稲実の正捕手と噂のあの子の話し




この人の球の感触を手の平が一生忘れないくらい受けたいと思う。
そう言ったら当の本人に、生意気!、と一蹴されてしまったんだけど。でもそれは俺の本気だ。高校野球において限られた時間。もう1年もない、この人とバッテリーを組めるのは。秋大は敗れてしまったけれど今でも俺の頭の中には夏の青道との決勝戦で決勝打を決めたあの背中が遠い場所にあって、早く頭の中にこの人と向き合う姿を刻み付けたいと思う。


「どう?」


いい音を響かせたキャッチャーミット。
ブルペンで投げ込み俺に向かって自信満々な顔を向ける約18メートル先の稲実の絶対的エース。
手の平に感じる球の重さに口角が上がるのを感じながら、ナイスボール、とそれを投げ返す。


「当たり前!!」


今日も鳴さんは鳴さんだ。

へへーん、と鼻高々に、もっと褒めろよ馬鹿樹!、と地面を蹴る鳴さんがいきなり球を受けろとオフの日に部屋に飛び込んできたのはさすがにびっくりした。前日1人で出掛けると言っていたものだから俺も自主練を終えて雑誌を読んだりしていたのだけれどそんなことお構いナシが鳴さんだ。


「あ、クソー!また一也の奴…!!」


ブルペンから出てクールダウンを終えた鳴さんがこう唸るのは最近すっかり聞き慣れてしまった。


「また既読無視ですか?」
「そう!本当性格悪ィ!!」
「ははは…」
「笑い事じゃねェの!俺には死活問題!」


そう言われてしまえば穏やかじゃない響きだけど苦笑いを零して閉口に留まるのは鳴さんが時間が空けば携帯片手に、スタンプ攻撃、とか言って青道の御幸さんに嫌がらせをしているのを知っているからだ。
女子じゃん、と指摘した白河先輩のそれなんてまるで右から左だった食堂でのこと。
あの日俺を部屋から引っ張り出して鳴さんが奮起した理由が知れた。


「ていうか俺、前から思ってたことがあるんですけど」
「なに?」


うわ、目据わってる。
言おうか躊躇ってしまうけどここまできたら言ってしまわなければ余計噛み付いてくること確実。


「その青道のマネージャーさんと同じ中学の奴、うちの学校にいないんですか?」
「!………」
「…鳴さん?」
「……生意気」
「え?」
「生意気だぞ樹のくせに!!き、気付いてたもんねー、オイラだって!ただそういう裏から手を回すのとか嫌いなだけ!男らしくねェもん!」
「えぇー……」


その手に握られた携帯でさっきまでやっていたことはなんだったんだろうか……。

フンッ!、と顔を背ける鳴さんは近頃青道のマネージャーが気になってしょうがないらしい。それが好きであるとか手に入れたいとか、そういう対象じゃ困るなぁと思っているんだけど今のところ練習に支障があるわけじゃないしむしろ気合いが入っているから何も言わない。
都のプリンスと呼ばれる鳴さんがやれブラバンの子に告白されたとかやれチアの子に迫られたとかはよく聞くものの鳴さんからモーションを掛けているのを見るのは初めてでのことでカルロス先輩なんかは面白がってめちゃくちゃなアドバイスをしているのを聞いて自分は気をつけようと思ったり。
『いいか?鳴。女ってのはよぉ、少なからず強引な男にハートぶち抜かれんだよ。誰の彼女とか関係ねェ!ガッといけ!ガッ、と!』
いや、やめてくださいよ本当。鳴さん、すっごい真面目に聞いてたけどまさか本気じゃないよ…な?


「……で?」
「はい?」
「…そこまで言うなら調べてくれんでしょ?結衣と同じ中学の奴!」
「えぇ!?」
「期待してるから!!じゃ!!」
「ちょ、鳴さん!!」


無茶苦茶だ……。

ご機嫌な鳴さんの背中に絶句。
こういう人だとは知っているけどさすがにここまでは捕球出来ない。それに"結衣"って…誰?
分かっていることは青道のわんこと呼ばれていて、小湊さんの彼女で、鳴さんのお気に入りってことだけ。


「っ…はあぁ…しょうがない…」


野球部じゃないけど青道にいった友達がいる。話しを聞くだけ聞いてみようか。鳴さんがカルロス先輩の助言を実行してしまうその前に。


そして俺はその数時間後、口を手で覆い部屋で小さく呻くことになるのだ。


「嘘だろ……」


分かっちゃったんだけど…これはどうするべきなんだ?個人情報がこんなに簡単にやり取りされてしまっていいんだろうか?いややったの俺だけど。
困りきって数分画面を見つめっぱなしだったと思う。はあ、と溜め息をついても画面に表示された文字とアルファベットの羅列はなかったことにはならない。うーん…どうしたものだろう。

神奈川県陽光中学か。
友達の話しでは小学生までリトルに所属していたらしい。わんこと野球部の先輩に呼ばれて可愛がられている"らしい"と話すその距離に少し違和感も感じたもんだけどこれ以上の詮索はさすがに抵抗がある。
鳴さんに教えるかどうかとかなり悩んだものの捕手としては遠くから見てて憧れのようなものを膨らましてくれている方が精神的にも理想だ。接触があれば少なからず一喜一憂はあるわけだし。

よし、と小さく呟いて俺は小嶋結衣さんという青道野球部1年のマネージャーの連絡先を鳴さんに教えない決意を固めた。役立たず!、と言われること覚悟で。


「役立たず!!」
「言いますよね、はい。分かってました」


翌日の事予想通りの言葉をもらってむしろ清々しい。スッキリした俺の顔を見てさらにムッとした鳴さん。
……気になるなぁ。


「鳴さん」
「なに?あ、醤油取って。それぐらい出来るよね?」
「あ、はい」
「で?」


朝練後、食堂で朝食をとる最中についに聞くことにした。


「小嶋さんってどんな子なんですか?」
「!………なにそれ?」
「いや、だから。青道の…」
「なんで樹、結衣の苗字知ってるわけ?俺名前しか知らないけど」
「………」
「……馬鹿すぎ」


しまった……!

俺たちの会話を聞いていたらしい後ろの席の白河先輩からぽつりと辛辣な声が聞こえた時、ガタンッ!、と音を立てて勢いよく立ち上がった鳴さんに、アウトだ…!、と冷や汗が出たと同時に鳴さんの怒号が食堂に響き渡った。


「樹ー!!」


すみません、青道のマネージャーさん。俺は共犯者です。反省してます。だからなるだけ鳴さんをお願いします。


「ふふふーん。結衣の連絡先ゲーット!」


ご機嫌の鳴さんが朝食を食べ終わってくつろぐその声を背に、俺に隠した罰!、と鳴さんの朝食の片付けをしながら、はあ、と溜め息をつく。
お前も大変だなぁ、と肩を叩いてくれたのはカルロス先輩だ。


「いや、もう自業自得です」
「まぁそんな心配するような事態にゃならねェぜ?」


たぶん、とカルロス先輩はニヤニヤしながら鳴さんを見遣る。
え?と同じように鳴さんを見る俺には椅子を傾けユラユラする鳴さんの近年稀にしか見ない上機嫌さにどうしても楽観視出来なくてまたがくりと項垂れてしまう。


「どうしたって嫌な予感しかしないんですが」
「いいから見てろって」
「鳴さんをですか?」
「そうそう。アイツの坊やっぷりを」


坊やって…よくカルロス先輩が言ってるけどそんな歳じゃない。なら鳴さんのどんなところが坊やなんだろうか?

少し離れたところから周りに花が飛んでるように見えるほど上機嫌な鳴さんを見遣る。電話かメールか、どちらにするんだろうか?しばらく携帯の画面に目を落とし思案してるらしい鳴さんに、ぶくく…!、と笑うカルロス先輩。あんまり笑い事じゃありません。


「よし!電話にしよーうっと!」


難易度高っ!さすが鳴さんだ…。知らない番号から、しかも携帯から掛かってきたら身構えてしまうだろう可能性もまるっと無視だ。


「…もしもし!俺!!俺だよー!」


……カルロス先輩はもう腹を抱えて小刻みに震えてる。


「え!?だから俺だってば!誰だと思う?当ててみて!!」


もう外野で聞いてたらオレオレ詐欺にしか思えない電話をしている鳴さんは見た感じなんだかとてもテンパってるようで立ち上がったり座ったり、かと思えば醤油を倒したりと落ち着きがまったくない。
坊や……。


「わー!!ちょ、ちょっと待って切らないでよ!!オイラ結衣とすっげー話したかったんだから!!」


直球ー!!稲実のエースナンバーを背負ってマウンドで投げる度胸は伊達じゃない…。
カルロス先輩…大丈夫ですか?そんなに椅子を叩かないでくださいよいくら笑いが堪えられないからって壊れます。


「!っ……そう!成宮先輩!」


お……電話口で分かったみたいだ。
鳴さんめちゃくちゃ嬉しそうだなぁ…。声も少し落ち着きを取り戻して穏やかになってる。花、花飛んでる。
……いいなぁ。
あ、いや。俺は今野球で頭いっぱいだけど。


「…うん。うん」


お?、と笑いのツボから脱出したカルロス先輩が目を丸くして鳴さんを見る。まぁその目に涙浮かんでますけど。

一体どんな話しをするのかな?鳴さんと。
うっかり稲実の内情を話したりさすがに鳴さんでもしないよ、な?逆に青道の内情を聞いてもらえないだろうか、と思うのはさすがに野暮か。


「分かった。また掛ける。着拒とかナシね!……結衣」


っ…う、わ…!なんだか聞いてるこっちが恥ずかしくなってきた…!
あの子の名前を呼んだ鳴さんの声が今まで聞いたことのないほど穏やかで落ち着いていて、優しくて。まるで愛しい人に語りかけるようで、聞いている俺までカァッと顔が熱くなる。周りで面白がって聞いてた部員だって絶句していて固まってる。カルロス先輩のいう、坊や、なんて欠片も感じない。

またね、と切られた電話はものの5分もない。けれど鳴さんは切った電話を見つめてしばらく動かなくて、おいおい、と面白そうに近付いたカルロス先輩が余韻に浸る鳴さんに肩を回しにやりと笑った。


「どうだったんだよ?鳴」
「……ばい」
「は?」
「やっっ……ばい!やばい!オイラかなりやばい!!」
「語彙が乏しすぎ…」
「うっさいな、白河!やばいもんはやばいんだからしょうがないだろ!あー!やばい!もう絶対奪っちゃう!!」
「えぇ!?」
「おー!やれやれ!!応援してやるぜ!」
「ちょ、カルロス先輩!無責任なこと言わないでくださいよ!!」
「よし!俺が必勝法を授けてやる!来い!!」
「よろしくカルロ!!」
「ま、待ってくださいよー!!」


やばい。これはやばい。あ、鳴さんのが移った……。彼女略奪とか、そんな事に情熱を傾けられたらピッチングに影響してしまうんじゃあ……。

略奪だー!、と盛り上がる食堂の中で焦っているのはどうやら俺らしく呆然と立ちすくむ。けれど俺だけじゃないらしい。落ち着けば?、と白河先輩から声が掛かった。


「で、でも…」
「その子の彼氏、小湊さんなんでしょ?なら鳴が敵うはずない」
「あ……なるほど」
「女子にうつつ抜かしてエース降格すればいい……」
「白河先輩!?」


まだしばらくは稲実野球部からあの子の話題はなくなりそうもない。



稲実の正捕手と噂のあの子の話し
(ところで鳴さん、小嶋さんとどんな話しをしたんですか?)
(内緒ー!明日もまた掛けよーっと)
(え…さすがに小湊さん、怒るんじゃ…)
(関係ないね!奪われたくなかったら守ればいいんだし。奪われたらそれだけ魅力がない自分が悪いんでしょ!)
(はあ……。で、どんな子なんですか?小嶋さん)
(わんこ!!)
(いや、あの…分かりません)
(いつか俺が可愛がるもんねー!わしゃわしゃー!ってやりたい!懐かれたい!!めちゃくちゃ構いたい!!そんで甘えられたい!)
(……小嶋さんも大変だなぁ)
(なんか言った!?)
(いえ!何も!!)


―了―
2015/04/25




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