憂うように目を細めて目の前の光景をただ見つめる。
綺麗で、澄んでいて、己の全てを包み込んでくれると形容しても言い過ぎではないくらい広大な景色。
この街に住む人達は本当にいい人ばかりだ。いつだって笑顔で朝の挨拶をくれて、学校帰りはおかえりと言ってくれる。
傷つけたくはない。大切で、守ってあげたくて、もらった幸せと同じくらいの何かを余すことなく返したい。
そういえば夏目も自分と同じようなことをいつか言っていたっけ。
見える者通しは感性まで似てくるのだろうか。
そうして些細な、だけれど大切な記憶を思い起こして自嘲するようにナマエは微笑を湛えた。
「この手は本当に…ここに住む人達を…私の大切な友人を守れるんでしょうか」
「えぇ、君が君の力を有効に使えればね」
隣に立つ的場からの言葉は今の自分にとってはただの麻薬にしかなりえなかった。
響く声の一つ一つが涙を伴って体の震えを生み出す。
「…よかった」
心のどこかでは間違っているとわかっている。
何かが違うのだと、そうではないのだと必死に己に語りかける己自身に気づいているはずなのに、今はそんなちっぽけな警鐘など気にしてはいられないほど心は何かに締め付けられていた。
目の前で自分を追いかけてきた妖に夏目や多軌が襲われそうになったあの忌まわしい光景。
それは己が一番恐れていたことだったのかもしれない。
私のせいで、私が無知だから皆を傷つけかけた。
そんな罪の意識に苛まれて、もう既に心臓は押し潰されそうだった。
「だから言ったんです。決断は早い方が良い、と」
ごめんなさい、なんて彼に言っても意味のない謝罪が口から滑り落ちていく。
そうして番傘を片手に空いた手で肩を引き寄せられて、また緩い涙腺は崩壊の知らせを告げた。
傘の内側で降る人工的な雨はいくつもいくつも地に落ちて夕暮れの中に橙の染みを作っていった。
「的場さんっ…私は…!」
きっと言ってはいけない。
言ってしまえばもう戻れなくなる。それはもう友人や家族に会えなくなるとかそういった類の別れではなくてもっと別の何か。
でも、それでも、自分には強さがない。
妖力は強くても、心根の強さはなかったから。
「私を…!的場一門に入れてください…お願いします!!私をあなたのお側に…!!」
絡まったのは蜘蛛の糸だったのか、はたまた毒蛇の牙だったのか。
今となってはもうそれを知ることはできない。
眼帯で瞳を確認することはできなかったけれど、彼の口元には確かに弧が描かれていて、それが全ての答えだということを悟った。
「歓迎しますよ、ようこそ的場一門へ」
(優しい想いは、間違った願いを彼女に)