我が儘に酩酊




理由を探すなら、両親が共働きだったから、といつも口にしてた。
弟や妹は小さかったし我が儘を言うよりも率先して手伝いを買って出た方が両親の助けになると理解出来るほどの年齢だった私はその辺りで少しずつ我慢を覚えたのだと思う。親戚の叔父さんに会えば、小さい頃はあんなに甘えん坊で我が儘だったのになぁ、が挨拶代わりだった。
母方の祖母が時々両親に代わって私たち姉弟の面倒を見てくれた。私が小学校を卒業する前に亡くなってしまったけれど、私をよく見てくれていた祖母の言葉を私は今も忘れていない。

"声を上げなさい。泣きたいと訴えなさい"


「……夢?」


ぼう、と部屋を見渡して自分の現状を把握しようと思考を巡らす。テーブルに突っ伏していつの間にか寝てしまったらしく点いているテレビは普段見ない番組、時計は午前3時。痺れる足を崩して、ググッ、と背伸びした私はテーブルに置いてある携帯に目を留めてそれを手に取った。
明日も講義は朝からあるし授業中眠ってしまったら本末転倒。学生の本分は学業にあり、とはよく言うけれど大学に入りアルバイトをし始めて改めてお金を稼ぐ大変さを思い知って正にその通りだとよく思う。

いくら恋人からもう2週間以上メールが返ってこないだとか3日前に雑誌にすっぱ抜かれただとか、心が軋むような出来事があったのだとしても、怠ったりしちゃいけない。


「やっぱりきてない、かぁ…」


なんの着信表示のない携帯の画面に溜め息をついて頭の中で家を出なきゃいけない時間を逆算しながらシャワーを浴びようとお風呂へ向かう。

我慢するな。
言いたいことがあったらいつでも連絡してこい。

そう言った高校の時からの恋人は今どうしているんだろう?疑問符をつけない当たり障りのないメールばかりを送っているから返事がなくともらしいといえば彼らしいけど、やっぱり寂しくないとは言えなくて。
静かに降り積もる澱は癌のように固くなり嫌な想像ばかりを身体中に毒として流す。
声を上げても泣きたくても、届かない時はどうしたらいいんだろう?
ねぇ、一也。
今私はすごく我慢してる。泣きたい。会いたいな……。出来れば一也のことを真っ直ぐ応援していられる想いが綺麗な内に癌を取り除いた方がいいのかもしれないという辛さを打ち消すように熱めのシャワーを浴びた。


「それ…もう諦めた方がいいんじゃない?」
「やっぱり…そう思う?」
「悪いけど」
「だよね……」


彼女は中学の頃からずっと一緒で私の恋人が今や飛ぶ鳥を落とす勢いで人気のプロ野球選手御幸一也だと知る数少ない友人だ。今更発言に気遣うほど気心が知れてないわけじゃないからその彼女が気まずそうにきっぱりと言い切りながらもバツの悪い顔をするのは余程なのだと思う。

学食で頼んだA定食のミニトマトを箸の先で転がしながらつきそうになった溜め息をグッと堪えて出ないようにとそのトマトを口に入れた。


「……我が儘を言いたくない。野球の邪魔をしたくない。一也の負担になりたくない。いっぱい言い訳はあるけど……連絡を催促しなかったのはやっぱり終わるのが怖かったからかな…」
「亜依……」
「それでももう少しだけ信じてみる。私からはきっと終わらせれないよ」
「………」


気遣わしげな友達に笑いかけたけど上手く笑えてないことは眉を顰められて分かった。学食内に設置された液晶モニターからはお昼のニュースが流れていて、熱愛だと女子アナと雑誌にすっぱ抜かれた一也のスキャンダルも取り上げられていてコメンテーターに、お似合いですね、などという言葉が私の胸を抉った。
鳴り物入りでプロ入りして期待を裏切らない活躍を続け3年目。一也を取り巻く環境は私との距離を作り私にも私の環境が出来ていく。これが倦怠期ではなくお互いがいなくても生きて行ける証明じゃなくてなんだというんだろう?
真綿で首を絞められるかのような苦しさがある内はまだ大丈夫と思いながらも学内を見回し彼氏と一緒に食事をする学生を見ると望んじゃいけないことを望む私の中にまた1つ澱が積もる。
一也が野球をしていなければ、なんて…馬鹿すぎる。


友達とそんなことを話した数日後だった。
バイト終わりにホームで電車を待っている時に鳴った携帯は久し振りの一也からの着信で慌てながら出る。


「も、もしもし?」
《おー、久し振り。元気か?》
「っ…うん」
《ん?今どこ?》
「バイト終わりで…、電車待ちなの」
《あー…マジか。わり、タイミング悪かったな》
「う、ううん!一也こそ…忙しいんじゃない?」
《まぁ暇ではねェけど。……やっぱ話しておきてェと思ってな》
「!……っ」


気まずそうな一也の声にずくりと心臓が痛む。話しておきたいこと…やっぱり、あのスキャンダルのことだよね……。どうしよう…怖い。
うん、と頷く声は震えギュッとショルダーバッグの紐を握り締める。


《あのな、》
「っ…あ、あの!来た!電車!」
《え?》
「ま、またね!!また電話……」
《…亜依?》
「……また、……っ」
《おい、どうし…》
「また、が……あるのかな?」
《……は?ちょ、どういう意味…》
「っ……ごめん!今日おかしい!また、私から掛けるから一也は無理しないで。……忙しいんだから」


バイバイ、と電話を切ったけど電車が来るだなんて言葉は背景の音で嘘だときっとバレてる。一也は昔っから人が嫌なところばかりに気付くから。
それにしても……あーもう、私の馬鹿。今みたいな言い方すごく嫌な感じ。もう一也と繋がっていない携帯を見つめ溜め息を1つ。とにかく…ちゃんと心の中、整理しなきゃ。中途半端のまま一也と向き合えば思ってもない言葉をぶつけてしまいそうだから。

漸く本当にホーム入ってきた電車の風で目に浮かんでいた涙を乾かす。一也の側にいたいなら強くならなきゃと、そう決めたでしょ。


それから何度か一也に連絡してみたけど電話は留守電直通だしメールも相変わらず返事なし。まともな連絡を取れなくなって気付けば一ヶ月とか……。


「恋愛は良くも悪くもタイミングって言うからね」
「今身をもって実感中」


友達はもう一切一也の味方をするつもりはないらしく一応高校時代の顔見知りではあるものの私が携帯を見て表情を固くするたびに、あの性悪眼鏡、だとか、去勢しろ、だとか言うように。私のことを想って言ってくれているのだから苦笑いだけ返していたけど、粗チン野郎、罵った時はさすがに女の子の口から出る言葉としてよろしくないから止めておいた。


「今日!行こう!?」
「え?どこに?」
「コンパ!!昨日誘われたじゃん、松下に!」
「あー…」
「亜依今まで断ってたし私も束縛の強い嫉妬深い彼氏がいるからって亜依のことみんなに説明してきたけどさ」
「ちょっと初耳」
「もうさ、本当に」
「!」
「…亜依がそんなに頑張っても全然投げ返してこないじゃん。恋愛はさ、タイミングと同量の想いがないと苦しいよ」
「……うん」
「新しい恋探して早く忘れようよ。そんで凄く幸せになって御幸を見返そう。年商何億も稼ぐいい男見つけてね!」
「え、それは求めてな……」
「なに言ってんの!御幸より稼ぐ男じゃないと悔しいでしょ!?」
「そういう、もの?」
「そうだよ!さぁ張り切っていくよ!!」


そう言って勢いよく鞄からファッション誌を取り出しトレンドをハキハキと口にしていく彼女は本来こんな風な子じゃない。多分私が落ち込まないようにと背中を押すために……。

お手洗い、と席を外したその手に携帯を持って私は廊下でずっと自分から言えなかった言葉を一也の留守電に残した。
いつ届くかな?
もう聞きさえしないのかもしれない。それでも自分の気持ちを綺麗に終わらせるために人目を憚らず涙を拭いながら震える声で紡いだ。
そんな私を間もなく見つけてくれた友達はまだ朝にも関わらず泣き腫らしたような私の赤い目に自分が傷付いたような顔をしてくれて1日側にいてくれた。

事情を又聞きした友達やコンパに参加予定の人たちは一也だとは知らないからみんな私を擁護してくれて、今日は飲もう飲んで忘れよう、と盛り上げてくれる。
一也が悪いわけじゃないんだけど……、と苦笑いすれば同じ学部の男の子がそういうんじゃないと講義が終わってからみんなで今から店へ向かおうと学内を歩くそのすがらに私の隣に立ち言う。


「え?」
「そう思った方がずっと楽だしすぐに忘れられるってことだよ」
「……うん」
「まぁ…思うところは色々あるだろうけどせっかくだから今日は楽しもうぜ」


な?、と彼はニカッと笑う。
一也くんは、どんな風に笑ったっけ?最後に会ったその日もとても遠くもう記憶が薄い。声は辛うじて思い出せるけど…少しずつこんな風に忘れていくんだ、一也くんのこと。
そして隣でいつも笑っていられる人と恋をして結婚して子供を産んで……そして、一也のことをテレビでしか見なくなって……いつか大きくなった子供にあの人は、…私の初恋の人って、……笑って……。


「っ……ふっ」
「!…大丈夫か?」
「うん…ごめん、すぐ行くから先に行ってて」
「いやいいよ。側にいる」
「!」
「今言っちまったら卑怯かもしれねェけどそれが少しでも支えになったらいいから言うわ。俺お前が好きなんだよ」
「……え?」
「まぁ気付かねェよなぁ。彼氏のことしか見えてなかったしな、お前」
「ご、ごめんなさ…」
「ストップ!それはまた今度」
「今度?」
「そう。俺のことよく考えてくれてから」
「でも私は……あれ?みんなは?」


悲しくなってつい浮かんだ涙を俯き堪えていたそのほんの少しの間に一緒に歩いてたみんながいない。
首を傾げながら隣の彼を見ると彼は申し訳なさそうな顔をしながら照れたように笑った。


「アイツら、きっと気利かせたんだ」
「え……あ…そういう?」
「うん、まぁ…そういうこと」
「……そっか」


くすぐったい…こんな風に好意を向けられるのは初めてで挟む沈黙にも心臓が跳ねる。店までは2人だ、と嬉しそうに笑う彼に顔が緩むけどすぐに陰るのはやっぱり一也くんが心に在るから。

構内を出る間近で私は足を止める。
どうかした?、と優しく聞いてくれる彼は何も言わず首を振る私に目を細めた。


「ごめんね、今日はやっぱり行けない」
「……やっぱり元カレが忘れられない?」
「まだ、ちゃんと別れたわけじゃないから。中途半端はしたくないの」
「けど元カレは連絡くれないんでしょ?」
「そう…だけど。それは…とても忙しい人で…」
「俺たちと同い年だろ?忙しくてしょうがないってなんだよ?言い訳に決まってる」
「っ………」
「元カレに縋ってたら余計に忙しさの負担になるんじゃない?」
「それは……っ」
「んなこと…っ、ねェから!!」
「!」
「え……」


突然大きく響いたその声にすべての感覚が持っていかれた。でもそれは私だけじゃなくて、息を切らしながら私の方へと歩いて来るその姿を見て驚き固まってる周りの学生たち。

くそ…!、とスポサンを取って汗の掻いた髪の毛を掻き上げ鬱陶しそうに目を細めた。その目が私に現実を突き付けていた彼に向けられたのはきっと気のせいじゃなくて、彼は物怖じしたかのように一歩下がる。


「か、ずや…?」
「信っじらんねェ!!留守電になんつーもん残すんだよお前は!!」
「え…もう聞いたの?」
「聞いた。聞いたから練習してたってのに出てきたんだろ」
「な……んで?」
「………」
「なんでぇ?……っ」
「亜依。俺は別れねェからな」
「っ…で、も…!」


ざわざわと周りが一也の存在に気付き撮影しようと携帯を構えたりするのが見えて、どうしよう、と混乱していればスポサンをかけ直した一也はあろうことか平然な顔で私の横に立ち、よっ、と膝裏へと手を入れてそのまま抱き上げたのだ。

キャー!、と上がる黄色い悲鳴と、おー!、と感心を示す声が上がり一也は余裕いっぱいの笑顔で返すけどこっちはそれどころじゃない。頭はパニックだ。一也の手に体温、匂いも全部久し振り過ぎて溢れる愛おしさですぐに視界は滲んだ。それに気付いたのか甘ったるく、亜依、と呼ぶ一也が、チュッ、と私の瞼の上へキスをするものだからもう声が判別出来ない大きな音に私たちは包まれた。


「な…っ、ななな!」
「ほら、どうせなら美人に撮ってもらえよ」
「は!?」
「あの雑誌あることないこと書きやがって…!」


唸るようにそう不満げに言う一也だけどパシャパシャと切られる携帯カメラのシャッターにはさすがの営業スマイルを見せてながら抱き上げた私をそのままに歩き出す。一也をテレビじゃなく実際に見るのも久し振りなのにまさかこんな角度から見ることになるなんて。相変わらず、凄く綺麗な顔立ち。めちゃくちゃ怒ってるけど。


「あんな化粧ばっか厚くて媚びたように喋る女子アナと密会する暇があんなら亜依のとこ行くっつーの」
「一也……」
「球団側も肯定も否定もすんなって、肯定はねェから。有り得ねェ」
「か…っ、ずや」
「もうこうなったら…」
「一也……っ」
「!……ん。もう少し我慢な」
「…っやだ。もう、我慢は嫌…っ」


こんなに近くにいるのにもう我慢なんて出来るわけがなかった。一也の首に手を回してキスを強請れば一也は目を見開き一瞬固まってから、上等、とにやり笑い唇を重ねた。

その後のことはもう、それはそれは凄い騒ぎ。SNSに出回る一也とM大女子との熱愛の情報と写真は後を立たずしばらくトレンド上位に有り続けたことを大喜びした。
誰が、って…勝手に練習を抜け出してペナルティー謹慎中のこの人が。


「おー、これよく撮れてるぜ」
「み、見ない!!」
「はっはっはー!真っ赤。やっぱ雑誌よりも民衆を味方につけねェとな」
「……性格悪いんだから」
「んー?」
「なんでもありません」


そのおかげで一也と高校以来のゆっくりした時間が持てているわけだけど喜んでしまったら罰が当たりそうで顔を引き締める。

友達からはお祝いのメールがきた。一也のところには青道野球部のOBを中心としたメンバーから連絡がしばらく絶えずついにサイレントモードのまま携帯を放置したことが私と連絡のつかない原因でもあった。女子アナとのスキャンダル後に今と同じ現象が起こっていたのだとか。
今だから許せるけど、やっぱり文句だけは言わせてもらった。

謹慎中だというのにこの人はまったく懲りた様子もなく、奪われたら取り返せばいいだけだ、と言い切って見せた。
そのあとに、お前もな、と続けた一也は結局留守電を最後まで聞かず飛び出してきたことをいつ気付くかな?


「一也」
「ん?」
「ぎゅう」
「ははっ、なんだよ。甘えた?」
「うん。甘えた」
「へ、へェ。ほれ」
「ん。……もっと」
「………」
「もっと、ってば」
「ちょ、どうした?なんかすげェ…」
「我が儘で嫌?」
「……全然。すげェ可愛くてなぁ…」
「うん」
「つーわけで、いただきます」
「え、待っ…!きゃあ!!」


どさりとベッドに2人で沈む。後少しだけ、ただの恋人で。しばらく経てばまた華やかな世界へと行ってしまう彼の背中をちゃんと押せるように今だけ独占させて。


"発信音の後にメッセージをどうぞ"
《一也…?もう、別れよう……



……なんて言いたくない。だからお願い。すぐに私に会いに来て》



我が儘に酩酊
「こう、我が儘とかマジで我慢出来なくなるよな。どうでもいい女の我が儘ほどウゼェもんはねェけど好きな女の我が儘は可愛すぎて…こう、な。我慢出来なくなるっつーか」
「それが私を1日中解放してくれなかった理由?」
「はっはっはー!嬉しいだろ?」
「な……!も、もう!!……しいよ」
「ん?」
「嬉しい……よ?あの、気持ち良かった…し」
「………」
「…か、一也?なに真顔になっ…」
「ん。今のは亜依が悪ィ」
「え!?駄目…!ちょ、ひゃあ!」


―了―
2015/10/20





×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -