俺の代わりに泣くあの子とそれに応える俺の話し




つい夢中になって、バットを振り過ぎた手からバッティンググローブを取れば出来ては潰れたマメの上にまたマメが出来てジンジンと痛む。ははっ、と苦笑いを零すのは昼間に信二が沢村に"走り過ぎるな投げ過ぎるな食べ過ぎるぐれェ食べろ"なんて言っていたそれを思い出してしまったからだ。沢村とは同じクラスだし、以前同室だったクリス先輩から頼まれたことから端を発して元々面倒見の良い信二はすっかり沢村を放任することは諦めたらしい。まぁでも、2年では切に違うクラスになることを願うぜ、と言っていたぐらいだから自分でも自覚はあるんだろうけどさ。
化学の授業で教師が、校庭の木々の芽は膨らんできましたね、と持ち前の柔らかい物腰で言っていたようにもうじき春だというのにやっぱり夜は寒い。空を見上げ、ふうー、と長い息を吐いたところで白い靄にはならないのにしばらく何も映らない空をぼんやりと見つめた。青道に入学してもうすぐ1年が経とうとしている。様々な岐路を経て俺はセンターというポジションを手に入れたけど、桜が咲く頃になったらあの頃に期待とやる気とを胸いっぱいに抱いていた俺が問い掛けてきそうな気がする。
諦めたのか?、と。

部屋に戻る前に何人かと擦れ違い、これからDVD観るけどよ、と誘われたが断った。男子寮で観るDVDっていったらアレしかないわけだけどさすがに振りすぎて疲れた頭では今はどうでもいい。喉も渇いた、とまだ食堂が空いているか確かめれば幸運にも空いていた。薄暗い食堂で麦茶を飲んでいると不意に戸が開いて俺も入ってきた相手も言葉にならないような声を上げた。


「と、東条か。ビビッた」
「御幸先輩。すみません」
「いや、いいけどよ。珍しいな、こんな時間に」
「はい。ちょっと喉が渇いて…」


御幸先輩は?、と聞く前に、あぁあった、と俺の前を、わり、と通り過ぎる御幸先輩はテーブルに置かれた何かを手に取りひらりと俺に振って見せた。それは2枚。丸くて……。


「あ、色紙ですか」
「そ。ゾノの奴がこれ読んで感動して泣き叫んで我を忘れて、ついでに色紙忘れてったんだよ」
「え…それ、大丈夫なんですか?」
「はっはっはー、駄目じゃねェか?沢村の奴が隠し事に向いてるとも思えねェしなー」
「ははっ、確かにそうですね」


もう書いたか?、と色紙に目を落とす御幸先輩に、はい、と頷き俺もそれを見る。学年ごとに分かれて書いたそれは色紙をびっちりと埋まっていてその中で目についたある男のそれに思わず噴き出し笑う。


「これ、降谷ですよね」
「やっぱそうだよな?ったく、字を書け字を。それに名前も忘れやがって。後で書かせるか」


降谷らしいや。
男らしい角ばっか字ばかりの中に可愛らしいしろくまの絵。いつだったか1年で勉強会をした時に勉強そっちのけで図鑑を見る降谷が動物が好きだと話した時に盛り上がったっけ。あまり自分を、野球以外のことで主張しない降谷の自分から明かした好きな事を語るそれが皆新鮮だったし誰も口にはしなかったけど多分嬉しかった。取り分けしろくまが強くて尊敬してるとまで言っていたから降谷にとっては文字にする以上に自分の意志を表しているのかもしれない。つまり、しろくまのように強くなるとか…そういうことを。


「いやでも、名前らしいものは書いてますよ」


しろくまの横に書かれた『1』
まるでずっと不動のエースで、背番号1は自分だけのものだとばかりに。本当、降谷らしい。

フッ、と笑いを零す俺に御幸先輩から言葉が返らない。ジッと色紙のある一点を見つめ、次の瞬間顔を緩ませた。その顔がなかなか見ないもので息を詰めた俺は御幸先輩の目線を辿ろうとするも、ひょい、と色紙が視界から消えて顔を上げた。


「んじゃ、これは持ってくわ」
「あ、はい。お疲れ様です」
「おー。お疲れー」


御幸先輩も降谷の『1』を見て笑ったんだろうか?女房役としてエースの揺らがない意志は有り難いものであるのは間違いないんだろうけど…あんな顔するか?

パタン、と閉まる戸の音を聞きハッとケリの着かない疑問は頭の片隅に押しやってコップに残った麦茶を流し込んだ。
3年の先輩は3学期になり自由登校になるとほぼ進路は決定して食堂にはほとんど顔を出さなくなった。すっかり静かになった食堂は春になればまた新入生を迎えて賑やかになるんだろう。静けさの中にただ1人身を置いて心の中に湧いた気持ちの正体がなんなのか分からないまま俺は食堂を出た。


「と、東条くんいますか!?」


翌日、教室の前からそんな声が俺を呼んで次が英語だと狩場と話していたのを中断して戸の方を見る。


「東条?いるよ」
「あ、野球部のマネでしょ?元女子バスケ部の」
「え、えっと…あの、」
「あぁ。彼氏がいるからマネージャーになったんだっけ?」


結衣だ。小嶋結衣。人見知りで、でも野球が大好きで。俺がひっそりと投球練習している時に決まってやってきては遠慮なくああだこうだとぶつけてくる、野球部のマネージャー。野球のこと以外となるとびっくりするぐらい引っ込みがちになる彼女が教室の入口でクラスメイトの男子に囲まれ若干揶揄する言葉を浴びせられてるのを、アイツら…!、と狩場が止めに行こうとするが、俺が行く、と立ち上がる。アイツら、確か男子バスケ部だ。前に結衣に告白してフラれた奴のいる。


「いいよなぁ、野球部。彼氏の側にいたいって理由でマネになれるんだもんな」
「言っても部員があんだけいるんだからやる事なんてねェんじゃねェの?彼氏のモチベーションを上げるぐらいしか」
「っ………」
「そんなことねェよ」


好き勝手言ってる奴らには言わせておけばいいとは思うけど、これは野球部のためにもいつも頑張ってくれるマネージャーのためにも部員の俺が否定する必要がある。
そも自分より何センチも小さい結衣を囲んで威圧するようにものを言うなんてそれ以前の問題だ。

さすがはバスケ部といえばいいのか俺より身長のあるクラスメイトの肩を掴み結衣の前へと出る。ごめんね、そう言えば結衣は涙のいっぱい溜まった目を丸くして俺を見てから首を横に何度も振った。パラパラと散る涙を見て後ろで舌打ちしたクラスメイトを振り返り睨む。


「あっちで聞くよ。行こう」
「う、うん」


腕に紙袋を抱える結衣を見るにあそこで短時間で済む話しじゃないと判断して俺は結衣の腕を引き階段の踊り場まで連れて行く。チラチラと見られるのは俺は構わないけど、結衣が困ったことにならないようにしないとな。


「ごめん。小湊先輩には俺からメールしとくよ」
「え、なんで?」
「いらない誤解から噂が広まっても困るだろ?」
「噂……」


誤解…?、と首を傾げてしばらく考えていた結衣がハッとした顔をしてからまた首をブンブンと横に振った。大丈夫、と言ったその声はさっきのことを思い出したのか少し震えた。


「あのね、これ」
「俺に?」
「うん。もし東条くんが必要なら、使ってほしくて」
「俺が………あ、」


差し出された紙袋を受け取り中身を見てみれば中には爪ヤスリやマニキュア、ハンドクリームが数種類入っていて、なぜ俺にこれを?、という驚きや疑問に顔を上げて結衣を見つめる。俺はもう投手じゃない。俺にするなら沢村や降谷に……、と複雑な想いが込み上げた。


「わ、私の余計なお世話かもしれない…けど。東条くん、今もちゃんとケアしてるみたいだし」
「結衣…」
「もし手助けが出来るなら、ハンドマッサージもするしビデオも一緒に見る、から。」
「でも俺は…」


投手としての俺はチームには必要ない。大分前に分かったことだ。持ち前の肩と打撃力を活かし使ってもらうには野手転向しかなかった。

グッと手を握り締めると結衣がその手の上におそるおそる、そっと手を重ねた。小さくて、けど俺よりずっと温かい。結衣に目を向ければ今にも泣き出してしまいそうな、そんなくしゃくしゃの表情で唇を震わせながら開くのを俺は目を見開いて見つめた。


「ずっと諦めないで」
「!」
「苦しいかもしれないし投げ出した方がずっと楽になれるかもしれないけど、諦めたらもうチャンスはないよ」


チャンスは、常に貪欲に手を伸ばす奴が掴む。
まだ入部当初、野球をまったく知らないと言っていい沢村が二軍に上がり駆け上がるようにベンチ入りメンバーとなった。ああアイツは特別なものを持っていたから、と俺は3年との紅白戦でまったく通用しなかった自分のピッチングにケリを着けたつもりだった。それでも野手に転向してでも9つの内の1つのポジションに手を伸ばしたのはやっぱり野球が好きで好きで堪らなくて、離れることなんて……考えられなかったからで。


「っ…ありがとう、結衣」


羨ましがられることさえあれど、それでも貪欲に投手への夢を諦めるなと面と向かって言ってくるのは結衣ぐらいだ。
不覚にも目に込み上げた熱いものをごまかすように天井を仰いで、ふう…、と長い息を吐く。…よし。大丈夫だ。


「これ、使わせてもらうよ」
「!…う、うん!!」
「あぁもう、ほら。手で擦らない方がいいよ」
「あ、ありがとう。ハンカチ栄純に貸しちゃって」


ポロポロと涙を流す俺より小さな女の子が可愛いなと思う。恋愛とは別だけどこれから引退までずっと俺たちの練習を手伝ってくれるマネージャーである結衣はある種特別な存在だと思う。もちろん吉川も。
俺が貸したハンカチを、洗って返すね、と無理に笑う結衣から、いいよ、とハンカチを受け取る。


「さっきの奴らにはちゃんと言っとく」
「ううん。大丈夫」
「俺が嫌だしさ。きっと狩場がもう言ってるかも」
「喧嘩になったりしない?」
「さすがにね。お互い運動部だし弁えてるよ。それより結衣は俺がシニアだった時のビデオ観たことある?」
「ない!!」
「今度実家帰ったら持ってくるよ。アドバイス、くれる?」
「うん!!うん!!」


さっきまでの涙が嘘みたいに表情を輝かせて笑う結衣を小湊先輩がどうして好きになったのか、少しだけ分かった。
かさりと腕の中で音を立てた紙袋を片手で強く持って、戻ろうか、と教室へと向かう。


「あ、そういえば」
「うん?」
「結衣は色紙、なんて書いた?」
「え…!?な…内緒」
「俺のを教えても?」
「皆のは読んじゃったからその手には乗りません」
「あ、読んだんだ?ならズルいんじゃない?」
「え!?」
「内緒にしとくよ」
「う……内緒だよ?御幸ちゃんにも言わないでね?」
「御幸先輩に?」


なんでだろう?、と思いつつも頷くと結衣は緊張しながらチャイムが鳴る中で紡いだ。
『御幸ちゃん達と甲子園にいってきます。見ていてください』
それを聞いた瞬間昨日御幸先輩が色紙に目を落とし誰のを読みあんな風に笑ったのか分かってしまい、思わず笑いを零す俺は真っ赤な顔をして怒る結衣に教室に着くまで弁明するのだった。



俺の代わりに泣くあの子とそれに応える俺の話し
「あれ?先生まだ?」
「お、東条ラッキーだったな!自習だってよ」
「そっか。良かった」
「それよりさっき御幸先輩が来ててさ」
「え?なんで?」
「たまたま沢村に用があったみてェでその後うちの教室の前を通り掛かる時に聞いちまったみてェなんだよ」
「何を?……って、もしかして」
「そう。バスケ部の連中が結衣に絡んでるのを」
「あー…」
「それでさ、すげェ怖かったぜ。あの人、本当に怒るとめちゃくちゃ怖いのな」
「へ、へェー…」
「ん?それなに?」
「結衣から。手のケアグッズ」
「マジか。気をつけろよ東条。御幸先輩に」
「俺も今そう思ってたところ」


―了―
2015/11/09




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