03
「すげーな、お嬢は。何喋ってるのかサッパリだった。アフリカ語?」

「アフリカ語?そんなのあったか?もっと細かくわかれてるんじゃなかったか?知らねーけど。なぁクレア、あれは何語なんだ?」

「えと、実はわかんないんだ。話せればそれでいいかなって思って名前は知らないの」

ごしごしと壁を擦る音が波と音と混ざり合って何とも言えない不協和音を奏でる中、ルツとアール、クレアの三人は壁を洗い続けている。

二人はクレアの言葉を受けて少しおかしそうに笑ってから、再度作業を再開した。

「でもココさんって確かアフリカのどの国でも日常会話ぐらいならできるって話ですよね」

「それどころか、ヨーロッパのすべての言葉を話せるんだぜ」

アールの言葉に彼女は楽しそうに瞳を輝かせる。

ヨーロッパのすべての言葉ということは即ち、そのほとんどの国は行ったことがあるということだ。そんなことが自分にもできたらどんなに素敵だろうと、そう思わずにはいられない。

不思議とまだ見ぬ国のことを考えるだけで、手には力が入っていった。

すると後ろから無機質な金属音が聞こえてくる。振り返らずとも誰が何をしているかなどわかりきっていたので、静かに自分にとっては心地よいその音に耳を傾けた。

布と銃身の擦れる音。自分の大好きな音。まるでこびりついた血液を隅から隅まで丁寧に拭き取るようで、クレアはそれが何となく好きだった。

「ヨナ、少し銃身を強く叩きすぎかもです」

やがて後ろを振り向きもせずに言葉を投げれば、ほんの少しの間音は止んで、やがて再度鳴りだす。今度は幾分か音は小さく感じた。

そうして自分のAKもそろそろ整備しないとなぁ、なんてぼんやりとそんなことを考えていると、隣にいるルツが何か面白いことを思いついたのか、勢い良くヨナの方へと視線を滑らせる。

「ヨナ坊!ちょっと来てみ?」

素直にこちらへと寄ってくるヨナ。

音が途切れたことに僅かな名残惜しさを感じながら、興味深げにクレアも大きな瞳をルツへと向けた。

「これが今大人気のスポーツ、“カベ洗い”だ!君もぜひこの楽しさを体感してほしい!!」

思わず苦笑がもれる。果たしてこれをスポーツと分類していいものなのか。
ヨナの方も、どう返したらいいのかわからないのか、無言だ。

クレアが何か二人に言おうとする前に、アールから真面目な声が発せられてそれは中断される。

「バカ言ってねーでやれよ、ルツ!!バツなんだからよ、“XM8放置事件”のさ…しかもクレアまで巻き込んじまって」

「わかってるよ、少しからかっただけじゃんか。意外とカタいとこあるよな、アールって」

それからルツはクレアの方に向き直って、申し訳なさそうに笑った。

「クレアは別にやんなくてもよかったんだろ?なのに何か悪いな」

まさか自分に謝罪の言葉が来るとは思っていなかったため、かなり面食らってしまう。それからすぐに柔和な笑みを浮かべた。

「大丈夫、私がやりたくてやってるんだから!それとも、ルツには迷惑だったかな」

「そんなことはない」と全力で首を横に振るルツ。
それが何だかおかしくて、また笑う。

掃除をしていてこんなに楽しい想いをしたのは初めてだ。おかしな話かもしれないが、バツを与えてくれたココに感謝しなくては。

やがて何故か気恥ずかしそうに視線をさまよわせるルツが、そこにさっきまでいたはずのヨナがいなくなっていることに声をあげる。

「アレッ!?ヨナ坊がいない!?ヨナ坊が消えたゾォ!?」

「ウルッセーなー」

「ふふ、私達だけでやれってことだね」

それに今のヨナは壁の掃除などしている暇はないはずだ。
今は確か理科の授業の時間だから、必死にマオから逃げることで大変なのだろう。

勉強が嫌いだから逃げたくなる、その気持ちは理解できるが、算数や理科なんて決められたたった一つの解答に辿り着けばいいだけなのだからそこまで毛嫌いしなくてもいいような気がしてならない。
そんなことを言ったら彼から反感を買うことになるから黙っておくが。

「あ…届かない…」

ふと高い部分に汚れが見えて、思考を中断して背伸びをしてみたが、目的地まで手が届くことはなかった。

それでも諦めることなく小柄な体を伸ばしてみるがやはり結果は変わらない。

こういう時、バルメの身長ぐらいあればと、彼女が羨ましくなる。昔は小回りが利くという点で仕事の役に立っていたから気にしてはいなかったが、最近は実年齢より幾らか下に見られることが多くなって少し不満だった。

やがて小さくため息をついて諦めようとした時、手からヒョイとブラシがさらわれて、声を発する間もなく汚れは落とされ、ブラシはまた手中に戻ってくる。

「ありがとう、アール」

「いいって」

当然のことをしたかのようにまた自身の作業に戻るアールに、自然と顔が綻ぶ。

飾り気のない優しさに本当は泣きたくなるくらい嬉しかったのに、不思議と顔には笑みが浮かぶ。

「色男だなアール、クレア、ああいう奴は騙されんなよ?」

「おいおい、そりゃ牽制か?」

何やら二人が会話を始めたが正直何の話をしているのかわからなかったので、クレアは二人の間に挟まれながら黙っていることに決めた。

そうしていると、もう聞き慣れた快活な声が聞こえてくる。

「フフーフ。やっとるかね?諸君」

ココだ。自分達の様子に見に来たのだろうか。
もしかしたらヨナの捜索をしているのかもしれないけれど。

「おーお嬢。やっとりますよー」

「よしよし、それにしてもクレアまでやることなかったのにー」

こうしてペナルティを素直に受け入れるというのは直接的ではないにしろ、ココへの信頼心に繋がっている。

そんな信頼心を示したかったからこそ、自分も壁洗いをしているのだという意味を込めて彼女を見返せば、やはりいつものような笑みを向けられた。

「あ、そうだ三人共!あれ、使ってみてどうだった?」

“あれ”というのがXM8のことだというのは全員瞬時に理解できた。

皆一旦手を止めて、思案げに虚空を眺め始める。

「あのアサルトライフルを撃った感想?」

「そう。開発した社や軍はリサーチし尽くしているけど、あなたたちの感想を私は聞きたい。あ…でもやっぱりクレアはいいや。言いたい全部想像つくから」

「……なんかごめんなさい…」

言いたいことを全て理解されているというのは何とも虚しいが、恐らく本当にココは全部わかっているのだろうから黙っている他ない。

手応えのなさ、反動の少なさ、どこをとっても自分には合わなかった。命を刈り取る感覚をありありと感じられるようでなければやはり駄目なのだ。

やがて、クレアに代わって楽しそうに口を開いたのはルツで。

「俺はイマイチだったな!性能イイけど。軽すぎて」

「遠慮ない奴だな。一番騒いでたクセに」

「重い銃ってのはやっぱりウンザリするけど、それでも銃は鋼鉄製でないとなぁ」

水が飛び散るのも気にせずにブラシを振りかぶるルツにアールが「汚ぇ!!」と抗議の声をあげていたけれど、彼はそんなことは気にせずにココを見つめている。

ルツの言っていることには自分も賛同できる。だけれど、彼が本当に言いたいことは多分自分の価値観とはズレがあるはずだ。

「命預けるモンだからさ!考え方、古くさぇのかな?」

ほら、やっぱり。自分は違う。命を預けるだとか、そんな素敵な理由なんかじゃない。
思わず手に持っているブラシを握る力が強くなった。

そんなクレアに気づかずに三人は会話を続けた。

「警察関係者に卸すってのはどう?」

「なんで?」

「ガワがプラスチックで包まれてて銃っぽくない。威圧感を抑えた武装だ。けっこー、苦情多いらしいぜ。観光地とか」

やがてココは皆の感想に満足したのか、パンと両手を叩いて声を発した。

「OK!お掃除終わり!」

「よっしゃあ!」

「おつかれー」

「やっと終わりましたねー」

そそくさとその場をあとにする三人。後ろから何やらココが言っているような気がしたが、構わず歩き出す。

本当は話したかった。あのライフルのことについて。自分が何を言った所で少しの影響力もないことはわかってはいるが、体は自然とうずうずしてしまっている。

でも喋りすぎれば皆に変な印象を与えてしまいそうで。それは嫌だからむしろ黙っていてよかったのかもしれないが。

そんなことを考えていたら何かにぶつかってしまう。慌てて顔を上げれば、そこにはアールの顔。

「どうした?ボーっとして」

「あ…ごめんなさい!何でもないよ」

多分何を考えていたのかはバレているのだろう。
アールは尚も心配そうにこちらを見下ろしている。

「ならいいけど、あんま溜め込むなよ?言いたいことあんなら、俺でいいなら聞くからさ」

恐らく彼女が悩んでいるのは彼女自身の感性のこと。

別にクレアが曲がりきっているというわけではない。だが普通にというのにはあまりにも異常なのは認めざるをえない。自分にはよくわからないけれど、今までのクレアが置かれていた環境がそんな彼女を作り上げたのだろう。

そのことが彼女自身を深く苦しめる原因となっているのもわかっている。力になってやりたいと、純粋にそう思う。

それは仲間として。恋人として踏み込むのは自分の役目ではない。そんなことはとっくにルツに任せている。

だが驚くほどに二人には進展がない。クレアが疎いから仕方がないのかもしれないがそれで彼女が余計に苦しむ様を見ていると、多少複雑な感情が胸を支配するのだ。

「平気だよ。言わなくても…アールはちゃんとわかってくれてるから」

ふわりと笑むクレア。心からの笑み。その笑みに誰もが惹きつけられる。

自分にだけ向けられているそれに、少し優越感を覚えずにはいられない。

「わかってるくせに、言いにくいことだってことも知ってるから無理に聞き出そうとはしないでくれる…あなたってそういう人」

それは彼女も同じだと、そう言おうとしてやめた。
今は静かに彼女の言葉に耳を傾けていたかったから。

「それって結構助かってるんです。そんな優しさに私は今も救われた。ありがとう、アール」

「もう大丈夫だから、行こう」と言って彼女は歩きだしていたけれど、アールは暫くそこから動けなかった。
やがて困ったように手で顔を覆う。

昔からいい女なのは知っていた。いつだって他人に感謝して生きている。そんな彼女自身がどれだけ自分の心をほだしているのかも知らずに。

「はは、こりゃ参った」

自嘲するような乾いた笑いは、潮風に流されて

アールはその中で

何かが芽吹いていく感覚も

心のどこかで感じ取っていた。


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