“あなたはこうして腐っていくのか?”
そんなのは嫌だ。
そんなのはつまらない。
“戦闘能力の高さ、ハッキング技術、豊富な言語知識。どれも完璧だ。それで元狙撃手とは信じられない”
何なんだろう…この人は…
私と年なんか変わらないはずなのに…不思議な人。
“私はあなたが欲しい”
え…?いきなり何…言ってる…?
この人は私を…必要としているの…?
“私と共に世界を見る気はないか?こんな場所にいるよりずっと視野も広がる”
世界。何ていい響き。
行ってみたい。見てみたい。
“もう一度言う。私と共に来い、クレア”
この時から、私の世界は広がった。
光が差した。
ココさん、あなたのお陰で…私は…
「クレア!ここにいたのか!探しちゃったよ。あぁそっか!もうこの時間だったか」
船の上で沈む夕日を見る。これぞ至高の楽しみ。一人で見るのももちろん大好きだけれど二人で見れば二倍楽しい。
「ココさん!丁度よかった、今一番綺麗だよ。見ていきませんか?」
「フフーフ、いいねぇ、そうするよ」
ココはにこりと笑ってクレアの首に手を回して後ろから抱きしめた。
「クレアは本当にここが好きだね。大体この時間はこうしてるから用があったら探す手間が省けるってバルメが言ってたぞー」
栗色の髪の毛をふわりふわりと風に靡かせて嬉しそうに微笑む。
「へへ、私ね、海大好きなの。夕日も大好き。大好きなものと大好きなものが合わさったらもっともっと大好きになる。そしてそれを大好きな人と見たらもう最高」
夕日に照らされているためかクレアの顔はうっすら朱に染まっていた。本当に楽しそうだ。このふわふわとした笑顔を見ればどんな鉄仮面でもその顔を緩ませることだろう。
何年か前ならこんな表情を見せることはなかったが。
「その“大好きな人”とは私のことかー?相変わらず可愛いなぁクレアは!!」
ぎゅーっと抱きしめる腕に力を込める。
クレアはあわあわとしながらも腕から逃れようとはしなかった。そしてゆっくり口を開く。
「えと…何か私にお話があって来たんじゃ…?」
「あぁ、そうだったそうだった。近々ね、新しい子が来るかもよ!」
ココの言葉に引っかかる節があったのか、クレアは首をかしげた。
「子…?子供ですか?」
ココはひどく楽しそうに笑い、待ってましたと言わんばかりに早口で喋り出した。
「そう、少年兵!!そりゃもうすごいらしいよその子!!今は兄さんの所にいるらしいんだけど」
「へぇ…そんなにですかぁ。私も早く会ってみたいな、その子」
「フフーフ、私もだよ。ホットなニュースだからね!レームとバルメはもう知ってるけど私から知らせに来たのはクレアが最初なのであーる!!」
ココの興奮ぶりからしてきっと本当にすごいのだろう。純粋に興味が湧いた。性格はどんなだろうかとか、容姿はどんなだろうかとか。何にせよ賑やかになるのは喜ばしい。
だが、色々想像していた時にクレアはまた頭に新たな疑問が浮かんだ。
「あれ?今その子キャスパーさんの所にいるんですね?」
笑みを崩さずにココは一瞬間を置いてから問いに答える。
「まぁ色々あってね。あ、そうそう!兄さんがクレアに会いたがってたよ。伝えてくれって頼まれちゃった」
ココの兄、キャスパー。双子でもないのにココに顔がそっくり。同じ武器商人だが彼女よりも幾分やり方が激しいという印象をクレアは彼に持っていた。普通に話している時はとても気さくなのだが。別に嫌いというわけではない。むしろ好きの部類に入る。
「キャスパーさんがですか?うわぁ…もしかして約束覚えててくれてるのかなぁ。だったら嬉しいです」
「約束?兄さんと?」
「うん、キャスパーさんはアジア地域担当じゃないですか。私そっちの方は全然行ったことがなくて…いつか案内してくれるって」
本当に嬉しそうにそう言うクレアを見てココはムッとして頬を膨らませて手を高々と空へと振り上げた。
「兄さんにクレアは渡さーん!!!」
「え、え!?いきなりどうしたんですかココさん!?」
いきなりのココの発言にクレアは慌てるばかりである。
するとココは手すりに肘を乗せて未だオロオロとしているクレアの頬を指でつついた。
「あなたのそっち方面でのその鈍感さは困ったもんだよ。まぁそこも可愛いんだけど」
「?」
ココの言っていることの意味はさっぱりわからなかったが、彼女が笑いかけてきたので思わずクレアもつられて笑う。
まだまだそらは橙色。クレアは橙に染まっている水面を眺めて、これから来るであろう少年兵のことに思いを馳せていた。
「なぁ、アール」
「ん?どうした?」
最近商談で訪れた国で購入した雑誌を読みながらルツは言葉だけを隣にいるアールに寄越した。
「クレアってさ…好きな男いると思うか?」
アールは驚いて思わずルツの方を見る。
何だかんだで彼とは長いつき合いだがこんな話を彼からふられたのは初めてだった。それと同時に顔がにやける。からかうようにルツの肩に手を回した。
「おいおい、ルツ。お前そうだったのか?気づかなかったぜ」
「そッ…そうじゃねぇよ!!ただ単純に気になっただけっつーか…!!」
「隠すなよ。別にお嬢に言おうってんじゃねぇんだからさ!」
何かまだ言いたげに口を動かしているルツを無視してアールは顎に手を当てる。
思い返してみるとクレアの色話などてんで聞いたことがない。多分恋人とか想い人とかそういう存在はいないはずだ。
「多分いねぇんじゃねぇかな。少なくとも俺は聞いたことない」
小さな声で「やっぱそうか」と呟いてルツは天井を仰ぐ。
アールは尚も楽しそうに笑って彼を問い詰めた。
「なぁなぁ、で、いつからなんだ?」
「…だから!!そういうんじゃねぇっての!!」
彼自身、半分くらい本当に興味本位で聞いたつもりだったのでそんなことを言われても困るだけだった。
その時、扉が開いてドヤドヤと隊員が部屋へと入ってくる。その中にはクレアもいた。アールはその姿を確認して軽く手を上げる。
「よぉクレア!今な、ルツが…」
「アール!!余計なこと言うな!」
ルツはとっさにアールの頭を押さえる。クレアは何がなにやらわからずキョトンとしていた。
「何でもねぇからなクレア!気にすんな!!」
「えっと…うん…?あ、それはそうとルツ、見て!!私の新しい狙撃銃!ちょっと重量はあるけど…。レームに相談したら色々教えてくれて、悩んだけどこれにしたんだ!!」
にこにこと音がつきそうな程の笑顔で自慢気に銃を見せてくるクレア。相談されたというレームはそんな彼女の後ろで煙草をふかそうとしてバルメにお叱りを受けている。
「お…おぉ、いいな!!撃ってみたのか?」
「うん!よかった!!」
ルツはこんな彼女との会話に仄かな幸せを感じていた。
そして銃を机に置いてクレアは窓の外の見て目を細める。
「それにしても…楽しみだなぁ…新人君」
「クレア?何か言ったか?」
「ふふ…何でもない」
賑やかな職場。それが自分の居場所。
人もどんどん増えていけばいい。
クレアはこれから来る少年の作るタマゴ料理を想像して頬を緩ませた。
歯車はゆっくりと回り始める。
もう止まることはない。