俺が大切にするあの子と最重要課題




携帯に送られた短いメッセージは中途半端なところで途切れていて、馬鹿な奴、と思わず笑ってしまえば、なんだ?、と純がさっきから格闘している数学の問題集から顔を上げた。
声が掛かっている大学に目標を絞ったわけだからこんなにがむしゃらにならなくてもいいようなものだけど、こういうのはキッチリしなきゃ気持ちが悪ィ、らしい。あんなに吼えるけどこういうところは真面目すぎ。


「結衣がさ、メール送ってきたんだけど」
「あ?……なんだこりゃ?"今日はス"……酢?」
「アイツのことだから打ってる途中で寝たんじゃない?」
「ああ、そういうことな。そういや最近3年の教室に来ねェな」


友達でもやっと出来たか?
まさか男じゃねェだろうな!?

そう低く唸る純がまるで兄か父親みたいでくすりと笑いながら、それが、と先を継ぐ。


「マネージャーやることにしたんだよ、結衣」
「!、マジか!?」
「うん。本当、やんなっちゃうよ。こっちが引退したのを狙ったみたいなタイミングで」
「まったくだぜ!…でもよ、よくやるって言ったな。あんなに頑なに断ってたじゃねェか」
「御幸が上手くやったらしい」
「ほーう…あ、んの野郎…!先輩差し置いて。シメるか?」


こめかみに青筋浮かべながらパンッと手の平に拳を打ち付ける純に、いいね、と請け合いながらまたメールの画面に目を落とした。慣れない生活になって最近は疲れているらしい、メールがこうして意味不明なものであるのは珍しくない。まぁ体力面は紛いなりにもバスケ部だったわけだから心配はしていないけど問題はたぶん別にある。


「久し振りに顔出そうか」


気分転換にもなるし、と純の問題集の解けない部分をトンと指差せば純は、うるせェ!、と言いながらも背けた口元が緩んでいる。本当、分かりやすい。


「よし、じゃますますやり切っちまわねェとな」
「真面目」


授業が終わってからいつもは勉強や進路のことでそれぞれがそれぞれの目的に向かって動き出す放課後も誰か1人に声を掛ければ野球部に顔を出すという話しはあっという間に伝わって金属バッドの音が聞こえるような距離を歩く頃には7、8人が一緒になった。
その道中では会わなければなかなか報告しあわない進路の話しになり、誰1人として漏れることなくなんらかの形で野球に関わる道を選んでいたことに誰も口に出さずにいたものの確かに誇らしさを共有した。


「あ!こんにちはー!!」
「ちーっす!!」
「お疲れ様です!!」


着替えて監督に挨拶してからグラウンドに向かえば俺たちに気付いてた後輩たちが其処彼処から声を掛けてくる。練習に参加するもののこのオフシーズンの後輩たちを退けるわけじゃなく、あくまでサポート。哲はすでに実践形式で投手陣を相手にしてバカスカ打ってるけど。うーん、手加減を知らない。


「お?あれ、結衣じゃねェか」
「どれ?」
「監督と話してる」
「あ、本当だ」


ジャージ姿が監督の隣に立つと一際小さく見える。俺たち3年がいた頃には有り得なかった結衣がこのグラウンドにいるという光景を見るとますますこのグラウンドが違う場所のように見えてくる。
一抹の寂しさと、確かに後輩たちが新たなチームを作っているんだという安心感。そんなようなものが胸を埋め尽くして俺と純はしばらくグラウンドを無言で見ていた。


「あ、気付いた」
「なんか困ってねェか」
「たぶん俺に怯えてるんじゃないかな」
「はあ?なんで彼氏に怯えんだよ?」
「マネージャーやることを勝手に決めた罰でホラーDVDを朝まで電話口で聞かせたからかな、たぶん」
「お前…、それたぶんじゃねェよ。絶対そうだろ」
「俺は楽しかったけど?」
「お前はな」


けど、と続けていれば結衣は俺たちに向かって頭を下げて小走りでプレハブの方へ向かっていった。手を上げて答えた純。


「アイツ、ちゃんとやりたいって言ったよ。自分の言葉で」
「!」
「俺の心配なんて全く聞く耳に持たずって感じで」
「ほう」
「……御幸が俺の使ってたキャップをもらいにきたんだよ」
「あ?」
「今、結衣が被ってたキャップ。あれは俺の。結衣が言ったらしいよ。俺たちの代わり甲子園に行くって」
「だから亮介のキャップか」
「生意気だよね、2人とも」
「だな」


やっぱりシメねェとな。
そんな物騒なことを言うわりには純は嬉しそうに笑っていて指摘しようとも思ったけどきっとまた吼えるだろうと思ったからやめた。
よーし!、と純が向かったその先は自分と同じように投手を諦めようとしていた1年の東条のところで、投げてみろオラァァー!、とバットを向けている。
さてと。俺も後輩を可愛がろうかな。


引退した3年は一足早く練習を切り上げ食堂で麦茶でも飲もうと向かえば入ってすぐ見えた小さい背中がビクッと跳ねた。


「結衣じゃん」
「お!いたな!なんだ?サボりかコノヤロー!」
「久し振りだな」
「亮介、純さん…哲さん。こんにちは」


相当驚いたのか胸に手を当てて振り返った結衣が力の抜けた笑みを向ける。こんなところで1人で何を?、と眉を顰める理由はもちろん俺が結衣を心配したところにある。

結衣は昔っから極度の人見知りだからマネという仕事がちゃんと潤滑に行えるのかが心配だった。勝手に溜め込む癖もある。溜め込めるほどの余裕もないくせに。
バタバタと慌てたように席を立ち上がり俺たちに麦茶を持ってきて、どうぞ!、と結衣の人懐こさが発揮できる相手である純や哲と打ち解けるのだってかなり時間が掛かったんだから。
無理。無理だから諦めなよ。
そう何度も繰り返した俺に結衣は強い口調で言った。
"やりたいの。だから見守っててね"


「結衣はデータ集めか」
「わぁっ!哲さん勝手に見ないでください!」
「よく纏まってるじゃねェか!」
「きゃあ!」
「純、やめてくれない?結衣の髪の毛ぐしゃぐしゃだから」


にしてもテーブルに広がる野球の雑誌や本。それにノート。新聞もある。それにそれらは今月先月のものだけじゃない。遡れば2年前4年前のものだって中にはあって、懐かしいな!、と純が楽しそうに開いた雑誌にはクリスや国士館の財前がシニア時代に取り上げられた記事が載っている。
…なるほどね。


「それで寝不足ってわけ?」
「う…うん。明日は地方の練習も見に行くの。高島先生に連れていってもらう」
「マネージャーというよりは情報収集特化だな」


腕を組み言う哲に、はい、と頷く結衣の横には俺が使っていたキャップが置いてある。ふーん、と聞くとも聞きながらそれを手に取ると結衣はにこりと俺に向かって笑う。なにそれ可愛いじゃん。


「御幸ちゃんが私に任せてくれた仕事です」
「御幸?」
「うん。マネージャーの仕事はもちろんやってもらうけどこっちにも専念してほしいって。今はマッサージとかも勉強してるよ」
「ま、適材適所なんじゃねェのか?俺はてっきり結衣がグラウンドの隅で泣いてんじゃねェかって気が気じゃなかったぜ」
「あぁ、誰かに勝手に拾われるんじゃないかって心配だった」
「いやそれ捨て犬扱いだから、哲」
「皆さん心配してくれてありがとうございます」
「礼なら亮介に言えよ。俺たちは亮介に聞いたんだからよ」
「亮介に?」
「話しの流れでね」


そう言って手にしていたキャップを結衣の頭に乗せる。すると嬉しそうに笑うから、やっぱわんこ、と俺もつい笑う。
まぁこのまま結衣を甘やかしても構わないんだけど俺は前から気になることがある。


「結衣」
「なに?」
「部員の名前覚えた?」
「た、たぶん。皆のデータもノートに纏めたから」
「言ってみて?」
「え?」
「ほら、さんはい」
「え……」


困ったように眉を簡単に下げて、それでも真っ直ぐ縋るように見つめてきたりするから加虐心を煽ることになるんだ。馬鹿だなぁ。本当、可愛い奴。


「えっと…栄純、春市、降谷くんに金丸くん。東条くんとそれから……」


結衣と距離の近い1年から順調に名前が上がって記憶を辿りながら2年の部員は川上から始まる。


「樋笠先輩、渡辺先輩…前園先輩に御幸ちゃんと倉持先輩。小野先輩、木島先輩……」


うんうん、と聞いててあげればちゃんと部員を全員言い切った結衣。
よく出来たな、とそっと結衣の頭を撫でる哲に結衣が嬉しそうに笑う。


「でさ、結衣」
「うん?」
「自分で言ってて違和感なかった?」
「違和感?」
「そう。2年もう1回言ってみな」
「え…倉持先輩、前園先輩。御幸ちゃ…」
「それ」
「え!?」
「なんで御幸だけ、ちゃん、なわけ?」


ぽかん、とする結衣は頭の中が透けて見えそう。考えたこともなかった。そういえば。そんな心の中の声。


「そういやそうだな。結衣は最初から御幸のことをそう呼んでたよな」
「確かに」
「純は後輩にそう呼ばれて許せる?例えば沢村とかにさ、伊佐敷ちゃん、とかって」
「ぶっ殺す!」
「だってさ」


クスと笑い結衣を見れば結衣は真っ青な顔で純を見ていてますます笑える。お前のことじゃねェからな!!、と慌てて純がフォローするけどそこで納得されちゃこっちは困る。


「うちの監督、敬語とかには厳しいし。その辺ちゃんとした方がいいんじゃない?」
「で、でも御幸ちゃんは何も…」
「そりゃあの通りの男だから。けど周りはどう思うかなー?野球部の主将が後輩、しかもマネージャーからちゃん付けで呼ばれてるなんて他校にもナメられそう」
「おい亮介」


不安を煽るな、と結衣の頭を撫でる哲は本当に甘い。
純は一理あると思ってるらしく小さく唸って組んでいた手を解き、よし、とテーブルを叩いた。
ビクッと結衣が跳ねた。


「結衣!」
「は、はい!」
「マネージャーが部員に区別をつけちゃいけねェ」
「はい…」
「これからは御幸を、御幸先輩、と呼べ!!分かったか!?」
「じゃあ練習してみようか?」
「み……御幸先輩?」
「言えるじゃん。これからはそれで」
「でも…」
「それで」
「……分かりました」


にこりと笑う俺に気後れしたのか泣きそうになりながら頷いた結衣の頭を撫でて、偉い、と甘やかす。それは俺だけでいいから、早々と分からせないとね。



俺が大切にするあの子と最重要課題
(あ、終わったんじゃない?)
(よおし!結衣!行け!!)
(頑張れよ)
(う、あの…)
(見守っててやるからよ!ちゃんと報告に帰って来いよ!)
(いたっ!)
(純、それ結衣にはかなり痛いから)
(あれ?先輩方、まだ残ってたんですか?)
(み…っ、みみ)
(ん?なに?)
(御幸ちゃ…)
(結衣)
(りょ、亮介……)
(分かったんだよね?)
(………)
(ね?)
(へ?なんです?)
(み……、御幸先輩)
(!……は?)
(よーし!よく言った!!御幸の奴固まってんぞ!ほら来い!麦茶やるから来い!!来い来い!!)
(純、それ犬呼んでるみたいだから。あとそれ純の飲みかけだから駄目)


―了―
2015/04/24




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