「いだだだだ!ペトラ!ストップストップ!」
「もー、何?いちいちそんなこと言ってたら治療終わらないわよ?」
「治療違うそれ、暴力!優しさがない!!」
「あるわけないじゃない優しさなんて」
「何故!?」
ぐりぐりと半ばいじめの域にでも達していそうなほど力強く、ペトラはナマエの幹部へと薬を塗り込んでいく。
周りの班員達は、特に彼女に助け舟を出すでもなく、ただ優雅にコーヒーを啜っていた。ただエレンだけはオロオロとしながら、体を小刻みに揺らしている。
「大体あんなに強く噛みちぎるからいけないのよ。私達だってあそこまでしかしなかったのに」
「せいぜい俺らは暫く歯形が消えなくなっただけだったのになぁ」
「非常に腹が立つんですけど。ちょっと小馬鹿にしながら言ってる辺りがまた憎たらしいんですけど!」
ナマエの腕にくっきりと残っている歯形。それは紛れもなく彼女自身が自分でつけた跡である。
エレンが自分の意思とは関係なく巨人化してしまった昼の事。皆はそんなエレンの行動に慌てふためいてしまった。だから彼に刃を向けたのだ。リヴァイとナマエ以外の全員が。その後のハンジの考察やエレンの弁解で彼が意識的に巨人化したのではないということがわかった時、皆彼への誠意と謝罪の意を込めて、エレンがしたように各々自分の手を噛んだのだ。
「大体おかしいよね!?私別にエレンに何もしてないのに何で手噛まなきゃいけなかったの!?」
ナマエは特にエレンに対して不信感や敵意を露わにしたわけではないので、別にそんなことをする必要などなかったのだが、そこはその場の空気におされてしまったとでも言おうか。
「そんなもん俺らの雰囲気にのまれて勝手に自爆しただけだろ。なぁエレン」
「え!?あ…まぁ、はい。何かすいません」
「エレン、今すぐ黙るか失神するかしないと先っちょ切り取るから」
「謝っただけなのに…!」
全く持ってイライラする。
先ほどからちらちらと視界に入り込んでくるオルオの笑いをこらえているようなにやけ顔がまた更に怒りのボルテージを上げていく。
「笑ってんじゃないよ、この討伐数一番!」
「怒るか誉めるかどっちかにしろよ」
「…討伐数だけでは兵士の優劣は語れない」
「何かエルドが悟りに入ったんだけど」
「お前ら静かに茶も飲めねぇのか」
「すいません兵長、でも兵長もズルいと思うんですよ!おかしくないですか、私は何もしてないのに手を怪我したのに兵長は無傷とか」
「は、だからお前はグズなんだ」
「“だから”って何ですか!どことどこを繋いだ接続詞ですかそれは!!」
だんだん賑やかに、いや、険悪になっていくリヴァイ班。エレンはそんな彼らを見ながらただオロオロするばかり。このままではこれが調査兵団なのかという間違った知識を会得してしまいそうだ。
兵長はよくこんなメンバーを集めて統率しようとしたものだ。いや、元より統率はする気はないに等しそうだが。
「ナマエ、あんまり兵長につっかかるとまたお仕置きされるわよ?」
「“また”って何!?お仕置きとかされたことないからね」
「え?違うの?時々ナマエったら兵長の部屋に入っていって戻ってこないからそうなのかと…ねぇオルオ?」
「知らねぇよ。俺は何も見ッ…な、何も見てねぇからっ」
「おいぃ!動揺しすぎだろ!馬乗ってないのに噛むなぁ!てか見られてたの!?」
顔を真っ赤にして抗議する彼女を見て首を傾げるエレン。ペトラ達の言っていることの意味がよくわからずにリヴァイを見ても、彼は素知らぬ顔でコーヒーを飲んでいるだけだった。
「グンタさん、どういうことです?兵長の部屋に行くのはダメなんですか?」
「ん?あぁ、まぁそうだな。それはエレンがもっと大人になったら教えてやるからな」
「お父さんみたいなこと言ってんなよグンタ。エレン、それはだな…」
「エルド、黙れ」
リヴァイの一言で瞬時に固まるエルド。
それでもまだナマエ達三人は何やら言い争っている。リヴァイはその様子を見て軽く舌打ちをした。
「チッ…あいつらはいつまで喚いてんだ…クソメガネの実験体にするか」
「賛成です!」
「「賛成すんなグンタ!」」
三人揃っての抗議の声。こういった時と壁外調査の時だけ息が合うのは不思議だ。
「ハンジ分隊長の実験体はエレンだけで十分ですよ!ね、エレン。大丈夫、ハンジさんはヤサシイからね」
「優しいの言い方に悪意しか感じないんですけど!」
「どうせあいつに体好き勝手弄くり回されて終わりだろ」
「兵長まで!」
この先自分は一体どうなってしまうのか。エレンは将来が不安になった。
リヴァイとナマエは自分をいじる時だけは結束力が強くなる。
それを抜きにしても、普段からリヴァイはナマエのことを大切にしているのはわかってはいるが。
やがてリヴァイはゆっくりと立ち上がり、ナマエへと近づいていく。そうして少し乱暴に怪我をした手を掴んだ。
「これくらいの怪我で喚くな」
「だって」なんて言い訳する彼女に、兵長はギロリと絶対零度の眼差しを向ける。それだけで本当に体が凍ってしまったような錯覚を覚える。思わずナマエは言葉を失って固まってしまった。
「これ以上騒がしくなるなら…」
硬直する彼女へとほんの少し顔を近づけて、リヴァイはゆっくりと口を開いた。
「“お仕置き”とやらを本当にやる」
瞬間、別の意味で彼女の体が固まった。何故か関係のないペトラ達も硬直している。
そして、リヴァイは何食わぬ顔でナマエから離れていき、静かに部屋を出て行った。
後に残されたのはどうしたらよいかわからず固まる一同。
やがて顔を真っ赤にしたナマエにエレンが声をかけるまで
班の皆はどことなく主張されたリヴァイからのノロケに
ナマエを羨ましがることしかできなかった。