不器用なあの子を可愛がることにした俺の話し




また来てるよ、とクラスの女子が若干冷やかすように言うそれを聞きながら、サンキュー、と振り返り教室の入口を見る。そこには教室の戸から遠慮がちにこっちを覗く後輩の姿があって、その小動物っぽさに思わず笑いながら手招きをすればその子は安心したように何度も頷いてから小走りに俺の方へと駆けてきた。

2年の教室に馴染まない俺たちに比べれば制服の着慣れなさでいつも視線を集めてる。だからかそれを振り切るような走りっぷりは一目散って言葉がいつもパッと浮かぶ。


「ナベ先輩、こんにちは!」


俺のことを他の連中と同じようにナベと呼ぶようになったこの後輩が昼休みに顔を出すようになってからもう3週間は経つと思う。小さくて赤毛で天パで野球に物凄く詳しい女の子。1年C組らしい小嶋結衣は今では野球部情報収集特化のマネージャーだ。

いつ会ってもちゃんと挨拶から始まるんだなぁ、この子は。今日も元気だ。


「こんにちは」
「ちょっとだけ時間大丈夫ですか?」
「うん。あ!椅子借りていい?」


俺の後ろの席のクラスメイトが側を通り掛かり声を掛ければ小嶋を興味深そうに見ながらも快諾してくれて、どうぞ、と小嶋を促す。失礼します!、と慌てながらも椅子に座る小嶋はその腕にスコアブックやら雑誌、ノートを抱えながらも席を貸してくれたクラスメイトを見ているようで、大丈夫、と声を掛ければ大きく目を見開いて小さく息を呑んだ。


「アイツ、サッカー部で昼飯はいつも部室で食ってるんだ」
「あ…そうなんですか」
「大丈夫かな?、って思ってたろ?」


あ、また目が大きくなった。
それに何度もこくこくと頷いて安心したように顔を綻ばせたりして。わんこだよアイツ、と御幸がいつだか零したことがあったけど。うん、まさにその通り。


「よろしくお願いします」
「こちらこそ」


まるで将棋の対局でも始まるようで最初は笑ってしまった。これが小嶋なりの礼儀で人見知りのこの子の出来る限りの距離の計り方なのだと最近分かるようになった。


「ここの倉持先輩の…」
「あぁ、センター前ヒット?」
「はい。このところ続いているようなんです。夏川先輩にここ一週間のフリーバッティングの結果を見せてもらってすべて纏めてみたんですけど」
「凄いな…」
「いえ。あの、こうして見ると…」
「本当だ…。ヒットが大分偏ってるな」
「はい。もしかしたら…」
「打ち方にどこか癖がついてしまってるのかも?」
「はい」
「なるほど……」


倉持はバッティングにムラがあるわけじゃない。亮さんと長くコンビを組んで1、2番でやってきたから塁にまずは出るという仕事もアイツ自身誰より分かってる。チームの課題が3年の抜けた打撃力も浮き彫りになり、もしかすると打ち急いでいるというか…そういう想いが打ち方の癖を誘発しているのだとしたら。


「………」


指摘は早ければ早い方がいい。

小嶋が俺に伝えたかった答えを見つけて顔を上げれば小嶋はにこりと笑うだけで、それから、と今度は過去3年の他校の4番データを引っ張り出して分析しだした。

その4番にも倉持と同じような兆候があった事。驚くほどの好調を経ての長い不調。原因が分からないままひたすらバッドを振った結果の故障。挙げ句引退まで1軍には復帰出来なかったのだという経緯。

聞いているだけでゾッとした。
俺は常に1軍にいるプレッシャーや不安なんか想像にも及ばない。ただただ1軍として青道を背負い試合に出ることが出来たらという希望や願望だけで精一杯だ。
けれどそれでも1軍を目指して野球を続けられたら最後には幸せだったと言えるかもしれない。故障はそんな僅かな希望でさえ見ることも叶わない。


「っ……」
「………」


話し終わった小嶋は真っ直ぐ俺を見つめた。ただ俺に言葉を求めるわけじゃなく、しばらく何度か瞬きをしてからふわりと笑い、お話はこれだけです、と机の上に広げた多くのデータを片付け始める。

俺にわざわざこの話しをしに来た理由。
小嶋だって倉持と遠いわけじゃない。むしろ俺より近いんじゃないかって思う。だから小嶋からその話しをしたっていいんじゃないか。倉持に。


「……小嶋」
「はい」
「分かった」
「!」
「俺から倉持に話してみるよ」
「!…ありがとうございます!」


こんな話しをしてしまえば元も子もないけれど。きっと小嶋は選手とマネージャーの境界をシビアに理解しているんだろう。マネに言われるよりも選手に言われる方がより信用出来る。危機感も持てる。たぶん俺がそう理解したのとそう変わらないことを小嶋は思ってるんじゃないかと思う。人見知りってやつは自分のことでいっぱいいっぱいに見られがちだけど小嶋の場合は目の前の人から敏感に情報を受け取り過ぎてキャパシティーオーバーを起こしているのかもな…。うーん…難しい問題だ。


「あ、そのスコアとフリーバッティングの記録借りていい?」
「もちろんです。あ、それからナベ先輩」
「うん?」
「ついでで申し訳ないんですが……」


そう言って小嶋がおずおずとスコアやフリーバッティングの記録と一緒に紙を渡してくる。B5の紙にびっちりと書かれた……これは沢村の球筋。何球投げてそのすべてがどこに入っているのかが書かれていて罫線の1番上には"御幸先輩へ"と小さな文字で書いてある。
捕手は小野。
御幸が受けられなかった分のデータか。


「あの…渡してもらっても…」
「そっか…うん。いいよ、引き受けた」


御幸と小嶋が拗れているらしいとは聞いているけど近頃俺に見せてくれる人懐こい笑顔とは裏腹に御幸のこととなると怯えたようにしゅんと元気がなくなってしまう。あんなに懐いていたのを見ていただけに、痛々しいというかなんというか……。
どうにか出来ないものかと、考えてしまう俺はお節介なんだろうか。


小嶋はブレザーのポケットから飴玉を取り出して口の中に入れてカラコロと美味しそうに転がす。真っ赤なその飴が激辛飴じゃなかったら、ナベ先輩もどうぞ!、という満面の笑みを受け取れたけどさすがに丁重にお断りした。倉持があれを食べた翌日喉が痛いと練習中に言っていたこともあるし。


「あ、そういえば」
「はい?」
「成宮とはあれからどう?」
「成宮先輩とですか?」
「そう。随分積極的だって聞いたからさ」


あ……と、この話題はタブーだったかな。

小嶋がまたしゅんと眉を下げて元気を失うのを見て俯く彼女を前に頭を掻いた。
小さな手が心許なさげに雑誌の紙をにじにじと弄る。

しかし御幸はあんな男だったろうか。
来るものを拒まず、去るものは追わず。それを身をもって体言するかのような奴だとずっと思っていたんだけど追うと決めたものはとことん追わなければ気が済まないらしい。先日小嶋がびしょ濡れで帰ってきた時も、そうまでするか、と思ってしまうほどのしつこい怒りっぷりだった。御幸は小嶋がどう在れば満足なんだろう?
大人しくしていれば?
自分にぴったりくっついていれば?
結局は自分に懐かない様に苛立ちを見せているようにも見えて今まで感じることのなかった子供っぽさに驚きと呆れが混じる。
御幸は口がよく回るから言葉でどうにかしようとする内に遠回りをしてしまっているんじゃないだろうか?そしてその遠回りは御幸が執拗とやっているようだ。その理由ははっきりとは分からないけれど。


「……成宮先輩は…」
「え?」
「成宮先輩の話しです」
「あ、あぁ、うん」


小嶋が気まずそうに目線をあちこちにいったりきたりさせながら小さい声で紡ぐ。


「悪い人ではありません。もちろんライバルですけど……それとこれと繋げて考えられない私がおかしいんでしょうか?」
「え…と、つまり。成宮は青道の敵だから悪い奴と考えられない自分はおかしいのか、ってこと?」
「はい……」


あぁ……そっか。これだ。
たぶん御幸と小嶋が拗れているのはこれは無関係じゃない。

小嶋は吐き出すように言ったきり、椅子の上で丸まってその中に顔を埋めてしまった。ちょ、スカート!、と思ったもののちらりと見えたジャージにホッとする。いや、うん。俺だって男だから。


「…難しいね。俺と小嶋だって、もしどこか違えばライバルの関係になっていたかもしれないし」
「………」
「その時自分の所属する野球部を一分の隙もないほど分析した女の子の力があって負けたとなればその子を憎らしく思う瞬間だって少しはあるかもしれない」
「っ……」


ビクッ、と小嶋の身体が震えるのを見ながら、だからさ、と続ける。


「成宮と仲良くしてる小嶋がいつかそうして傷付くかもしれないって、心配にはなる」
「!」
「もしかしたらそれは俺だけじゃなくて、どっかの誰かも同じかもな」


小嶋が小さく息を呑んで目を見開き俺を見つめるそれに、さてと、と目を伏せ笑い、御幸に届けてくる、と立ち上がる。
ゆっくり追い掛けてきた小嶋の視線に合わせればじんわりと涙が浮かんでいて思わず眉を下げて笑い小さな頭を撫でた。

言葉を尽くしたいのは山々だけど今俺が言ってもきっと慰めにしかならないから。
大丈夫だよ、大丈夫。
そう繰り返せば一生懸命に何度も頷いたりして、あぁ可愛いなぁ、って素で思った。


大丈夫。
御幸の心配も小嶋が真っ直ぐ受け取ってしまった御幸の刺のある言葉も、きっとわだかまりが解ける日がくる。
1つの、1番大事なものさえ変わらなければいつかおのずと。きっとそう遠くない日に前よりも近付いて信頼が築けるはず。
それまで俺はこの人懐こくて可愛い後輩を可愛がろうと思う。


「え!?飴!?お礼に!?……あ、ありがとうな…」


こくこくと必死に頷いて、私も行きます、と俺の袖を掴んだその様がやっぱり可愛いくて思うから。



不器用なあの子を可愛がることにした俺の話し
(お、ナベ。……と、結衣か。珍しいじゃん)
(これ、小嶋からな)
(ナ、ナベ先輩!)
(…なにお前、ナベとも打ち解けたの?)
(……頷いてるな)
(あぁ、すごく頷いてるな)
(あ、なんか渡すって。御幸)
(へ?この沢村のデータじゃねェの?)
(あ、あげます!)
(………)
(……あー…。ん。サンキュー。しっかし激辛飴ってお前な…)
(あ、食べるんだ)
(ゲホッゴホッ…!)
(はい、撮りまーす)
(え!?)
(は?)
(成宮先輩にこの写真送ります。いただきです)
(こらこら。ちょっと御幸先輩と話そうな?ナベ、コイツ置いてっていいから。サンキューな)
(あんま虐めんなよ…?)
(はっはっはー!なに言ってんだよ。可愛がってんの、これでも)
(ナ、ナベ先輩ー!!)


―了―
2015/05/05




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