「みーやじ。お疲れ」
だだっ広い体育館にポツンと一人だけいるその唯一の存在にタオルを投げる。
息を切らせながらゆるい弧を描いて向かってくるそのタオルを受け取ると、夜なのにそれは仄かに陽光を吸い込んだかのように感じられた。
投げた張本人は苦笑とも微笑ともとれる笑みを浮かべている。
「試験期間中なのによくやるー」
「そりゃお前もだろ」
二人とも監督に許可をとって遅くまで残って部活動とマネージャー業をしているのは内容が違うだけでほとんど同じことだろう。
「それもそうか」なんて言いながら笑う彼女の笑みは、つい先ほどの曖昧なものよりも幾分かわかりやすかった。
できた奴だと、純粋にそう思う。
そこいらのマネージャーなんかよりもよっぽど有能だ。
決めたことには何一つ文句を言わず、意志を尊重した上で最高のサポートをしてくれる。頼んだわけでもないのにこうして共に試験期間中にも関わらずつき合ってくれたり。
そのことにいくら憎まれ口を叩こうと結局は本心では彼女の存在にありがたみを感じているのだから、それがまた悔しくなり、苦笑すら生まれる。こんなこと、絶対彼女には言ってはやらないけれど。
「なぁ」
「はいはい何でしょう」
「お前なんで何も言わねぇんだよ」
できるだの有能だのと言っても彼女だって普通の高校生だ。
自分に厳しくて他人に多少甘い、そんな性格もわかっている。
だが彼女は恋人だ。そこが他人と自分の一番異なる点で。
寂しい思いをさせている自覚だってある。そうなることをわかって上でお互い結ばれたこともわかってはいるのだが。
「私が何か言ったところで、宮地を困らせるか怒らせるだけでしょ」
あまりにもあっけなく返ってきた言葉はあっさりとしていて。だがその中に全て込められているのだと、そう感じた。
寂しそうなのではない。不満そうなのでもない。
きっと彼女は“理解”という枷をして、ただ単純に諦めている。
「それに、私は宮地のバスケしてる姿が好きなんだから」
思わず言葉を失った。
それを言われてしまったら、返す言葉などあるはずもない。
純粋で綺麗なはずの彼女の姿は妙に胸の内をくすぐり、ほんの僅か抉っていった。
女一人を気にしている時期でもないのはわかっているのに何となく落ち着かない。
「…チッ」
「へ!?何で舌打ちよ!」
「おい」
「もー、今度は何」
困惑しているような、呆れているような感情を瞳に塗り込めて彼女は宮地を見上げた。
「何かワガママ一つ聞いてやるから好きに言え」
「あはは、何それ、緑間君じゃあるまいし」
彼女は暫くおかしそうに笑っていたけれど、やがて人差し指を頬に当てて考え込む。
普段自分から何か願い事をしたりしないせいか随分返事をするのに時間がかかった。
「じゃあ…今日は手繋いで一緒に帰る、とか」
「するか、轢くぞ」
「ちょっ…宮地が好きに言えって言ったくせに却下って!」
「今この場でできるもんにしろ!それ以外は受け付けねぇ」
ますます難題になってしまったことに彼女の眉間の皺も自然と深くなる。
休日を一緒に過ごす、アイドルのライブの随伴等々、頭に浮かぶものはどれもこの場で実現など不可能だった。
これ以上答えを引き延ばすと彼の機嫌を損ねることに繋がりかねない。
そしてふと新たに浮かんできた選択肢を言葉に出したのはそれからすぐ後のことだった。
「キス、とか…?でもそれはさすがに恥ずか…」
全て言い終わるかいないかの辺りで急に視界に変化が訪れる。
眼前に広がる宮地の顔。唇に感じる柔らかな感触。そこからじんわりと伝わってくる甘い痺れにも似た熱。
何が起こったのか全てを理解したのは彼の姿が遠のいてから数秒経ってからだった。
「馬鹿みたいな顔してんぞ」
顔を真っ赤にして、それでも綺麗な瞳をしている彼女を見て笑う。
そういえば、自分はこの純粋な瞳に惹かれたのだっけ。
もしかしたら我慢できなくなっていたのは、重ね合わせた唇から伝わってきた熱を欲していたのはこちらの方だったのかもしれない。
「いきなりなんてずるい」と、拗ねたように言う彼女を宥めるように手を伸ばす。
そうしてもう一度唇を重ねて、やはりそうだったのだと実感した。
悔しいが欲していたのは自分だった。
でもやっぱりそんなこと
彼女に言ってやる気はないのだけれど。
(どうにも単純だ、嫌になる)