俺を好きなあの子の話し




いつかはやってくるとは分かっていたんだけどいざやってきてみるとどうにも他人の日常を歩いているような気がしてこの気持ち悪さに未だ慣れない。
夏が終わるということは高校球児にとって甲子園の覇者になれなかったことを意味して、文字通りそれを突き付けられた俺は放り出していた高校を卒業してからどうするかという問題を拾うのが億劫で堪らなかった。与えられた時間は3年間。それは誰にも共通で平等だというのにまだ1年、まだ2年ある後輩がこれほど羨ましいとは。そして自分がそんな風に思うとはあの中にいる時は思いもせず、ただぼんやりと記憶の中で薄れようとしているあの稲実に敗れた日のことを、陽炎を見つめるような気持ちで頭の中に浮かべる。忘れることは一生出来ないだろうけど年月を重ねるに従い補正されただの苦しさではなく懐かしさを含む良い思い出というものになるのを今は信じられない。
よく言うだろ?
思い出はいつも綺麗なものなのだと。
綺麗なんかじゃないさ。汗臭くで砂っぽくてやっぱり汗臭い。
この記憶を綺麗なものにして胸の奥にしまい込むのは、まだまだ先のことになりそうだ。


受験の天王山、夏休み明け。
3年の教室はそれまで感じることのなかった重苦しい空気に包まれていてなにこれこういうのが自分だけ取り残されたっていう感じ?運動部の奴の多くは夏までに引退をするんだろうから俺だけじゃないにしても、どうも真面目に聞く気にならない。
暦の上ではとっくに秋になっているのに蝉は鳴き続けているし毎日暑いしまだ夏なのに、俺たちの夏は終わった。


「小湊くん、彼女とかいるの?」


授業の緊張が弾ける休み時間に最近こんな事を聞かれることが多くなった。頬杖ついてパラパラと次の授業の教科書を捲る俺の前の席に座るクラスの女子は大抵毎回4人は一緒に連れていて軽い尋問だよねこれじゃ。そもそも、彼女とか、の"とか"が意味分からない。今まで、さー?、とのらりくらりかわしてきたものの今日は朝から気分がいい。話してやってもいいけどただ話すのもつまらない。


「むかーし、昔」
「え……昔話?」


困惑したように顔を見合わせる女子たちににこりと笑いかけて話しを続ける。俺の席の隣斜め前、その席で漫画を読んでいた純とパンを食べていた増子がこっち見て顔を引き攣らせていた。
ちょっとは暇潰しになるといいけど?


「俺さ、犬飼ってたんだよね」
「犬?」
「そう。キャンキャンよく鳴く小さい犬で」
「あはは!可愛いー!伊佐敷くんみたいな?」
「オイそりゃどういう意味だコラァァッ!!」
「まぁあんなに強面じゃないけど」


髭もないし、と続ければ、きゃはは!、と甲高い声で笑う女子たちの横で、亮介てめェ…!、と歯噛みをしながらも少し赤くなる純。本当、純はすぐに顔に出るから羨ましいよ。真似はしないけど。

くす、と小さく笑い先を続ける。


「俺が投げたボールを懸命に追い掛けるし夢中になりすぎて土手を転げたこともある」
「可愛い!!」
「口に食べ物突き付けるとすぐにパクつくし」
「うんうん」
「頬っぺたなんかパンパンにするんだ、アイツ」
「いいなぁ…私、犬飼えなかったから羨ましい!!」
「そう?まぁ手間も掛かったけど。鬱陶しいくらい人の回りくっついてて、かと思えば簡単に餌付けされる。他の奴に持っていかれそうになったこともあるんだよね」
「えぇ!?ペット泥棒!?」
「みたいな感じかな。法律上ペットは物扱いだから誘拐じゃなくて泥棒の表現なんだよね」
「あ……ごめんね。なんか無神経な言い方して」


今度は気まずそうに顔を見合わせる女子たちに、別に、と肩を竦める。
それとは違う反応をする増子が、おい、と発しようとした言葉を純が肩に手を置いて制するように首を横に振った。
そうそう。
もう少し聞いててよ面白くなるから。


「そんなこんなで可愛がってたわけだけど急にアイツ、俺から離れてってさ」
「あはは。親離れ?」
「たぶんね」
「寂しかった?」
「そりゃあもう」
「やだ…小湊くんってそうなんだ…。動物とか可愛がっちゃうんだ…!」
「意外?」
「意外!意外!!それにギャップいいね!」


ねー!、と声を合わせる女子たちに俺の笑みが深くなったのは純と増子しか気付いてないと思う。純に用があるらしい哲が教室に入ってきて、おい純、と話し掛けたものの息を呑んで俺たちを見守る純は固まってそれどころじゃない。あはは、変な顔。

それにしても、ギャップ、ね。
この女子たちから俺がどう見えてるのかはこの言葉で大体分かる。別にどうでもいいけどこうもはっきり言うとか馬鹿な女。しかもそれに気付くわけでもなく、ギャップ、という言葉1つが無神経さを覆い隠せると思ってる。キャアキャアと言ってる声はよく鳴く犬……というよりは猫。

さてそろそろ休み時間も終わるし話しのフィニッシュに入っちゃおうかな。


「生意気なんだよねその犬。俺が実家を出る時に、留守番してな、って言ったのについて来たりして」
「え!?」
「あれってなに?反抗期?」
「ついて来たって……小湊くん、神奈川だよね?」
「うん」
「そこから青道まで?」
「そう」
「?……えぇっと…忠犬?」
「まさにそれ」


辿り着きたかったところに行き着いて満足。アイツを思い出すと自然に顔が緩んでしまうのは悔しいとこだけどまぁしょうがないよね。この悔しさとは大分前に折り合いをつけた。


「生意気だけど本当可愛いんだ」
「おい、亮介。それは……」
「哲、やめておけ。アイツああなったらもう止まらねェからよ」
「そうだな…」


純と増子と哲が訳知り顔で若干うんざりしたように見える。いいじゃん別に嘘はついてないんだから。

顔の緩んだ俺に反応したのか卵1個飲み込んだような顔をして押し黙る女子たちの1人が口を開こうとする。顔が赤い。
まぁまぁもう少し待ってよ。
まだ結末話してないし。


「でも、そいつ死んじゃったんだ」
「え……!」
「もっと可愛がってやれば良かったかなって後悔してもまさに先に立たず。そうなった時はどうしようもなくてさすがに動揺したよ」
「小湊くん…」
「まさに大切なものは失ってから気付く、というやつだよね」


眉を下げて押し黙る前の席に座った女子の目には少し涙が浮かんでいる。素直な子といえば聞こえがいいか。


「あの…小湊くん」
「うん?」
「寂しい?」
「少しね」
「あの……もし付き合ってる子がいないのなら……」


今度一緒に……。

小さく続いた緊張に震えるその声は突然教室に響き渡った怒声に掻き消された。


「亮介ぇぇー!!」
「え!?だ、誰?あの子……1年生!?」
「あぁ、来た来た。遅いじゃん、わんこ」
「えぇ!?」
「わんこじゃない!!いつまでも犬扱いしてー!!この写真なによ!?栄純たち1年生に一斉送信したでしょアンタ以外考えられない!!」


3年の教室に躊躇なくズカズカと入ってきて今にも零してしまいそうな涙を目にいっぱいに浮かべてそのままに、真っ赤な顔で俺を睨む。忠犬だったのにこんな風に吠えるようになっちゃって本当に生意気。

俺の前に立って固く握り締めた手を震わせる姿に笑いかけて口を開く。


「よく撮れてるだろ?この間実家に帰った時に見つけたんだ。俺とお前が並んで寝……」
「きゃあぁぁっ!!ば、馬鹿じゃないの馬鹿でしょ!?こんなところで口にしないでよ!!」
「え?寝て……?そう言おうとした?小湊くん」


女子の焦ったような問いにあえて笑うだけで返す。


「信じられない……!あんな写真みんなに見られちゃったら彼氏出来ない!!」
「元々お前なんて誰ももらっちゃくれないよ」
「残念でしたー。昨日告白されました!」
「マジか!?」
「純、そこ純が反応するところじゃないから」
「亮介知ってたんでしょ!?どうせ栄純がベラベラ喋っててそれを聞いた御幸ちゃんが面白がって亮介に知らせたんだ!だからこんなこと……!馬鹿な栄純のせいでばっちり見られちゃったじゃない!"3年の小湊さん!?やべ…俺絶対敵わないわ"って言われちゃったじゃない!」
「なかなか頭良いじゃん」
「なかなかじゃないの!学年トップ!首席入学!新入生総代だったの!彼は!!医者の息子で超優良物件だったのに!!」
「おいコラ結衣!そいつァ誰だ!!俺たちが直々に挨拶してやらァ!」
「いーやーだ!!私の青春時代を暗黒時代に変える気!?」
「む…。結衣に告白するような男なら俺も挨拶しなければならんな」
「ぜひしてあげてよ哲」
「人事だと思って……!」


わなわなと震える結衣は俺を前に唇をギュッと噛み締め俺を力いっぱい睨む。でも残念。全然怖くないしむしろ可愛いし。


「えっ、と……。小湊くん…なんだか話しが見えないんだけど…」
「ん?コイツ?馬鹿だよね。俺を追い掛けて青道来たのにいきなり俺から離れちゃってさ。あの頃の可愛い忠犬結衣はあの時に死んだよ」
「えー!?」
「勝手に殺すな!!」
「うるさい」
「痛い……!」


俺が椅子に座っていれば見下ろされるけど、立ち上がれば難無く頭にチョップを落とせる。小さい頃から変わらない赤毛の天然パーマ。ふわふわして指を通せば病み付きになるのを知ってる。こうして頭を抱えて涙目で俺を睨む仕草は変わってない、少しも。幼い頃の記憶とブレて見えて一瞬だけ息を呑んだ。

本当、ムカつく。
気にかけるのも面倒だ。
けど家が隣で幼い頃からずっと春市も交えて一緒で、リトルにも入ってた。小柄だと言われる俺より小柄なコイツがよく春市と一緒にイジメられてたっけ。こんなにキャンキャン吠えるようになっちゃって今じゃ信じられない記憶だけど。
俺が青道から戻ったら見違えさせてますます忠犬にしようと思ってたのにコイツは俺についてきた。そして忠犬は初めて外の世界を見て、自分の足で自分の道を歩こうとして俺にべったりじゃなくなって。いつの間にか男を誘惑するようになった。高校男子なんてさ発情期の犬と一緒だよ、それをコイツはまったく分かってない。

よく吠えてよく動き回って本当目障り。
あの日も、わんわんスタンドで泣いていた。野球部もいる応援席でみんなが涙に顔を伏せている中で、それだけは負けるものかと顔を上げて泣き続けた結衣を見て、少しだけ笑えた。


「ねぇ、結衣」
「な、なによ」
「意地張ってないで早く俺のい…ものになりなよ」
「犬!?今、犬、って言いかけたでしょ!?絶対に嫌!!」
「!」
「ずっと一緒だって言ったのに勝手に青道に黙って行っちゃって滅多に帰って来ない。追い掛けてきてみれば全然相手にしてくれないしもう私は諦めたんだから!!」
「………」
「それなのに突然そんなこと言われても信憑性に欠けるし私のハート粉々なんだもん亮介の毒舌で!!っ……だから、」
「……だから?」


いつの間にか教室はしいんと静まりかえっていて結衣の言葉を追い掛けた俺の低く真剣味の帯びた声だけが響いた。一拍置けば鳴り響いたチャイム。誰もが結衣の言葉を待つ中で結衣は、すう…!、と力いっぱい息を吸い込んだ。


「だから!私に好きになってほしいなら今度は亮介が私を追い掛けてみやがれバカヤロー!!」


………。


「……ブッ!!」
「…なに笑ってんの?」


バーカバーカ!!、とそんな捨て台詞を吐きながら教室を飛び出して行った結衣の声に純が噴き出し笑い目を遣れば哲も増子も顔を伏せて笑っている。純に至ってはゲラゲラと高らかに笑っているしそのまま酸欠になってしまえばいいよね本当。


「アイツちっこくて危なっかしいけど強いじゃねェか!!」
「ああ、見所がある」
「うがっ!」
「で?どーすんだよ?」
「………」


面倒だよアイツは昔っから。
春市も同じようなものだったから妹が増えたぐらいにしか思ってなかった俺はいつも後ろについて来る仔犬っぷりにアイツから離れていくなんて想像も出来なくて、いつも俺にチクチク言われても全然めげないからエスカレートした扱いについに泣き出した結衣はもう寄って来なくなった。
そうして思うことはただ1つで、俺は野球をしなくなった手で自分勝手にも結衣の手を握りたいと思ったんだ。


「……あ、忘れてた」
「え?」


授業始めるぞー、と入ってきた教師に教室がいつもの緊張感に包まれる。1人2人と自分の席に戻る俺にあの問い掛けをしてきた女子は俺の声に中腰のまま俺の言葉を待った。


「さっきの問い掛けなんだけど」
「あ、うん」


"彼女とかいるの?"


「彼女はまだいないけど、これから出来る予定だよ。近い内に」



の好きなあの子の話し
(先生ー、腹痛いんで保健室行きます)
(小湊…お前凄い元気そうだぞ?)
(先生俺も!!)
(うがらっ!!)
(野球部、いい加減にしろ!増子ォォ!お前は食うのやめろ!!)

―了―
2015/04/11




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