策士の純愛




「ほんっと、ないわ」
「ごめんてば!」


苛立ちの隠せない深い溜息とじとりと冷たい呆れた一瞥の後にもう1回溜息。ついでに頭を横に振る仕草。自分を落ち着けようとしてるのか頭痛でもしてきちゃったのか、私には察する余裕なし。引き寄せ抱き締める腕にさらにぎゅうっと力を込めると、折れる、と呻かれたって無理本当にごめん!!

く、暗い…!こんなに暗いの?
昼間とはまったく違う空間のように感じる校内。シン…と音の無さが不気味さを煽って余計に神経が尖る夜8時。辺りを見回す勇気もなくて隣でグチグチずっと嫌味を言ってる男の腕にだって縋ってしまう。


「み、御幸…!何か見えても絶対に言わないで絶対に!!」
「何かってなんだよ、何かって。つーか離れてくれよ動きにくいだろ」
「人でなし!!いたいけな女の子になんてこと言うのよそんなんだから"顔の御幸""良心の倉持"なんて言われんだよ馬鹿!!」
「オイ初耳」
「そんなこといいから!!」
「そんなことって」
「いいからお願いだから静かにして気付かれちゃう!!」
「いやうるさいのお前な」
「う"ぅ"ー」
「その唸り声、よっぽどお前の方が幽れ、」
「言わないで!!幽霊なんていないから!!」
「あーあ、言っちゃった」
「きゃあー!!」
「うるせェよ!!」


無理むりムリ無理、本当に無理!!
ギュッと目を瞑り強豪青道野球部主将もとい御幸一也の腕をまたギュッと抱き締める。なんか足音聞こえた気がする!話し声とかピアノの音とか水の音とかあり得ないのにあちこちから聞こえる気がしてもう一歩も進める気がしない…!


「もうやだぁ…行けない…っこれ以上歩けない…」
「お前なぁ…。だから俺が行くって言ったよな?」
「だって!自分が悪いし!明日の練習試合相手の試合スコア、教室に置いてくるなんてマネージャーとして失格…」
「本当、馬鹿な」
「分かってるから暗いところ本当に無理なのに頑張って来たんじゃん!!」
「はいはい、じゃあ行くぞ」
「う…うん」


………。


「な、なんか喋ってよ」
「はあ?」
「なんでもいいから!怖いから…!」
「俺、この暑苦しい拘束から解放されたらスポドリ飲むわ」
「やめてよその言い方死亡フラグ!!」
「お前が喋れっつったんだろ!!」
「もっと怖さなんてすっ飛んじゃうやつでお願いします!!」
「俺にそんな豊富な話題があると思うのか?」
「なんかごめん」
「納得すんな」
「いたっ!」


ベシッと軽く頭を叩かれて、痛いなぁ、と不満を零しながら御幸を見据える。
あ…思ったより近かった…。そりゃそうだ。学校に入ってからずっと御幸の腕にしがみついてるし御幸が暑いって言うのも当然。
う…なんか急に恥ずかしくなってきたけど拠り所がなくなっちゃうのも無理…!もおー!

ぐるぐると目が回るぐらい思考が同じところを巡ってまさに堂々巡り。そうこうしていれば御幸がそれに気付き、にまぁ、と笑う嫌な顔!


「今更恥ずかしがるような間柄でもねェだろ?俺たち」
「……そうデスネ」
「ブハッ!はっはっは!」
「笑いすぎ!!」
「これぐれェ許されてもいいだろ?」
「それも私たちの間柄だから?」
「いや。練習でクタクタの主将とそれを労るマネージャーの間柄として」
「む…。いいよ」
「お」
「最近お疲れの様子の幼なじみを心配する幼なじみとして許してあげる」
「!…ん」


幼なじみで。主将とマネージャーで。同じクラスの友達で。それ以上でも以下でもなし。そんな私たちの間柄。こんなに腕を引き寄せ抱き締めてる女子相手に照れもされないのはちょっぴり複雑だけど悪い気がしないのは御幸が誰でもこんな風に憎まれ口を叩いて笑ったりしないのを知ってるからかな。
器用そうに見えて全然不器用。
偉大な先輩たちから引き継いだ強豪青道高校野球部の主将という重責を背負い挑んだ秋大は華々しくとはとても言えないものだったけど、挑戦者だと自分たちを語ったという御幸の言葉通り泥臭く必死で手を伸ばし懇願して秋大覇者を手に入れた。御幸は大会中に負った怪我の影響で神宮大会はベンチ入りも許されずやきもきしている様子が見られていたけど、練習に参加出来るようになったら現金なもので本来の調子を取り戻した御幸はきっと野球がなきゃ生きていけない。しょんぼりしちゃってさ。家庭を顧みず仕事に没頭していた退職後の居場所がないお父さんって言ったの誰だったっけ?あ、沢村くんだ。あの子、あだ名付けといい妙にそういうところを捉えるのが上手。

…と、そんな話を頭の中で繰り広げて無理やりほのぼのしなきゃいけないほど怖い…!
冬合宿を目前として春のセンバツを見据えチームは課題に取り組む士気が最高潮。そんな最中に組まれたオフ前の貴重な練習試合に泥を塗る訳にはいかないのにこの失態…。あぁ…精神状態不安定すぎ…。


「そういや小学校の時」
「え?」


いきなり?まさかこの御幸はすでに御幸ではない…!?そんな展開!?
いつから本物だと錯覚していた?ふははははーな展開!?


「同じようなことあったよな」
「え…ああ!私が宿題忘れちゃった時?よく覚えてるね。やっぱり偽物…?」
「やっぱりってお前な…。俺をなんだと思ってんだ」


まぁいいや、と続けた御幸の顔を見上げても僅かな非常灯の明かりで逆光になっちゃってよく見えない。代わりに御幸はよく見えてるようでベシッとおでこを叩かれた。痛いなぁ、もう。


「育ったよな。俺もお前も」
「まぁそりゃ…御幸なんて私と対して背がそんなに変わらなかったのにね」
「そういう意味じゃねェけど」
「え、なに?じゃあどういう意味?」
「……知らね」
「なによ自分から話しだしたのに」


釈然としないなぁ、と続け口を尖らせる私に返る御幸の声は珍しく拗ねたような音を出した。


「……悪かったな。気の利く話題が出て来ねェんだよ」
「……は?」
「んー?可愛くねェぞー?亜依チャン」
「いたたたたっ!ごめんなさい!!分かった!分かったからそんなに強く手を握らないで潰れる!!」
「ったく」


あ、もう機嫌直ってる。人が痛がる様子にケラケラ楽しげに笑うのもどうかと思うけど御幸がこんな風に笑ってるのが実は好き。ホッと心が落ち着いて顔が緩む。
に、しても…だよ。
スタスタと平然と歩く私たちだけどさっきとはまったく違うことが1つ。暢気に、何階だ?、とかって言ってる場合じゃないんだってば!!手!!……っ、手が…さっき意地悪で強く握り締められたまま繋がりっぱなし…!

カァッと顔に熱が上がるのが恥ずかしくて別に見えやしないだろうけど俯く。あー…こんな時、心臓は正直。何者にもならない私たちの間柄なのは確かでもそこに私の心が置かれているかは別問題。意識しないようにするのだってとうに意識してるってことなんだから諦めるしかないのはもう何年も前から分かってる。
つまり、私は御幸一也が好き。
主将としてじゃなくてクラスメイトという人間としてじゃなくてかけがえのない幼なじみとしてでもなく、ちゃんと1人の男の子として好き。

野球まっしぐらな幼なじみに不毛な恋なのはずっと前から決定してる。つきたくなる溜息をグッと堪えて……るのに!!


「ちょ…!なに!?」
「なにって?」
「て、ててて、手!!」
「え、マジ?なんか見えた?」
「見えてないし言わないでってばそういうの!」
「あ、思い出した。小学生の時、クラスの男子に意地悪で宿題隠されたんだったよな亜依」


チッ、と舌打ち…。御幸は怒るとかなり怖い。マジで怖い。普段ヘラヘラして感情をひけらかさないから余計に。低い声とお腹の底に響くような唸り声に心霊的な怖さとは別の恐怖にぶるりと震える。そ、そんなに嫌だった記憶?私が御幸を学校に引っ張って行ったの。

しっかり者で隙がないと太鼓判を押される御幸と鈍臭い私。小さな頃におそらくなんの気無しに言われた、デコボコな2人だね、という誰だったか大人の言葉が今も胸に突き刺さってジクジクと心を痛ませてる。野球でどんどん活躍して、背も伸びて格好良くなって雑誌になって取り上げちゃってる扇の要の御幸一也。いつからか"一也"と呼べなくなっちゃって私が御幸と呼ぶようになっても飄々と私を亜依と呼んでくれる気安さと変わらなさにいつまでもこの恋をいつまでも諦めきれない。今だって…平然と手を握られて、小学生だってもっと恥じらうでしょ。無意識なのかなんなのか知らないけどさ…指で私の指をなぞったりして。御幸に彼女が出来たって噂は聞いたことはないけれど、文句を言いながらも結局こうして一緒に来てくれる御幸はきっと彼女をすんごく大切にするんだろうなぁ…。
その時は私が本当に本当に恋を諦めなきゃいけなくて、幼馴染離れしなきゃいけない時だ。御幸を名前で呼べなくなったのも無意識にその日のために準備してたのかも。

繋がっている手をジッと見つめてまたうるさくなる心臓を鎮めるように息を呑んでから指で御幸の手を押して離す。


「え、えぇっと…ごめんね」
「ん?」
「いい歳してこんなこと…しかも主将の御幸に頼むなって感じだよね」
「なんだよいきなり」
「ほら!忙しいし!疲れてるし!考えなきゃいけないこともたくさんでしょ?だから違う人に頼めば良かったかなぁって」
「……違う人って?」
「うーん……」
「別に俺だけじゃねェだろ。野球部はみんな同じだ。だから別に、」
「あ!じゃあ高橋くんとか!」
「高橋?」
「え?まさか…クラスメイトの名前知らない!?」
「いや知らないから繰り返したんじゃねェよ」
「ならなんで?」
「なんで高橋なんだよ、の意」
「あぁ、そういう。だって優しい」
「いくら優しくても家に居て呼び出されたら来ねェだろ、いちいち」
「そうかな?」
「多分な。だから亜依の選択肢は最初から俺しかねェの」
「う、うーん…。そう?」
「そう」
「そっか」


キッパリと言い切られてしまうとそんな気になってくるかも。
御幸の言った言葉を何度か頭の中で反芻して首を傾げて思案してはみたけど結局それ以外の結論には辿り着かないまま、だからほら、と御幸に手を差し出されて目をぱちくり。

はたと御幸を見つめて、うん?、と問い掛けても、


「うん?」


って返された!…えぇっと…。


「手?」
「手」
「繋ぐの?」
「え?繋がねェの?」
「う、うん」
「へぇー。俺はいいけど亜依の歩幅じゃ置いてっちまうかもな」
「え!?」
「暗いし、見失ったら簡単には探せねェよなぁ」
「う"…」
「ま、俺はいいけど」
「ちょ…ま、待ってよ!!」


もー!!と可愛くもないのは百も承知でムスッとしながらきっとにやりと口角を上げて笑ってるに違いない御幸の引っ込められそうな手を慌てて捕まえ握る。こんなところで1人にされたら動けなくて朝を迎えてしまう!冗談抜きで!


「ぶくっ、くっ…」


くそう…笑ってるの分かってるから!どんなに顔を背けてたって繋いだ手から震えてるのが伝わるんだから!!復讐決定!授業間にスコアブック見てる時に髪の毛1本抜くとか、携帯の待ち受けを片岡監督にするとか!…は、私にリスクあり過ぎだからやめとくけど、絶対に仕返しするから!!

悔しいしやりきれないし不甲斐ないしで情けなくてじわりと目に涙が浮かぶ私の頭に浮かぶ復讐劇が挙げ句バナナの皮を踏ませて転ばせるだなんて陳腐なところで決着したところでまたさっきの。


「っ……」


御幸の指が私の指の存在を確かめるようになぞり動く。


「それなに?無意識?」
「うん?」
「指!!さっきも…」
「指…あぁ、これか」
「やらなくていい…っ」
「なんつーか、癖?」
「癖?」
「指を確かめんの。キャッチャーとしてのサガっつーか」
「キャッ、チャー…?」
「投手の指を見るようにしてるから人の指を観察すんのも癖みてェになってんだよな」


じゃあなんですか。私の指は降谷くんや沢村くん、ノリくんとかと同じ扱いですか。…あれ?光栄?…いやいや!騙されちゃ駄目!女の子扱いされてないだけ!けど手を繋げるのも嬉しい。乙女心、複雑すぎるし御幸は無神経すぎる…。

チーン、とどっかで意気消沈な音が鳴った気がした。この恋、こんなことばっか。もういいけどね…。
ふぅ、と肩で大袈裟に息をついて、そうですか、と返す。


「お前、もうちっと手入れしろよ。乾燥してるぞ」
「な…!してるよ!クリーム塗っても塗っても洗濯に洗い物にって繰り返してれば何回塗っても足りないんだもん!」
「爪も角が出来てる。怪我するぞ」
「急いで切ったから」
「しょうがねェな。ここから無事戻ったら爪ヤスリで整えてマニキュア塗ってやるよ」
「だからそれ死亡フラグ!」
「あ、あっちでなんか光った」
「きゃあぁぁー!!」


さて、まだ職員室に残る先生に捕まり何をやっているんだと泣いてしゃくり上げる私とその隣でバツが悪そうにしている御幸を前に呆れながら叱ったのは間もなくというのは喉が痛むほどの大絶叫に言うまでもなく。


「み、御幸っが…ひぐっ、ふっ…」
「アンタねー!!亜依が怖がりなの知らないわけないでしょ!?」
「これほどになるのはさすがにないよ御幸くん」


戻った私たちの様に幸ちゃんと唯ちゃんが怒ってくれて。
スコアブックを取りに行くだけでその日の体力すべてを使い切っちゃった私に罪悪感を感じたのかなんなのか言った通りに御幸が爪を整えてくれると食堂に入ったわけなんだけど。


「よくやるよな、お前」
「いやぁ」
「褒めてねェよ!!…てめェがわざと亜依の机の中に入れたんだろうが。スコアブック」
「よく見てんなぁ…」
「チッ…」
「ま、でもなかなか持てねェ時間は自分で作るしかねェだろ?」
「……亜依が気の毒になってきたぜ」
「どういたしまして」
「だから褒めてねェ!!」


そんな会話がされていたのをその時眠ってしまい御幸のなすがままだった私が知るのはまだまだ先の話し。



策士の純愛
「あ!亜依、手すべすべ!」
「爪もツヤツヤ!いいなぁ…。何使ってるの?」
「あ、分かんない。今度御幸に聞いておくね」
「「御幸くん?」」
「おぉ…幸ちゃんと唯ちゃんのハモリ!」
「いいから詳しく!」
「あ、うん。なんだか最近御幸が手入れしてくれるの。あれだって、投手にアドバイスする時の参考にしたいんだって。失礼しちゃうよね!」
「……へぇ(ジワジワと外堀埋めてるなぁ…)」
「しかも高橋くんに私が小さい頃の恥ずかしいエピソードを話して笑ってたし!!」
「…そうなんだー…(暗に亜依のことならなんでも知ってるって示したんだなぁ)」
「まったくもって無神経なんだから!!」
「ソーダネー(そしてまったく伝わってない悲しさ)」
「頑張れ(御幸くん!)」


ー了ー
2021/08/18





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