「あっ、烏間先生とビッチ先生だー」
パタパタとグラウンドから移動して窓の向こうの彼らへと駆け寄る少女。
窓は開け放たれており、少女と教師二人を隔てる壁はない。
窓枠に手をかける姿はまるで子犬のようだと、二人はそう思った。これで本当に彼女に尻尾がついていたならば、今頃千切れんばかりに右へ左へと振られていることだろう。
「早い登校ね。することでもあったの?」
「はい!花壇に水やりするために」
そう言って掲げるジョウロの中には既に水が入っているのか、水の揺れる清涼な音が朝の空間に溶けていった。
朗らかな彼女の笑顔は朝には心地いいもので、自然と二人の頬も僅かに緩む。
「でもなかなか咲かなくて…待ちきれなくて昨日帰りにお花のヘアピン買っちゃったんですよね」
「何よそれ…どういう理由よ」
嬉々としてポケットから出したヒマワリの造花がつけられたヘアピンを見せるナマエ。
天然なのか不思議系なのかわからないがそんな所が彼女の魅力の一つであることは間違いないのだろう。
呆れながらもイリーナは「貸して」とそのヘアピンを受け取って、おもむろにナマエの髪へとあしらった。
「あら、結構似合うじゃない」
「本当ですか!?烏間先生はどう思います?」
どうかと言われて改めて彼女を見れば、それは本当によく似合っていて。
いつも明るい彼女にはぴったりだ。
でもだからこそ、ナマエを直視していることはできなかった。
いや、きっとそれはできなかったのではなく、したくなかったから。
「…あぁ、似合ってる」
やっとのことで絞り出した言葉は随分と味気ないものだったと思う。
隣のイリーナも、呆れたような眼差しをこちらへと向けてきていた。
それでもナマエの表情は明るさを増していく。
「ふふ、二人ともありがとうございます!私これで次の中間頑張れそうです!」
「それじゃ、私行きますね」と言い残して去っていくナマエ。
彼女の笑顔は時々残酷だと、イリーナはそう思った。この学校に来て間もないというのに、これだけ他人を苦しめる原因となってしまっているのだから。
ふと烏間を見れば、彼の視線は未だ遠ざかっていくナマエへと向けられていた。
表情こそ普段の厳しいものと変わらない。だが彼女にはわかってしまっていた。長年仕事で男を魅了し、見続けてきたイリーナには、彼が少女に対して何を思い、何を封じ込めているのかが。
「…押し込めてたっていつか限界来るわよ」
「何の話だ」
「気づいてないふり決め込もうってわけ?」
目の前にある感情から目を背けて、気づいていないふりをする。
一番手っ取り早い逃げの方法。
目を背ければ、違うと否定し続ければ、きっとその内消えてなくなると、そんな馬鹿げた甘ったれな期待を抱きながら。
それができないのだとわかってはいても、自制心からつい認めないという選択肢に縋ってしまう。
だけど、それもその内通用しなくなる。それはイリーナが言っている時よりももっとずっと早く。
先ほどのナマエとのやり取りで強くそれを実感させられた。
いや、あるいはもう既に。
気づけば苦笑がもれていて、イリーナは訝しげな表情を作っている。
「確かにおまえの言う通りかもしれないな」
もう理性と感情の混ざり合いで悩まされるのはたくさんだ。
ならばもう諦めよう。
自分は彼女のことが好きなのだと、そんな事実から
目を背けることを。
(諦めが肝心、きっとね)