もう少しで捕まる、はず



オイラってば、結構大ピンチ。


「ね、いいでしょ?試してみよう?」
「えーっと…さ。俺、一応野球部のエースだし」
「その前にいち学生でしょ?」
「まぁそうなんだけど。けどやっぱり目に余る行動はどこで咎められるか分からないじゃん?」
「バレなきゃ問題ないよ」
「悪いことはぜってェ誰かが見てるもんだって、昔姉ちゃんが言ってたような…」
「へぇ。鳴、お姉さんいるんだ?」
「2人ね」
「なら女の子の下着とか、見慣れてる?」
「ま、まあね!別に姉ちゃんのじゃなくたって……俺、モテ……ちょ…!何してんの!?」
「その気になってもらおうと思って」
「いや、…っ…いやいや……」


別に珍しい事じゃなかった。
お話したいことがあります。昼休みにどこどこに来てください。
まるでテンプレートのような定型文を記した手紙を渡されて人気のない空き教室に来てみればまさかのこんな展開。
使われていない机や椅子の山が教室の半分を占めるこの場所は、サイズが合わない、とか、汚い、とかって自分の机を変えたい時に此処から交換するのだと聞いたことがある。カーテンが締め切られて埃っぽい。後退り机についた指がざらりと埃の感触を拾う。

けれどそんなの!今は!どうだっていいんだってば!!


「あれ?鳴って彼女いるっけ?」
「い、いないけど」
「なら大丈夫だね。さすがに彼女がいたら引け目感じちゃうけど……いないなら合意の上ってことで…問題なし」
「あるから!!有りまくり!!だから……っ」


引け目感じちゃうとか、絶対嘘だ!!
慣れた感じと狙ったように流す目線。突然充てられた同級生の色っぽさに口の中が渇く。弧を描く唇はさながら肉食動物が獲物を追い詰めてこれから捕食を楽しむよう。
冗談じゃないよ!!オイラ男だし!何が悲しくて女の子から攻められなきゃいけないわけ!?


「鳴……」
「っ……」


けど、静かに俺を仕留めにきたその声が頭の片隅で聞こえて身体中がカァァッと熱くなる。
目の前には、俺とよく話す同級生の女子。
ブラウスのボタンは胸元が大きく開かれて、俺が目線を少しでも下へ向ければ日焼けを知らない白い肌とその白を際立たせる黒いブラジャーと欲を煽るレースが見えた。カタン、と何かが鳴る音がして、暫く呑めていなかった息を呑み女の子の顔を見る。

あ……にこっと笑ってる。
これぞ女の子って感じ。ぷくりとした唇はグロス塗られて控え目ピンク。まさに男受けを狙ったかのようなこの子の全てを見て俺の今のこの状況はまさに据え膳なんだろうと頭がすうっと冷えていく。

伊織なら、こんな顔しない。
男受けなんて少しも考えないで自分の好きなことばかり。ああしてこうして、と言われても、なんで?、なんて聞いてくるに決まってる。
……伊織はこんなに背高くない。胸もこんなにデカくないし下着がこんなに厭らしいわけ……あ、厭らしかったらそれはそれで……うん。ありあり。
丸い瞳で俺を真っ直ぐ見つめて……うわっ……!!


「…鳴、どうしたの?」
「な、なんでも?」
「顔真っ赤だけど」
「さ、さあねェー。取り合えずアンタに欲情したわけじゃないのは確かだから」
「はあ!?」
「だって全然俺のタイプじゃな……」


言いながらゆっくり俺の前でしなやかに白い腕が向かってくる。へ?…と目を見開いた時にはでっかい音が。
パシーンッ!!……と。


「だはは!!鳴!!それどうした!?」
「酷いよ吉さん!!そんなに笑うなんて!!ねぇ雅さん!!」
「誰にやられたか知らねェがちゃんと謝ったのか?」
「なんで俺が悪い前提!?」


その時は別に大丈夫かなって思った。っていうか衝撃もなかなかのものだったからそんな事考えるほどの余裕がなかった。脳みそまで揺れたんじゃないかってほどの強烈なビンタは今俺が笑われる原因を頬に残してる。漫画でよく見るけど、本当にあんだなぁ……ビンタされて手形が赤く残るとか。


「なんだ、違うのか?」
「違うし!!ちょっと迫られてテイソーの危機だったから断ったらこれだよ!?俺悪くないでしょ!?ね!?翼くん!!」
「まぁ逆に手を出したんじゃなくて安心だよ。ていうか鳴、童貞だったんだ」
「坊やですからね」


にたり、と笑うカルロスお前ただ"坊や"って言いたいだけだろ!?

グラウンドでそれぞれ始めたウォーミングアップ。腕を空に向かって伸ばしながらカルロスを睨むも、事実だろ?、と言われ反論も受け取らないままショートダッシュへと地面を蹴ってしまう。へーんだ。どんなに足が速くったってお前だって彼女いねェじゃん!!


「そんな事より良い感じの噂流れてるけど訂正しなくてもいいわけ?」
「は?噂って?」
「……灯台下暗し」
「ちょ…!なんだよ白河!!まーさーさーん!!雅さん知ってる!?」
「はあ!?知らねェよ引っ付くな!!アップが終わったんならバッティング入りやがれ!!」
「ちょっと冷たい!!雅さん主将でしょ!?キャッチャーでしょ!?女房役でしょー!?」


ぬおー!!雅さん力すげェー!!背中から思いっきりユニフォーム引っ張ってんのに、見ざる聞かざる言わざる、と独り言みたいに何度もブツブツ繰り返して俺ごとズルズルと引っ張って歩く。整備しとけよー、と吉さんが俺の引きずった足の作った跡を指摘する声を後ろに聞きながら間もなく本格的に練習を始めた。グラウンドのあちこちで目にする伊織の姿は色気とか妖艶とかそういうものと無縁なジャージ姿なのに少しでも気を抜くと迫られた時のあの子を伊織に置き換えて頭に浮かべてしまう。

あーぁ。俺ってこんなに煩悩だらけだったっけ?まぁ男だから溜まるものは溜まるよ。しょうがない。
けど。今は伊織といつもの調子で話せる気がしなくて話し掛けたいけど話し掛けられない。なにこれ恋みたいじゃん、なんて頭の中にポッと浮かんだ言葉をブンブン頭を振って消そうとしていたら、


「うわっ!冷た…!」
「あ」


休憩中に手にしていたドリンクをうっかり零して樹にかかった。


「多田野くん、平気?」
「え?あ、あぁ。大丈夫。えっと……」
「はい。タオル」


……いつの間に居たわけ?お前。
樹の声にベンチの奥から出てきた伊織からタオルを受け取った樹がそろりと気まずそうに俺を見る。


「…なんだよ?」
「い、いえ!」
「伊織ー、さっき頼んどいた仕事終わった?」
「それ頼んだのお前じゃないだろ?」
「うるさいなぁ!雅さんが頼んだピッチングに関係することだから俺にも関係あるの!!」
「必死だな」


微かに笑いを含む声に振り返り睨めばまたカールーロー!!


「備品の発注なら終わってます。あ、勝之先輩、ドリンクです」
「どうも」
「はあぁぁ!?」
「……うるさい」


なんなわけ?、と続けながら睨まれるけど俺が今用あんのは白河じゃねェから!!今、なんて言った?サラッと当たり前のように、いつもの語調で、何も無理のない声で!
"勝之"先輩って、白河のこと!?なんで名前呼び!?
困惑する俺の前でテキパキ仕事をこなす伊織になんて声を掛けようかあぐねている内に、鳴、と雅さんが俺を呼ぶ。


「休憩終わりだぞ。ブルペン来い」
「……分かった。伊織」
「はい」
「終わったら送るから。帰んなよ。絶対に」


細めた目で標的を定めるようにピッと指を差す先では伊織はやっぱり表情を変えずにうんともすんとも。ただ、やっぱり目線だけは真っ直ぐ返ってくるから周りが固唾を呑んで俺たちの成り行きを見守っているのが分かった。
丸い。でっかい目。それがパチパチと何度か瞬きをするのを見てからキャップを目深に被って背を向ける。俺が初めて宣言した、送る、という言葉にカルロスが、ピュー、と口笛を鳴らした。


「お待たせ」
「お疲れ様です」
「伊織もね」
「制服なんですか?」
「うん。ちょーっとそういう気分」
「……わざわざですか?」
「そ。わざわざ。ふふーん、褒めてもいいよ?カッコイイって」
「顔に真っ赤なビンタの跡がなければ」
「そこは言わなくていいし!!」
「冷やしましたか?」
「別にいいよ。投球になんの影響もないから」
「そういう問題じゃありませんよ」
「俺がいいって言うからいいんだって!」
「………」


練習が終わって寮の前で伊織がちゃんと待ってた。ジャージのまま帰るわけもなく、制服の伊織と並んで制服で歩いてみてェだなんて絶対にこの可愛くねェ後輩には言ってやんねェ。稲実の制服、似合ってる。大きすぎるセーターをからかった春、大きくなる予定なのでいいんです、ときっぱり言い切ったことを思い出した。まだ一向に大きくなってないみたいだけど。

ひひっ、と笑いながら伊織の頭に手を置いて、まだまだじゃん、と身長を俺と比べるようにその高さを計った手を自分の身体に当てる。


「………」
「え?なに?やっぱりオイラがカッコイイって思う?」
「少し待っててください」
「は?ちょ…!どこ行くの!?」


ジッと俺の顔を見ていたかと思ったら待っててとどこかへ行ってしまう伊織。先輩を堂々と待たせるなんて、オイラが後輩の時は出来なかったけどなー?…ほんっと、可愛くねェ後輩。
フンッ、と息をついて寮の壁に背を付きズボンのポケットに手を突っ込む。細めた目で見上げた空は暮れ泥んでいてまだ陽の明かりが残ってる。
……なぁーんで白河を"勝之"先輩?あの2人、そんなに話してたっけ?俺が知る限り伊織が名前で呼ぶ奴なんていない。それってあからさまに過去に何かがあったって示してるみてェじゃん。あの時は自分にしては冷静に対処したと思うけど内心は穏やかであるはずがない。
じゃあそれがなんで?
そう自問したらいくら坊やだとか小せェだとか言われてる俺だってなんとなく分かる。まぁ俺は坊やでもねェし小さくもねェけど!


「成宮先輩」
「あー来た。先輩を待たせるとは何様…」
「これどうぞ」
「ハンカチ?え、濡れてるじゃん」
「頬、冷やしてください」
「!……そのために?」
「はい」
「……ん」
「なんですか?」
「そこまでしてくれたんならさ、最後までよろしく!!」


しゃがんで伊織を見上げながら催促し、ニッ、と笑う。伊織は暫くジッと俺を見ていたが、冷たいですよ、と俺に心の準備をさせてから頬にハンカチを当てた。確かに冷たく少しだけ身体が強張るもすぐに力が抜ける。嬉しい、なんて思うなんてさ…悔しいけど感じるから仕方がないか。


「伊織」
「はい」
「俺のこと、嫌い?」
「嫌いじゃないです」
「じゃあ好き?」
「その聞き方は狡くないですか?」
「いいよ別に狡くても。嫌いじゃないなら好きなんだよね?」
「そうは言ってません」
「なら嫌いだね」
「だから違……」
「嫌いじゃないなら好きって言って。好きじゃねェなら嫌いって言いなよ」
「嫌です」
「俺も嫌だよ。俺は伊織の口から俺のことが好きって聞きたい」


俺の一挙手一投足で伊織のどこかを震えさせるぐらい意識させたい。それなら同じぐらい意識してほしいし好きって言ってほしい。最初から俺の方が想い過多のこの関係。有利不利がはっきりしてるから尚更狡くなるし追い詰める。


「!」


俺の頬にハンカチを当てていた伊織の腕を引いて僅かに見開いた丸い目を見つめながら降って来るように向かってきた身体を抱き締める。しゃがんだままだった俺は伊織の身体を抱えて壁にずるりともたれて座る。ふわりと優しい匂いのする伊織のショートボブの髪の毛に手を入れて丸く形の良い後頭部を撫でる。

やっぱり慌てない。逃げようとしない。ついに足まで使って全身で抱え込む俺の腕の中で伊織が本当に小さく身動いだ。
いいの?
調子に乗っちゃうよ?
好きでもない男にこんな事されて大人しくしてられるような、器用な女の子じゃないでしょ?お前。
俺はね、お前が好きなんだよ。可愛くなくても無表情でも、理由なんて挙げられないくらい好きだよ。


「ねぇ、伊織。いつまでおあずけ食らわせる気?」
「できることならいつまででも」
「なにそれ。上等じゃん。絶対に追い掛けさせてみせるからね」


そう言って抱き締める腕の力を強めたら、いつまでこうしてるんですか?、なんて平然と聞いてくるから、できることならいつまででも、と答えてニッと笑ってやった。



もう少しで捕まる、はず
「へ!?白河と同中!?」
「そうです。私は中学も野球部のマネをしていたのでその繋がりで」
「へェー…初耳」
「だからシニアの試合も何回か見に行ったこともあって、滝川さんとも知り合いです」
「マジで!?え、じゃあさじゃあさ!一也は!?」
「1度だけお話したことがあります」
「……ふうん。どう思った?」
「性格悪いと思いました」
「プププー!!一也、ざまあみろ!!そうだ!電話してやろーっと!!」
「御幸さんは1ミクロンも興味ないんじゃないですか?」
「俺に意味があればそれでいいし!」


続く→
2015/11/30
お題借り処[原生林]様



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