尊敬するあの人とわんこなあの子の話し




彼女は犬じゃない。猫だ。


「結衣ー、いるかー?」
「はい御幸ちゃん、います。なんですか?」
「おー、いたな。この後市大三高のビデオ観っけどお前も観るか?」
「あ、今日はもう失礼します」
「へ?」
「お疲れ様でしたー!」
「………」
「あ?御幸、何んなとこ突っ立ってんだよ?邪魔だ」
「倉持。結衣が最近ツレねェんだけど」
「知るか」
「冷てェー…」


たたたた、と食堂から飛び出して行った小嶋結衣という1年マネージャーが食堂の外で誰かに、お疲れ様です!、と挨拶して帰っていく。
間もなく食堂に入ってきたのは麻生と関。麻生はよく文句を言いながらも小嶋の世話を焼いてやってんのをこの頃見るようになった。中田の話しでは、俺にはなかなか懐かねェ、とぼやいていたらしいから親切とは別の下心があるらしい。


「今日はちゃんと挨拶してきたな。やっと成果が出てきたか」
「な!やっと馴染んできたんじゃねェの?」
「ヒャハハ!マジかよ。結衣はいよいよ麻生たちともちゃんと話すようになってきたか。御幸、お前もう用無しなんじゃねーの?」
「あーそーかもな」
「いや冗談だからガチでヘコむんじゃねェよ面倒臭せェな」


そう御幸を冷たくあしらいながらも呆れたように笑う倉持が夕飯を乗せたトレーを手に俺の前に座りながら、そういや、と思い出したように口を開く。


「木島が結衣と話してるとこはあんま見ねェな」
「必要があれば話してる。んな世間話をするような仲じゃねェしな」
「まぁそれもそうか。でもよ、話してみりゃ分かるだろうがアイツと世間話をすんのは至難の技だぜ?」
「?、どういう意味だよ?」
「だから話してみりゃ分かんだっての。俺だってそうそうしねェしな、世間話なんか」
「!」


にやりと笑う倉持は御幸と一緒によく小嶋の面倒を見てやってる。まったく関係なさそうな顔をしながらもさりげなく声掛けてやってるとこはさすが周りをよく見てる副主将ってとこか。
レギュラーでの経験も同じ2年の中で長くその資格は十分にあるし勝利に貪欲で前へ前へと進もうとする御幸の視野をあの洞察力で広げてやれるんだろう。
御幸と倉持とゾノと、3人ともまったく違うタイプの3人が前主将であった哲さんや純さん、増子さんのようになれるとはまだ想像もつかねェ姿なんだけどな。

まぁとにかくそんな倉持が小嶋とは世間話1つしねェってのが引っ掛かった。妙に自嘲のような、そんなもんが含まれているその口ぶりも気になる。


「意外だな。しょっちゅうB組に顔出してんだろ?アイツ」
「あとナベちゃんのとこな。それにそりゃ御幸とひたすら野球の話しをしてるってだけ」
「……友達いねェのか?」
「ヒャハハッ!ま、あながち間違っちゃいねェな。人見知りで最近やっとクラスの連中と話すようになったみてェだし」
「……もうじき冬休みじゃねェか」


倉持はカカカッと素早く飯を食べながら器用に話しを進めていく。俺も食いながら聞いて話してをする内にもう2杯目だ。
……コイツ、身長いくつだ?
俺より高いのは確かだよな。せめて小湊弟よりは。


「オラッ!御幸!早く食いやがれ!食い終わったらゾノとミーティングだろうが!」
「あーはいはい」


確かに人見知りっちゃ人見知りなんだろう。とは言っても小嶋を目にする時はいつも野球部の誰かと一緒にいる時で倉持の話したように1人でいる姿はあまり想像出来ねェ。

ガァガァと文句を言いながらも、早くしろ!、と小嶋が親離れなんだのとへこむ御幸に自分が片付けするついでに飯を盛ってやる倉持が、そうだ、と俺を見てニッと笑うのを見て目を細めた。


「小嶋と話してみてェんなら室内練習場に行ってみろよ」
「!」
「たぶん、いるぜ?」


ヒャハッ、と笑う倉持は、マジで?、と反応する御幸の頭をぽかりと殴り俺にヒラヒラと手を振る。
や、別に話してェとかじゃねェよ。
確かに興味はあった。
漠然として無責任な想像だが亮さんが彼女にする人ってのは落ち着いた人なんじゃねェかと思ってた。あの人自体かなりの気の強さだから側に寄り添えるのは静かで大人びてて亮さんに黙ってついていくような、そんな勝手に出来た女性像。
亮さんと小嶋が付き合ってるのだと聞いたのは御幸が彼女を作らねェのはなんでだだのの話題が上がった辺りで、確かノリに聞いたんだ。
意外だな。
ぽつりと呟いちまったその通り、俺の想像とはまるで小嶋は違った。

わんこだとよく聞く彼女の特性だが俺がまったく第三者目線で見てる限り、猫だ。
自分が好きなものだけに懐きひたすら強情で好きな場所は譲らねェ、そんな猫。


「春乃ちゃん、ごめんね。付き合わせちゃって」
「え!?いいの!私もトス上げの練習になるし、それに結衣ちゃんと話せて嬉しいし!」
「そ、そう?で…ではお願いします!」
「はい!」


あれは……吉川と小嶋の声か?

部員が食堂で夕飯を食ってるこの時間。倉持の言う通り室内練習場に足を向けてみればそこからするはずのない声がして足を止め中を覗いた。
キィーン、という耳慣れた金属音にハッと息を呑む。
ヘルメットを被りバッテをつけて吉川のトスを金属バットの芯を捕えしっかりネットに打っているのはあまりにも見慣れねェ姿だった。


「こんな感じかな?」
「うん。今度はもう少し下にお願いします」
「はい!」


キィン、キィン。
いいリズムでボールが打たれてバスンとネットに当たる。
リトルで野球をやってたってのは聞いたが……なるほど様になってる。


「木島じゃん」
「!…亮さん」
「どう?調子」
「あ、はい。絶好調です」
「なにそれ。どうせなら、まずまず、ぐらいにしときなよ。可愛いげ、ない」


まぁお前らしいけど。
そうくすりと笑う亮さんは俺と同じように室内練習場から漏れ出た明かりの中に立ってマネ2人へと目線を投げる。
その腰にはバットを抱えていて素振りをしていたんだろうということが分かる。

……やっぱり、この人の野球に対する姿勢やプレイスタイルが俺は好きだ。
そつのないフォームにミート力の高さ、選球眼もすべて。今はセカンドのポジションは弟の方に譲っちまってるがやったわけじゃない。必ず俺があそこに立つ。この人が見ていた景色を、俺も見たい。


「あれ、知ってた?」
「え、あ…いえ。今日初めて見ました」
「そう。結構前からだよ、ああして結衣がトスバッティングするようになったのは」
「そう、なんスか?」
「うん。吉川は最近だけど。トス上げ上手いじゃん」
「元々トス上げだけは上手かったッスからね」
「へェ…、そうなんだ?」
「はい」


それにしても…なんでトスバッティングなんだ?小嶋が情報収集特化のマネージャーだっていうのは何度かアイツが纏めたノートを見てるからよく知ってる。
けどそれとこれと、トスバッティングとはどう関係あんだよ?
仮に吉川にトス上げの練習をさせたいからっつっても選手を相手にした方がより実戦向きっつーか……。

そうこう考えてる間にまた、キィーン、と高く良い音が上がる。
亮さんが、結衣、と到底俺たちに掛かるはずもない柔らかい声でその名前を呼んだのは小嶋が、休憩する?、と吉川に声を掛けた時だった。


「あ…亮ちゃん!!」
「!」
「結衣、ここではそう呼ぶなって何度も言っただろう?」
「いひゃっ、いひゃひゃひゃっ!ほめんらはい!(いたっ、いたたたっ!ごめんなさい!)」
「わわわわっ、結衣ちゃん大丈夫?」
「う、うん」
「で?どうなの?」
「え…あ、うん。……ちょっと見てくれる?春乃ちゃん、お願いします」


なんだ?何が始まるんだ?

手を後ろに組んでにこりと笑う亮さんが頷くその先にバットを構える小嶋。
チラと俺へと寄越された視線は、こっちに来い、と言われているようで躊躇いながらも俺も亮さんの後ろに立つ。


「じゃあ行くよー?」
「はい。まずは……御幸ちゃん!」
「!」


キィーン、とバットが鳴る。


「次はー…春市!その次は……倉持先輩!今度はー……っ、りょーす、け!」
「な……これって…」
「面白いだろ?」
「いや…!……」
「信じられない?でもその目で見てんじゃん」


亮さんの言うことは確かに正論だけど、ただ視覚の情報に思考がついていかない。
バットを振る前に構える小嶋のその姿が1回1回確かに違う。
名前を呼ぶ人物のバッティングフォームを真似するとか……信じられねェ。


「次は栄純!」
「ナイスバント」
「今度はゾノ先輩!」
「それはいまいちかな。もっと力強いはずだし」
「む…!純さん!」
「うん、そんな感じ」


次々と野球部の連中の名前を挙げてはそのバッティングフォームを真似して打っていく小嶋はついに、轟くん!、と他校にまでその技を広げていく。
その様子をニコニコと眺める亮さんへ言葉の代わりに驚嘆の視線を送る俺に亮さんが口を開いた。


「元々センスはすごいあるんだ。目が良くてさ。相手が投げる球も何がくるとか、なんとなく分かっちゃう時もある」
「………」
「でもいくら真似が出来たって打てるってこととは別だけど」
「亮介!聞こえてるー!」
「それが?聞こえるように言ったつもりだけど」
「むむっ…!こ、んどは成宮先輩ー!」
「上手い上手い」


一体…どんだけビデオを観たらこんな真似出来んだよ……?

目の前の光景に開いた口が塞がらないのと同時に胸の内に燻る、負けてられねェ、という想い。
亮さんの話しではある日小嶋が監督と御幸、倉持、ゾノの3人に頭を下げたらしい。ほんの僅かな時間、室内練習場の使用許可が欲しい。バッティングフォームを意識することでより強い投球イメージを持って投げられるはずだからやらせてほしい、と。他にも投手のフォームまで研究しようとしてるってんだから脱帽とはまさにこのことで、唖然とする俺に亮さんはくすりと笑った。


「木島と結衣、どっちが俺のフォームに近いかな?」
「!……おい結衣」
「は、はい!木島先輩お疲れ様です」
「亮さんのフォームやってみろよ」
「?」
「いいからやってみな?」
「うん」


スッと構える小嶋に、お見事、と亮さん。くそ…!なんなんだよ小湊兄弟プラスこの幼馴染みは……!

完璧にコピーしてる。ずっと亮さんのスタイルに憧れてきた俺が言うんだから間違いねェ。俺の沈黙を肯定と取った亮さんは、悔しかったら振れば?、と言う。


「っ…吉川。俺にも頼む」
「え!?わ、私でいいんですか!?」
「あぁ」
「分かりました!!」
「あ、木島先輩。もうちょっと顎引いてください」
「……こうか?」
「はい!あと…もう少し肩をマウンドに向けるようなイメージで……」
「………」
「完璧です!亮介です!」
「いや俺はこっちだから。結衣、暇なら俺にトス上げてよ」
「うん」


吉川のトスを打つ俺の横にネットを出してくる小嶋の指摘は確実で、きっとバッティングフォームを崩した時もいち早く気付いてくるんじゃねェかと思った。

相変わらずいいテンポで小気味よく打つ亮さんはすでにセレクションに合格して進学が決まったらしいが、こうして彼女が野球一辺倒じゃ不満も出るんじゃねェか?


「それでね、その時栄純が…」
「相変わらず馬鹿だね、アイツ」
「亮介、明日は時間ある?私ね、一緒に行ってほしいところある」
「ふうん。どこ?」
「駅前の本場インドカレーのお店!」
「そんなの出来たんだ?」
「うん!前に買い出しに行った時に見つけたの。辛さが1から50まで選べるんだけど」
「ま、当然50だね」
「だよね!!本当に美味しそうで……あ、行ってくれる?」
「いいけどお前、前にバッティングセンター行きたいって言ってたじゃん」
「どっちもは駄目?」
「途中で寝るなよ?電車とか」
「ね、寝ないよ!子供じゃないんだから!」
「へェー?子供じゃないんだ?」
「な、ない」
「知ってる?自分のこと子供じゃないってきっぱり否定する奴ほど子供っていう道理」
「知らない!」
「プッ、否定早すぎ」


すげェ……あの2人。
トスとバットを振るタイミングがしっかり合っているしテンポが早いのに会話が止まることはない。
それどころか時々互いの顔を見て笑うような余裕もあって楽しげな2人にまず吉川の手が止まった。


「ふわぁー…、すごい」
「…お前も悪くねェよ」
「本当ですか!?頑張ります!……結衣ちゃんと仲良くなることも、諦めません」
「もう仲良いだろ?」
「いえ…、あんな風に野球じゃない話しをしたことがほとんどないですから」
「!」
「結衣ちゃんとは同じクラスなんですけど…あんな風な顔をするのも見たことないです。やっぱり小湊先輩は特別なんですね」
「………」


なるほど倉持が言っていたのはこういうことか。
同じクラス同じマネである吉川にだって自分を許しきっていない小嶋なのだから倉持や御幸にもそれがないのは納得出来る。

ほらやっぱり猫じゃねェか。
好きなものにだけ気を許す。自分のやりてェことに忠実で、興味ないことにはとことん興味がない。
懐かれた奴にはさぞ犬っぽく見えるんだろうが俺がそう見える日はまだまだ遠いんだろうと楽しげな会話をする2人を横にトスバッティングを再開する俺は思うのだった。



尊敬するあの人とわんこなあの子の話し
(御幸ちゃん!どーですか!?)
(お!そのフォームは……鳴だな)
(はい!そしてこっちはー……)
(薬師の真田)
(こっち!)
(沢村)
(これはー)
(真中さん)
(これはどーでしょう!?)
(……誰だ?)
(東条くんです!)
(はあ!?え、ちょ…!結衣、見てたの!?)
(うん!!東条くんのフォームすっごい綺麗!好き!)
(!っ……あ、ありがと)
(……呆れるぐれェ野球のことばっかだな、アイツ)
(おー木島。はっはっはー、面白れェだろ?しっかし、まさか制服で見せられるとはなー)
(早く指摘してやれ亮さんが来る前に)
(もういるけどね)
((亮さん!?))


―了―
2015/06/16




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