足を止めて笑い合う-1-



3度目の夏が終わった。
2年半しかない高校野球生活において夏を3度も選手としてそのグラウンドでプレイする事が出来た俺は幸運なのだと思う。もちろんただの幸運なのだと言うつもりもなく、青道野球部という強豪でレギュラーを獲得したのは俺自身の実力や努力に結果が伴ったのだと自信を持って言える。それでも遡ればキャッチャー志望したあの頃から此処に至るまで、選択肢が用意された俺のこれまでの人生は幸運と呼ぶべきなんだろうな。幾重にも偶然って重なるもんじゃねェし、運も実力の内なんて言うし。
決して平坦な道のりじゃあなかったが、そうでなきゃ面白くねェしやっぱ青道を選んで正解だった。もうあのメンバーと野球をすることはねェだろう。高校を卒業すりゃそれぞれの道に進むし、地元に帰ると言う声も聞く。過ぎてみればすげェ短い時間だったんだな、と部活へと急ぐことのなくなった授業終わりに下駄箱へ向かいながら思う。
季節が秋に向かってるなんて、去年のこの頃は気付こうともしなかった。
玄関につき吹き入る少し冷てェ風に揺れる自分の前髪は部活をやってりゃ帽子やメットの中だしまだ衣更えしねェ制服を肌寒く感じれるほど制服を着た記憶さえねェし。主将を哲さんから引き継いで課題ばっか頭の中でグルグル回ってて、慌ただしくただがむしゃらに前へ前へと突き進んでいた去年の今頃とは違って怖くなっちまうほどゆったりとした時間が流れてる。
ま、それでも身体を動かしにグラウンドに顔を出すし沢村や降谷に見つかりゃ、球受けろ!、と催促されっけど。

不思議な感覚だ。
あれほど全身全霊を傾けた野球部が、俺から主将を引き継いだ沢村を中心に新しいチームになっていく。
先を歩いてんのは俺のはずなのにどこか置いていかれているみてェな。哲さん達も俺と同じような事を思っていたんだろうか?そして俺と同じように後輩が見えていたんだろうか?俺たちはこんなにも恵まれた環境で野球を出来たことを、あんなにも輝いていたんだとその輪から外れて初めて気付いたと。


「そうそう!あの子!可愛いよなー!!」


おっ、と…いけね。らしくもなく物思いに耽っちまった。しばらく自分の靴の入る下駄箱を前にぼうっとしていたらしい。

反対側の下駄箱から聞こえる声にハッと我に返り苦笑いを零し靴を手にしたんだが、続く会話にすぐにまた手が止まった。


「2年の須藤亜依!」


!っ……は?


「あーあの子な!元気だし明るそうだし。頭も良いんだろ?」
「髪も長くてさー、すれちがったりするとなんか良い匂いすんだよなー!」
「お前変態かよ」
「いやマジだって」


おいおい……、マジかよ。
思わず俺が誰とも知れねェ数人の男子の話題に心中で突っ込んだ。声に出していれば掠れ不満が顕わになっていただろう、そんな調子で。


「彼氏いんのかね」
「は?お前知らねェの?御幸だよ、御幸」
「御幸って…マジかよ」
「まぁ校内であんま一緒にいるとこ見ねェけどなー」
「あー御幸野球部だし、あの子も書道部…だっけ?なんかすげェ名前の賞貰ってたよな?」
「校長がめちゃくちゃ朝会で褒めてたやつな。そんな2人だから忙しいんだろ、お互いに」
「けどよ、御幸もう引退してんじゃん」
「あぁ、…確かに」
「つーことは別れたか」
「俺、今度誘ってみっかなー。遊びに。御幸野球ばっかでそういうの気ィ利かなそうだしなー」
「お前なぁ…人のもんに手ェ出すなよ」
「選ぶのは本人だろ?」


なんつー会話をしながら、話題にしてる女子の彼氏が反対側にいるとも気付かずそいつらは靴に履き替え玄関を出ていく。
俺はといえばその後ろ姿を見遣り靴に手を伸ばしたまま固まり、びゅお、と吹き入った風に揺れた前髪が長いからそろそろ切りに行かなきゃならねェとか見当違いなことを思うも放心状態が解消されるわけでもなかった。


「あ?御幸、なにやってんだお前」
「!……倉持」


先に帰ったんじゃねェのかよ、と何の気無しに俺の近くに立ち、ガコッ、と雑に上履きを下駄箱に突っ込んだ倉持が3年でも同じクラスになったことを、げっ!、と心底嫌そうな顔をした春がすげェ遠くに感じる。
あぁそうだよな。
俺はアイツを置いて先に卒業する。どうも最近モテる様子の彼女の現状に望まねェ形で直面しちまった俺は、あ?、と眉を顰める倉持につい零した。


「なぁ俺、亜依の彼氏に見えねェ?」
「見えねェな」
「!…ははっ、言うねェ倉持くん」
「きめェ。つーかなんだよいきなり。今に始まったことじゃねェだろ、んなもん」
「今までずっとそう思ってたのかよ。言えよ」
「なんで一々てめェらのことに干渉しなきゃなんねェんだよ、面倒臭せェ」
「ひで」


近頃の俺と倉持の間で交わされる話題といえば沢村たちがどんな事で揉めてるかとか秋大を順当に勝ち進みアイツらも修学旅行に行けねェざまあみろだとか、んなもんだったからこうしてまさか彼女の話をしながら寮までの道を歩くとか真っ当な高校男子みてェだ。いや、紛れもなくそうなんだけど。つーか倉持の目がすげェ冷てェんだけど。お前だって女子に告られてたじゃねェか。んな目すんなら断んな。


「お前もアイツも、相手に固執するようなタイプじゃねェだろうが。なに今更気にしてんだよ」
「いや。まぁ、そうだけど」


言葉を濁す俺に、話す気ねェなら口開くな、とまで辛辣に言い放った倉持にさっき下駄箱で聞いたことを話す。
須藤亜依は俺の彼女だ。
去年のクリスマスから付き合いなんの波風も立たず、不満もねェ付き合いを続けてきたぶっちゃけなかなかに惚れちまってる自覚を与えてくる女の子。

倉持も俺と同じように亜依の阿呆っぷりを目にしてきただけにてっきり驚きを共感できると思いきや、返ってきたのはまさかの、それな、という亜依を可愛いと話していた男子たちへの共感だった。


「時々聞くぜ?そういう声」
「マジ?」
「つーかお前が気付いてなかったのが俺には驚きだけどな」
「…ふうん」
「ヒャハハッ、焦れ焦れ」
「心底楽しそうだな」
「そりゃそうだろ」


きっぱり言い切りすぎ。


「でも、ま。須藤が悪いわけじゃねェんだから八つ当たりしたりすんじゃねェぞ」
「んなことしねェよ」
「しそうだから言ってんだよ。お前、自己完結得意技だからな」
「こらこら、格闘ゲームの技みてェに言うな」


今にも鼻歌を歌っちまいそうなほど楽しげな倉持に顔を顰める俺は自覚がねェわけじゃなかった。
亜依と恋人らしいことをしてねェのも、自己完結が悪い癖だっつーのも。それでも俺のこの性格は投手から捕球しながらその時々で迅速に判断をつけるのに役立ってきたしむしろそれがあったからこの性格が築かれたって言っても語弊にはならねェだろうと思う。けどそれとこれと、俺が亜依が恋人らしいことを望んじゃいねェんだろうと勝手に断じちまうのは違う。倉持は多分そういうことを言いたかったんだろう。

そう結論がついたところで、さぁどうする?
正直彼女が他の男から狙う隙があると思われんのは少し心地が悪ィ。


「一也先輩?お腹すきました?私甘栗ありますよ!!」
「ふはっ!なんで甘栗だよ!普通アメとかじゃねェの?」


あー、やっぱ少しじゃねェ。すげェ胸糞悪ィわ。

野球部を引退してからは放課後こうして勉強することが多くなった。
沢村とまた同じクラスになった亜依に、お前の教室に行くわ、と言うが今日は俺の教室に呼んだ。それを見た倉持が、だっせ、と笑った。うるせェ。こうするぐれェしかまずは思いつかなかったんだよ。俺と亜依がちゃんと付き合ってるって示す方法が。
しっかしいきなり甘栗。さすが亜依。

思わぬ言葉に噴き出し笑った俺の前で四次元のポケットを付けてる猫型ロボットが道具を取り出す音を口ずさみながら本当に鞄から甘栗を取り出す亜依。休憩するか、と楽しげな顔を見て俺。


「剥きましょうか?」
「んー…、甘めェ?」
「そんなに過ぎるほどに甘くはないですよ」
「じゃあ1個。つーかそれ、剥いてんの売ってなかったっけ?剥いちゃいました、ってーやつ」


ティッシュを問題集の上に広げようとするから、こらこら、と閉じて俺の方へ寄せてやる。嬉しそうに笑われてると、つい甘くしちまう。

んーんーんんー、と謎の鼻歌を歌いながら甘栗を器用に剥いていく亜依の指は細い。この指に俺の指を絡めて手を繋いだのも数えるほどだっつーんだから、まぁそりゃ…あんなことも言われちまうか。
言い訳させてもらうならばあの下駄箱男子(そう呼ぶことにした)が言っていたように俺も亜依も忙しかった。無茶苦茶忙しかった。高校野球最後の夏大、言わば集大成。片や学業と書道で青道の名を全国へと広めてくれと校長と教頭の期待を細っせェ肩に背負う亜依。互いに学校の名を背負い戦ってたんだから、当然だ。不満はねェ。
けどやっと落ち着くようになり見えるもんが増えれば感じるもんも違うのも当然。
あーちくしょう可愛い。俺のために甘栗剥いてんのだって可愛い。高校生らしいことなんか、高校球児であることしかなかったけど結果を出し晴れて引退ともなれば与えられた短い普通の高校生として過ごせる時間はご褒美だな。なんちって。ははっ、倉持が聞いたら秒速で蹴りが飛んでくんな。


「はい!綺麗に剥けました!」
「おー」
「この剥いた後の綺麗な実を眺めるのが好きで、剥いてあるやつは買わないんです。数学の難しい問題を解いた後みたいな、英語の長い文を読み終わった後みたいな、漢検満点で受かった時みたいな」
「分かった分かった。聞いてるだけで頭痛くなりそう」
「というわけで、どうぞ」
「ん」
「はい?」
「ん、って。くれねェの?」
「!っ…え、え!?」
「あー」


困ってる困ってる。コイツ、突撃は得意なくせに突撃されんのは苦手っつーか免疫なくて俺が今口を開けて甘栗を強請ってんのを真っ赤な顔をして、自分までパカッと口を開けちまってる。
ククッ、と喉を鳴らして笑う俺をいつだか、幸せそーッスね、と沢村がまるで靴の裏についたガムを見るみてェに見たのが納得出来ねェ。


「し…失礼します!」
「…一生懸命やってくれてんの分かんだけど、そこ頬な。目ェ開けろって」
「潰れます!」
「え、目が?」
「一也先輩が眩し過ぎて!!」
「こらこら。人を太陽みてェに言うなよ」
「いっ、いきます!」
「はっはっは!だから、目」


俺からしたらお前の方が眩しいんだけど、とはまさか言ってやらねェけど。ふにゃりと顔が緩んでる自覚はあっから言葉にしねェのも意味ねェか。

あーあ。目をぎゅうっと瞑っちまって。
なんだこれ、いわゆる据え膳ってやつ?……いやいや、亜依に限ってんなことは。……けどな。あー、いや。…無意識に亜依に触れちまうことがある。頭であったり頬であったりとそれはまちまちなんだが。そのたびに亜依が真っ赤になって慌てっから我に返ってごまかすものの、亜依だって無自覚なのか悪ィ。時々…なんかな。うん、気のせいじゃねェと思うけど色気があるっつーか…。


「ん。美味い」
「な…なんか凄く疲れました。機能停止しそうです」
「はっはっは!大袈裟」


先々を考えたらこんなもんじゃねェぞ?…なんてな。

やっと俺の口の中に入ってきた甘栗を食う俺の前で亜依がぱたりと剥いた殻を避けて身体を机に倒す。
んじゃご褒美ー、と今度は俺が甘栗を剥いてやりながらつい目がいくのは長くなった髪の毛が流れ見える細い首。白……。俺ら野球部は日焼けとはもう友達みてェなもんだしな。いやむしろ戦友?だから余計に白い肌が目につく。


「…なぁ」
「ひゃい」
「ははっ、大丈夫かよ?」
「あの、一也先輩。私に長生きしてほしいと思って頂けてるかは分かりませんが心臓の寿命が1年くらい縮まったような気がします」
「短いのか長いのか微妙だな」


それでな、と続けながら殻を剥く。なかなかに難しいな。


「…触られたりしてねェよな?」
「触られ…え?」
「いや!なんでもねェ!聞かなかったことに、」
「あ」
「!」
「今日知らない先輩にすれ違い様に髪の毛触られました」
「はあ!?」


あ、やべ。ほぼ剥けていた甘栗潰した。


「一也先輩凄いですね!なんで分かったんですか?」


さすがです!、と嬉しそうに続ける亜依を前に狼狽する。
髪の毛?なんだそれ。
絶対アイツだろ下駄箱男子。いや他にもいんのか?おいおい……。


「亜依」
「はい」
「次の日曜日、遊びに行かねェか?」
「……え?」


ぽかん、とする亜依を前に気恥ずかしくなって顔を背け意味もねェのに髪の毛を掻き乱す。あーやっぱり長くなった。切らねェと……。

焦れ焦れ。そう笑った倉持の声が聞こえたような気がした。






×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -