水も滴る良い男とわんこなあの子の話し




冬の雨が1番色気があると言ったのは誰だったか。
いや、言ったんじゃない。なんかの本で読んだ。もうそれがなんの本でどんな内容でどんな結末の本だったかなんて一切覚えちゃいない。たぶん親父の書棚の中の、適当に選んだ暇潰しの本の中に書かれた一文だった。……ような気がする。
とにかく印象的な一文だった。
何度読んでも理解出来ず雨を見るたびに思い出しては雨に色気というものを見つけようとしたがどうにも高校生になった今も俺は理解出来なかった。


「ったく、今週に入ってから雨ばっかな」


苛々とした口調で食堂に入ってきた倉持は額に巻いていたタオルを外しながら俺に、おう、と軽く声を掛けて水を汲む。

しょうがねェよな。倉持が言った通り今週は木曜日になった今日までずっと雨だ。沢村のバカは外を走りてェと毎日毎時叫んでやがるし他の部員も外で練習出来ず室内練習場で発散させるかビデオで研究しかなく、俺がスコアブック等々を見ている間にも倉持のように憂いを抱きながら此処に入ってくる奴は何人かいた。
降谷の、受けてください、はもれなく今はスルーしておいた。他に発散出来ねェからって投げすぎだあのバカ。


「それ、結衣が纏めたやつか?」
「ん?…あぁ、そう」
「へェー…」


相変わらず細けェな、と倉持が俺の前に座り水を片手にノート一冊を手に取り捲る。そうしてる間も、ふーん、と倉持は意味有りげに声を間延びさせて細めた目で俺をじとりと見てくる。
なんだよ。そんな顔をしなくても分かってるよ。言いてェことは。


「結衣がお前に近寄らなくなって何日だ?」
「知らね」
「2週間と4日」
「なにお前俺のストーカー?」
「なんでだよ死ね」
「ストーカーするなら可愛い子の方がいいもんなー?」
「お前じゃねェんだ、するかよんなこと」
「俺はしても喜ばれちまうからなー、いやぁ参った」
「死ね!!死ねよ変態眼鏡!!」
「はっはっは!その言い方まんま結衣な」
「!…チッ、埒明かねェ。どうすんだよ?」
「………」
「あの時お前があんなに怒ったりすっから余計に怯えてんじゃねェか」
「そりゃ怒るだろ」
「だからって怒りすぎだ、阿呆」
「その件に関しちゃ引くつもりねェよ」


数日前の稲実偵察帰りの結衣を叱った事をたびたびその場に居合わせた倉持やゾノに責められるものの俺としては俺が責められる謂れは1つもないと断言出来る。
礼ちゃんから後々聞けば鳴が一方的に結衣を構ったらしいがその鳴に応えた形になったのも事実。
稲実のエースと青道のマネージャーになんらかの関係があるだなんて周りの偵察にも知らせてどうすんだとかなり強めに叱った自覚は当然ある。それぐらい分かってもらわなきゃこの先偵察なんか危なっかしくて行かせられやしねェ。
食堂の椅子に小さくなって正座した結衣はついにポロポロ涙を流して肩を震わせながら謝った。


「普通あんな事言うか?」
「………」
「女だぞ?しかも、」
「後輩だぞ、って言うんだろ?それゾノのと合わせて8回聞いた」


結衣の女の子らしい小さな字が何列も並ぶノートを見ればアイツがどれだけ俺たちの役に立とうとしているかなんて言葉にされなくても分かるさ。細かい癖や言動の数々は観たビデオと雑誌の数や掛けた膨大な時間を物語っているしな。
けどそれとこれと、結衣がいい加減自分はいつまでも野球を介せば男子女子関係ない、ということはないと自覚することとはまったく別問題。

"亮さんって彼氏がいんのに男好きって思われても仕方がねェぞ?"

……まぁ、あれは言い過ぎたか。


「……なぁ」
「ん?謝る気ィなったか?」
「いやそれはねェ」
「じゃあ聞かねェ」
「ならオートで喋るわ」
「うぜェー…」
「いやぁ」
「褒めてねェよ」


お…外から沢村のバカの声がする。相手してんのは、小湊か。アイツも律儀でご苦労だよな。…本当。

あー…雨が止まねェ。
ここんとこずっと聞いてる音に耳を澄ませながら頬杖ついて外の方を見遣る。


「…冬の雨って色気あんだってよ」
「はあ?」
「分かるか?」


そう聞き倉持に目を向ければ倉持は俺の突然の不可解な言動に注意深く思慮しているようで目を細め眉間に皺を寄せている。コイツは人の気持ちの機微になかなか鋭い。その倉持の目に今こんな事を言い出した俺がどう見えてんのかと思うと苦笑いが零れた。


「水も滴る良い男、っていうなら分かるんだけどなぁ。俺とか」
「…お前、いい加減頭腐ってんぞ?」
「はっはっはー」


結衣が偵察に行ったその日の夜、俺はまだ苛立ちが収まらず風呂に入った後思い出したように携帯に触れれば最近見てなかった鳴の名前をLINEの画面に見た。

『結衣を責めたりしたら怒るからな!!』

だったらお前もう少し配慮してやれよ。お前都のプリンスなんだろうが。青道の野球部の面々と関わってるだけで執拗な嫌がらせを受ける結衣がさらにお前となんか噂になったら何があるか分かったもんじゃない。
……と、思ったが返すのも面倒だった。
最後に書かれた、結衣の制服姿ツボ、という一文は俺に携帯をベッドに投げつけさせるには十分の威力で俺をちらりとも見られなかった結衣の怯えっぷりを思うとさらに苛立ちは増した。
あれから数日、結衣はよく俺を避けながら仕事をこなしていると思う。元々頭はよく回る。そうすることで結衣が野球部のためだと判断するならそれも止むなしと答えを出すのが俺に出来る精々の事だ。


「このまま口利かねェまま卒業したりなー」


コイツ…可能性がゼロに感じねェ冗談にもならねェことをサラッと。

ししっ、と笑いながら水を飲み倉持が今もノートに目を通して、よく研究してんなー、と感心したように言う。


「案外お前じゃ見えてねェことも、コイツなら見えてんのかもな」
「なんだよ今更。だからわざわざマネにスカウトしたんだろ」
「違げェよ、バカ。お前自身のことな。プレイとかんなもんじゃなく、性格とかそういうの」
「はっはっはー。アイツに見破られるほど単純じゃねェよ。沢村じゃあるまいし」
「どうだかな」
「なになにー?洋一くんは結衣にバレたらまずいことでもあんの?」
「名前で呼ぶんじゃねェ!!気色悪ィ!!」
「ハイハイすいませんね洋一くん」
「お前マジで死ねよ頼むから」
「頼まれて死ぬ奴がいたら見てみてーわ」
「クリス先輩に沢村が頼まれたらやりそうじゃね?」
「こらこら。そこまで忠犬じゃねェだろさすがに」
「分からねェぞ。アイツこの前クリス先輩に廊下で会った時に行く道遮る生徒を退かしてたからな」
「若頭か」
「そんでクリス先輩に叱られて落ち込んでやがった」
「子供か」


ヒャハハ、と笑う倉持に付き合い俺も笑う。それからは雨が続いてっからこれからの練習メニューを考え意見を交わして時間が過ぎた。ナベが来れば試合の秋大の時の試合ビデオをつけて試合の時の自分の課題点を見直す。気が付けば食堂はほとんどの部員が集まっていて最後に入ってきた沢村が、仲間外れだー!!、とこれまたガキみてェに喚くからドッと笑いが起こった。本当お前、貴重なムードメーカーだわ。


夜になっても雨は降り止まなかった。
夕飯を食いながら見る天気予報も次の日は雨だなんて言ってる。


「あ、いたいた。ねぇ、御幸くん」
「んー?おーお疲れ」


食堂に顔を出したのは夏川と梅本で帰り支度を済ませたその格好を見た部員が一斉に、お疲れ、と声を掛ける。
だがそれを受けながらきょろりと食堂を見渡した2人は顔を見合わせて釈然としなさそうに表情を曇らせた。


「どうした?」
「結衣ちゃん、見てない?てっきり御幸くんのところで情報整理かと思ってたんだけど」
「来てねェけど?今日も。1度も」
「何があったかは聞かないけどあんまり後輩虐めないでやってよ?あの子姿見えないと野犬に襲われてるんじゃないかって心配で」
「ヒャハハ!それ仔犬じゃねェか」
「姿見えねェの?」


飯のおかわりを持ち通り掛かるノリに、うん、と夏川。


「夕方に買い物頼んで…それから」
「夕方!?かなり経っとるやないか!」
「帰りに近くの中学の練習見てますって連絡は来たんだけどさすがに時間経ちすぎよね」


梅本の言葉に、だな、と時計を見遣る倉持を前に携帯をポケットから取り出すもまぁ俺の携帯に結衣から連絡があるわけもなく。それを見ていた倉持も同じように携帯を見たものの肩を竦めただけだ。

もう7時半を回ってる。
亮さんには?、と夏川たちに聞くも、兄貴は今日大学のセレクションの説明会で、と小湊も携帯を片手に立ち上がりながら答えた。


「アイツの事だからただ迷子かもしんねェし、アイツのために事はでかくしねェ方がいい。8時まで俺が探してみっから、倉持とゾノ」
「おー」
「頼むなー」
「気ィつけろよ」
「おーう」


さて、と。
そう言って出てきたものの結衣の行き先に心当たりなんかねェのが正直なところだ。駅までの、途中まで帰る夏川と梅本を送りがてら探してみたところで雨の中、しかも暗いともなれば簡単には見つからず、鳴らない携帯の画面はすでに8時近くなった。
さすがに…やべェか。

背に腹は変えられねェ。来た道を戻りながら携帯から結衣の連絡先を探し耳に当てる。呼び出し音がそろそろ留守電に切り替わる頃かと諦めに溜め息をついた時、


《も、もしもし…?》
「!お…ま、今どこに居んだよ?」
《み…御幸ちゃん…!》
「……おー」


電話に応えた小さく震えた声は雨の音に掻き消されちまいそうで安堵からつい責め立てちまいそうになった衝撃をギリギリで飲み込み努めて優しく問い掛ける。


《帰り道に追い掛けられて…!》
「は…?おま、…っ」
《逃げ込んだら見捨てられなくて帰れなくてどうすればいいんですか!?》


何言ってるのかさっぱり分かんねェ。

えぐえぐと嗚咽混じりの声。
追い掛けられた、という言葉が俺を焦らせるものの一旦深呼吸をする。ここで頭ごなしに怒鳴ってもしょうがねェ。怒鳴るなら無事見つけてからな、うん。


「今、どこ?」
《え…、と。駅前のスポーツショップで買い物して、近くの中学で練習を見てました》
「おー」
《その帰りに追い掛けられて》
「っ…ちなみに確認しとくぞ。今は大丈夫なんだな?」
《はい》


よし。一先ずは安心だな、と小さく息をつく。


「それで?」
《逃げ込んだら見捨てられな…》
「待て待て。そこが分かんねェんだよ。逃げ込んだって、どこに?」
《せ、青道の近くのコンビニの脇道…です》
「ん。待ってろ」
《………》
「返事は?」
《はい》
「よし」


取り合えず切るからな、としっかり確認を取ってから電話を切りすぐに倉持に掛ける。どうやら無事みてェだから心配いらねェことと各自気にしねェで風呂入るなり自主練するなりさせてくれということを頼む。
大分気にかけているようだったが帰ったら話を聞かせろと何度も念押され電話は終わった。
にしても、本当に野犬にでも襲われたのか?なんて冗談めかしたことを考えても笑えねェぐらい焦っていて、そして足早にもなる。


「結衣!」
「!み…」
「っ…お、前…!!」
「わん!!」
「……は?」
「御幸ちゃ、どうしましょう!?捨て犬見つけました!」
「…はあ!?」


暗がりの脇道。
此処に隠れるっておかしいだろ絶対。むしろ死角だから危ねェよ。
んな文句を山ほど抱え込んで小さく蹲る結衣に駆け寄れば思いがけない鳴き声に呆気に取られ傘を打つ雨音がやけにでかく聞こえた。


「……はあぁー…、ったく」
「ご、ごめんなさい…」
「…なんで濡れてんだよ?」
「逃げてた途中で傘捨てちゃって…」
「何から?」
「分からないです。話しを聞かせてほしいって、ファミレスで話さないか、って…他校生でした」
「……何人?」
「3」
「………」
「……4」
「…おい」
「6人」
「増えたな随分」


まぁ、なんだ。何はともあれ。


「連絡くらいしろ」


話しは後でたっぷり聞こう。捨て犬は悪いけど俺たちじゃどうにもならねェ。俺が差してきた傘を仔犬が入っていた段ボールの上に置いてやってコンビニの店員に事情を話しておく。理解のある店長で、すぐに保護する、と約束してくれた。飼ってくれそうな人に心当たりがあるらしい。泣きそうになりながら後ろ髪引かれている結衣を連れて青心寮まで走って帰った。


冬の雨が1番色気があるだなんて一体誰が言ったんだよ。
誰かなんてその本の著者は覚えてもいねェけど。


「さ、寒い…」
「………」


寮に着く頃にはもう冷え切ってびしょ濡れの結衣がカタカタ震えながら自分を抱え込むようにしているその姿にどくんと心臓が高鳴っちまう俺のような変態と思ってまず間違いないだろう。



雨も滴る良い男とわんこなあの子の話し
(これってあれか。彼パーカーってやつ)
(馬鹿か死ね。結衣の彼氏は亮さんだろうがよ)
(しっかしあれやな……。あれや)
(はっはっは!脱がせてェな!!)
(あ、阿呆か!)
(死ね!)
(いでっ!!)
(それにしても帰ってきて風呂入って、御幸の服に着替えて話し聞いてたら食堂で寝ちゃったな。どうするよ?)
(ナベ、どうするもこうするももう11時回りそうやしなぁ…)
(よし、俺の部屋に…)
(((純さんに頼もう)))
(なにそれ俺が信用ねェの?それとも純さんが圧倒的信頼持ってんの?あるいはお前ら自分に自信ねェの?)
(どれもあるだろ…)
(正直に答えんなや、ノリ…)


―了―
2015/04/30




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