幼馴染みのあの子と此処だけは譲らない僕の話し




僕が今まで生きてきたのは17年間。
当然赤ん坊から2歳までぐらいは記憶がないに等しいから、僕の感じる17年と僕を見てきてくれた父さんや母さん、兄貴の実測に基づく実感とはまた違うんだろうけど。
僕は僕より2年先に生まれた兄貴のその間を知らないわけで、もっと言えば僕の記憶が定かになる幼稚園年中ぐらいまでの兄貴の7歳ぐらいの姿からしか知らない。だから卒業式を前にして両親の感じる感慨深さはまったく理解出来ないのだと思う。どうあっても兄貴は僕の2年先を歩いていてそれはこれも変わらなくて。
だから言い表しにくいけどとにかくやっと同じ舞台に立ったのにまた違う舞台へと行ってしまう兄貴の背中はとにかく遠く感じる。殊更、共に過ごせた1年が速く感じるんだ。
父さんとも母さんとも、兄貴を尊敬する倉持先輩や木島先輩のそれとも違う。僕と同じ心情を最も近いところで理解するのはあの子しかいない。幼い頃は、寂しいね、と単純な言葉1つで言い表せたこの気持ちを。
今度もきっと、わんわん泣いてしまうんだろうなぁ…。小学校の卒業式は過呼吸気味になってしまったっけ。あれは凄い焦ったや。僕もつい泣いてしまった…というのはまぁいいとして。兄貴が青道に進学するということもありその頃から少しずつあの子から離れる準備をしていたから中学の時はそこまでじゃなかったけど、やっぱり泣いた。
それこそたくさん見てきたんだ。泣き顔なんて。そのたびに手を繋いで、頭を撫でてあげて、涙を拭ってあげる。彼女を慰めるのはいつも僕の役目だった。


「泣くな、アイツ」
「!……ええ、そうですね」


野球部の、対外試合解禁が近い。
と、いうことは卒業が近いということだ。
兄貴が引退してそれまで二遊間を鉄壁とまで呼ばれる守りを兄貴と共にしていた倉持先輩が言う。
頷き同意する俺に隣から一瞥が投げられた。
食堂のホワイトボードには卒業式までのカウントダウンが書かれている。あそこに甲子園までの勝利数を書き部全体を鼓舞していた伊佐敷先輩の力強い字があった夏の日がもう懐かしい。
食堂には暖房が入り部員も当然長袖長ズボン。時々栄純くんが、暑いんス!、と主張して半袖になり肩を冷やすなと小声を御幸先輩が漏らす。そんな日常が当たり前になった。3年のいない、野球部が。


「じゃあ卒業式当日はそないことで頼むで!!」


倉持先輩と同じく副主将であるゾノ先輩の一言でミーティングが終わりガタガタとあちこちで立ち上がり出ていく音が上がる。僕と隣に座っていた倉持先輩はしばらくホワイトボードを見据えてから、はぁ、と小さく溜め息をついた。
僕の目は足早に食堂を出ていくあの子にあって、御幸先輩に声を掛けられ外で引き止められたらしい様子から倉持先輩へとそれを向ける。


「寂しいですか?」
「あぁ?」
「そんな風に見えたので」
「この野郎、言うようになったじゃねェか」
「うわっ!」


ぽかんとした後にどこか気まずそうに目線を逸らした倉持先輩がクッと口角を上げて僕の頭を乱暴に掻き回す。あぁ、これはきっと図星かな。この人をよく見ていると人をよく見て動く人だと分かる。栄純くんへの面倒見の良さも兄貴気質なんだろうなぁ、なんて思う。ただ倉持先輩は一人っ子なのだというから驚いた。栄純も同じく一人っ子なのだけれどこうも違うものなんだな、と。ただ僕から見る倉持先輩がそう見えるだけで兄貴からは違うように見えるのかもしれない。それこそ栄純くんのように……っていうのはさすがに話を飛躍させすぎかな。

とにかく後輩である僕に心情を当てられて倉持先輩は面白くない半分気まずい半分、って感じかな。


「そりゃまぁ、…寂しくねェっつったら嘘になるけどよ。んな感傷に浸ってる暇もねェだろ」
「まぁそうですね」
「お前はお前で、結衣を見ててやんなきゃなんねェしな」


ヒャハハッ、と笑う倉持先輩にぐしゃぐしゃにされた髪の毛を整えながら笑い返す。けど色々思い出してしまって、なかなか上手く笑えなかったや。当然倉持先輩には隠せるはずもなく眉を顰め聞かれてしまう。

近頃厳し過ぎるという寒さはなくなった。
身体を動かすと出る汗の量にも顕著に表れてる。そんな部活終わりのミーティングですでに自由登校になった3年が卒業式後にグラウンドに来るから野球部全員で迎えようと話をしたその後。
この話をするタイミングはどうせ今しかないだろうと少しずつ人の少なくなる食堂の物音に紛れて口を開いた。


「兄貴が卒業した中学2年から卒業までは本当にいつも一緒にいました。兄貴に突き放されて、なかなか周りに順応することが出来なかったので」
「クラスも一緒だったのかよ?」
「幸運なことに」
「ふうん。挙げ句お前も青道に行くっつーんだからアイツも選択肢はなかったか」
「ははっ…。僕が、というより兄貴が居たからですよ」
「………」


幼馴染みの女の子がいつも俺と同じ人物を追ってるのは少し不思議な感覚だった。
結衣と僕が追う理由の違いが分かったのはいつ頃だったかな。少し、悲しく思ったのは覚えてる。
勝手に思ってた仲間意識。
戦友のようだと感じてたと言ったら兄貴は笑うかもしれない。結衣は首を傾げるだろうなぁ。

今は紆余曲折あって冬と春の間に付き合い始めた2人は限られた時間を細く細く伸ばして、大事に過ごしているように見える。質量は変わらないはずなのに、そうすることで離れていた今までを埋めようとする2人をいつの頃からか見守る部員が増えたように思う。
冬休みに入る前にプレハブの中で話していた2人をその扉の向こう側で黙って聞いていたのは伊佐敷先輩だった。自主練終わりにでたまたま通り掛かった僕に慌てて、この中には何もねェぞ、と言ったけど…すみません。僕は頷いて通り過ぎましたけどあの日兄貴が結衣をプレハブへ探しに行ったのを知ってました。
他にも2人を遠巻きに、それでもちゃんと見える距離で見ている部員を見つけるたびに僕は兄貴の作っているこの部での居場所がどういうものか分かる。やっぱり兄貴は凄いや、なんて本人にはなかなか言えないんだけど。

そんな兄貴を目の当たりにしているからか、僕は時々考えるんだ。
詮無いことを。
僕が兄貴の弟じゃなかったなら、僕はどうだったのかなんて。


「春市」
「!あ、…はい」
「お前が思ってるほどアイツ、弱くねェと思うぜ?」
「え……」
「ま、卒業式当日は俺も気に掛けるしそんな気にすんなっつーことだ。じゃあな」
「は、はい。おやすみなさい」
「おー」


椅子から立ち上がりひらりと後ろ手を振って見せる倉持先輩の背中は男気といったらいいのか、やっぱり兄貴分らしいそれで僕はくすりと気付かれないように小さく笑った。


《何か必要なものある?》

自由登校のため実家に一時帰宅していた兄貴からそんなメールが来たのは夜だった。卒業式の案内を両親に届けるのが今回の帰宅の目的だった。
普段はこんな風に聞いてこないのに、とメール画面を見ながら肩で息をついて、しょうがないな、と心の中でごちながら課題に取り組んでいた机から離れ部屋のドアノブを握る。


「なんや?今から振るんか?」
「あ、いえ。野暮用があって。すぐ戻ります」
「おー。温くしてけよ」
「はい」


同じく課題に取り組んでいるらしいゾノ先輩が机で頭を掻いて眉根を寄せる姿を振り返り見てから僕は静かに部屋を出た。


兄貴ってば、本当…気が強くて素直じゃないんだから。


「御幸先輩」


室内練習場の入口から漏れ出た明かりに目を向けて腕を組み静かにそこに立つその人に僕は小さく声を掛けた。マフラー巻いて厚手のダッフルコートを着て身を縮まらせるようなのに少しもそこを動こうとしない姿勢は目線の先のその理由が強いものだと思わせる。ただ佇むだけでこんなにオーラが出る人もそういないと思う。


「やっぱ来たか」


小声で御幸先輩は苦笑いしながら言う。室内練習場は静かで誰かが素振りであったり自主練をしているようではない。


「結衣、居ますか?」
「あぁ。さっきまた怒って泣かせちまった」
「はぁ…。またですか」


懲りませんね、と暗に含めたはずだけど御幸先輩は気にせず、ししっ、と笑う。


「原因はなんなんですか?」
「んー。年末に鳴と賭けしたって、小湊お前聞いてたか?」
「鳴って…え、稲実の成宮さんですか?」
「聞いてねェか」


ったく、と腰に手を当て嘆息を漏らした御幸先輩が結衣を泣かせた経緯を話してくれた。
なんでも御幸先輩に写真付きで成宮さんからあけおめメールがきたらしい。写真はどこかのバッセンでヘルメット被る結衣との並ぶもので、その後ろには神谷さんと白河さんもいたのだとか。それだけで苛立ちはかなりのものだったところに『羨ましいだろー?』と以前自分が送った言葉を返してきたものだからこれはマネのプライベートだとは言ってもこうなったら他人事じゃないはずと結論づけて結衣に詰め寄った結果の今だという。

要するに結衣は嫉妬をぶつけられたんですね……。とはさすがに言わない方がいいか。
御幸先輩は呆れた体ではいるものの頭を掻いてこれからどうしたものかと悩んでるようだし。


でもすみません御幸先輩。
僕はやっぱり結衣の味方なんです。


「結衣は今何を?」
「たぶんボール磨き。落ち着いたら送って行こうと思ってんだけどな。今日は俺じゃねェ方がいいか」
「そう、ですね…」
「亮さんに言われたんだろ?此処に来たのは」


御幸先輩の言葉には肯定も否定もしなかった。どちらでもないっていうのが正しいから。ただ曖昧に笑って、じゃあ頼むぜ、と諦めて少し肩を落として去っていく御幸先輩に、おやすみなさい、としか返さなかったのは兄貴からきたあのメールを俺が勝手に解釈しているだけだからだ。

何か必要かなんて、1度も聞かれたことがない。それだけに他に何か意図があるような気がした。兄貴の聞きたいことなんて結衣のことしか今は思いつかない。
結衣はどうしてる?、そう聞きたかったに違いない。俺がそれを読み取って行動することを期待するなんてさ本当、兄貴には敵わないよ。まだ。


「結衣」
「!…は、春市…っ」
「あーぁ…そんなに泣いて」
「だ、だってー!!」
「はいはい。ほら、ハンカチある?」
「う…こ、これなら」
「布巾じゃん。もう、はい」
「あ…ありがとう」


びえぇっ、とまるで小さい子が泣くみたいに、僕を見つけた結衣が鼻を啜りながら泣く。ベンチに座ってボールを磨いていた結衣の目は真っ赤で頬には涙の流れた跡が見える。本当に、もう…。


「色々聞いたけど」
「!……うん」
「謝る気はないんでしょ?」
「…うん」
「なら泣かないでいなよ。そうやって泣くから…」
「春市?」
「あ、いや。うん。とにかく泣き止んだら送ってくから」
「ありがとう」
「いいよ。それより携帯見てる?」
「携帯?」
「あ、やっぱりか。たぶん兄貴からメールか着信あったよ」
「亮介が?」
「うん、たぶん」


返信がないもんだから、気になっちゃったんだなきっと。そしてそれは間違いじゃなかった。現に御幸先輩と一戦交えた後だったのだし。

そうやって泣くから、と言いかけて止めた。小さい頃に兄貴によく同じように言われたなぁなんて思い出しながら。
そうやって泣くから御幸先輩はきっと結衣のことが可愛くてしょうがないんだよ。あの人はそもそもつかず離れずの距離の取り方がとても上手い人のはずなんだ。捕手というポジション柄、一歩引いて全体を見る癖があるような…そんな人だ。
そんな御幸先輩が、結衣のことを構いたくてしょうがないなんてきっと相当なんだと思う。分かったようなことは直接聞いたわけじゃないから口には出来ないけれど。


うー、と小さく唸りながら僕の渡したハンカチを目に押し当てる結衣の頭を撫でる。春から兄貴と一緒に暮らすことになったと聞いた時は驚いたなぁ……。年末の一斉帰省で実家に帰った時に母さんが嬉しそうにしてたっけ。そんな簡単でいいのかな、って思ったけどまぁ兄貴がそんな母さんを見て凄く安心したような顔をしていたからきっと良かったんだ。


「結衣」
「な、なに?」
「一先ず、謝ろうか。御幸先輩に」
「………」
「あ、嫌…なんだね。そんな顔して…」


ぶすっと表情を曇らせる結衣に、しょうがないなぁ、と苦笑いを零す。

僕らはきっとただの友達とは呼べない関係で、だからと言って家族でもなくて、いつかお義姉さんになるかもなんて予感もあって、さらにややこしいけど敢えて名前をつけるならやっぱり幼馴染みしかない。
大切な大切な、僕の幼馴染みの女の子だ。


「僕も一緒に行ってあげるから」
「!…ううん、いい。自分で行く」


今日は行かないけど、とむくれたまま続ける結衣に、あぁそう、と頷きくすりと笑う。
こんな風に見えて気が強いんだから。

誰かさんに似たのかな、なんて思いながら僕は結衣のボール磨きを手伝い色んな話をした。やっぱり野球のことが多いけれど時折混ざる僕の知らないクラスの友達のことを嬉しそうに結衣が話してくれる。
ポケットに入る携帯の存在を忘れてるわけじゃなかったけれど、兄貴への返信は、まだもう少し…しないでおこう。



幼馴染みのあの子と此処だけは譲らない僕の話し
(ごめんなさいでした)
(はっはっはー。んな顔して、しかもプィッとされながら謝られても許してやらねェ)
(…ごめんなさい)
(んー?何が?)
(っ……)
(こらこら。またプィッてすんなよ)
(………)
(こうやって責め立ててる俺が悪ィみてェだろ?反省すんのはいいけどそれ顔に出すなよ)
(ふうん。なら御幸もその楽しそうな顔なんとかしないとね)
(亮さん!?)
(亮介…)
(ほら。もっと怒った顔しなよ。出来ないなら手伝ってあげようか?俺今最高に機嫌良いからさ)
(いてててっ!!)
(結衣、こっちにおいでよ)
(御幸は放っとけ。自業自得だ)
(春市、倉持先輩…)
(で?結衣の何が悪いの?ほらこっち向きなよ。そんな顔されても言われないと分かんないしさ)


―了―
2015/07/30




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