1歩進んで2歩下がって3歩前を振り向く私の話し




稲城実業の野球部グラウンドへ行くには正門の前を通るのだけれど、目の前に臨む校舎には『野球部甲子園準優勝!』と垂れ幕が大きく掲げられていた。
足を止めてそれを見つめる私に高島先生のヒールの音が同じように止まる。
カメラを向けてシャッターを押した。
来年は青道が。


「秋大の時はサインを疎通が上手く出来なかったようだけど、この多くの偵察を前にして今のところ成宮くんは軽く投げているだけ。もし彼が成宮くんを諭し自分の意見を通しそうしているのだとしたら彼の狙いは自分たちは秋大とは明らかに違うのだとアピールしているようにも思えるわね」
「………」
「結衣ちゃんは彼をどう思う?」
「まだまだなんとも。ただ1年生ながらにして正捕手につくポテンシャルは国友監督に認められているのでしょうし、彼をこれから伸ばすことで稲実は1年、2年先も見通してチームを編成しているのだと思えます」
「そうね…」
「秋大の敗退は成宮先輩が1年の時に経験した甲子園の敗退を経ての進化の過程を思い出します。それが今回は成宮先輩と多田野さんのバッテリーの大きな飛躍となるのなら……考えたくない脅威です」
「同感よ。ただそれはうちも同じ。いいえ、それ以上の進化をすればいいだけだわ」
「はい」


私はグラウンドを見に行くけれどどうする?
そう高島先生に持ち掛けられたけどもう少しブルペンを見させてもらうことにした。もし見つかるなら何か癖を1つでも。
彼らが交わす言葉の中からバッテリーの関係を1つでも見つけて帰りたい。

それにしても他校の偵察が多いなぁ…。
多くが大きな男子学生。それに比べれば一際小さい私。少し萎縮してしまうけれど…堂々としてなきゃ。青道の制服を来て、ここにいるんだもん。


「おいあれ…青道だ」
「本当だ」
「マネージャーか?」
「御幸が主将になったって聞いたぞ。来てんのか?」


け…決意を固めた先からなんだか周りがザワザワしてきちゃった……。さっきまでブルペンの中に意識を集中させてたけどなんで気付かなかったんだろう私の馬鹿…。高島先生と一緒に行けば良かった…!
私は人混みも人の視線もとても苦手。
初対面の人たちならそれは尚更。
苦手だからこそ敏感になりすぎるのが悪い癖。
多田野さんは成宮先輩にハーゲンダッツを奢るらしい、とまでメモを書いたペンを握る手がだんだん震えてくる。心臓も嫌な鼓動を立てる。


「なんかメモしてる?」
「誰を見に来てんだ?」
「やっぱ成宮だろ」
「あー夏の雪辱な」


メモを慌てて閉じてカバンにしまう。
ど、どうしよう。動くのも怖くなっちゃって固まって動けない。そうだ…高島先生に電話して…。で、でも…1人でしっかり偵察もこなせないようじゃ野球部の役に立てない。


「つーか小さいな」
「あぁ、小さい」
「何年生だ?」
「お前声掛けてみろよ」
「なんか大人しそうだしなんか聞き出せるかもなー」


っ……やだ。やだ、やだ。
ブルペンとの間を隔てているフェンスを握り締めて唇を噛み締め、それでも懸命にブルペンを見つめる。
じわ、と浮かんだ涙で視界が滲んでよく見えないけどもうこうまでなったら後は意地だった。


「あー!!」
「!」
「結衣じゃん!なんで此処に!?偵察!?うっわ久し振り!!」
「な…成宮先輩」


ガシャンッ!…とフェンスが揺れて大きく鳴る。周りも一気にざわついた。
フェンス越しに成宮先輩…と、慌ててマスクを取ってこっちに駆けてくる多田野さん。目を白黒させていると、あー!!、とまた成宮先輩が叫んでフェンスを揺らす。


「なに泣いてんだよ!?さてはそいつらに虐められたんだな!?」
「え…ち、違っ…」
「偵察なんかいつでも来いだけどさ!誰にも打たれるつもりないし!けどその子泣かさないでよね!!オイラのお気に入りなんだから!!」
「ちょ、鳴さん!!」
「うるさい樹!!」


あっち行けよ!!
ガシャンガシャンとフェンスを破壊しそうな勢いで揺らして偵察の他校生を威嚇する成宮先輩にしばらく面食らっていたけどフェンスに掛かる成宮先輩の手を見てハッと我に返る。


「手!」
「へ?」
「駄目です素手でそんなに強くフェンスを掴んだりしたら!!」
「!」
「え……」


キョトン、としたのは成宮先輩の肩を掴んでいた多田野さん。
言葉を発するよりも先にフェンス越しに成宮先輩の手に自分の手を重ねて今にも多田野さんを振り払おうとしていた成宮先輩を真っ直ぐ見つめた。
この人のこの手は、野球をするための手。
こんな事で傷付けたりしたらいけない。


「う…あ、おま…っ」
「手…大丈夫ですか?」
「!…うん!うんうん!!全然大丈夫!!」
「良かった……」
「……うわ」
「?」
「っ……うわぁ、どうしよ」
「成宮先輩?」
「うん、そう。成宮先輩」
「えっと……」


成宮先輩は被っていたキャップを取ってそれで顔を隠す。あーもー、となんだか困っているようで首を傾げれば後ろに立つ多田野さんと目が合って、


「!」


に、睨まれた。
どうしよう…邪魔しちゃってるんだよね。私が声を掛けたわけじゃないけどやっぱり帰った方がいい、かな?


「…俺さ」
「!」
「結衣と会えたら色々話してみようと思ってた。髪の毛もわしゃわしゃしたいし今だってフェンスなかったらオイラの背中に隠したりしたかったのに」
「はあ…?」
「でも、やべ。本物が目の前にいたらなんも出来ねェし…うわぁ、なんだこれ」


やばい!、とキャップで顔を隠したまま吐き出すように言う成宮先輩にどう言葉を返したらいいのか分からない。
でも見える耳が真っ赤になってるのに気付いて何を考える前に私もカァッと真っ赤になってしまう。

な、なんかこれ以上ここにいちゃいけないような気がする……!


「っ…ご、ごめんなさい!練習の邪魔をしてしまって!さようなら!!」
「あ!待ってよ1つだけ!!」
「っ……な、なんですか?」


頭を下げたきりもう顔を見ないで行こうと思ったのに呼び止められてまた成宮先輩を見る。
すると成宮先輩はもうキャップを頭を被り、ふうー、と長い息を吐いて落ち着きを取り戻していて、ニッ、と不敵に笑ったかと思えば人差し指を立ててそれを高々と空に向かって掲げた。


「来年こそ日本のてっぺん、獲るよ」
「!」
「覚悟しといた方がいいよ。青道」
「………」


成宮鳴というピッチャーがマウンドで見せるこの自信に満ちた顔が彼の本当の顔なんだろうか?
周りも圧倒されたかのように静まり返る。
亮介にしても春市にしても、栄純も御幸ちゃんも。野球のこととなると物凄く遠くに行ってしまったかのように表情が変わる。男の子、って感じ。

……やっぱり好き。
野球がとても好き。
こんな風に彼らを変える野球の言葉にし難い魅力にずっと魅せられている。

自然に笑みが零れて、それを見た成宮先輩は目を見開いたけれどすぐに不敵に笑って見せた。


「はい。成宮先輩も、覚悟しておいてくださいね」
「っ…ははっ、いいじゃん!!よーし!樹、投げるよ!」
「は、はい!」
「あの…!」
「!……なんですか?」
「邪魔してしまってすみませんでした、多田野さん」
「いえ…失礼します」


驚いたような顔で固まった多田野さんだったけど、はーやーくー!、とブルペンで呼ぶ成宮先輩の球を受けるべくすぐに定位置に着いた。


「やっぱり彼が今年も大きな壁として立ちはだかるわね」
「!た、高島先生!い…いつから?」
「成宮くんがフェンスを鳴らした時ぐらいからかしら」
「う……な、なんかすみません」
「いいわよ。面白いもの見せてもらったわ」
「面白いもの…ですか?」
「そう、面白いもの。彼もまた高校2年の男の子よね」
「はあ……?」
「さ、行きましょうか。帰って情報を整理しないとね」
「はい。よろしくお願いします」


学校に戻る頃には練習は終わっていて、部員の皆は夕食の時間……と思っていたのにスタッフルームで監督や部長に偵察の報告をするために訪れれば他校へ同じように偵察に行っていた渡辺先輩たち、それから御幸ちゃん、倉持先輩、前園先輩が先んじて報告しそれを聞いていた。


「ご苦労だったな」
「い、いえ」
「なかなか面白いものが見れましたよ、監督」
「高島先生!?」


いつもの凜とした表情で何を話し出すのかと思いきや私が見れなかったグラウンドのことだった。あ、焦った…。

ふう、と安堵していれば怪訝そうに私を見ていたのは御幸ちゃんで自分でもこれはないなってぐらい思いっ切り目を逸らした。
高島先生の報告、メモを取ろう。私は見てなかったわけだから後でちゃんと纏めなきゃ。


「小嶋は何か気付いたことはあったか?」
「あ、はい!!」


監督の声はとても落ち着く。怖いと思う人もいるかもしれないけど私にはとても安心感を与えてくれる。たぶんどうあってもブレない姿勢も関係してる。
栄純に、よく平気で話してんなぁ、と感心されたこともあったっけ。

ブルペンで見て感じたことを監督はじめ此処に集まる皆さんに報告して、最後に成宮先輩が宣言した全国制覇宣言と青道への牽制を伝える。
さすがというかなんというか、と引き攣った顔で笑う部長に腕を組み黙って聞く監督。御幸ちゃん達は無言だったけど見るからに闘志を募らせたようでそれを察したのか監督が落ち着いた声で言葉を掛けた。


「答えはグラウンドで出す」
「「「はい!」」」


声を揃えて力強く頷いた3人を偵察に行っていた渡辺先輩がどこか誇らしそうに目を細め見つめているのに気付く。
御幸ちゃんが前園先輩と衝突したこともあったけれど今はどう見ても足並み揃えてとても頼もしく見える主将と両副主将。私も自然に顔が緩んで心の中で小さく、良かった、と呟いた。


「では解散」
「あ、結衣ちゃん」
「はい?」


御幸ちゃん達部員の皆さんとスタッフルームを出ようとしながら渡辺先輩に、この後時間ありますか?、とメモを手に声を掛けていた時、高島先生に声を掛けられて振り返る。


「まるでフェンス越しにさながらロミオとジュリエットだったわね」
「え?……えぇ!?」
「気をつけなさいね。彼のプレイスタイルを見てると彼はとても紳士だとは思えないし」
「それは、その…えっと…っ」


お、怒ってた!いいわよって言ってたけどこんな皆の前でこんな話ししちゃうぐらいには成宮先輩とのことに腹立ててたんだ!!こ…怖い!にこりと笑って、ね?、とは言ってるけど怖い…!


「お前、何やってきたんだよ?」
「なんや?成宮になんかされたんか!?」
「う…それは、っ…な、なんでもありません!!お先に失礼します!!ごめんなさいでした!!」
「こらこら、待て待て」
「っ……」
「その話し、俺らも詳しく聞きてーなぁ…結衣チャン」


脱兎を決め込もうとした私の手を掴まえたのは御幸ちゃんで、声の低さにゾッとしながら振り返れば御幸ちゃんは口元は薄く笑っているものの目が全然笑っていなくて、私は血の気が引いていくのを感じたのだった。



1歩進んで2歩下がって3歩前を振り向く私の話し
(あれ…どうしたんすか?あそこ…)
(あ、金丸。お疲れ。走ってきたのか)
(はい。で…渡辺先輩、あれは一体…?小嶋は椅子に正座してるし、御幸先輩たちはなんか怒ってます?)
(今日偵察で小嶋が稲実の成宮とフェンス越しにさながらロミオとジュリエットを演じたらしい)
(は?いや、ちょ…もう少し詳しくいいですか?)
(つまりさ、成宮が小嶋を大層お気に入りなんだってさ)
(え!?)
(近寄らない方がいいぞー。さっき沢村が割って入ろうとしたら御幸に紙コップ投げつけられてたし)
(……そうします)


―了―
2015/04/29




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