殺風景な部屋の真ん中で、ナマエは机に突っ伏して眠っていた。
実に気持ちよさそうに寝息をたてながら、警戒心などまるで持ち合わせていないかのように。
「ナマエ」
開けっ放しになっている窓から侵入してきたジュダルはそんな彼女の名を小さく呼んで、床へとゆっくりと足をおろした。
毎日毎日修行しては執務をする。目まぐるしく回る彼女の日常の中で見る世にも珍しい光景。
普段はどれだけ疲れきっていたとしても呼べば笑顔で振り返ってくれるし、駆け寄ってもきてくれるのに。
「どんだけ真面目なんだよ、お前」
深い闇のような黒髪を手に絡ませても、それはすぐに手からするりと滑り落ちていく。
こんなにも近くにいるのに、掴めない。
彼女を武人にするべきではなかったのだろうか。迷宮攻略なんてさせなければよかったのだろうか。
そんなことを考えてはいけないのだとわかってはいても、後悔にも似た疑問はいくつも溢れてくる。
だって、もしそうしてさえいなければ、もっと多くの時間をナマエと共有できているはずなのだから。
「ま、お前が望んだ結果なんだろーけどな」
愛国心、なんてそんな堅苦しいものではないが、平和の為、争いのない世の中を作る為に彼女は動いている。
その目的自体は非常に気に食わないが、そうすることで闘争心を剥き出しにして敵国へと向かっていく姿は、どうしようもなく心惹かれる。
そして、本国に戻ってきて真っ先に国王ではなく自分に向かってくるのだ。
それが今日だけは違っていた。戻ってきて紅炎と何やら話した後やるべき執務ができたからと部屋に閉じこもって、ふと覗いてみたらこの有り様。
彼女は紅炎のお気に入りの妹だから何かと頼りにされているのはいつものことだが、最近はそれが多くてつまらない。
「…おい、起きろよ、ナマエ」
寝かせてやろうなんて思わない。
心のどこかで感じるこのまま彼女が起きないのではないかという恐怖心。それを拭うには起こすのが一番手っとり早かったから。
彼女の声が聞きたい。戦いの時とは全く違うタイプの興奮を覚えさせてくれるあの温かみを含んだ声を。
「……ジュ…ダル」
思わず動きが止まる。一瞬起きたのかと思ったが再びナマエは涼やかな寝息をたて始めたので寝言だと気づく。
今の彼女の夢の中に確かに存在している己に自然に笑みがこぼれた。それがどんな夢でもいい。ナマエの意識を自分に向けられているのならば。
こうして考えてみると、最近は彼女のことばかりだ。女に骨抜きにされている男など今までに何人も見てきたが、彼らを頭ごなしに非難はもしかしたらもうできないかもしれない。
「ははっ、お前最高だぜ、ナマエよォ」
感情の込められていない乾いた笑いをもらしながら耳元で静かにそう囁くと、くすぐったそうにナマエが身を捩る。
愛しい、その全てが。
「好きだ」
短く呟いた言葉は果たして彼女に届いただろうか。
届いていなくてもいい。どうせもう、離してなんてやらないのだから。
やがてジュダルは自分でも驚くほど繊細な手つきでナマエの服を僅かに崩す。
そうして露わになった汚れのない白い肌に食いついた。
「姫君!ですからナマエ皇女は現在執務中だと言っているでしょう…!!」
「いやよぉ!お姉様にはお話したいことがたくさんあるのだもの!!」
夏黄文の叫びなどまるで関係なく紅玉はずんずんと進んでいく。
バルバッドで出会った素敵なシンドリアの国王のことを聞いてもらいたいが為に彼女は勢いよくナマエのいる部屋の扉を開けた。
「ナマエお姉様、失礼します。紅玉、只今戻りました」
扉の開かれた音と、突然の彼女の声に、ナマエは大袈裟に体を揺らして机から身を起こす。
「あっ…!お休み中でございましたか!ほら姫君、いきなり訪問したりするから」
「いや、いいのよ夏黄文。お帰りなさい、紅玉。何だか嬉しそう…何かいいことでもあった?」
「そうなのです!実はバルバッドで…って、あら?お姉様、首筋に怪我でもなさったのですか?」
「え」と短く声をもらしてその場にいる全員がナマエの首筋へと注目する。
そこにあった紅く色づいた跡に暫し時が止まる。
やがて気まずそうに目を逸らす夏黄文。意味がわからずにキョトンとする紅玉。そして、ナマエの顔に集まっていく熱。
「そういえば、ここへ来る途中ジュダルちゃんとすれ違いましたけれど、お姉様は彼ともお話していたのかしら」
まるでその言葉が引き金になったかのようにナマエがわなわなと身を震わせた。
「ジュダルの馬鹿ー!!!!!」
恐ろしいほどに透き通ったその叫びは
やがて王宮内に響き渡っていった。
(証を残すのは愛情でしょう?)