「ヨナ…君は…」
すぐ隣の少年兵を見る。獣じみた瞳を眼前のキャスパーに向けるヨナ。
その憎しみに似たその眼差しは確かに彼を貫いている。
自分に向けられているわけでもないのに息苦しくなる。苦手だ、こういう瞳は。場から逃げ出したくなってしまうから。
思わずヨナの肩に置いている手が小さく震えた。
そんなクレアを見て、キャスパーはヨナへと一歩近づく。
「おいおい、ヨナ。クレアが怯えてる。そんな目をしないでやってくれ」
狂気と恐怖にのみこまれないように張り詰めていた体が突然発せられた己の名前にびくりと跳ねた。
自分では気づいていなかったが、額にはうっすら汗が滲んでいたようで、それを見たヨナが慌てたように表情を少し崩す。
気をつかわせてしまっただろうか。過去と決別したと言っても、所詮は気持ちの問題だけで。こうして体はまだ素直に反応してしまう弱さが残っている。
キャスパーはそんなヨナを見て、少し驚いたように目を見開いた。
「へぇ…もう全部クレアの事情は知ってるかな?ヨナ」
ココや自分、極一部の人間しか知らないはずのクレアの秘密。秘密なんてかわいらしい響きを含んではいるが、実際は彼女にとっては忌まわしいだけでしかない過去のこと。
先ほどかけた己の言葉に対するヨナの反応を見るに、全て理解しているのだろうか。
「クレアと仲良くなれたようでなによりだ」
軽い口調だったが、どこか冷たく感じる彼の声が無機質な空間に響く。
あれだけ頑なだった彼女の心を溶かした原因が何であれ、この事実は何となく面白くない。
それはお気に入りの玩具を他人に貸し与えたまま返ってこなくなった時のような感覚に酷似していた。
「でもクレアは君について何も知らない」
悪戯な笑みを顔に貼り付けて、尚キャスパーの視線はヨナから逸らされることはない。
クレアはそんな彼を不安そうに見つめた。
面白くない。クレアからそんな瞳で貫かれるなど。
「それって少し不公平だよな。君がクレアの事情を知ったんだったらクレアにも君の事情を知る権利がある」
ピクリと、二人の肩が揺れる。
クレアのことだ、知りたいと思ってはいても、聞いてはならないと今まで黙ってきたのだろう。彼女自身も己に対してそうされることを望んでいたのだから。
「キャスパーさん、私の事情をみんなが知ったのは偶然が幾つも重なったようなものなんです。だから私はヨナが望んでいない情報の開示は…」
慌てたように言葉を紡ぐ彼女に、溢れる激情をなんとか抑えながらヨナは口を開いた。
「…いいよ、クレア。別に知られたって構わない。キャスパー、好きに話せ。ただし、嘘はつくな」
「あぁ、僕はクレアに嘘はつかない。もちろん君にも」
キャスパーは尚も笑いながらクレアを見つめている。
いつもなら綺麗だと思う彼の瞳も、今この時だけはどこかくすんで見えた。
彼は準備が整ったと言わんばかりに昔を懐かしむように言葉を紡いでいく。
「ヨナとの出会いは3か月ほど前だったな。西アジアの国で油田開発利権のある地帯での紛争…国境付近の基地で。もっとも、僕が行った頃には基地には死骸ばかりが転がっていたけどね。まぁ…僕は元々それが狙いだったからそのことは問題にはならないんだけど」
戦場で戦わなければならないことは兵士である故の運命だ。だが、ヨナはそんな所にも行っていたのかと、思わず眉間に皺を寄せてしまう。
そこでふと、今度は首を傾げる。「死骸ばかりが転がっていた」とはどういうことだろう。基地の中にまで敵国が攻めいっていたのだろうか。いや、それならばわざわざキャスパーが赴くわけも、ヨナだけ無事だったわけもわからなくなる。
「どうして…そんな状況に…?」
ヨナには悪いが、聞かずにはいられなかった。イヤに体が疼く。その感覚は、推理小説を読み進めて、早く犯人が知りたいと思う時の感情に酷似していた。
凄惨な映像に興味はない。ただ、そうなるまでの過程がたまらなく知りたいだけ。
「そこの司令官はとてもできた人でね。戦場で孤児を見つけては保護していたんだ。数は4人。モーリス、エリーネ、ジャノ…そしてマルカ」
“マルカ”、この名が出てきた瞬間にヨナの目の色が変わった。
彼女が何かしら原因となったのだろうことは容易に想像できる。
「他にもそこには僕の部下もいたんだが、これがまたあまり優秀じゃない奴でさ、名をガスード。これは後から聞いた話なんだが基地の副司令がガスードを連れて司令のもとへ行ったらしい。わざわざ地雷源を越えて」
長々と語られる彼の言葉は不思議と簡単に胸の内へと入り込んでくる。
先を聞かずとも、何となく結果がわかってしまう自分がほんの少しだけ憎らしかった。
「そして“地雷処理中の事故”で司令は死亡したらしい。ガスードも負傷していたらしいが死にはしなかった。代わりにマルカが死んだけどね」
「…そっか…仇討ち、ですか」
蒔かれた憎悪の種はあっという間に芽吹いていく。そうして起こった、たった一人の命の為の復習劇。優しさ故に引き起こしたその仇討ちは、一体どれほどの勢いでヨナを動かしたのだろう。
そんなことは考えるまでもない。それは恐らく自分を歓喜させるにふさわしいものだったはずだ。
あれだけ戦闘能力の高い彼が本気で動いたのなら、もう止められる者などいない。一瞬の内に数多の命を刈り取りながら、彼は駆けて行ったのだろう、憎き仇のもとへと。
「そう、仇討ちだ。敵味方関係なく殺していった。最後はチェキータさんが止めたけどね」
「あの時の君は本当に小熊のようだったわよ」
何でもないことを話すように笑いあう二人を見て、それからヨナの方に視線を移す。
彼の拳は強く握りしめられ、何かを必死に耐えているようだった。
「あ…キャスパーさん、その話はもう…!」
そんなヨナの様子をこれ以上見てはいられなかったから、クレアは聞きたい、知りたい、という欲望を押し殺してそう声をあげようとした。
だがその時、クレアの声を打ち破るほど大きな声が、船内に響き渡る。
「まだこの船に乗ってるとは思わなかった!!イイ大人が二人してヨナをいじめてんじゃないよ!!!」
「ココさん!」
驚いて声のした方に弾かれたように目をやれば、そこにはココの姿。
慌てるクレアだったが、キャスパーとチェキータは涼しい顔で笑っている。
やがて諦めたように小さくため息をついて、キャスパーはゆっくりと出口へと足を進めた。
「クレア」
振り向いてクレアへと声をかければ、彼女は素直に顔を上げる。
「この先は聞きたければヨナに直接聞くといい」
「いえ…私はもういいです。ヨナも多分自分からは話しにくいでしょうし」
本当は聞きたかった。どんな風に戦ったのかとか、その後どうしてココの所へ来ることになったのかとか、知りたいことなんて山ほどある。
きっとキャスパーにはそう思っていることはバレているのだろう。それでもそれ以上追求せずにいてくれるのは、クレアにとってはありがたかった。
「そうか。あぁ、それと…」
笑ってはいるが、今度は幾らか真面目に見つめられる。
「“彼”はまだ活躍中だそうだよ」
「……そうですか」
言葉の内に込められた確かな悲しみの感情。いや、悲しみというのは少し違うのかもしれない。
隣に立つヨナの視線に気づかないほど顔を俯かせて、また上げる。
「私も、ヨナみたいに“仇討ち”しておけば良かったのかな?」
不思議そうに首を傾げるヨナに小さく笑いかけて、クレアはキャスパー達を見送る為に船の外へと歩を進める。
やがて開け放たれた扉から吹き込む潮風は
痛いほどに彼女の頬を滑っていった。