あの子を見守ると決めた俺の話し




こんな身の上だからか、手の届く範囲にあるものが触れれないのは些か違和感を覚えちまう。
そうしたものが山ほどあるっつーことを知らないのは俺がまだ子供だからなのかもしれない。それに甘んじるつもりも否定するつもりもねェけど、たかが1年されど1年。明確に引かれたこの差だけはどうしようもねェんだ。リトルやシニアでやってる時は感じなかったけど、いくら実力社会だっつってもこんなにデカいとは。


「ねぇ、礼ちゃん」
「なに?」
「礼ちゃんって一人暮らし?」
「………」
「あぁ!違くて!別に彼氏云々とかじゃなくてさ!!」


やべ!また地雷踏んだ!!前に似たような事を聞いて意外にこういう話題が礼ちゃんの中に深く根を張ってんだとあの気まずさを身を持って知ったってのに!

焦って話題を変える俺は話題が話題なだけに、あー、と言い淀みながらパラパラと意味もなくスコアブックを捲る。センバツ出場校の試合をビデオで観てこのスコアブックをつけたアイツはこのプレハブから見えるグラウンドで沢村と何かを話している。被る少しくたびれたキャップに目を細め礼ちゃんに、御幸くん?、と怪訝そうに呼ばれるまで気付かなかった。やべ、スコアブックの紙、握り締めちまった。


「俺もいずれ一人暮らしすんのかなー、って」
「そうね。プロになればまた寮暮らし。大学の野球部だって寮はあるでしょうけどいずれはそうなるんじゃない?」
「だよね」
「それとも一緒に暮らしてくれる子、いる?」
「!…その質問は教師としてどうなの?」
「あら。御幸くんが教師としての意見を求めてるようには見えなかったのだけれど」
「はっはっは、まあね」


フッと何もかもお見通しだとばかりに笑われたらもうお手上げ。渇いた声で笑いひらり降参だとばかりに手を振ってついでに自分の被るキャップを手に取り目を落とす。これも1年の頃から使ってるものではあるけど、やっぱ違げェよなぁ…同じには見えねェ。


「結衣と亮さんが一緒に暮らすって知ってる?」
「ええ。知ってるわよ」


ご両親と1度ご挨拶にいらっしゃったわ、と軽い世間話をするように答えてくれんのは礼ちゃんなりの気遣いなのか。ははっ、だせェな俺。守りに入って後手に回ってんのが丸分かり。

無理矢理口角を上げる俺はすっかり見慣れた結衣の筆跡を見つめスコアを追うふりをしてそれを指でなぞった。あー沢村がでけェ声で騒いでんな。いつの間にか降谷まで加わって何やってんだ?


「少し驚いたけど彼と一緒なら心配もないわね。監督も以前から女子寮の退寮を迫られる彼女のことは気にしていたし、私も一人暮らしをするよりは安心だと思うわ」
「亮さんだって未成年なのに?」
「!」


あ…やべ。なんつー声出してんだ、俺。こんな風に言ったら拗ねてるガキみてェだ。


「えぇっと…じゃあこれ持ってくよ」


礼ちゃんも意外そうに目を見開いてるし色んな意味で居心地が悪い。そそくさとプレハブをスコアブックを手に出て、ふう…、と一息つく。空を仰ぐ俺に吹き付けた風はもう北風じゃなく少し生温い。今朝のニュースでは桜前線北上中、だなんて毎年聞く言葉と一緒に桜の開花日の予想がされていたっけな。寮の中はいよいよ退寮する先輩たちが荷物整理に終われ、後輩たちはアンダーやグラブ、バッテや制服なんかを貰う時期になった。卒業が近いことを折に触れて感じるこの頃、1年マネージャー小嶋結衣が彼氏である亮さんと春から二人暮らしを始めるのだと聞いたのはつい最近だ。


「おい無視すんな!今日は俺の番だって言ったろ!?」
「そっちが勝手に言っただけだから」
「なにィィー!?」


……まだやってんのかよアイツら。本当緊張感とかそういうのに無縁で年がら年中エースを争う後輩ピッチャー陣。まぁ主将としてもキャッチャーとしても向上心があって気持ちの乗る球を受けてんのは面白いし競ってもらった方がチームのためにもなる。一向に構わねェけどうるせェのが玉にきず。


「何やってんだ?お前ら」


練習終わったんだからさっさとダウンして風呂入れよ、と言いながら近付く俺を、キャップ!!、と…こらこら。指差すなよ。先輩後輩以前にそこは礼儀として。漸く呼び捨てしなくなったとはいえ馬鹿は馬鹿。
それはさておき、……さて。
結衣、とこの場で1番小さい奴を呼べば俺を見上げて被ってるキャップが僅かに擦れて視線が隠れる、サイズを直せよって何回言ったか。


「なんの騒ぎだ?」
「栄純と暁くん、どっちがやるか、って」
「なにを?」
「ハンドマッサージ」
「は?」
「俺が!今日だって言った!!」
「………」
「無視すんなコラ!!」
「栄純その言い方、倉持先輩に似てる!」
「こらこら」


暢気に感心して手を叩いてる場合じゃねェって。ハンドマッサージ…初耳だぞ。

不思議そうに俺を見る結衣の丸い目に溜め息をついてまだ言い争う沢村と降谷から遠ざけるようにしてその手を引き俺へと寄せる。掴んだその手が細いことを敏感に感じちまうのがすげェ虚しい。


「お前ら悪いな。結衣はこれから俺と打ち合わせだ」
「はあ!?聞いてないッスよ!?」
「すぐに嘘つくの止めてください」
「嘘じゃねェよ。な?結衣」
「ナベ先輩とピッチャーの研究するの。2人も来る?その場でハンドマッサージも出来るよ?」
「だーめ。今日は集中してビデオ観てェから、お前らまたな」
「えー!!そうやって仲間外れはよくないッスよ!?キャップがやることじゃあない!!」
「そうだそうだ」
「はっはっはー、うるせェ」


ギャンギャンと騒ぐ沢村と降谷を後ろにして背を向けた俺は、そうだ、と振り返る。


「お前らこんなところで喋ってていいのかー?ノリがB面でまだ走ってたけど?」
「なにー!?」
「!」
「こうしちゃおれん!!走りの沢村の名に恥じんように…って!先行くな降谷ァァァー!!」


走りの沢村って、誰が呼んでんだよそれ。
びゅん!、と俺たちを追い越し走り遠ざかっていく姿を見ながら笑っていれば、くん、とユニフォームを後ろから引かれる感覚。


「ん?」
「ノリ先輩ならもう上がりました」
「知ってるよ」
「?」
「ま、いいからいいから。行くぞー」
「はい」
「髪伸びたなー、お前」
「…切りたいんですけど」


そう言って表情を曇らせる結衣。
…あぁ、なるほど。コイツはそりゃあもうすげェ人見知りだ。美容院なんか営業スマイル振りかざしてニコニコと話し掛けられんのが気が重くてしょうがねェんだろう。

野球部の連中とは大分打ち解けてきたもののまだビクビクしながら話す相手もいる。春にはまた新入部員も入ってくんのに大丈夫か?
フッと笑い肩を揺らせば馬鹿にされたとでも思ったのか愕然とした顔をして口を尖らせる。まったく反応が一々……。


「今までどうしてたんだよ?」
「親が切ってくれました」
「マジ?すげェなそれ」
「前髪ぐらいは自分で出来るんですけど」
「ふうん。………なら、」


俺が切ってやろうか?
そう口にしようとして噤んだ俺を振り返り、御幸ちゃん?、と歩き向かってきた食堂前で結衣が呼ぶ。

食堂から漏れる明かりに照らされる結衣の顔を見つめ目を細めた。赤みのある髪の毛は光に透かされてより明瞭で、それを手にして触れてみたいなんて思っちまう。……これは自分でブレーキ掛けなきゃやばい。


「亮さんに切ってもらえば?」
「!っ…や、やだです!」
「はっはっは!言い方!なんで?」
「は、」
「うん?」
「…恥ずかしいからやだです」
「!」


キュッとキャップを下げて顔を隠したのかもしれないけど覗く耳が真っ赤なのが丸見え。声も消え入りそうなほど小さく震えて恥ずかしげで、俺は恥ずかしくないはずなのになぜかこっちまでカッと顔が熱くなる。
あぁーあ、俺はきっとこの子が亮さんをどれほど好きかを見せつけられながらそのたびに少しずつ諦めに似た覚悟を固めていくんだろうな。亮さんと一緒に暮らすと聞いたそれが第一歩だった。それまで俺は手が届きさえすれば触れるのは不可能じゃないだなんて本気で思っていたわけだ。もう戻れない負けた試合を悔やむことしかり、亡くなった母親しかり、絶対に手が届かないものを知っているからこそ手を伸ばして触れれるものをすんなり諦める性分じゃ俺はない。まぁだからこんな負けず嫌いで底抜けに勝負に関して貪欲な性格になったわけだけど。

手に入らねェもんってのは必ずある。
諦めてきたものも、多分あるにはある。見切りをつけるのは早い方だ。
けどこの子のことは確証のない予感に過ぎないけどこんな複雑な想いをしながら見守っていくんじゃないかと思う。手放した方が楽には間違いないのにつくづく面倒なことが好きらしい。


「へえー?亮さんに言っとく。結衣が髪の毛亮さんには切られたくないって言ってた、って」
「な…!事実だけど事実じゃないです!」
「え?どっち?」
「やだです!」
「嫌なんだろ?」
「だから…!もういいです!御幸ちゃんなんか、いーっだ!!」
「ぶはっ!はっはっは!!なんだそれ!!」


力いっぱい口を両端に引いて小憎らしい顔をして見せんのが面白く腹を抱えて笑う俺を置いて食堂に入った結衣はすでに中にいたらしいナベを呼び抗議の声を上げてる。
そうそう。そうやって時々からかってくる先輩ぐらいの解釈なんて、それぐれェでいい。お前の彼氏である亮さんはもうすぐ卒業で、俺もお前の3年間はずっと一緒にはいれねェけど。なんか1個でも残ればいいかな、なんて思う。意地悪な先輩でもなんでもいいからさ。


「バーカ」
「いでっ!」
「阿呆や、阿呆」
「痛っ…!」


ふぅ、と感傷に浸っていればいきなり走る頭への痛い衝撃。唖然としながら頭を摩る俺の前には倉持とゾノがにやりとまるで任侠映画の悪人面ばりの顔で笑い立っていてどうやら俺はこの悪人2人に頭を強打されたらしい。ったく…手荒い。

やっぱ言うんじゃなかったか…。この2人なら聞いても態度は変えるわけねェし、言われないでも知ってる、って顔されんのもやりづれェから先にぶっちゃけたんだけど。知られてたら知られてたでこんな情けねェとこも見られちまう。……ま、今更か。


「さーて、やるか」


考えてみりゃこれが最初で最後のセンバツ。目一杯楽しまなきゃ馬鹿を見る。

食堂の中に入りすでに試合のビデオに見入っているせいか隣に座った俺のことなんか気付きもしねェ結衣。その目が泣き腫らしてんのを最近よく見る。極度の人見知りの結衣が3年の先輩たちが卒業した後どうしていくのか興味があるし、それを傍で見ることが出来るのは亮さんにも譲れねェ優越感だったりする。

ただ、俺が卒業する時もこんな泣くかね、と淡い期待を抱きながら今この瞬間は前しか見てねェ可愛い後輩を隣にひっそりと目を伏せ自嘲気味に笑う。


「…ここまでかな。何か気付いたことある?」
「んー。この投手、フォームが独特だよな。倉持、盗めそうか?」
「塁に出りゃ俺がやる事は1つしかねェ。次の塁を目指す。投手がどうとか関係ねェよ」
「頼もしいな!配球はフォーク主体か…。俺もきっちり仕事したるわ!」
「ゾノは力むとろくなことねェからなぁ」
「ヒャハハッ!確かに。楽にいけよ、楽に」
「な、なんやとー!?」
「な?結衣。お前も……、お?」
「「「!」」」


話題を振った先に顔を向けようとしたのとほぼ同時。トン、と腕に感じた重みに目を見開き固まる俺を倉持が、ヒャハハッ!、と笑う。くそ、笑いやがって。いきなりこれは焦るっての。


「珍しいね。小嶋がビデオ観てる時に寝るなんて」
「ここんとこ遅くまで食堂でビデオ観とったからな」
「泣いてるのも相変わらずみてーだしな。沢村の話しじゃアイツが不用意に先輩たちの話題を振るだけで涙浮かべんだとよ」
「なんだそれ。どんだけだよ」
「さあな、俺に聞かれても知らねェよ。ただまぁ、知らねェだけに気安く無下にはしたくねェってのは確かだな」


そう言って立ち上がった倉持は口調は呆れたようなのに俺の腕にもたれて気持ち良さげな寝息を立てる結衣を見下ろす目は、面倒見の良い兄貴ってのはこういうのか?、と思わせる優しさを見せていて俺も思わず眉が下がる。純さんとか哲さんとか、こういう感じだよなぁ結衣に対して。


「つーわけだ。後はなんとかしろよ、御幸」
「は?」


ぱさりと結衣の肩に自分の着てたジャージ掛けてやってお役御免とばかりにシレッと言い放つ倉持。


「せやな。俺らも風呂入らんとあかんしな。御幸、主将として後は任せたで!」


ゾノに至っては俺に結衣を預ける狙いをまったく隠すことなく生き生きと親指を立てて良い顔をしてくる。
そのゾノに口を引き攣らせる俺ににこりといつものように笑うナベがビデオをリモコンで停めて取り出してから、じゃあ、とゾノの親指立てた手を下げさせて言葉を続ける。


「俺たちは行くから。御幸、鍵持ってるよね?」
「いや、ちょ…」
「じゃあおやすみ」
「また明日な」


倉持は挨拶もねェのかよ……。

あれよあれよと食堂に、俺の腕にもたれて眠る結衣と2人きりで残された俺は突然のこと過ぎてしばらく頭が回んなかった。
怒るべきか喜ぶべきかはてまた困るべきなのか。いや、困るべきではある…よな?

色々考えている内にカァッと顔が熱くなる。紛らわせるように手を伸ばし広げたのはやっぱりスコアブックって……、明日朝1番で倉持があの笑い声で馬鹿にしてくんのが目に見える。


「ったく……」


そう嘆息と共に漏らしたものの口元は緩んじまう俺はもう少しだけと心に決めて、腕に掛かる温かい重みと耳に心地良い結衣の寝息を感じながらスコアブックを捲るのだった。



あの子を見守ると決めた俺の話し
「ヒャハハッ!!マジかよ、それ!」
「期待を裏切らねェなー…お前。悪い意味で。やっぱ笑うのな」
「あ?結衣を少し寝かせてスコアブック見てたらお前も寝ちまって、それを亮さんに見つかったってお前笑うしかねェだろうが」
「人事だと思っ……」
「おう!聞いたで!!御幸お前…」
「いてェ!!」
「は、はあ!?なんやそんなに強い力で叩いてへんぞ?」
「いや違う。そこ」
「は?…な、なんやこれ!」
「どうした?ゾノ」
「えらいデカいたんこぶ出来とるやんけ!」
「……あー…、もしかして」
「亮さんのチョップ」
「マジか…」
「ちなみに結衣もくらってた」
「ブレねェな…あの人」


―了―
2016/01/27




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