桜色の魔法
「ふむふむ…さすがは桜庭彩乃殿ですな。素晴らしい画力!この同人誌も一層完成度が高くなることでしょう!!」

「私はほんのちょっと手伝っただけだよ。でもありがとね、そう言ってくれると嬉しい」

「しかし、桜庭彩乃殿はやはり三次元にしておくのは惜しい…!その謙遜ぶり、メイドなんかぴったりだと思うのですがどうですか!?」

「ど…どうですかって言われても…私があんなフリフリ似合うかなぁ」

「心配無用ですぞ!なんなら色々レクチャーしたって…ほれほれ手取り足取り…」

「うわわっ!山田クン、ストップストップー!!」

丸い指を動かしながら眼鏡の奥の瞳をぎらつかせて桜庭を追いかける山田。
同じ芸術関係の特技ということでどこか通ずるものがあるのか、二人で話している光景はよく見られる。

それももう日常茶飯事なので特に何を言うでもないけれど、桐生は不二咲からもらったポッキーを食べつつ、ゆっくりと口を開いた。

「苗木ー、お前の嫁がまた山田といちゃついてんぞー」

「嫁って…桜庭さんはそんなんじゃないよ」

「でも二次元の女の子のことを“嫁”って言ったりするんだよね?この前山田クンから聞いたよぉ」

「おーい誰か山田を今すぐ殺してこい。いらん知識不二咲に植え付けやがって」

無感情にポッキーを食べつつそんなことを言う桐生に苦笑しながらも、苗木の目線は時折盛り上がっている桜庭と山田の二人へと向けられている。

口では何も言いはしないものの、やはり気になって仕方がないようだった。

大人しそうに見えてその実人並みに嫉妬に近い感情を抱くのも、それは彼が良くも悪くも普通の男子だからなのだろう。

「そんなに気になるのなら会話に入ればよろしいのに…そうは思いませんか?」

「それができたら苦労しないんじゃないのか」

「そういうものなのでしょうか…では桐生クンと朝日奈さんの中に霧切さんがなかなか入っていけないのも、そういうことなのですか」

「ごめん、セレス。何言ってっか全然わかんない」

「ちょっと、勝手なこと言わないで」

黙って聞いていたのか、霧切は普段より幾分か機嫌を悪くさせながらセレスを睨んだ。

そしてその視線が何故か桐生にも向けられたものだから、彼はどうしたらよいかわからず困ったような笑みを浮かべる。彼女を怒らせるといいことがない。とりあえず無視を決め込まれるなんていうことがあった日には精神的ダメージは計り知れないのだ。

「あら、聞いていたのですか」

「聞こえてきただけよ」

「なんかよくわかんねーけど俺を挟んで喧嘩だけは勘弁なー」

よくわからない理由で喧嘩され、あまつさえそれに巻き込まれるなど御免被りたい。

桐生は自分を挟んで冷戦を繰り広げる二人を自意識の外へと追いやってぱきりと再度ポッキーを食べ始めた。
そのまま無気力な瞳で教室を見渡す。

桜庭を追いかける山田。そわそわする苗木。それを宥めようとする不二咲。冷戦中のセレスと霧切。
カオスだ。

そうしてぼんやりとポッキーのチョコレートを眺めながら次はこんな感じの色に髪を染めようかなんて考えていると、ダンと激しく自身の机が叩かれる。

さすがに驚いて顔を上げればそこには大神と叩いた張本人であろう朝日奈の姿。

「ごめんなさい」

「何故謝るのだ…?」

「いや…なんか怒ってんのかなって思って」

「そうじゃないよ!見てるこっちがもどかしいの!苗木の桜庭ちゃんに対する態度がさ。あのままじゃ簡単に山田に持ってかれちゃうよ!」

「それ俺じゃなくて苗木に言って」

心の底からそう思う。それを言われた所でどうしろというのか。
苗木の代わりに桜庭を落とせとでも言うのか。そんなこと断固としてできるわけがない、そんな馬鹿げた話があってたまるか。

珍しく眉間に皺を寄せながら、二人を交互に見つめながら口を開こうとしたがそれは朝日奈の発言によって中断された。

「だからさ桐生、マジックで何とかして!!」

「はい?」

至極真面目な顔つきの二人。

もう一度ゆっくりと今の彼女の発言を咀嚼してみるも、わけがわからなかった。

「桜庭ちゃんから山田を遠ざけてくれればいいから!」

「ちょっと待て!お前マジックを何だと思ってんだ!」

「我からも頼む」

「いや、だからお願いとかいうレベルの話じゃなくてだな」

何とか反論を試みたがやがて諦めた。恐らく今の二人には何を言っても無駄だろう。

今なら腐川が二人に向かって“脳筋”と吐き捨てていた気持ちが理解できる。実際に自分も言ったらどうなるかわからないので口には出さなかったけれど。

とりあえず小さくため息をついてから山田達の方を見る。山田を見て、それから今度は彼の机。そこには原稿の他に外道天使☆もちもちプリンセスのトランプが置いてあった。

「あれを使うか…おーい山田ー!!」

呼べば山田は桜庭から視線を外して大きな体を揺らしながらこちらへと寄ってくる。

「ん?呼びましたかな?桐生涼太殿」

「ちょっと見ててみ」

「そっ…それは僕のトランプ!?しかもぶー子がプリントされているハートのクイーンじゃないかぁ!ちょっと桐生涼太殿…そ、それに一体何を…?」

端正な顔に爽やか且つ意地の悪い笑みを浮かべる桐生。

そして山田が果てしなく嫌な予感を感じ取った瞬間、桐生はくるりと絵柄を自分の方に向けて次には盛大な音を立ててトランプを破った。

はらりはらりと無残に床へと舞い散るトランプ。情報整理が追いついていないのか暫し呆然としていた山田だったがすぐに我に返る。

「なぁぁぁぁぁ!?僕のぶー子がぁぁぁ!!ちくしょー許せねー!!」

「ぶー子が何だって?」

「今この場で桐生涼太殿が破り捨ててしまったんでしょうがぁ!」

「俺には無傷のように見えるけどなー、ぶー子」

「はぁぁ!?何言って…って、あれ?」

制服の胸ポケットから取り出し、桐生は人差し指と中指の間にカードを挟んで山田の前に掲げる。それは紛れもなく今この場で彼が破り捨てたはずのぶー子のトランプだった。

やがてトランプを彼は元あった山田の机へと戻したが、もちろんそれには傷一つない。

そして静寂に包まれていた教室が騒がしくなったのはそれからすぐ後のことだった。

「すごい!桐生クンのマジックはやっぱりすごいね!」

瞳をこれでもかというほど輝かせながらいつの間にかやり取りを見ていたのであろう桜庭の賞賛する声を皮切りに、教室の温度は一気に高くなる。

「今度はどんな手使ったんだよ!いい加減オレにネタ教えろっつの!」

「桐生クン!派手なマジックは控えるように言っただろう!」

「これぐらいならいいんじゃねーのか、兄弟」

「でもすごいねぇ。本当に破っちゃったのかと思ったよぉ」

「ふふ、さすがは桐生クンですね」

「くだらん。そんな安いマジック、俺なら易々と解ける」

「そっ…そうよ…!白夜様ならあ…あんたのチンケなマジックなんて、か…簡単にっ…!!」

「さっすが桐生!思ってた以上だったよ!すごいすごい!」

「うむ、見事だ」

何だこの状況は。山田を桜庭から遠ざけるだけが当初の目的だったというのに輪がどんどん広がっていってしまっている。
挙げ句には言い出しっぺの朝日奈と大神までもが興奮しているとはどういうことだ。

彼は「あの」「その」など言って収拾をつけようとしたが、皆今のマジックのタネについての考察に夢中で彼の言葉を真面目に聞こうとはしなかった。

だが桜庭の方を見れば、彼女は苗木と何やら楽しそうに話していたのでまぁいいかなんて思ってしまう。恐らく任務はこれで無事遂行できたのだろう。

浅くため息をついて机に頬杖をつくと、横の席の霧切から静かに声がかけられる。

「目的は達成できたみたいね」

「ん?そーだな、うん。苗木と桜庭以外のみんなもなんか楽しそうだし、大成功だな」

「本当は、もとからそれが目的だったんじゃない?」

彼女の言葉にほんの少し目を丸くする。
心の内を覗かれたような感覚に陥ったが、不思議と嫌な気分ではなかった。

「どうしてそう思うわけ?」

「あなたはいつだって人を笑顔にする為にしかマジックをすることはないから」

「はは、お前俺のことよく見てんなー。さすが超高校級の探偵はすげーわ」

悲しんでいる人がいるならば、励ましてやればいい。退屈そうにしている人がいるならば、日常にありふれた物で笑顔を作ってやればいい。マジックというものにはそれを可能にするだけの力がある。

それならばもっと他に色々なものがあったのではないかと言われるけれど、自分にとってはマジックが一番だった。

「俺がやるマジックでみんなが仲良さげに話してんのが好きなんだよね。普段はあんまり話したりしない腐川と山田が、とかがさ」

相変わらず頬杖をつきながら今度は他人のではなく自分のトランプを弄くる。

ペラペラと器用に捲りながら適当に一枚取り出し、それを小さく折り畳んでいく。
やがて小さく小さく畳んだそれを一度ギュッと握りしめてからゆっくりと彼は畳まれたそれを開いていった。

「笑顔にしたいってのももちろんそうだけど、マジックのお陰で繋がりができることが、もしかしたら俺は一番嬉しいのかもしれない」

開かれ、露わになったトランプの絵柄はおよそありふれたものではなかった。

ハートのエースがあるはずのそこには、大きな桜のマークが描かれている。

「マジックなんて始めてなかったら俺も霧切と会えなかったわけだし」

「…そうかもね」

「お前も、仲良くなりたい奴とかいたらマジック披露してみな」

冗談めかして笑いながら桐生は霧切の机へと桜のトランプを置いた。

霧切はそれをソッと手にとって見つめる。それと同時に彼女の頭の中では仲良くなりたい者のことがぐるぐると思考を支配していた。

「あら、桐生クン。霧切さんとばかり話していると今度は朝日奈さんがなかなか入って来られなくなりますわよ」

「だからそれは一体何のことだっての」

「うふふ、直にわかりますわ。なんならわたくしとのギャンブルで勝てたらすぐお教えしますけれど…」

「ご遠慮します」

そうしてセレスと桐生が他愛のない会話をしている最中も

霧切はトランプを見つめて

微笑を湛えていたのだった。


(あなたが仲良くなりたいのは、誰ですか?)


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