動物みたいなあの子と可愛がる僕の話し




あ…また走ってる。
かと思ったら今度は懸命に何かをノートに書いていて、少し姿が見えないかと思ったらバットを振ってた。
彼女はいつもふわふわとした防寒具を身につけているからその姿がまるで冬毛になったウサギとかタヌキとかキツネみたいに見えるって、僕はいつも思ってる。


「降谷!次!お前の番な!!」
「え?」


食堂で夕飯を食べていれば前の席に座っていた沢村から声が掛かり相変わらずの山盛りご飯から目を映す。いつも通り、沢村はうるさい。


「お前今うるさいって思ったろ!!」
「………」
「無視すんな!!」
「栄純くん、迷惑だから」
「春っち!なぜ俺だけ!?」
「騒いでるの栄純だけじゃん」
「ぐぬぬぬ…!春っち反抗期か!!」
「ほらうるさい」


はぁ、と隣で溜め息をつく小湊くんから、はい、と僕に何かが渡される。野球ボールを模した……色紙?


「えっと……まさか、これが何か分からない…とか?」
「……あ、思い出した」
「忘れてたんだね……」
「先輩たちの…」
「なんだ降谷!!先輩たちに色紙を送ろうってつい最近みんなで話したのにもーう忘れたのか!!だーっはっはっは!!俺は覚えてたもんねー!!」
「栄純くん、だからうるさい」
「ぬあ!?」


そっか…色紙。少し前に前園先輩がみんなを集めて言ってたっけ。もうじき卒業する3年の先輩たちのために学年で1枚色紙を回すから書いたら速やかに且つ3年の先輩にバレないように次へ、ってことだった。沢村の様子を見てるとたぶんどっかにはバレてると思うけど僕がバラすわけにはいかない。サッとテーブルの下に隠して、部屋で書くの?、と問い掛けてくる小湊くんに頷く。
チラッと見えた思い思いのペンの色や書体でぎっちりと埋まった色紙。先輩たちに伝えたい事……伝えたい事…それってどんな事を書けばいいんだろう?
こんな事は初めてだしこんな人間関係を築いたのも初めてだ。言葉が見つからないというよりは言葉が浮かびすぎて……こんな小さな余白じゃ収まらない。

その夜、部屋でずっと余白に埋まる分の言葉を考えていたけど結局思いつかなくて夢にまで見た青道合格通知を受け取ったあの日の思い出も相俟って色々な想いを強くさせるばかりで早くしなければならないと朝起きカレンダーで卒業までの日を数えて少し焦るのだけれど。

学校に行けば、


「降谷くん…授業聞いてた?」
「………」
「あぁ、そう…寝てたんだね…」


眠くなるし。
部活に出れば、


「御幸先輩!!球受けてくだせェ!!降谷より多く!!」
「僕はそれより多く」
「お前らだから俺の都合」


譲れない場所があるから考えてる暇はないし。
部活が終われば、


「降谷寝るなァー!!風呂で寝たら命がやべェぞ!?」
「も、君本当にうるさい…」


疲れて頭が働かない。このまま僕で止めてもしょうがないし色紙を先にまだ書いていない人に回すことにした。とは言っても僕の他書いてない人なんてあと少しだけ。すぐに回ってくるだろうと考えたらその日もまたよく眠れなかった。


「え?色紙。えっと…信二、色紙今誰か分かる?」
「ん?」


でも数日経っても色紙は僕のところには戻ってこなかった。気になって自主練中の東条くんと金丸くんに声を掛けてみた。ぶるりと金丸くんは身を震わせる。そんなに寒いかな?
もう春が近いと思う。
冬の間着ていたグラコンはもう必要ない。御幸先輩なんかは寒くてしょうがないみたいで僕や沢村に、お前ら寒くねェの?、とやれ手袋をつけろやれマフラーを巻けなどと自分が寒いみたいに言う。雪国生まれめ、だなんて愚痴を零してるけどそんな御幸先輩に、先輩が歳なんスよ!、と返す沢村に自分は僕はこっそりと頷いている。


「俺が書いた後は降谷と小嶋だけだったぜ。んで、小嶋に回した。同じクラスだしな」
「だってさ」
「小嶋さん…」


小湊くんの幼馴染みで、小湊先輩の彼女。ついでに御幸先輩の少し特別な女の子でとても野球に詳しい。僕と話す時は少しオドオドしているけど。
女の子……マネージャー…小湊先輩の彼女……。


「御幸先輩」
「あ?つーかちゃんと温まれよ?この間もカラスの行水だっ…」
「小嶋さんのどこが好きなんですか?」
「……は!?」
「いやだから。小嶋さんの、」
「いや待て」


投球練習に付き合ってもらったその後に一緒に入った風呂の中でふと思った疑問を口にしただけなのに御幸先輩の驚いた声は風呂に響き渡った。困惑したように額に手を当てて首を振る御幸先輩に僕が首を傾げれば、このド天然め、と御幸先輩が呻く。


「よし。お前のことだからなんも意味はねェんだろうけど、一応聞いておくぞ」
「はい」
「俺が結衣のことを好きっつったか?」
「いえ」
「だよな」


誰もいないのに声を潜められる意味が分からないんだけど。

また頭を振る御幸先輩は湯に向かって、はぁ、と溜め息をついた。


「じゃあまたなんでそんな話しになったんだよ」
「………」
「なんだよこの間は!?」


なんでって…なんでだっけ。
色紙の内容について考えていて、東条くんと金丸くんから色紙の先は小嶋さんだと聞いた。それでマネージャーも一緒に書くんだな、吉川さんも書いたんだろうか、とまで考えて僕にとってマネージャーでしか未だない彼女が誰かにとっては特別であるのが少し不思議だっただけだ。
ただなんとなく、知りたかった。
ましてや御幸先輩みたいな飄々としていて誰かに執着するような様を見せない人が惹かれるなら尚更その理由も気になって。あぁ…そっか。僕はその時その時で忘れてしまっていたけれど確かに疑問に思ってた。いつか聞いてみようと思って忘れてを繰り返し、彼女が走り回ったり御幸先輩と言い合ってるのを見たりするそのたびに思い出してはまた忘れ。
思えば彼女も誰かに執着するようなタイプじゃない。それであったらもっと、見た時に印象に残ってるはずなんだ。


「……というわけです」
「こらこら。面倒になって勝手に頭の中の回想だけで切り上げんな。俺には何1つ分かんねェよ」


ったく、と濡れた前髪を掻き上げて風呂の縁に寄り掛かり、まぁでも、と御幸先輩は続ける。


「面白れェ奴ではあるよ」
「小嶋さんが?」
「からかい甲斐あるっつーか、いじくり甲斐があるっつーか」
「…性格悪いですね」
「はっはっはー、ありがとう」


駄目だ。きっとこのまま話しても僕が知りたい核心には辿り着かないだろうしきっと御幸先輩は話しを引き延ばして僕が先に飽きるのを待っているに違いない。この人はこういう人だ……、と自分ではない誰かにそう言い切れるようになったのも自分としては凄いことだと思う。

にたり、と笑う御幸先輩に、ふう、と溜め息をついて湯舟から立ち上がる。肩も身体もしっかり温まった。寝る前に爪のケアも忘れずにしなくちゃ。


「おい降谷」
「なんですか?ちゃんと温まりましたよ」
「んなことは分かってる。そんなに俺小言言ってるか?」


この人は世話好きという自覚がない。

縁に腕を乗せもたれたまま御幸先輩が不意に真剣な瞳を向ける。息を呑んで向き合うのはきっとマウンドで何回も重ねた意志の疎通の癖みたいなもので、からと言ってマウンドと同じように瞳を見つめ返してみたところで眼鏡を掛けない御幸先輩の真意は探れなかった。
だから思った。
今から御幸先輩が話すことは野球のことじゃない。僕は情けないくらい、野球を取ったら何もない人間なんだ。


「なんでも諦めてちゃ、お前の気持ちの半分も伝わらねェぜ?まぁすげェもん持ってる奴はすげェもんが見える。そうじゃない奴からは見えねェもんをな。それでも降谷、お前はうちのエースになって少しずつ人と寄り添うようになったじゃねェか。なんでもいい。バカみてェなことでも沢村少し見習って口に出してみろよ」
「!」


この人は……ワザとだ、きっと。常に負けたくない相手を引き合いに出して僕の対抗心を煽る。ワザとだと分かっているのに乗らずにいられないのは……楽しいからなんだ、やっぱり。
競うのも怒るのも1人じゃ絶対に出来ないことだ。

手にしていたタオルをギュッと握り締めにやりと口角を上げて笑う御幸先輩を見据える。……本当、性格悪そうな顔してる。


「……御幸先輩」
「お?なんだ?話す気になったか?」
「先輩もあんな感じじゃ小嶋さんに気持ちの半分も伝わらないと思います」
「んな…!てめェんなこと言えとは言ってねェ!!」


脱衣所へと出た僕の耳には浴場からそんな声が響いて聞こえた。なんでも口に出してみろって言ったのは先輩なのに。
本当にあんなんじゃいつまでも伝わらないと思うんだけど僕のその感覚がおかしい?怒らせたり泣かせたりその直後にどんなに後悔浮かべた顔をしたって小嶋さんに見えないとこじゃまったく意味がないと思うけど。


外へ出てまだ乾ききらない髪の毛をタオルで拭きながらふとある事に気付いて足を止めた。
静かなんだ、とても。
本当は大分前からそうであったんだ、気に掛ける余裕がなかっただけで。
3年の先輩が卒業に備えて着々と準備を整えてるのがよく分かる。寮にいた先輩も自宅から通える先輩はそうしているらしいしこの時期にもなると部活にも顔を出してはこない。結城先輩はもう大学の練習に参加させてもらってるなんてことも聞いた。ずっと変わらないだなんて有り得ないけど、変わり行くものに今僕がこの瞬間この環境だからこそ与えられそして残したいものをあの色紙の小さな余白に残すとしたらどんな言葉がいいんだろう?

やっぱり見つからない。
言葉なんかじゃなく、もっと一緒に野球をしながら色んなことを感じたかった。
部屋に戻りながら見上げる空にはなんにもない。いやに暗い空からは目を逸らした。……いけない。このチームを引っ張るエースになるためには後ろ髪引かれてる場合じゃない。


そう思った時、なんとなく書く言葉が決まった。よし、と心の中で呟き1度は通り過ぎた室内練習場から微かに物音が聞こえて僕は足を止めた。まさかまだ沢村が?頭に過ぎる誰よりも懸命に自主練を繰り返す姿が頭に浮かび足を戻した。

けれど、中を覗いて見えたのはまったく違う姿だった。


「ひっ…ふぐっ……うっ」
「!」


ベンチに座って俯き泣き身体を震わせる小さな姿。地面にポタポタと落ちては染みを作るのは涙だ。
なんでどうして彼女がこんなところで泣いているのか。だって僕の目にはいつも彼女は何かを真っ直ぐ見つめていてふわふわで御幸先輩とだって言い合いをして渡辺先輩と難しい話しをしたりする。
その頭にはいつも少し古いキャップがあって、時々そのキャップを自分の手に取り理由は分からないけど嬉しそうに笑うのを僕は見ていた。

こんな風に1人で泣くのは彼女を囲む環境を思えばこそ想像出来なくて、僕は言葉を用意出来ないまま中へと足を踏み入れた。


「!…ふ、るやくんだ」
「…うん」


ビクッと身体を震わせる彼女は僕を見上げて唇を噛み締め涙を堪えようとするけど無駄に終わりポロポロと零れていく。
どうしたの?
どこか痛いの?
そんな言葉が頭に浮かび口に出そうとした時、小嶋さんの横に置いてある丸い見覚えのあるそれを見つけて声になる前に口を噤んだ。

小嶋さんの頭にはやっぱりキャップ。
それが御幸先輩経由で渡った小湊先輩のものだと聞いたのは誰からだったかな。もう覚えてない。
ただ今僕がこの場で彼女のためになることは何もない言えない事だけは分かる。


「その色紙、次は僕の番だよ」
「うん…っ」
「…それを書かなくても先輩たちは卒業する」
「うん」
「だから早く書いて」
「っ…うん。うん、書く」
「うん。……あのさ」
「な、に?」


ふと、どうしてそんな事を言おうと思ったのかは分からないけど、ふと口から出た。


「此処には僕しかいないから我慢しないで泣いてもいいよ。誰にも言わない。御幸先輩にも沢村にも、小湊くんにも小湊先輩にも」
「!…っ本当?倉持先輩にも?」


うん、と頷く。すると小嶋さんは顔をくしゃりと歪めてまるで小さい子が泣くみたいに声を上げて泣き出した。ちょっとこれは予想外で慌てたけどおそるおそるキャップの上から頭を撫でてあげると少し落ち着いたみたいだったから安心した。

髪の毛…くるくるしてる。キャップから見える赤みのある茶色い髪の毛はふわふわしててやっぱり小嶋さんは動物みたいだなぁと思う。髪の毛の色素は薄いのにくりくりした丸い瞳は真っ黒だ。

小さい。ふわふわ……子供みたい、……可愛い。


「……ねぇ」
「あ、ご…ごめんなさい。いくらなんでも泣きすぎだよね」
「ううん、そうじゃなくて」
「え?」
「大丈夫。先輩たちが卒業しても僕たちがいるよ」
「!」


もしかしたら青道にきたばかりの僕だったらこの状況で僕"たち"なんて言えなかったかもしれない。きっと、僕、で止まってた。

息が止まったみたいに呼吸を忘れて僕を見上げる小嶋さんがハッと息を呑んで慌ててこくこくと何度も頷く。
そうだよ。
確かに先輩たちは卒業していく。小嶋さんの彼氏である小湊先輩だって春にはいない。けど此処には先輩たちだけじゃない、僕"たち"がいるんだからそれを忘れないでほしい。

意地とほんの少しの優越感を抱きながら僕はこれまでで初めてってくらい小嶋さんと話した。


「もうちょっと撫でてていい?」
「うん。あ、降谷くん爪のケアした?」
「まだ」
「ならお礼にさせて!この間ね、手の平のマッサージをクリス先輩のお父さんに教えてもらったんだ!それからアロマオイルも…」
「それ沢村にもした?」
「栄純?ううん、まだ」
「ならしてほしい」
「うん!」


たくさん話して時々小嶋さんは笑った。それでも色紙を見て思い出したみたいに涙声になったりするから必死に涙を堪える姿に実は僕も少しだけ喉の奥に熱いものが込み上げたけどたぶん気付かれてないと思う。


「元気出したい時はファンタのグレープ飲んだらいいよ」
「え、どうして?」
「よく伊佐敷先輩が飲んでたから」
「純さんが……う…!ふっ…」
「あ……」


先輩たちに負けないように。
先輩たちが安心して卒業していけるように。
僕は次の日小嶋さんから受け取った色紙にそんな想いを込めて小さな最後のスペースに書き込んだ。



動物みたいなあの子と可愛がる僕の話し
(お。結衣、ここ空いてるぜ)
(結構です)
(へ?)
(ヒャハハ!!お前今度は小嶋に何したんだよ!?またツンてされてんじゃねェか!)
(あー…)
(あ!暁くん、隣失礼します)
(うん)
((暁くん!?))
(なにあれ倉持説明して早く)
(いだだだっ!ちょ、亮さん耳引っ張んないでくださいよ!!)


―了―
2015/09/24




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -