03
嫌みったらしく世界が笑った。

世界というものに明確な形があったならば、今すぐにでも壊してやりたい。クレアの思考はその事だけがぐるぐると回っていた。憎しみや恐怖、そんな正常な感情を知らないでままでいた方が本当は良かったのではないかと。
自分は仲間に怯えた。ヨナの瞳に怯えたのだ。長い間封をしていた扉を無理やりこじ開けられたような、そんな気すらした。

手の中の銃も、こんな時に限って役に立たない。あんなに愛していたというのに、今は引き金を引くことが恐ろしくてたまらないのだ。ただの鉄の塊と化したそれは、とても重たく感じられた。

その時、派手で大きな銃声が鳴り響いてクレアは弾かれたように顔を上げる。何事かと店先に飾られた、自分の姿を隠してくれている大きな観葉植物から少しだけ顔を覗かせた。

「俺らを殺りたきゃ、1qスナイパー持ってこい!!」

低く、それでいて凄みのあるオーケストラの発した“スナイパー”という言葉に、慌てて彼の撃った方向へと目を向ける。そこには、丁度絶命し、崩れ落ちる警察の狙撃班らしき者達の姿があった。

クレアはその光景に心から安堵し、目に涙さえ溜める。彼女の記憶の中に知り合いのスナイパーはルツしかいない。だから不安になった。別に警察なら殺されてもいいというわけではないが、今の自分には、仲間以外を気遣う余裕など存在しないも同義。

もしも今のスナイパーがルツだったなら自分はどうしていただろう。仲間を失うことに慣れなどない。あの笑顔が消えるなど、考えるだけでおぞましい。けれど、そんな状況になっても自分はこうして震えていることしかできなくて。

もう頭の中がこんがらがってくる。一体自分にどうしろというのだ。段々と息をすることすら苦しくなってくる。誰でもいい、助けてほしい。

クレアはどうすることもできずに視線を右へ左へとさまよわせた。そしてそんな彼女の視界に入り込んでくるレーム達四人の姿。きっとヨナにココを任せるつもりなのだろう。会話の内容こそわからなかったが理解できた。今の今まで怯えていたくせに、こういったことは冷静に分析できる自分に思わず苦笑がもれる。

レームとバルメはこの場に残るはず。即ち、オーケストラと戦うということ。レームの銃にはサイレンサーがついている。上手く狙えば奴らを仕留められるだろう。その為には、集中力を高めることと奴らの隙を作ることが必須。

そしてオーケストラの注意を逸らすことができるのは自分しかいない。そうすればココ達をその間に上手く逃がすのだって可能だ。

頭の中で組み上がった選択肢に、体が強張る。頭でどうしたらいいのかわかってはいても、それができないから自分は今こうしているのだ。逃げればこれ以上傷つかないで済むと、自分自身の殻に閉じこもって。

だが、その殻の中でまで苦しんでいては意味がない。逃げれば苦、殻を破ればどうなるかわからない。

ならば、ならばその逃げずに殻を破った後に訪れる何か、奇跡のような何かが起こる可能性に賭けてみてもいいのではないのか。

「…やんなっちゃうなぁ本当に」

ため息と苦笑混じりに呟いた本日二度目のこの言葉。今日はとんでもない厄日だと思う。こんな日はそうそうない。でもだからこそ、変われることができるかもしれないこの分岐点を用意してくれた今日に、感謝した。

「本当…1qスナイパー持ってくればよかったよ」

瞬間に愛用の、もはや相棒と呼ぶにふさわしいほどに血を吸わせてきたドイツ製のライフルが火を噴く。

金属と金属がぶつかる嫌な音が響いた。もちろん人間を貫いた時にこんな音はしない。クレアの気配を感じ取ってチナツが盾で弾を防いだのだ。さっきといい今といい、勘の鋭い奴らだと、敵ながら感心してしまう。

二人はクレアの姿を確認して面白そうに笑った。一方で視界に端に映るココ達は彼女の行動に心底驚いたような表情を浮かべている。

「ンだよ、やっと出て来やがったな!しかも栗毛女か!!おめぇリストによりゃ狙撃手のはずだろうがよ」

チナツも興味深げに盾から瞳を覗かせている。そこには僅かに驚きの色が見て取れた。

師匠の言う通り情報屋のリストの中にもちろん彼女はいた。だが、彼女は狙撃手のはず。

「生憎狙撃銃は置いてきてしまいまして。なので直接お相手させていただきました」

にこりと、手元さえ見なければ癒されるであろう微笑みを浮かべてクレアは銃を構えた。

「おいおい面白ぇなあの女!なぁチナツ」

「うん。殺すのもったいない」

弾が切れればすぐに違うライフルで撃ってくる。盾が破れるまで撃ち込んでくるつもりなのか。彼女の瞳も決して自分達から逸らされることはなかった。

クレアの方は盾の決壊を目標にしているわけではなく、ココとヨナがこの場を離れられるだけの時間が稼げればそれでいい。あとはレームの射撃さえ上手くいけば。

「おい栗毛!!いつまでおめぇばっか撃ってんだっつーの!!」

言葉と共に放たれる師匠の弾丸。クレアは避けることなどせずに向かってくる弾をただ睨みつけた。

横をすり抜けていく弾丸は軽く彼女の頬をかすめる。真っ白な肌に伝う一筋の赤。それはぽたりとこぼれ落ちて地にも赤い点を作った。

「へェ…いい女じゃねぇか」

「それはどうも」

「当たんねぇ自信でもあったのか?それとも当たっても良かったのか?」

「その両方、かな」

逃げるから当たる。これは少ない人生の中で学んだ一つのクレアなりの結論。これで逃げずに直撃していても何の後悔もないのだから。

その時、暫く黙っていたテンガロンハットの女、チナツが唐突に口を開いた。

「ねぇ、さっきから気になってたんだけど、聞いてもいい?」

まだ幼さの残る顔立ちにどこか荒んだ目。思わず視線を逸らしてしまう。

それと同時に、脳が警鐘を鳴らした。彼女からの質問を聞いてはならないと。そして、聞かれてはならないと。視界の端の仲間達を確認する。未だにココとヨナはそこにいた。

そんなクレアの心情などお構いなしにチナツはゆっくりと口を開く。

「何でさっきあんな撃ち方したの?こっち見ないで撃つなんてさ、普通しないでしょ」

「…ご想像にお任せします」

彼女の答えに、一瞬だけつまらなさそうな表情を作ったが、すぐにそれは変わって、今度はまじまじとチナツはクレアの瞳を見つめた。

そうして、納得したように一つ頷く。チナツの動作一つ一つに、何も言われていないのに心臓が大きく跳ねた。

「なぁんだ、そういうこと。あんたもそうなんだ」

「お、何がわかったってんだ?チナツ」

チナツの全てを理解したとでもいうような瞳が己を射抜き、押し留めていた恐怖や怯えが出てきてしまったようなそんな感覚を覚えてクレアは身を強ばらせる。

「誰かを殺したくて殺したくてしょうがないって目だよね、それ」

徐々に大きくなっていく鼓動。背中にも嫌な汗が伝っていくのがわかった。

頭の中でたくさんの否定の言葉を並べても、それは声にならずに霧散していく。

「憶測でものを言う人は…嫌いだな」

やっとのことで搾り出した言葉はやはり否定の言葉なんかじゃなくて。

もう一度冷静に考えてみる。自分が今ここでオーケストラと対峙している理由を。もちろん奴らを殺すため。ココの障害となりうる奴らは始末するに越したことはない。怯えている隙などそこにはありはしない。

そこでふとクレアは思った。
違う。本当はそんな理由で動いたのではなかったはずだ。レーム達の手助けをするため。彼らが動きやすいように奴らの注意を逸らすため。殺したいだなんて思っていなかったはずなのに。

「憶測なんかじゃないよ。あんたは暴れたくてしょうがないんだ」

違う。そんなはずはない。では何故彼女の言葉を否定することができない。先ほどの質問も、そして今も。

それは心のどこかで望んでいたということを認めているようなものだ。人の命を摘む忌むべき行為を。

「やめてっ…!!私は…わた…しは…」


聞きたくない。知りたくない。それ以上自分でさえ理解していなかった心の内をこじ開けないで。

力の抜けた手から滑り落ちる銃。この世で最も愛しくて、最も憎いそれ。

チナツは戦意喪失した様子の彼女を見て大層楽しそうに笑い、そんな彼女に師匠は銃を向けた。

「あばよ栗毛。やっとチナツの言ってる意味わかったぜ!そうかそうかお前は…」

言いかけた言葉、引こうとした引き金を遮断する金属音。それと同時に、素早い動作でチナツが盾を真横へと動かす。

一際大きな衝撃を与えられてチナツの体が少しぐらついた。弾の飛んできた方向に目を向ければ、そこには銃を構えたレームが立っている。クレアに駆け寄っていくバルメの姿も目に映る。

「あっ、クソ!防ぎやがったマジかよ!絶好のタイミングの不意討ちだったんだがね。イイ勘してるぜ」

「敵を褒めないでください、レーム!!クレア、大丈夫ですか?歩けます?」

クレアは虚ろな瞳をバルメへと向けた。よろよろと立ち上がり、レームのいる方へと無気力な足取りで歩く。

結局自分は助けられた。変わることなど、やはり無理だったのだ。情けなさに涙がこぼれそうになる。そうだ、今のやり取りをヨナにも見られてしまっただろうか。ゆったりとした動作を辺りを見回す。

「ヨナ君ならもう行っちまったよ。大丈夫、聞かれちゃいねェ」

「…そっか…よかっ…」

途端に、まるでダムが壊れたように、涙が溢れてきた。

ヨナに聞かれなくて安心したのか、それとも二人がここにいてくれることに安心したのかはわからなかったけれど。

バルメはそんな彼女を包み込むように抱きしめる。

「大丈夫です…もう大丈夫。クレアはクレアなんですから」

彼女の服をギュッと掴む。

己の手を見れば、それは先ほど作られた頬の傷の血で濡れていた。

殺し屋なんて大嫌いだ。

だから


私は自分が大嫌いなんだ。


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