降りしきる雨の中で家屋から出てきたのは二人の男女。
仕事終わりといった風のその二人組は鉛色の空から降り注ぐ滴に、僅かに眉をひそめていた。
「何だよ雨か。…チッ、車近くに停めときゃよかった」
「それは運転してた俺に対する文句か?レヴィ」
「こんな湿っぽい空気の中でお優しい言葉かけられるほどあたしはできちゃいないんでね」
文句を言いながらくわえる煙草はやはりどこか湿っている。
ロックの方も暫く腑に落ちないような表情をしていたものの、やがて煙草をくゆらせた。色の濁った空間に溶けていく煙はとても自然に見えて。
ぼんやりとそれを眺めながらポケットにライターをしまおうとすると、それは目的地を誤って無機質な地面へと清涼な水音を響かせて水たまりへとはまっていった。
「何やってんだよ」
呆れたような声で彼を現実へと引き戻すレヴィの声を背に受けながらロックは屋根のない空間へと足を踏み出してライターを拾おうとかがみ込む。
そうして全身へと降りかかる雨粒の感触を冷たさと共に感じながらそれへと手を伸ばした時、不意に頭上のシャワーが止んで、地面に向けられていた瞳の、視界の中に茶色のブーツが映り込んだ。
何事かと慌てて顔を上げれば、そこには一人の女が佇んでいて、ロックは思わず息を呑む。
それが知り合いや普通の女性だったなら特にそこまでの反応をする必要もなかったのだろうけれど。
まるで西洋の人形のような端正な顔立ちに宝石をそのまま埋め込んだみたいな鮮やかな瞳に白い肌。
このロアナプラでは不気味なほどとけ込んでいないカントリー風な服を着て、彼女は持っていた傘を彼へと傾けている。
『…濡れちゃう』
ハッと我に返ったのは彼女のそんな一言からだった。見るからに西洋人らしいのに紡がれた言葉は紛れもなく日本語。
無感情な顔から発せられたそんな一言にすっかり調子は狂わされ、立ち上がることすら忘れていると、背後から明るめなレヴィの声が響いてくる。
「よォ。お前も仕事か?」
「うん」
今度は英語での会話だった。どうやら彼女はバイリンガルで、レヴィの知り合いらしい。
すると目の前の彼女は半機械的に首をゆっくりと傾げて再度瞳をこちらへと向けた。
「…英語、話せる?」
その間も雨は容赦なく彼女を濡らしている。
傘の持ち主は彼女なのにこちらは微塵も被害を被っていないことに僅かな罪悪感を感じて立ち上がるのと同時に傘を彼女へと傾け直した。
「あぁ、話せるよ。傘もありがとう、平気だから。俺にやってたら君が濡れる」
雨に濡れることにそこまでの抵抗などない。濡れてしまった所でとくに気にしたりもしない。
彼女は戻された傘に小さく「あ」とほんの少し困ったような声を無感情な中に塗り込めていたけれど、それも一瞬だった。
「もう、平気…?」
「え…あ、あぁ、車はすぐそこだし、俺もレヴィも少しくらい濡れても…」
「…そう、よかった。それじゃあ、きっとまた…ロック」
形のいい唇から紡がれる声は改めて聞いてみると本当に透き通っていて。
だからこそ余計にこの世界においては不気味で、気味悪くすら感じられた。だが不思議と目を離すことができない。
名前を知られていたということも、幾分か不気味さを増幅させているのかもしれなかったのだけれど。
そうして何故名を知っているのかと問うよりも先に、彼女はレヴィに小さく手を振り、ふわりとスカートを翻して街の奥へと消えていった。
振り返ってレヴィを見ても、彼女は何事もなかったかのように相変わらず煙草をくゆらせている。
「レヴィ、あの人は?」
「あいつは情報屋さ。やつに聞きゃお隣さんの不倫事情から迷宮入りだった殺人事件の犯人まで大抵のことは答えが返ってくる」
「だから俺の名前知ってたのか。そういえば向こうの名前聞いてなかったな」
「ナマエだよ。“ブラッディ・ドール”なんて呼ぶやつもいるが…全く持っていいネーミングセンスしてやがる」
乾いた笑いをもらしながら車のドアを開けて助手席へと入り込むレヴィ。
ロックも信じられないといった風な表情を作りながら運転席へと乗り込んだ。
「すごく大人しそうな人だと思ったのに…」
「普段はな。けど一旦ベレッタを持ちゃそっからはもう気まぐれでも起こさねぇ限りは生体反応が完全に無くなるまでぶっ放しまくる。ありゃハリウッドスターもびっくりのトゥーフェイスだよ」
思い出すようなレヴィの視線の先には一体どんなナマエが映っているのか純粋に気になった。
想像して気持ちのいいものではないが彼女がこう言うのだ、腕は確かなのだろう。
何故か頭からあの情報屋の顔が離れない。妙に胸の内をくすぐられる。
「なんでェ、ロック、あいつに惚れたのか?」
信号待ちで止まった瞬間にかけられた言葉に、ロックは弾かれたように顔を横に向けた。
にやにやしながらからかうようにそう言ってレヴィは両手をやれやれといった風に広げる。
「惚れんのは結構だがあいつは並大抵のアプローチじゃ動かねぇぜ。デートの承諾の代わりに頭に鉛玉くらった、なんてことはよくある話だ。その度にバオが頭から湯気出して片付けさ」
「別に惚れてなんか…というか何だそれ、彼女もイエロー・フラッグの常連なのか?」
「あぁ、気まぐれな不思議ちゃんだがあいつは毎週金曜の8時から閉店まで一番奥のテーブル席に座ってんだよ」
あまり気にして店内を見回したことがなかったため気づかなかったがレヴィの話だとそうらしい。
確かにあれだけ整った顔立ちをしているのだ、声をかけてナンパをしてみたくなるのも頷けるがお返しが銃弾というのもまた、ここの住人らしい。
そこでふと今日が金曜日だということに気づく。普段ならそんな危険な香りのする者の傍には自分から近づこうとは思わないが不思議と、彼女にだけはもう一度会ってみたいと思った。
「なぁレヴィ、今日イエロー・フラッグに行かないか?」
「言うと思った。いいぜ、あたしも久々にナマエの話が聞きてぇからな」
楽しそうなレヴィの声を最後に車内には沈黙が訪れて
やがてあれだけ車窓を叩いていた雨は
すっかり活動を止めていた。
(出会いはいつも突然に)