広大な海の上には似つかわしくない銃声。
けれど女はそれを愛し、欲している。どれだけそれを使う戦争を嫌おうと、憎もうと、結局は愛してしまっているのだから、それは矛盾にしか成り得ないのだ。
だが女はそのことを受け入れ、それら全てを自分として構築させていった。
「おッ。当たる、けっこー当たるじゃん!!」
「それにしても軽いなー、この銃。XM8なんてはじめて撃つぜ」
「ルツ、ルツ!!私にも!やらせてやらせて!」
ココから先ほど与えられた新型のアサルトライフル。今まで扱ったことのない物故にクレアの興奮度は頂点に達していた。
最近何かと元気のなかった彼女がやっと元気になった原因がこれというのもなかなか悲しいことだが、背に腹は代えられない。アールもルツも苦笑を浮かべながら彼女へとライフルを手渡す。
「あ…軽い、ですね」
てっきりもっと興奮すると思っていたのだが、彼女の反応はあまりよくなかった。いつもなら瞳をこれでもかというほど輝かせるというのに。
手にのしかかってくるはずだった重みがやってこなかったことに、クレアは無言でライフルを眺めた。
「何だよクレア。お前のお気に入りにはなれそうもない反応だな」
アールの言葉にルツも静かに頷く。
彼女は重いのを扱う方がいいのだろうか。そういえば思い返してみるとCz75はともかく、クレアが愛用しているデザートイーグルは並の女性が簡単に扱えないほど衝撃が大きい。それは相手にも、そして使用者にも。
それにライフルよりもマシンガン系の銃器を好んでいるような節も所々感じられる。
「んー…扱いやすいのはいいことだと思うんだけど…」
瞬間、火を噴くライフル。次には用意してあった的の中央に何ヶ所も穴が穿たれた。
「何となく手応えも軽く感じちゃって楽しくなさそう…かな」
さらりと物騒なことを言ってのけるクレア。アールもルツも思わず苦笑してしまう。
つまり彼女は楽しいか楽しくないかで判断しているということか。それは恐ろしい考え方だが彼女が言うと幾分その恐ろしさが緩和されるので不思議だ。
クレアはつまらなさそうに、そしてほんの少し悲しそうにライフルを撫でた。使ってあげられなくてごめんと、しても仕方のない謝罪の念を込めながら。
そうして銃をルツに預けて視線を上へと向ければそこにはヨナの姿。彼から見下ろされるというのはなかなかに珍しい。
軽く手を振って笑いかければ、ヨナも振り返してくれる。それは着実にヨナとの心の距離が縮まっていっているということで、更に頬が緩んでしまう。
そうしてヨナの後ろに目をやれば、そこには日差し避け対策を万全にしたココが。相変わらず彼女は日差しには敏感だ。いくらすぐ真っ赤になってしまうとはいえあの格好ではまるでこれから農作業を開始するかのよう。
だからあんなにも彼女の肌は白いのかと、クレアは小さく頷いて納得する。以前トージョにそのことを言ったら「お前に言われてもなぁ」なんてよくわからないことを返されてしまったが。
眩しい陽光に思わず目を細める。けれどそれはほんの一瞬で、クレアはすぐに笑顔を作りココにも手を振ろうとした。
だがそれはココの大海原に響き渡るくらい大きな声で中断される。
「ヤバーイ!!」
大袈裟なくらい体を揺らしてしまう。ココのこんなにも大きな声は久しぶりだった気がしたから。
一体何がヤバいと言うのか。反射的に脚のホルダーに収納してある銃を手にしようとしたが止めた。
本当にヤバいのならすぐにでも自分達に連絡、指示がくるはずなのだが、ココはバルメと何やら小声で話し合っているだけであった。
職業病とは本当に恐ろしいものだ。尤も、己のしていたことが“職業”というものに分類されるのかはわからなかったけれど。
「ココさーん!どうかしたんですかー?」
少し大きめの声で彼女へと呼びかける。声に気づいたココは特に返事をするでもなく、機械になってしまったかのように数秒ヨナとクレアを交互に見つめる。
やがて無線機を口に当てて、やはりクレアの問いに答えることはせずに少し強めに言葉を紡いでいった。
『ワイリ!!ヨナを隠して!!語学の授業をして部屋から出さないで!!』
『了解!』
慌ただしく今度はこちらへと体を向けるココ。
サングラスの奥の瞳をほんの少しぎらつかせながら、彼女はクレアにも大きな声を張り上げた。
「クレアは完全武装!!私とバルメから絶対離れないで!!」
何故自分だけそんなことをしなければならないのかは謎だったが、クレアは素直に両手に銃を構えて小走りにココ達の所へと急いだ。
ココの様子を見る限りそれなりに緊急事態であることは理解できるのだが、それにしては空気が軽い。クレアとしては彼女に危険がないのならそれでいいし、戦闘になったとて、それはそれで楽しめるのだからどちらでも構わないのだが。
そうして彼女らの横に立っても、やはり命の危険独特の嫌な空気は流れてはおらず、思わず首を傾げてしまう。
「ココさん、バルメ、結局これはどういうことですか?」
比較的慌ただしい日々の喧騒から解放されたこの海の上で何故自分は武装しているのだろう。
いくら考えても答えを紡ぎ出せなくて、クレアは二人に答えを求めた。
「いやね、もうすぐ小型貨物船がこっちに来るんだけど…それに兄さんが乗ってくるって…」
“兄さん”という単語の意味をゆっくりと咀嚼しだす。彼女がそう呼ぶ人物はもちろん一人しかいない。
そしてその人物の名前はクレアの高まりかけていた気分を一気に最高潮へと押し上げた。
「キャスパーさんが来るんですか!?わぁ…やった!」
そんな彼女の様子を静かに見つめながら、ココは言わなければよかったと言わんばかりに大きなため息を一つこぼす。
別に兄が嫌いなわけではない。そうではなくて、問題はもっと別に存在しているのだ。
ココは未だに浮かれているクレアにびしりと指を突きつけていつもの笑みを顔に貼り付けた。
「もし兄さんがクレアに少しでもちょっかいかけたら、バルメもクレアも容赦なく制裁を加えてもよろしい!という意味でのクレアの完全武装!!」
「わかりました、ココ」
「え、え!?バルメも“わかりました”じゃなくて!あの、ココさん、私制裁なんてそんなことは…」
クレアが抗議の声を上げようと口を開いた瞬間に、遠方に自分達のものとは違う貨物船が一隻。それはスピードを緩めてゆっくりと小隊の船の横へととまった。
やがて、がしゃんと船と船が繋がれる音が響いて、向こうの貨物船からは人が出てきてこちらへと渡ってくる。
皆が皆武装をしているその中で唯一スーツを着ているココと顔がそっくりの男の姿を目に映したクレアは銃をしまってから船から身を乗り出して大きくその人物に手を振った。
「キャスパーさーん!」
まるでずっと遠距離だった恋人に本当に久々に会ったように瞳を輝かせるクレア。
そんな様子の彼女にココは心底失敗したというように本日二度目のため息をつく。
己の兄キャスパーは大層クレアを気に入っている。本人曰わく、彼女の戦闘技術、博識さ、そして何より人柄がいいとのこと。会う度に「僕の所に来ないか」だとか「クレアを譲ってくれ」だとか言って何かと彼女を持っていこうするのだ。しかも彼女の方も彼に懐いており、「僕と一緒に来ればアジアを思う存分巡れる」という言葉に何度心揺らしていたことか。
キャスパーは必ずクレアに会ってからでないと帰ろうとしないので今日は彼女を傍に置いておいたがやはりそれは間違いだったかもしれない。
いつか本当に彼女はキャスパーの所に行ってしまうのではないかと思ってしまうほど喜んでいる様を見ればため息の一つも出るというもの。
「やぁ、ココ」
「キャスパー兄さん」
双子でもないのに顔がソックリなこの二人。担当地区こそ違うが、彼も立派な武器商人。
ドバイにて積み残したココ達の荷物を運んでくる際に何か用事があってアフリカに来たようだった。
クレーンで重々しい荷物が軽々しく運ばれていく様をクレアは大層面白そうに眺めている。
「VL・ミカ・ミサイル。興味ある?クレア」
「はい!!」
長らく会っていなかった分の挨拶を交わすことなくキャスパーがクレアへと半ば答えの決まっているような質問を投げかけた。
そして子供のようにはしゃぐ彼女に頬を緩ませながら、ゆっくりと他の二人へと視線を投げる。
「クレアには好評みたいだけど、このミサイル、売れるの?こんなに」
「売れるも何も、代金もらってるし届けるだけ。どうしてアフリカにいるの?あとあんまりクレアに近寄らないで」
「ヤボ用。クレアに近寄らないのは残念ながら無理だな」
珍しく気だるげな様子のココに思わず小さく笑ってしまう。これが肉親ならではの気のおけなさということなのだろうか。
キャスパーと会っている時はココの方は普段よりか静かになる。現に今の彼女は彼からドバイで足止めを食らったというあのCIA“スケアクロウ”について語られていた。
「ドバイで中国人?」
やがて話は本題に入ったのか、ほんの少し二人の顔には真面目な色がつき始める。
考えごとをしていたクレアもハッとして、自分が理解できる範囲内のことかはわからなかったが交わされる二人の会話に耳を傾けた。
「華僑なんて世界中どこでもいるでしょ。客家?広東?潮州?福健?海南?どの幇の商人?」
「どこに“絆”があるかは不明。そして僕らが“商人”と言ったら“悪い商人”だよ、ココ」
頭を懸命に回転させてみる。キャスパーの言葉の直後にココが「ドバイにはそれらしいのはいなかった」と言ったが、それは自分も同じだった。
ただ、何となく気をつけなければならないことが起こると、それだけは理解できる。
「アフリカの陸では確実に出くわす。華僑に気を付けろ。表向きは貿易会社、大星海公司」
中国は行ったことがないからどんな人間、商人がいるのかはわからない。だがキャスパーが言うのだ。きっとすごい組織なのだろう。
そう思ったのはどうやら自分だけではなかったようで、ココは気だるい返事を一つだけ返して、いつものように笑った。
「兄さんがそう言うなら、それはそれは凄い悪モンだ」
確かにその通りだ。彼がそう言うのだろう。相当に厄介な組織に違いない。
そして、それは恐らくクレアの気分を高めるには充分すぎた。
平穏を遠ざけたいわけではない。ただ、染み着いてしまった己の忌まわしい性格が否が応でも戦いを楽しみたいと思ってしまう。何も起こらなければそれはそれで嬉しいのだけれど。
この先の未来を想像してクレアは薄く笑う。
そしてそんな彼女を見つめていたキャスパーの口元にも
小さな弧が描かれていた。