俺が気にするあの子の話し




第一印象は、チワワ、ではなく、可愛い子、というのは誰にも言ったことはない。


「亮ちゃん!」


あの子が亮さんをそう呼んだのを聞いたのはたったの1度きり。入学式当日、野球部の練習へと顔を出した結衣が移動中の亮さんをそう呼んだ。
俺はプレハブからスコアブックを手に戻ってきたところで、亮さんはおそらくA面に向かう途中だった。
倉持が見たらしい亮さんの幼馴染みなのだとすぐに察した俺は、水を差すといけねェし、と静かにその場を後にしようとしたものの、


「昔とは違うんだ、俺の周りを飛び回るなよ。わんこ」


昔話の1つもしないで切り捨てるような冷たいその声に思わず足を止めた。まぁ俺はその時そうっと伺った視線の先にいる真新しい制服の余る袖を握り締める小さな女の子がこれほど良く言えば無邪気、悪く言えば煩い子だとは知らなかったわけだから、亮ちゃん、と小さく呟いたその姿が可愛いと思わされてしまったわけなんだが。

とにかくあの2人に何かあるのは明白で、亮さんが頻りにあの子を遠ざける理由も分からないまま俺は人懐こさにいつの間にか看過され"御幸ちゃん"などと後輩に呼ばれるようになった。
なんで御幸"ちゃん"なんだよ。
そう聞けば、だって女の子かと最初に名前を聞いて思っちゃったんです。まさかあの御幸一也さんだなんて思わなかったから。だ、そうだ。野球部に生活の基盤がある俺はこれほど無邪気に接しられるのはなかなか覚えのないことで戸惑いがなかったわけじゃない。ただまぁ、妹がいればこんな感じか、と今日もなんとなく思う。


「お、倉持から逃げ切れたのか?」
「あ!御幸ちゃん!見てください!焼きそばパン死守!」
「おー偉い偉い」
「御幸ちゃんも購買ですか?」


にしても先輩を、ちゃん、付けで呼ぶくせにちゃんと敬語を使う。そこかしこでリトルまで野球をやっていたのだというその面影を結衣に見る。スポーツってのは往々にして上下関係の厳しい世界だ。


「まーな。でもぶどうパンしか残ってなかった」
「惣菜パンは競争率が高いですからね!」


倉持が教室を出てから暫く経ってもなかなか戻って来ねェから気になって来てみれば、びゅん!、と俺の前を気付かず走り抜けた結衣……とそれを追う倉持。どうやら最後の焼きそばパン争奪戦が起こっているらしいことをそこら辺にいた生徒たちの会話で知る。なにやってんだアイツは。

階段を上る結衣と、その上の階段から下を見下ろす俺。
カレーパン、焼きそばパン!、と自分で作ったメロディーに乗せて上機嫌に歌う結衣に、ぶはっ、と笑う。安直すぎ。

手摺りに顔を伏せ笑っていれば階段を上がる別の足音、とすぐに聞こえた冷たい声。


「1年のくせに調子乗りすぎ」
「いつか痛い目見るからね」
「っ……」


……結衣が1年のクラスの中で孤立している理由が俺にはあんま分かんねェ。沢村に聞いてみれば、は?俺とは普通に喋ってますよ!アイツいい奴ですよね!、と暢気に返ってきたが金丸に聞けば、人見知りっぽいっすよ、とまさかの答え。人見知り?いやいや、アイツが?
……と、俺は少し前まで信じられなかったわけなんだが。


「プッ!固まってんじゃん!可哀相ー」
「本当、男に見せる顔と違うよね。最低」
「ほら、呼んでみたら?小湊くん。伊佐敷くんや結城くんとは違ってこの子を冷たくあしらうから見てて面白いんだよねー」
「そうそう!わんこ、って女の子以前に人間扱いですらないし!」
「きゃははは!」


小湊に聞けば小さい頃に女子から虐められてその後はリトルに入ったためあんまりにも女子との接触がなく、耐性がないため記憶も相俟って固まってしまうんだという。
元々がかなりの人見知りで、ただ野球を隔てれば平気らしい。なかなか難儀な問題抱えてる子だった。


「………」


普段ならこんな事に関わったりしねェけど、このまま知らぬ存ぜぬってのも気持ちが悪い。さっきのメロンパンの礼も兼ねて。

その場にしゃがみ込み、すぅ、と息を吸う。俺とバレればまた新たな火種になりかねねェし?


「あ!哲さんじゃないっすか!!こんなところで奇遇ですねェ!!」
「え!?ゆ、結城くん!?」
「い…行こう?」
「うん」


おー、哲さん効果絶大。この人たち、よく見てんだな。哲さんが結衣に構うところを。休みの日に練習に顔を出した哲さんと素振りの練習をしてたこともある。野球部の元主将と噂の1年のそんな姿も簡単に広がるか。

パタパタ、と慌てたように階段を上がっていく女子2人。話しの内容からしてどうやら3年らしい。俺に気付かねェ慌てっぷりにしゃがみ込んだまま、ぶくく、と笑いを噛み殺しながらも階段の下を覗く。
おーい、完璧だったろ。
報酬はその焼きそばパンな。
……とでも言おうと思ったんだがな。


「っ……」
「………」


…あんなちっさな姿が何にも寄り掛からず涙に堪えてそれを拭う様っていうのはどうにも気持ちを持ってかれる。いや別に好きになったとかそういうんじゃなく。あーなんか放っといたらコイツ寂しくて死んじゃうんじゃないかっていうペットのうさぎのような、たぶんそういう感じだ。


「おーい、結衣ー」
「は、はい!あれ!?ていうか哲さんは!?」
「はっはっは!お前本当、馬鹿可愛いわ」
「…馬鹿にしてる」
「いやいや、結構本気」


あぁもしかしたら、と結衣が涙を溜めた赤い目で俺を見上げるのを見てピンときた。亮さんはもしかしたらこんな結衣だから遠ざけていたんじゃないか、と。
決して強いとはいえない。
むしろ俺たち2年の教室に飛び入って来れるぐらいの寂しがり屋なんだろう。だとすれば野球漬けの毎日に中途半端に結衣を入れられないと考えたとしてもなんら不自然じゃないし強気で勝ち気、そして責任感の強い亮さんには十分に有り得る。

結衣と亮さんはこれから、か。
そんな簡単じゃねェだろけどな。亮さんはきっとこれからも野球に関わり生きていくんだろうし。


「……結衣」
「はい?」
「こうしてみよう」
「こう?」
「そうそう。バンザーイ」
「バ、バンザーイ」
「はい、いただきー」
「あぁ!わ、私の焼きそばパン!!なんでですか!?返してくださいよ!」
「はっはっは!馬鹿可愛い、ばかわいい」
「ちょ…!御幸ちゃんってば!!」
「ん。ほい」
「わ…!」


バンザーイと焼きそばパンを持った両手を上げた結衣の手から焼きそばパンを引ったくり代わりに自分の買ったぶどうパンを結衣の頭に落とす。ぽす、とワンクッション置いてそれは結衣の手の中に収まり、キョトン、とする結衣の丸い目がぶどうパンを見て俺を見て、ところりと移った。


「これからもばかわいい後輩を面倒見てやる先払い賃な」
「な…!押し付け親切ですよそれ!」
「おーありがとう」
「褒めてませんしあげません!」
「はっはっはー!」
「ちょっと…も、もう!!」


階段をほぼほぼ上がったところでまた下を覗き込めば結衣は俯いたまましばらく動かなかったもののあからさまにハッと息を呑み辺りをきょろきょろしたかと思えばぶどうパンをしばらく見下ろしてから中途半端になっていた階段を上がりきり廊下へと消えていった。


「ぶっ、くく…!あー…本当、可愛い可愛い」


一瞬見えた結衣の横顔。
ほんのり頬が赤くなって口は緩んでいた。喜んでもらえたようならそれは良かった。ていうかカレーパンどうすんだよ?あれはすっかり忘れてんな。

手摺りにもたれしばらく結衣が消えていったその先を見遣る。当然1年の教室のある廊下なわけで階段に出てくるのも1年。俺に気付き、きゃー!、と声を上げる子たちにヒラヒラと手を振りやり過ごしていれば、なんだ?、と顔を出したのは沢村だった。


「あー!!なぜここにいる!?御幸一也!!」
「お前な、俺先輩」
「あ…お疲れ様っす」
「おー」


と、金丸。沢村の手にペケだらけのプリント。状況を把握した俺が、ははーん、とにやり笑えば沢村は、んがっ!、と慌てて背中にプリントを隠し金丸は呆れたように肩を竦めた。


「しっかり勉強しろよ?沢村。補習で練習出れねェようじゃあっという間に置いてかれちまうぞー?」
「ぬぐっ…わ、分かってるからこうして教えてもらってんだろ!!そもそも人のことを言うアンタはどうなんだよ!?」
「はっはっはー。俺は余裕でパスだ」
「くっそー!!伊達に眼鏡やってねェ!!」
「こらこら、偏見はやめろ」


俺も眼鏡が必要か!?、と今日も馬鹿炸裂の沢村は放っておき金丸が、あ……、と階段を上がってきて通り過ぎたなかなか身長のある男を目で追うのを見て、どしたー?、と疑問を投げかける。あ、いや……、と迷ってる風だったが。


「あー!アイツ、この間教室で結衣に大声で告白してきたや……いてェ!!」
「馬鹿かお前!!デリカシーってもんねェのか!!」


ほー。ふーん……。


「金丸」
「!」


沢村と金丸がわぁわぁやってる間に階段を下りて金丸の前に立ち肩に手を置く。ハッ、と息を呑んだのを聞きながら笑いかける。
んな面白そうなこと聞いちまったら、


「詳しくよろしく」


聞かねェ手はねェよな、馬鹿可愛い後輩のために。


本当に話していいものかと戸惑いながらもきっちり話しきった金丸は確かにデリカシーってもんが分かってる。沢村の馬鹿は、勝手に話すとは!、と大声で言ってるからとりあえず無視しておいた。

相手は同じ1年バスケ部で医者の息子か。絵に描いたような優良物件じゃねェの。結衣はまだ返事を保留にしているらしい。断るのは簡単だがあの人見知りには同じ部活である男を振るのも一苦労なんだろう。
ともなれば、優しい先輩が一肌脱いでやらねェわけにはいかねェな。


「なんだ、やっぱ置いてっちまったのか」
「あ?あぁ、カレーパンな。アイツ戻って来ねェのかよ」


間抜けな奴!、ヒャハハと笑う倉持が、んじゃいただきー、と手に持ったカレーパンを、待て待て、と取り上げる。


「なにすんだ御幸。ていうかお前、なんで焼きそばパン持ってんだよ!それ結衣のだろ!?」
「その結衣チャンの面白い情報あんだけど、聞く?」
「面白い情報?」
「ただ今カレーパン1個で受付中の情報」


そう言う俺に倉持は眉間に皺を寄せしばらく思案していたもののやはりコイツも思うところがあるらしく、チッ、と舌打ちしながらも早く話せとばかりに顎をしゃくる。

さーて。
まずは亮さんにメールでもしてこの事態を知らせようか。きっと亮さん自身も分かってるこの事態。赤毛のよく鳴く小さいチワワみてェなあの子の可愛さに気付いているのは身近な俺たちだけじゃねェってことを。



も気にするあの子の話し
(も、もうちょっと…もうちょっと…!)
(ヒャハハ!頑張れー結衣)
(はい!)
(……何やってんの?お前)
(先日の焼きそばパンの敵討ちです!)
(で?眼鏡取ろうとしてると)
(はい!じっとしててくださいね…!あと少しで…)
(なぁ、結衣チャン)
(はい?)
(俺、眼鏡取るとキス魔になっちゃうんだよなぁ)
(え……)
(それでも取る?)
(っっ……み、御幸ちゃんの変態眼鏡ー!!)
(お、諦めた。はっはっは!足はえェ)
(お前な、結衣で遊ぶなよくだらねェ)
(馬鹿言え。あんな風に顔近付けられたら色々やべェだろ)
(………)
(な?些細な仕返しだ、仕返し)


―了―
2015/04/14




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