01
キャスパー・ヘクマティアルは武器商人である。そして彼は身に降りかかる危険から己を守るために、多くの私兵を傍に置いている。

その中にクレアという名の女が一人。彼女は女性が少ない中での小隊の癒やし要員。小柄だが頭がキレて小回りがきく。緊張が顔に出やすいというマイナス面もあるが有能な人物だ。性格も朗らかで親しみやすく、何より素直。小隊のマスコット的存在のクレアだが、今はその彼女がキャスパーを大いに悩ます悩みの種となっている。

「キャスパー」

「ん?あぁ、チェキータさん。どうかしましたか?」

ぐるぐると思考の渦にのまれかけた時に、背後から聞き慣れた者の声。

キャスパーは小隊の中のもう一人の女性、チェキータへと目を向ける。

「クレアから伝言よ。“今日の晩ご飯は中華にしますか?それともバーガー?”ですって」

苦笑を浮かべたまま彼はやれやれとため息をついた。

ここの所ずっとこの調子だ。何故かクレアは自分に聞きたいことがあっても直接来ず、チェキータに頼んでこうして伝えてもらっている。それがどんなに重要なことであっても、今のような何でもない質問であっても。それ故に、姿は見てもまともに話をしたのはもう随分と前のような気がする。

もちろんこうなった原因など全くもってわからない。いくら記憶を辿ってみてもここまでになるような明確な原因など見つからないのだ。

「ふぅ…またその手の伝言ですか?いい加減何とかしないといけませんね。あ、ちなみにさっきの質問の答えはバーガーの方で!」

「私は伝書鳩じゃないのよ?キャスパー、一体クレアに何しちゃったわけ」

「うーん…心当たりがないわけじゃないんですが」

たった一つ。たった一つだけそれらしい要因があったことはあった。だが、それだと断定するにはあまりにも決め手に欠けていた。

事の発端は一週間程前に、ココと仕事で再会した時まで遡る。久々に会った彼女は変わっておらず、クレアのキャスパーへの態度もこの時は普通だった。

いつも通り彼の護衛をし、そしていつも通り帰還するはずだった。そこへ唐突にココが彼女に話しかけたのである。

“兄さんの相手は疲れるでしょう”と。もちろん、そんな一言が今の状態を作り上げるきっかけになったわけではないはずだ。彼女もそんなことはないと笑顔で返していたし。恐らく問題は次のココからの言葉であるはず。

“いっそ付き合っちゃえば?結婚でも全然いいけど”という一言に。そう言われたクレアはひどく狼狽し、顔を羞恥で真っ赤に染めて言葉にならない声を発していたのだ。

思えばこの出来事の後くらいからだっただろうか。クレアの自分への態度がおかしくなったのは。もし、これが要因なのだとしたらどこまでも純粋な彼女に軽くため息すらこぼれてきそうだ。

ココは半分冗談のつもりで言ったに違いない。半分は本気だろうが。ココはキャスパーの方の気持ちを知っているから。それが皮肉にも彼とクレアのわだかまりを生んでしまったが。


「ということなんですけど、どう思います?チェキータさん」

言えば言うほど、結局はこれが原因だったのだという確信が持ててくる。それに思わず苦笑しながら、その一件のことを全て言い終えてキャスパーはチェキータの返事を促した。

「それでしょ、原因」

「やっぱりですか?これは困ったなぁ」

さほど困ってないように見えなくもない彼。いつまでもこのままチェキータに伝書鳩をさせるわけにはいかないし、彼女とこのままでは困る。困るというよりは嫌だった。

誰だって好きな女にこんな態度を取られ続ければこたえるというもの。それに、彼女の反応を見て、彼女が自分をどう思っているのか、単純に興味が湧いた。

「それじゃあ問題解決しに行きますよ。上手くいけばチェキータさんは今日から伝言役卒業ということで」

「何だか楽しそうだね、キャスパー」

「もちろん、長きに渡った想いにやっと終止符が打てるんですから。ココには感謝しておかないとな!」

















































自室、と言ってもホテルの一室に過ぎないが。もう結構長くここに泊まっている不思議と愛着が湧いてくる。

クレアはベッドに仰向けに寝転がりながらぼんやりと天井を眺めた。

「はぁ…またくだらないことチェキータさんに聞きに行ってもらっちゃったなぁ…」

あんなことくらい自分で聞きに行くことすらできないのかと、情けなくなってくる。

でも駄目なのだ。キャスパーの顔を見るとこの前のココの言葉を思い出して、どうしても上手く話せなくなってしまう。

ココが言った一言は予想以上にクレアの心を揺さぶって、押し隠していた感情を引きずり出した。言われて初めて意識したのではない。ずっと前から自分は彼のことが好きだったということを。

「はぁ…」

そうして今日何度目かのため息をついた直後、静かな室内に小さく響くノック音。相変わらず寝転がったままクレアは「はーい」と返事をする。

「クレア。僕だ」

途端に跳ね起きるクレア。まさか今考えていた人物がやって来るなんて。しかも今一番会いたくなかった人が。

しかし、かと言って追い返すわけにはいかない。もしかしたら彼も痺れを切らしたのかもしれない。ならば、これは丁度いい機会と捉えるべきか。

きっとそう考えていた時間はほんの数秒だったのだろう。クレアはすぐさま扉を開けた。

「あ…えっと、どうかされましたか?」

「うん、少し話がしたくて」

にこやかだが、どこか強制的なその笑顔に、クレアはおずおずと彼を中に促す。

部屋の奥に入ると、キャスパーは特に椅子に腰掛けるわけでもなく、笑顔のままゆっくりと口を開いた。

「フフーフ、さっきチェキータさんからついに“私は伝書鳩じゃないのよ?”って言われてしまってね」

彼の言葉に何となく胸が痛む。自分のせいで他人に迷惑をかけてしまった。

「僕と君がこうなってしまった原因だけど、それはやっぱりこの前のココの言葉か?」

クレアはその問にただ無言で頷くことしかできない。向こうにしてみれば何ともくだらないことだと思うに違いない。自分ですら少しそう思うのだから。

「そうか。では単刀直入に聞こう!君は僕をどう思っている?」

弾かれたように顔を上げる。そんなこと答えられるわけなどない。

しどろもどろになるクレアに、キャスパーはやはり笑顔で近づいていき、彼女の横の壁に手をついた。彼女に逃げ場など、もはやどこにもない。そしてクレアの顔はみるみる赤くなっていき、目も潤んでいく。それだけで答えを示しているようなものだ。

「君には答えにくい問だったか。なら僕から君に言わせてもらおうかな」

真っ直ぐに自分を見つめてくる瞳に、何も考えられなくなりそうになる。

「僕はね、クレアが好きだ」

驚く一瞬の時間すら与えられずに、唇に押し当てられる柔らかい何か。それが何かを理解する前に柔らかなそれはゆっくりと自分から離れていく。

「この瞳も、頬も、唇も、全部が好きだ」

そしてもう一度重ねられる唇。甘い感覚に支配されそうになって、クレアは慌てて彼の胸を押し返した。

「わ…私はっ…あなたの部下ですよっ…!?」

「わかってるさ」

こんな自分なんかでは彼にはふさわしくない。そういう意味を込めて言ったはずなのにもはや彼にそんな言葉など無意味だった。

押し返した手を握られて、今度は壁へと押し当てられる。

「何でそんなことを気にする必要があるんだ?」

「何でって…」

「そんなことを気にするのは一昔前の貴族くらいだよ」

貪られるような口付け。先ほどよりも深いそれに驚いて僅かに口を開けば、侵入してくるキャスパーの舌がクレアの舌と絡み合って、思わず彼女からは声がもれた。
本当に今まで悩んでいたのが全て一瞬で吹き飛んでしまうほどの口付けに、とろけそうになる。

名残惜しそうに離れていく唇。彼の顔を見れば、その顔にはいつもの笑みが浮かんでいた。

「好きだよ、クレア」

彼はずるい。いつもいつも余裕で、惑わされるのはいつも自分。返す言葉なんてもうわかっているくせに。

「私も…キャスパーさんのことが…好きです」

正面には満足そうに笑う彼。本当に彼には敵わない。長い間悩んでいたのは一体何だったのか。

「……というか、私まだ返事してなかったのに…」

「あぁ、そういえばそうだった!でも、最初に質問した時に同じ気持ちだって確信したからさ」

「うぅ…それでもやることの順番が逆ですよー…もう」

「ならもう一度キスしようか。これなら順番通りだ!」


クレアの返事を待たずに交わされる口付け。

そうして一連の事件は幕を閉じた。

クレアが気恥ずかしさからまたもう一週間まともにキャスパーと目を合わせられなくなったのは

また後日の話。


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