07
どこまでも深い闇。その中で街の灯りだけが奇妙なほどに淡く光り輝いている。

ホテルの屋上にいれば、そんなミニチュアのようになった街を一望できるのだ。もっとも、暢気に夜景を楽しむ余裕など、今の自分達にはないのだけれど。

「今日も来ない…か」

我慢比べが始まってもう3日が経とうとしていた。もうすぐ日付が変わる。そうなればきっと、集中力を欠いた自分達がやられるだろう。

この3日間、レームと共にほとんど休むことなく屋上にて気を張り巡らせていた。ただ、この引き金を引く瞬間だけを考えて。
隣にいる彼ともほとんど話すことはなかったが、ぽつりと呟いたクレアに、久しぶりにレームは銃を構えたまま、こちらに目を向けずに口を開いた。

「どうかねェ、まだ時間はある」

それわかっている。だから最後まで気を抜くつもりはない。クレアはレームの言葉に静かに頷いて、気を引き締めなおした。

それに、チナツには個人的に恨みにも似た感情を抱いている。銃弾の一発でもくらわせてやらないとなんとなく気がおさまらない。
今まで自分から言わなかったのが悪かったとはいえ、自分が殺し屋だったことを小隊の皆に言ってしまったのだから。

ココの命令とはいえ、クレアが何も考えずにこうしてずっと屋上で気を張っているのには少なからず理由がある。

どんな顔をして皆に会いに行けばいいのかがわからなかったのだ。一度皆の集まる部屋に戻ったは戻ったが、結局すぐに屋上へと逃げてきてしまった。気まずかったとかではなく、あまりにも皆がいつも通りに接してきてくれたから。

初めからわかりきっていたことだったのだ。今更昔のことを皆が気にするはずはないと。けれど、心のどこかで、拒絶されるのではないかという不安を拭い去ることはできなかった。みんな自分の弱さが招いたこと。不安が全て杞憂に終わったとて、その事実は変わらない。

そして、また自分は皆の優しさに縋ろうとしている。何も聞かれないから言わない。それを貫くことで、今まで通りの関係が壊れないのを心底安心しているのだから。
何となく右腕の傷がずきりと痛んだような気がしてクレアは苦笑した。

「今回は随分とこだわってるみてぇじゃねぇか。あいつが殺し屋だからか?」

「ううん、そんなことは関係ないよ」

相手が殺し屋だろうが何だろうが、はっきり言ってそんなことは問題にすらならない。もとより、こだわっているつもりもなかった。ただ、気を失っていた分の仕事をしなければという思いと、今回の事件は自分が終止符を打たなければならないという思いがあっただけ。

「あぁ、でも…一つ気になることはあるかな」

「へェ、何がだよ?これから殺ろうってヤツのこと気にするなんてお前にしちゃ珍しい」

「ふふ、大したことじゃない、何でパンツはいてないのかなってことですよ。ココさんが聞いてくれたらいいと思うよね」

「ヘッヘヘ、違ぇねェ」

もう一度クレアが口を開きかけた時、周囲の空気が変わった。

それと同時に、覗いていたスコープにゆらりと映り込んだ誰かの手に、クレアは薄く笑った。















































「動くな。私に銃を向けた瞬間、死ぬぞ」

静かに、それでいてはっきりとした無慈悲な声が闇の中に響いた。女、しかも子供に対して言うようなことでは決してないけれど、それは例外を除いた場合のみだ。

声を投げかけられたチナツは、ココの方を見もせずに、ゆっくりと口を開く。

「師匠を撃った奴よりスゴ腕か。いる方向、見当すらつかない。負けた」

「わかってないな。元より勝負じゃあないんだよ。アタリかハズレかの運試しだ。天気を見るように、“3日以内”に、“屋上ルート”で来る。これに賭けた。明日だったら気力、集中力を欠いた私が殺られていた。まぁ、良かった。話したいことあったし。それにね、スナイパーは二人いる。どちらの気配も感じ取れなかったか」

二人。その言葉で、片方はクレアだと、チナツは直感的に理解した。本気を出した彼女には、恐らく自分は及ばない。今もまだ彼女が殺し屋だったなら、迷惑な商売敵になっていただろう。

それにしても話したいこととは何だろう。自分は彼女と話すことなど何もない。顔だって見たくもないというのに。

「チナツ、どうしてパンツはいてないんだ?」

その質問はチナツを激昂させるには十分で、ココはそんな彼女を宥める。代わりに彼女が自分に言った質問に答えるということを条件にして。

だからチナツは語った。彼女の質問に答えたのだ。師匠と初めて組んだ日のことを。下着をはいていないと射撃の腕が上がるというジンクスのことを。

案の定ココは声を上げて笑った。しまいには「今は?」なんて聞いてきて、しつこさのあまり、スカートを上げてはいていることを証明する。

ココはそれに満足したのか、通信を遮断して、チナツの知りたかった問いの答えを口にした。

「………恐ろしい奴」

「そう?私は君を気に入りはじめた。飼ってやってもイイ。考えろ」

きっとこの場にクレアがいたならば、「意地悪な人ですね」と言われていたことだろう。深く考えずとも、チナツの返答など、簡単に予想がついていたからだ。

そして、チナツは師匠の形見のネックレスに軽く口づける。

「無理だ。あたしはお前もあの栗毛女も許せない。3日と待てないほどに……」

何を言っているのかは向こうに聞こえているはずはない。けれどココには、今クレアが悲しそうに笑ったような気がした。

実際、クレアは笑っていた。大層悲しそうに。今か今かと引き金を引く手に力を込める瞬間を待ちながら。

「我らオーケストラは、死の音楽を標的に叩き込む、アーティストだ。見損なうな武器商人!!我々は何者の下にもつかない!!」

ココに向けられた銃口。それと同時に響くたくさんの銃声。それはチナツの持つ銃から発せられたものではなく、クレアとレームが放ったもの。

クレアの目に映る吹き飛ぶ彼女の指。飛び散る血潮。綺麗だ、とてつもなく。そして哀れだ。殺し屋とはどうしてそう不器用なのだろう。自分も、チナツも。

素直と言えば聞こえはいいが、こうすることでしか幕を閉じることができない。愚かしいにもほどがある。
最後に見たチナツの目には涙が浮かんでいたから。

あっけないくらい簡単に終わってしまった今回の騒動。
二人とも銃を下ろしてクレアが虚空を仰ぎ、レームが吸いかけのタバコを吹かした時、後ろに感じる気配。

「ルツか。来てたのか。ンだよ、ヤなトコ見られちゃったナァ」

何だか久々に会ったような気がする。狙撃していた為、ルツにはあの時、チナツの暴露を聞かれてはいなかった。けれど、その後クレア自身が彼に言ってくれとワイリに頼んだのだ。だから彼にも今はもう知られている。

「聞き辛ぇだろーから喋ってやるよ。“では、どうして俺らは撃てたのか?”簡単だ。俺の理由は戦友を殺られた過去があるから。5人だ。ちょうどああいうカワイコちゃんの兵隊にな」

そう言いながらレームはルツの肩に軽く手を乗せる。

「殺って殺られて繰り返して。でも俺が殺られた時には繰り返さなくていい」

ただそれだけ言って、レームはその場を去っていった。場にはクレアとルツだけが残される。

クレアは何を言っていいのかわからずに、困ったような笑みを浮かべた。世間話をするような状況ではない。

「聞きましたか?ワイリから私のこと…」

「あぁ」

再び訪れる静寂。どうして彼は何も言ってこないのか。それはきっと他の皆と同じ理由なのだろうが。
ゆっくりとルツに歩み寄り、クレアは彼の顔を見る。

「私の理由はね、慣れてたからだよ。私の仕事に女も子供も関係なかったもの」

殺って殺って殺り続けて。レームとは違う意味での繰り返し。果てしなく続いていく死のループ。優しいルツには理解できないかもしれないが、それが自分の普通だった。汚れていると言われてもいい。それすらももう慣れている。

「私が殺されちゃった時も、レームと同じで殺り返さなくて大丈夫ですからね」

自虐的に笑うクレア。それを見て、ルツは思わず拳を強く握りしめた。

違う。自分が好きな彼女の笑顔はこんなものではない。全てが優しく溶かされていくような、そんな笑顔が好きなのに。それに、彼女が殺された時、自分が正気でいられるわけも、相手を探して復讐しない自信も、そんなものあるわけがない。

「クレア…」

伸ばしかけた手。感情のままに彼女を抱きしめようとして、止めた。ただでさえなにかと限界に近い彼女の心を追いつめるようなことはしたくなかったから。

大きな瞳は不思議そうにこちらを見ている。それを見ていると、改めて自分は彼女に惹かれているのだと思い知らされた。過去のことなど関係ない。そんなもの気にするものか。自分は今のクレアがたまらなく好きなのだから。

「俺はさ、何も聞かねぇし、正直興味もそこまでない。何を聞いたってお前の仲間でいられる自信あっからさ」

彼女の頭に手を乗せる。そしてそのままわしゃわしゃと撫でた。柔らかな彼女の髪が指に触れて、心地いい。

「けど、あんまそのことで自分を追い込むのはやめてくれ」

彼だって色々悩んでいるはずなのに自分の心配をしてくれる。そのことに、クレアは目頭が熱くなる思いを感じた。それと同時に、自分に向けられる彼の優しい笑顔が何だか無性に綺麗に見えて、思わず俯いてしまう。

「うん…ありがとう、ルツ」

やっとのことで絞り出した言葉ははたして彼に届いたのだろうか。変な緊張で早くなる鼓動。色んなことで頭がいっぱいになっていたクレアは自分の右腕に彼が触れたことに気づかず、びくりと大げさなほどに驚いてしまう。

「な…何っ!?どうしたんです?」

「うぉ!!悪ぃ、そこまで驚かれるとは…腕、やられたって聞いたからさ…平気か?」

彼の手から逃れて、クレアは数歩後ろへ後ずさる。相変わらず心臓はうるさいままだ。

「かすり傷だよ、これくらい大丈夫!」

もう一度ルツは彼女の腕に触れようとするが緩く避けられたので諦めた。

「そうか?ンじゃ、とっとと戻ろうぜ。お嬢達が待ってんだろうからよ」

歩き出すルツ。慌ててその後ろ姿を追いかけて隣に並ぼうとするも、何故か彼と間を少し空けて歩いてしまう。隣に行こうと足を動かそうとしても、やはりできなくて。さっき、腕に触れられるのを拒んだことといい、何かが変だ。

一瞬立ち止まるクレア。軽く自身の頭に触れてみる。撫でられただけなのに、変に気になる。

「あ、あれぇ…?どうしちゃったんでしょう、私…」

真っ赤になった顔を俯かせて、暫くクレアは頭を抱えていた。

やがて、全力で首を振って、再び走り出す。

振り返ることはしなかった。

忌まわしい臆病な自分にさよならを告げて、彼女は走る。


その顔に心からの笑みを浮かべながら。


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