと思う。自慢じゃないが本心を隠すのは得意な方だと思う。

心を落ち着かせるためにわざと間延びした返事をしながら数式を目で追って……考えられっか!!言われた言葉、嬉しそうな語調、柔らかい表情、全部にカァッと身体全体に熱が上り心臓は跳ね回るし心なしか手にも汗掻いてきたじゃねーかしっかりしろ俺。


「1年の時に隣の席になったでしょ」
「おー。そん時のセーター、サイズまだ合わねェみてーだけど?」
「こ、これからだから!」
「ふうーん。卒業まであと1年で?」
「そ…そーですよ?いきなりくるから成長期」
「ブハッ!はっはっは!遅くね!?」
「…御幸くんは成長したの?」
「やってみる?背比べ」
「やりましょう?」
「その前にこれ間違ってんぞ」
「え!?」


受けて立つと言わんばかりにぷっくりと頬を膨らませちまって可愛いのなんのって。気のせいだ、気のせい。窓ガラスに映った自分の顔がだらしなく緩んじまってんのは。
笑ったかと思えば怒り、かと思えば焦ったり。コロコロと変わる表情が自分が転がしたもんだと尚更楽しく、満たされる。
長谷伊織は1年の時に同じクラス・隣の席になったその瞬間に俺が一目惚れした今現在同じクラスの女子。ここ、と俺が指差した先をジッと見つめるから少し乗り出したようになり、ふわりと香るシャンプーにずくりと湧く欲はどこのラブコメだと自分で自分の単純さにツッコミたくなっちまう。
背の順1番前。多分、学年でも1番小さい。もっと言えば学校内で1番小さいかもしんねーこの子は天真爛漫を体言したような子で、いつも誰かしらに囲まれその中心で笑ってる。俺にゃ高嶺の花なわけなんだが、どうにもこれが…可愛くて好きすぎて、なかなか諦めがつかねーんだよな…。こちらとら野球一筋17年。世間的にゃ恋愛したり友達と遊びまくったりと楽しい時期なんだろうけど、別に悲しくはねーが遊び方も女の子の喜ばせ方も分からねェ。そんな俺がまさか恋愛などと、笑えねェよ。

この子を自分で笑わせてェとか、彼氏になりたいだとか…触れたいとか…そういうの、ないわけじゃねェけど。

どうにかなんねーかな、なんて心の中で呟きこういう時は優しく頭を撫でてやったりすんのかね?と沢村がクラスの女子に借りたとかいう読んでた少女マンガの表紙を朧気に頭を浮かべ頭に手を伸ばす。


「ひょわ!!」
「ブハッ!声!」
「いきなり頭を鷲掴みにするから…び、びっくりする…!」


ま、少女マンガのキラキラした男子みてーなことできるわけねェよな。


「小さいねー、伊織チャン。ほれ」
「わ!!御幸くんの手、大きい!」
「いやいや、そっちが小さ…」
「ほらね。御幸くんの第一関節より下!」
「!っ……子供?」
「違うよ!」


分かってるって、そんなん。子供と手を合わせてカッチカチに固まったりしねーし、苦し紛れに叩いた憎まれ口が掠れた声で発せられたりはしねーでしょ。ちょっとは汲み取ってもらえるとこっちとしても無駄にブレーキかけねーで済むんだけど、さてはてどうにも。


「御幸くんってそういうところずーっと変わらないよね…」
「ずっとって、今は同じクラスじゃねーじゃん」
「だって」
「うん?」
「廊下ですれ違った時に髪の毛引っ張ったり」
「……あー…」
「自販機に並んでた時、見えなかったわ、とかって私の前にわざと割り込んだし」
「………」
「あとはー」
「ゴメンナサイ」
「ね?変わってない」


いいけどね、なんて笑うからますますバツが悪くなってくしゃりと髪を撫ぜる手に力が籠もる。マジか…マジか俺!そんなにガキみてーなことやってたか…?覚えがあるものの、改めて聞かされりゃ小学生か!好きな子イジメるってやつだろ、それ!
どんな顔したらいいんだか。
覚えてくれてんのが嬉しいとか、情けなくて落ち込めばいいんだか。

変わってない。そうだよ。ずっと変わらないからな、お前が好きって想いは。


「御幸くん、怪我は大丈夫なの?」
「ん?…まあな。思ったより休養が長引くけど」
「倉持くんがキャプテン代理なんだって?」
「そ。俺より上手くやってんじゃねーかな」
「そうなの?」
「そうそう。俺、向いてねーから」


って、愚痴ってどうすんだ。
自分で思ったよりもガチトーンで話しちまったことにハッとして、目を丸くする長谷と向き合えず、出来た?、と話をすり替える。
秋大で優勝しセンバツ出場を確実にしたものの、負傷のため戦線離脱。
練習には軽くしか参加できず、調整メニュー中の俺に長谷が困ったように話しかけてきたのが昼休み。
数学が苦手なのも、1年の頃から変わってない
よな。泣きそうな顔でどうしても次のテストは点数を落とせないと散々な結果だった小テストを握り締めるその姿に今手を伸ばさねェでどうすんだ。"俺で良けりゃ"と、よくも平然と言ったな、俺。というわけで俺の青春は広いグラウンドだけではなく、この小さな机にもあったんだなと実感中だ。


「向いてないの?」
「え、その話し続いてんの?」
「駄目?」
「あー…まぁ、話すようなことでもねーかな」
「…そっか」


あ、やべ。今の言い方は違った、のか?これじゃまるで、お前には関係ない、とばかりだ。いや…まぁ…実際関係はないんだし、話されても楽しくないだろうしな。

俺たちが喋らなきゃ、教室には長谷が問題を解き直すシャーペンが机を鳴らす音のみになる。あー…えっと。やべ…何を話しゃいいんだ?こういう時の引き出しがまったくねェ。俺の中の引き出しなんてどこ開けても野球か、料理の作り方ぐれェだ。長谷が聞いても面白くないしカードばっか持ってる時点で話すことなんかなんもねェな…。
長谷は、よく話してる男子がいる。名前なんだっけ?よく覚えてねーけど。爽やかで人当たりが良くて俺とは全く違げェタイプの奴。アイツならこういう時、尽きることのねェ話題で長谷と笑ってんだろうな。ちくしょう。


「あ、できた!こう?」
「ん?…お。出来てる。じゃ、こっちは?」
「えっと……こうして、こうなるから…こう!」
「正解」
「やった!分かった!理解した!」
「良かったな」
「うん!御幸くん、ありがとう!」
「おー」


難儀な問題に躓いてたが、これが出来りゃテストの点は心配しなくても大丈夫だな。嬉しそうにする長谷を頬杖ついて眺め、ならこの時間も終わりか、と惜しくもあるが…どうにも俺は長谷が笑ってんのを見るのが好きだから、しゃーねェな、と心の中で愚痴を言いながら白旗をあげる。
テスト、良い点数採れるといいな。

今掴んだばかりの問題を解くための糸口を赤ペンで書き込んでいく長谷。お、吹き出しで囲んでる。やっぱ女子ってこういうの、……ん?


「!…あのさ、それもしかしなくても…」


吹き出し口の先に、メガネをかける顔のイラスト。極めつけは"御幸くんのアドバイス"などと書かれてしまえば疑う余地なし…だな。

書き終わりコクコクと何度も頷く長谷は、ふふふー!、と得意げに笑ってノートを立てて俺に見せる。できれば顔が見えねーから下げてほしい…なんつー台詞言える奴現実にいんの?


「そう、御幸くんを描いた!上手いでしょ!」


上手…!?上手いっつったらいいのか!?
ジッとノートに書かれた絵を見て一瞬思案したものの、口からすぐに出ちまうのが自分の悪いとこだってのはよーく分かってる。


「いや、幼稚園児クオリティー」
「んな…!…じゃあ御幸くんも描いてみてよ」
「は!?ヤダよ」
「描けないんだ?」
「簡単だろ、こんなん。こうやって、こうして…」
「………」
「こうだろ?」
「もしかして、私?これ」
「見えんだろ?」
「…プッ」
「へ?」
「あははは!!」


…カッコ悪ィ。絵の下手さで笑わせることしかできねーじゃん俺。豊富な話題も、流行りの歌もなんも分かんねーし、長谷が喜ぶようなとこにも連れてってやれないけど。
それでも。カッコ悪くてもいいと思えるぐれェに、長谷が腹抱えて笑ってんのを見んのが好きだからどうしようもねーな、これ。
あーやべ。顔が緩む。俺にしちゃ上出来に描けたつもりのイラストに大笑いする長谷に怒ったふりをして頬杖付き緩む口元を隠すように顔を背ける。んで、また窓ガラス越しに情けないほど感情駄々漏れの自分にカァッと顔が熱くなる。気付かれてねェ…よな?


「あ、ごめん。笑いすぎちゃった…?」
「あれだけ笑われりゃ俺の絵も本望だな」
「ごめん!でも、うん…っ」
「こらこら。口元笑ってんじゃねーか」
「フハッ!」
「このやろ…」


腹抱えて俯きプルプルと笑いを堪える長谷に、また頭掴んでやろうか、と手を伸ばしたと同時に長谷が顔を上げて、へ…、と間抜けた声を出した瞬間に指に感じた、ふに…という柔らかい感触。

息を呑み、目を見開く。
身体が動かなくなること時間にするとほんの数秒のことだったはずだ。けど、その数秒で目まぐるしく色んな感情が通り過ぎては湧き上がりを繰り返し挙げ句頭が真っ白。指が触れたのは長谷の唇で、今俺の指は多分どんな精密機械よりも詳細に情報を読み取って脳に刻み込んでる。触れたら柔らけーだろうなと思ったこともある、そりゃ男だから。ただそれは想像でしかなかっただけで、童貞男子ができる限界ギリギリの妄想。
ふざけんな、なんでこんな…っ。


「わり」
「あ、う…ううん。大丈夫」
「あー…と」
「か、帰るね!御幸くん、ありがとう!!本当に助かりました!」
「おー。テスト中に寝んなよ」
「寝ません!!」


プッと膨らんだ頬も可愛いよだけどそれより何よりさっき触っちまった唇にどうしても目がいっちまって、ベッ!と出された舌だってなんの他意もねーの分かってんのにいやらしく見える始末。どうすんだ。しばらく忘れられねェぞこれ。

平然と、はっはっは、なんて笑い長谷を見送る滑稽な自分の声しか聞こえなくなってからジッと自分の指を見て自分の唇に当てた。
おそらく想うだけで終わる初めての恋をなんとか成仏させる方法を探すのが今の自分の精一杯だ。



心で唄う
「忘れた!」
「うお!!」
「え、そんなに驚く?」
「いや…どうした?忘れたって、机にゃ何もねーけど」
「背比べ!」
「…ハイ?」
「するって言った!」
「あー…結果分かりきってんぞ」
「ムッ!もう、違う違う。1年の時もしたでしょ?私と御幸くんと、どれぐらい差が縮まったか!」
「………いや無理デス」
「え、なんで?」
「今は無理。本当無理」
「………何が何でもします!」
「はあ!?ちょ、マジ勘弁!!」
「あ!逃げないでよ!!」
(今近付かれると収拾つかねーっつの!)

続く→
2020/09/16



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