俺とあの子の距離の話し




おいで?
そう呼んで手招きすれば顔を綻ばせ頷きなんの警戒もなく寄ってくる。俺の前に座り無防備にも頬を触れさせてくすぐったそうに首をすぼめる様に俺の顔は緩んでつい頬を撫でる手も優しくなる。
嬉しそうに俺の手に擦り寄る様は、もっと、と言っているようにしか思えなくて時々コイツをどうしてくれようかと思う。
きっと寸分も疑っていないんだろう。
幼い日と俺が同じように触れているんだと。そして誰もが同じだと思ってる。俺の2つ下の可愛い彼女は人見知りのくせに一度受け入れると人懐こい仔犬みたいな子だから少し人との距離感の計り方がおかしい。
まぁすべてアイツのせいだとは言わない。俺自身が触れることを躊躇う葛藤を知ったと同時にアイツを遠ざけてしまったから、改めて詰めた距離がちぐはぐになってしまってる。例えば大きな建物を目指して歩いているとその建物は意外にも遠かったかのような、視覚と思考のピントが合わないんだ、今でも。


「や、ややや!これはお兄さん!」
「元気そうだね、沢村」


むしろ元気じゃない時が想像つかないこの後輩はいつから俺の弟になったんだか。廊下でばったりと会った昼休み、いつもなら気にかけない沢村の挙動が明らかによそよそしいから眉を顰め、なに?、と問い掛ける。


「な、なにがっすか!?」
「落ち着きない。よそよそしい」
「そんなことありませんて!いやぁ、今日もいい天気だなぁ!」
「朝から曇り。夕方からは降水確率80%だけど」
「…あ、あはは」
「………」


沢村にどう思われているとか、そういうことに興味があるんじゃなく逸らされた目線がやけに忙しなくあちこちを飛び回るように俺へと戻って来ないその理由が気になる。監督にだって堂々と意見するコイツが今さら俺に怯える謂れもないし。

スッ、と手を掲げてハッと沢村がそれを見て息を呑んだのを確認してからにこりと笑いかける。


「受験生って忙しいんだよね」
「そ、そうですね!お受験って大変ですよね!!」
「この昼休みもやる事いっぱいあるし沢村なんかに構ってる暇ないんだ」
「なんか!?」
「受験生の気を煩わせるなんて生意気」
「っっ…痛だぁぁっ!」
「言って。早く。気になる。なんなわけ?」
「っ…い、」
「………」
「言えねェっす!これは結衣との約束っすから!」
「!…ふーん、結衣が関係してるんだ?」
「ふがっ!ぐ、ぐぬぬ…っ、し、失礼しやす!!」


俺のバカヤロー!!、と半泣きで廊下を駆けていく沢村に小さく息をつく。


「沢村はどうした?」
「あぁ、哲。…さあ?よく分からない」
「今日も元気な奴だな」
「唯一の取り柄だからね」
「手厳しいな。で、お前は?」
「うん?」
「俺の気のせいなら聞き流していい。何かあったか?」
「!」
「どうも気鬱を抱えているように見える」
「……うーん」


こんなに鋭かったかな、哲は。
いや、元々鈍いわけじゃないか。野球にすべてを傾けていただけで、その証拠に野球の事となると憎いほど鋭い。指摘されたくないバッティングフォームの崩れを哲になら言われてもあっさり受け入れられるのはそのせいだ。
それだからか今突然すべてお見通しのように言われても嫌な気がしない。


「哲には敵わないや」
「なんの話しだ?」
「純がよくそう言ってたのを思い出した」
「そうだったか?敵う敵わないじゃなく、誰もが必ず必要とされるんじゃないのか?」
「!」
「野球と同じだ」
「プッ…!ははっ、台無し」
「何がだ?」
「いや、うん。いいよ。哲はそれで」


野球の話しを持ち出さなかったら最高に決まっていたと思うんだけど、真顔で腕を組んでそうだと疑わない強い意志の感じる語調で言われてしまえば、あぁそうなのかな、なんて思っちゃうじゃん。


「気鬱とかそんなんじゃないんだけど」
「あぁ」


教室に向かって歩きながらぽつぽつ話し出せば哲は俺の横を歩きながら静かに相槌を打つ。


「存外自分は小さいなって近頃分かったんだ」
「それは、」
「言っておくけど身長じゃないから」
「あ、あぁ」


俺を見下ろしてさらりと言い出しそうだった哲のそれを先回りして一蹴して先を継ぐ。


「必要だと分かってるけどいっそ全部なくしてしまって俺だけでもいいか、なんて本気で思うことがある」
「………」
「弱いようでいて強い奴だから。面倒だよ、本当」
「……そうか」
「うん」


分かってるのかな、哲は。まぁ、どっちでもいいけどこうして黙って聞かれるのは悪くないと思う。

もう辛い。捨ててしまいたい。俺しかいない、だとか。
結衣からそんな言葉が聞かれれば手を取ってやる。けどどんなに泣いたって結衣は引退した俺たちよりある意味夏に囚われて、真っ直ぐ見つめて離れない。昔から1つを見つめると逸らせない性質でそれが今も変わらないからあれほどの情報を収集する事が出来る。結衣を培うそれらをすべて奪って俺だけを真っ直ぐ見つめさせたいだなんて、狂暴で横暴で常軌を逸してる。分かってる。
だけど距離が分からない。
どのくらい詰めたら結衣を、頑張れ、と激励してやれるのか。
どれほど触れてしまったら、行くな、と言ってしまうのか。
何も思わずに結衣に触れていた頃があるだけに今触れれば一気に箍が外れる。まだ中学生だと言ってもごまかせるくらいあどけなくて幼い結衣をどう大切にしたらいいのか、感覚を狂わせるのはいつも小さな嫉妬だ。結衣を悩ませるほど結衣の中にいる御幸の存在が今の結衣には必要だと分かるだけに焦ってしまう。そして焦りを抱くのが情けなくて恥ずかしいと形振り構ってしまう自身の想いが結衣にはきっと想像つかないんだと思うと、腹立たしく、少し安心する。


「沢村ァ?そういや倉持が同じようなことを言ってたってゾノから聞いたぜ?」


教室に戻れば勉強の息抜きらしい純が漫画を顔の前に広げながら俺と哲から話しを聞いて思わぬ反応。
漫画を下ろせばやっぱり少女漫画で俺がそれを見ていると照れ臭そうに伏せてカバーを付けた背表紙を上に向けるから、ごめん、ますます笑えた。


「倉持は沢村と同室だったな。さっき見たこともある。加えて結衣とは同じクラスだ」
「………」
「どうしたの?純。何か心当たりある?」
「あー…いや、」
「なんだ?純。結衣のことなら隠し事はなしだぞ」
「お前なにポジションだよ…」
「ファーストだが?」
「それ野球な!そういう話しじゃなくてよ…!!」
「うん、そうだよ。そんな話しじゃなくて、純」
「う…!」
「なんなの?」


明らかに何か知ってて口を噤んだらしい純に詰め寄ればガシガシと頭を掻いて、もう時効だからな!、と喚いて重たい口調で話し出した。
前に結衣がトイレで上から水をぶっかけられたことがある、と。
その時はまだ俺と付き合っていないし結衣の意思を尊重したと言う純は、もしかしてそれ関連なんじゃねェのか?、と心配そうに眉を顰めた。


「正式にマネになってますます結衣は野球部と関わりが深くなったしよ」


気にはなってた、と純が言うのを今度は俺が眉を顰めながら聞く。すると、どうした?亮介、と不思議そうにする哲とは裏腹に、あのよ!、と純が慌てながら口を開く。


「アイツは甘え方知らねェだけじゃねェのか?どうも甘える事が逃げることみてェに思ってんじゃねェのか、と俺は思う…んだが、あー…なんつーか、お前らの問題だ、っつっても悪ィな、どうしても気になっちまうんだよ」
「……うん。結衣は可愛い後輩だしね」「馬鹿野郎。それだけじゃねェだろうが」
「うん?」
「それだけだったらとっくに御幸シメて結衣の話しを無理矢理にでも聞いてやりゃいい。だがそれをしねェのはお前が結衣を誰よりも大切にしてやりてェと想ってるからじゃねェか」
「!」
「…んだよ?違げェのかよ?」


……本当、敵わないよ。
そう思うと同時に、あぁこの2人が俺たちの代で主将と副主将をやっていて良かった、なんて今さら思ったりして俺はムスッとしながらもどこか恥ずかしそうな純にくすりと笑いながら首を横に振る。
俺にはさ、こんな余裕はいつも持てなかったよ。いや別に哲や純に余裕があっただなんて言わないけど。それこそ必死な毎日だったはずだから。そうじゃなくて、俺はこの2人ほど優しくないくせに気ばかり強いのが分かっているから。まぁしょうがないよね、三つ子の魂百まで、なんて言うし俺も今さらこの性分を変えようとも思わないしそうして築いたポジションを死に物狂いで守ってきたわけで。

なんだ、そう考えれば事は簡単だ。
形振り構える余裕もなくて、手放すことも許せないのなら出来ることは決まってる。


「飼い犬は飼い主に似ると言うからな」
「おま、それ…結衣が犬って言ってると同じだからな?」
「俺にはむしろハムスターに見える。昔飼ってたハムスターに結衣は似てるからな」
「論点そこじゃねェよ!!」
「ならどこだ?」
「曲がり角を三つ前ぐらい戻れ。しかも信号渡っちまってややこしい感じの迷い方になってんじゃねェか」
「純のその言い方も十分ややこしいから」


ははっ、と笑いながら2人に背を向けると、お!、と純が待ってましたとばかりに軽快な声を上げたからまた笑いが零れた。


「行くのか?」
「それしかないでしょ」
「おやつは持ったか?」
「だからお前はなんか違うんだよ!」
「ハムスターはひまわりの種を見せると一目散に寄ってきたぞ」
「そこから離れろよ!!」


後少しかな、こんな2人をこの距離で見られるのは。
最近ますます寒くなってきて天気予報では雪の予報が北の方で見られるようになった。卒業が近いんだ、たぶん今俺がこうして感じているよりもずっと。

天然で捕え所の見つからない哲と、その哲に懲りずに噛み付く純。
それを時々焦りながら見守る増子がいて丹波は呆れたように笑ったりする。クリスが時々的を得たツッコミをしたりするからそれも面白くて、他にも3年が絡む会話を思い出しても挙げたらキリがないほど面白かった。
大学に進み同じように野球をしていればまた会うこともあるだろうけど、こんな距離でいられるのは後少しだけだ。確実に俺たちは形を変えてこの遠くなった日をいつか笑い合う日が来る。歳を取ったなんて笑いながらきっと。


「……ねぇ」
「ん?」
「あ?」
「…やっぱいいや」
「あぁ!?言えよ!気になんだろ!?」
「そう?なら純、その漫画のオチは…」
「い、言うな!!」
「我が儘」


漫画のオチなんて本当は知らないけどさ、なんて思いながらくすりと笑いまた背を向けて、じゃあ、と言う俺を、亮介、と呼び止めたのは哲。
振り返れば哲は握った拳で、トン、と心臓辺りを叩いて力強く笑って見せた。


「………」


ねぇ、俺はさ2人と同じ野球部で良かったと思う。


「はは、なにそれ。大袈裟」


なんて言わないけど、たぶん一生。
言わないけど必要なんてない。
きっと誰もが同じことを思ってると思うから。


教室を出て結衣の1年C組に行くより前に2年B組に向かった。
あまり来ない3年の姿に集まる視線が少し居心地が悪くなったけど。


「亮さん?」
「!、あ、ちょうど良かった。倉持、結衣来てるでしょ?」
「はあ…たぶんまだ御幸のとこに……、あ、ほら。いるっすよ」
「………」


購買から帰ってきたのか手に紙パックを持ち俺を促すように教室を覗いた倉持の言う通り、教室の窓際の席の後ろ前で御幸と結衣が額を付き合わせるほどの距離で座っている。机の上に広がる何かに目を落としているようだけど気に食わないに決まってる。

結衣は絶対に無意識で、御幸は時々顔を上げてあの距離感を確認しては緩む口元を覆うを繰り返しているようだ。


「えーっと……、呼びます?」
「いや、いいよ」
「え?」


倉持はこういうのに鋭い。だからこそ引き攣った顔も俺に対して気遣わしげなのも、その理由が分かる。

ふーん、いい度胸じゃん。まぁ御幸がそれほど遠慮がある奴だなんて鼻から思ってないけど。


「結衣ー」
「!…亮介?」
「おいで」
「う、うん」


俺の姿を見つけてまだピントが合わないように見開いた瞳を揺らす結衣が席を立って慌ててこっちに走ってくる。途中で机の足や椅子にぶつかってよろめきながら。
その様子を目で追っていた御幸が俺に向かってにこりと笑い小さく頭を下げる。
ひらりと俺も手を振れば結衣が何を勘違いしたのか首を傾げながら手を振ったりするから倉持が、ヒャハ!、と笑った。

結衣とはわだかまりが解けたのかどうか、そんな事はもうこの際関係ない。


「どうしたの?」
「どうしたと思う?」
「?…倉持先輩に用?」
「ハズレ」
「御幸ちゃん?」
「半分正解」
「もう半分は?」


キョトン、とする結衣にどこかハラハラしているような倉持。それからもう机の上に広げた何かに目を落とす御幸。


「もう半分は結衣に会いに来たに決まってんじゃん」
「!」
「そろそろ我慢も限界だし」
「我慢?」
「そ。まぁ結衣は知らなくていいよ」


そう、いい。俺のつまらない嫉妬とか御幸の想いとか、そんなもの知らないでいいよ。ただこうして俺が呼べば笑って嬉しそうに駆け寄ってくる距離に結衣の心があれば我慢してあげる。
今はさ。



俺とあの子の距離感の話し
(亮さん最近いつも来るんすね、卒業まで間もないし3年の先輩方と過ごした方がいいんじゃないっすか?)
(後輩が気にすることじゃないし卒業まで間もなくて一緒にいられなくなるのは結衣も一緒だし)
(はっはっは!そこは、後輩、で俺と倉持は一括りにしないんすね)
(する必要ないじゃん。たぶん御幸と倉持とはこの先なんか関わるだろうしさ)
(それもそうですね。これからもよろしくお願いします。色んな意味で)
(こっちの台詞。色んな意味でよろしく)
(……く、倉持先輩)
(……んだよ?)
(ご飯が美味しくないです)
(バッカ、俺なんか1週間前からずっと胃がキリキリしてるっつの)


―了―
2015/05/08




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