静かに見守られるあの子と託された俺の話




最初は、なんなんだよ!って思ったさ。
気が付けばあの子は野球部の中にいた。3年の先輩たちからすべてを任された主将であり正捕手、しかも4番という青道野球部の軸とも呼ぶに相応しい御幸先輩に半ばスカウトという形で求められ連れて来られた小さな女の子はそれはもう頼りなく見えたもんだ。秋大が終わり、悲願を果たして俺たちは春の選抜へと出場を決めた。オフシーズンはそれぞれの課題に取り組み、各自のレベルアップと同時にベンチ入りの主力メンバーの枠を奪い合う張り詰めた中、冬の澄んだ冷たい空気も相まって御幸先輩の背中に隠れながらなんとか挨拶をするあの子の存在は比喩とかそんなんじゃなく、ガクッと右肩が傾いた。
ほら、野球部って言えば、声出せオラァァー!!みてェな感じだから尚更野球部には馴染まない人種だし…こう言っちゃなんだが声の大きさ=やる気のように感じちまうんだよな…。
だからかあの子…あの子っていうのはつまり小嶋結衣のことなんだが。あの子が涙目で真っ赤な顔をしながら震える声で紡いだ自己紹介がどれだけ一生懸命かと察することが出来たとしても、部外者、と冷ややかな目線を送る中に大多数に俺がいてその例に自身も漏れないのだとしても野球に注いでいたここまでを思えばそれは無理らしからぬことだろう?
そして俺はその時に思い出したんだ。どっかで、そう前じゃない過去に同じように感じたことがあった。沢村の型に嵌らない勝負強さに驚愕した最初の紅白戦の時を。


「ん!っ…よ!ほっ!」
「おい…あれ…前から来るの…」
「うん?…ははっ!結衣だ」
「だよな」
「あれはまた随分」


大量だ、と続けながら口に握った手を当て喉の奥で笑いを噛み締めるのは同じクラスの東条だ。あーぁ…コイツは控えめに言ってかなりモテる。顔も整ってるし、よく気がつく、勉強もできるし野球部でも活躍してるとなれば何拍子揃ってるんだってんだちくしょう。そりゃすれ違いざまに女子から頬を染められて見つめられるよなぁ。顔面偏差値の暴力だ。くそ。しかも当人は気付いてねェ。そういえは沢村のダウンに付き合ってる時に少女漫画でモテる男はどうこうでああでそうなんだと熱弁されたことがあったっけな。途中でなぜか伊佐敷先輩が加わってきたあの時。

モテる男ってのは、


「結衣」
「わ!」
「手伝うよ」
「と、東条くん。ありがとう」


優しさがさり気なく、自分がモテることを知らない奴だ、って。今ここに体言してる奴がいるぞー沢村。

昼休み時間、飯を食った食堂から教室へと戻りしな前から歩いてくる本の山…じゃなく俺たちと同じ1年の野球部マネージャー小嶋結衣。
今日もクセのあるふわふわした赤毛を揺らして対面すると一瞬おどおどする瞳。ただそれが野球部でありよく見知った俺たちだと気付く瞬間にホッとしたように顔を綻ばせるのは悪い気はしない。家に帰ってきた瞬間、部屋で吠える犬が飼い主と確認した途端にしっぽを振る…みたいな。わんこ、と御幸先輩が呼んでたことがあったっけな。

つーか、おっと!狩場くんもこんにちは!とかって頭下げんなー!持ってる本が落ちる!、と慌てて東条と止める。あっぶねェ、と一息つくと小嶋は眉を下げて笑った。


「すっげェ量だな。俺も持つぜ」
「あの、でも手に影響があったら…」
「大丈夫だよ、これぐらい。な?狩場」
「おー!こんぐらい降谷の球に比べりゃ軽い軽い!」


そっか、と小嶋は目を伏せ嬉しそうに笑う。そして手に持つたくさんの本に目を落としてからもっと嬉しそうに笑った。
うん?と東条。俺も不思議に思いながら自分が持った本の山を見ると…お、これは。


「やっと手に入れたの!」
「懐かしいな!俺たちのシニア時代を取り上げてる雑誌か!」


思い出になっちまえば楽しいことばかり思い出されるのは常みてェなもんで、今持つかつてよく読んだ雑誌の表紙は茶焼けて擦れている。
懐かしさに声を上げた俺に、ふふふー、とにんまりと満足そうな小嶋。


「前に持ってたんだけど、手放しちゃったから」
「手放した?あ、青道に来るから整理したのか」


これだけの量だから置いたままにするのもな、と頷きながら続ける俺も実家を留守するにあたりあんなものやこんなものをを整理してきたなぁ。親に不用意に見られたくないあんなものたち。
若干、邪なあれやそれやを思い出す俺の横で、東条は?と問いかけようとした時、あ…、と零れた雑誌に目を落とす東条のそれに重なって言い切らない内に口を噤む。あ…、て?


「結衣だ」
「へ!?」
「これ。違う?」
「え!?え、あれ!?なんでそこに、あ!きゃあー!」
「うわっ!!」


バサァーって…。

見知った顔からの、なにやってんだよ野球部ーと揶揄する声に、うっせ!、と返しながら自分が手にする本の束を一旦東条に預け廊下に広がった雑誌に新聞、本を拾い集める小嶋を手伝う。ごめんね…と消え入りそうな震えた声で言う結衣はやっぱり真っ赤になって涙目。いいよ、と言えばブンブン首を振るからハラハラとその涙がついに散った。


「ぶはっ!」
「「「!」」」
「なぁーにやってんだよ。結衣」
「み、御幸ちゃん…っ倉持先輩…」
「あ?なんだこれ」
「「こんにちは!」」


うわっ!御幸先輩に倉持先輩だ!
思わず立ち上がりビシッと姿勢を正して挨拶する俺と東条。おー、とヒラヒラ手を振る御幸先輩は、沢村に見習わせてェ、と零す。

ここは1年の教室がある階だから、2年の姿は珍しい。それだからか2人が遠巻きに見てる1年生徒よりもデカく見える。身長とかじゃなく、身体の作りそのものが違う…。
ちなみに、きゃあ!、と色めき立つ視線はにやりと笑う御幸先輩に(この人も顔面偏差値高っ!)
うわ…、と遠巻きにされるのがポケットに手を突っ込み俺たちを眉を顰め見下ろす倉持先輩だ。


「な、なんでもないですもん」
「んー?じゃあ、これはいらねェな」
「え、あー!!やだ!!」
「はっはっはー!届かねェ、届かねェ」
「や…!みゆ…っき!ちゃん!!」
「ヒャハハッ!おら!気張れ元バスケ部!」


あー…始まった。
東条と顔を見合わせ苦笑いをする。野球部のごく一部でこの光景を誰が最初に呼んだか『わんこいじり』
一冊を拾い上げた御幸先輩によって高々と掲げられた雑誌に必死にぴょんぴょん跳ねて手を伸ばす小嶋。まぁあの身長差じゃ無理があるよなぁ…に、しても。


「うーん」
「ん?どうした?東条」
「あれは止めたらいいのか迷うなって」
「あぁ…。俺も同じこと考えてた」


確信犯なのか、偶然なのか。
御幸先輩が雑誌を持つ手は自分の顔の上だ。
つまり、それを取り返そうとする小嶋が手を伸ばし跳ねれば必然とああなる。
どうなるかって、小嶋が御幸先輩の顔に向かって跳ね上がるように。


「ほっとけ」
「「!」」
「知ってるか?馬に蹴られて死ぬんだぜ?」


人の恋路を邪魔する奴はよ、とヘッと吐き捨てるように言う倉持先輩は、手伝え、と小嶋が落とした雑誌等を拾い始めるから俺も慌ててしゃがむ。そうか…倉持先輩は御幸先輩と同じクラスだし、副主将だ。御幸先輩のこんな顔を見慣れてしかも察するには十分なことを見てきたとしても不思議じゃない。

たからこその、人の恋路を邪魔する奴はなんとやら…か。

チラッと手にしていた雑誌から目を上げれば御幸先輩は必死に雑誌を取り返そうとする小嶋に時々、ぎくりとするぐらい優しい目を向けている。まぁ大半は沢村をからかう時みたいな意地悪い顔をしているから小嶋は気付いてねェみたいだけど、助けてやるべきか逡巡する俺と同じように東条も肩を竦め決めかねてる様子だ。


「んで、あんま気にすんな」
「!」
「ままならねェことは他人が気にかけてもしょうがねェからな」
「はあ…」


そうは言っても…あんな風な顔を見りゃそうもいかねェよなぁ…。
なかなか何考えてるか読めなくて、野球のことに対しては時々冷たいと思えるほど貪欲な尊敬する同じ捕手の先輩の、思いがけない一面だ。見てしまった…とどうにも居心地が悪い。

どちらともつかない返事をしながら雑誌を拾い集める俺に、お前も苦労人だな、と他人事とも思えない言葉を倉持先輩が片眉上げて言う。倉持先輩もですか…。

ようやっと集まりきった雑誌等。倉持先輩に、ありがとうございます!と礼を言って雑誌を手に立ち上がり頭を下げる俺に、げっ!と聞こえた倉持先輩の声。
は?…げっ?…って、なんで…。…げ!!ズンズンッと歩いてくるあのおらつく歩き方と、隣では小さく見えてしまう背格好と特徴的な髪色の人。そしてその後ろには丸いシルエット。あの人たちだろ、あれ!


「お?もうちょい」
「今!背伸び、しましたっ、ね!?」
「さーて、どうかなー?」
「御幸ちゃんは意地悪んぼです!」
「ぶはっ!!はっはっは!い、言い方!!腹痛てェー!」
「っ、ん!」
「…へ?待っ…!」


ハッと息を呑んだ。
何度もぴょこぴょこ跳ねる小嶋に楽しげに意地悪する御幸先輩の前で小嶋が勢いよく跳ねたのがその瞬間スローモーションみてェに見えた。
なんだっけっか、これ。
ああ、そうだ。この前の科学の授業で先生が言ってたんだ。人間が危機的状況に陥ったり、何かに精神が集中する時に視覚精度が急激に上がるこの現象をタキサイシア現象っていうんだって。
そんなことを頭の片隅で考える今、目の前では御幸先輩が焦っていて、小嶋が跳ねる方向が前のめりになってしまい御幸先輩に今にも飛び込んでしまいそうになってる。
ゆっくり御幸先輩の手が雑誌を手放し、バサリと廊下に落ちる。それなのに御幸先輩の手がまだ小嶋を抱き止めないスローモーション。
やっばい、と思った。
そりゃ思うだろ。今や誰だって知ってる。多分、野球部じゃなくたって。

小嶋は、3年の小湊亮介先輩の彼女だ。


「おっと」
「ひゃっ!」
「!」
「セーフ」


間一髪だね、とその人が続ける。
倉持先輩が目を見開き唖然とした後、ヒャハッ!と楽しげに笑い、よくやった亮介ー!と廊下に声を響き渡させる伊佐敷先輩。うがっ!と満足そうに頷き笑うのは沢村が会うたびに、丸くなりましたなぁー!とお腹をぽよんぽよんと触られる増子先輩だ。
御幸先輩といえば小嶋を受け止めようと広げたまま固まっていて、あ…きっとこの人にもきっと起こっていたんだ。小嶋の後ろから走ってきた小湊先輩が小嶋の腹辺りを抱え支えたその光景が、ゆっくりスローモーションで見えるタキサイシア現象が。


「亮す…」
「馬鹿なの?」
「いった…!」


あれは、痛い…!彼女にも容赦なし!

小湊先輩が振り下ろすチョップはそれはそれは痛いんだとか…。沢村がよくくらってたなぁ、倉持先輩のキックとセットで。
痛みで頭を抱える小嶋はすっかり先輩たちに囲まれてしまい離れて遠巻きにして東条と顔を見合わせる俺はといえば、これこれ、とこの状況をなんともしない東条の心臓の強さに苦笑いだ。


「これ。ほら、結衣」
「うえ!?マジか!」
「変わらない」
「そうか…野球、やってたってチラッと聞いたけど、まさかこういう形で見るとは」


俺と東条が目を落とすやっぱり古い雑誌の表紙にはこんな見出しが踊っていた。

『発見!未来の甲子園スター!?ー神奈川篇ー』

様々なリトルの名前の箇条書き、グラウンドの写真、おそらくノックを受けているだろう情景のある表紙の中に子供たちの写真がちらほら。そこに大きめのキャップからふわふわの赤毛がのぞく姿はあまりにも俺たちが見慣れた姿ですぐに分かってしまった。これは間違いなく、小嶋だ。


「あぁ、これ。懐かしいじゃん」
「「!」」
「知ってるんですか?」
「そりゃね。これ俺のキャップだし」
「へぇー!今も昔もそうなんですね!」
「小嶋が時々キャップを取ってジッと見てるのはそういうわけかー」


なるほどなぁ、なんてどうやら納得してる場合じゃないらしい。

ひょい、と俺たちが見ていた雑誌を覗いてくる小湊先輩は、ふうん…、と意味有りげに俺と東条を見る。え"…なんだ?何かしたのか?俺たち。

じっとりと背中に嫌な汗を掻く。そういえばこんな風に小湊先輩と話したのは初めてかもしれない。3年の先輩が引退となり初めて接点を持てるってことはつまり、俺がそれだけ現役の時にチームから遠かったってことだ。
だから寂しいような悔しいような、でも嬉しいような…いややっぱ怖えェ!

ヒャハハッ!と倉持先輩の独特な笑い声が上がり俺たち3人はそっちに顔を向ける。


「御幸お前、ダサッ!」
「くー!うっせーな!」
「女の子には優しくしろ御幸」
「増子の言うとおりだぜ。ましてや結衣をいじくるとか誰の許可取ってんだァ?あ?」
「この前、麻生が結衣に構いまくってましたよ」
「あぁ、あれか。あの、勝手に青道野球部ランキング!ってのを根掘り葉掘り聞いてたやつか。つーか、御幸!また人に押し付けんな!」
「よぉーし!まずは麻生からシメるか」
「ヒャハハッ!マジっすか!」
「ほどほどにな」
「そういうお前も飯をほどほどにしろ!」
「うがっ…!」


よく寮内では見られる会話を、野球部は楽しそうだなぁ、と生徒が通り過ぎていく。俺と東条もところどころで笑っちまうんだが…小湊先輩はポケットに手を入れてあの輪の中で小さすぎるようにも見える小嶋を少し離れたところから見遣っている。
…感情は読み取れねェけど、小嶋がキョロキョロとあちこち先輩たちの顔を見渡しながらも時々顔を伏せて嬉しそうに笑っているのを見て表情が柔らかくなったように見えるのは間違いじゃねェと思う。うわ、なんか…こっちまで恥しくなってきた…!


「ねぇ」
「は、はい!」
「知ってる?人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られてなんとやら」
「はい、知ってます…」
「なら話が早い。頼んだよ」
「え…」
「死人がでないように」
「「!」」


ひらり、と後ろ手を振って…なんてサラッと不穏な言葉を残すんだあの先輩は…。さっきまで気恥ずかしさに顔に上がっていた熱が一気に下がっていくのが分かって軽く身震いが起こる。


「あぁ、なるほど」
「ん?」


そして俺は気付く。
倉持先輩がさっき言ってたのは御幸先輩の恋路を邪魔する俺たちがどうこうなる、というわけじゃなく…。


「いてっ!」
「もう一発いっとく?」


チョップをくらい頭を抱える御幸先輩のことだったんだと。


「いや、なんていうか…。頑張ろうな、東条」
「…それしかないみたいだしな」


どうやっても小嶋よりも先に卒業してしまう小湊先輩から直接承ったとあっては、明日は我が身かもしれないと御幸先輩を見ながらごくりと息を呑む俺と東条は間もなく、持ってもらっちゃってごめんね、と申し訳なさそうに自分の持っていた分の雑誌を抱える小嶋に上手く笑ってやれなかったのだった。



静かに見守られるあの子と託された俺(たち)の話
「ところでこの雑誌の山、どうしたんだよ?」
「これね!これは太田部長が取り寄せてくれたの!」
「へぇ…部長先生が」
「やるじゃねェか!」
「うがっ!」
「この前、スタッフルームでなーんか話し込んでたと思ったらこれか」
「に、してもすっげェ量だな。純さんたちがシニアの時代まであるじゃねェか!」
「はい!これと現在のデータを照らし合わせて成長や上達には何が有効か調べるんです!」
「ふうん。やるじゃん」
「ふふふー」
「俺も見っかな。…あれ?これ…」
「なんだよ御幸……ん?」
「あ?」
「ん?」
「あーぁ、見つかっちゃった」
「え?……あ、あれ!?ちゃんと下に入れたのに!」
「残念。俺が上に乗せた」
「なんでー!?」
「面白そうだから」
「お!!これ、結衣じゃねェか!」
「ち、違っ!これは、っあぁぁぁー!!雑誌が!!」
「またかよ!!」


ー了ー
2020/07/07




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