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ゆっくりと開ける視界。だが眼前に広がるのは光ではなく暗闇。

脳がそうなった理由を体へと伝達する頃にはバサリという音と共に何かが床に落下していく。

そして広がるのは人工的な光と見慣れた友人の姿だった。

「…霧切」

恐ろしいまでに表情を変えずに顔を覗き込んでいるのはやっぱり霧切で。いつから見られていたのだろうか、なんて考えるよりも先に床に落ちた雑誌を拾う。

どうやら朝日奈とのことを考えていたら眠っていたようだ。

「声、かけてくれればよかったのに」

「かけようとしたらあなたが起きたのよ」

「なるほど」

向かいの席に腰掛ける霧切。自分に用があってここに来たのは明白だ。

目の前の高校生探偵は相変わらず何も言わずにただこちらを見つめているだけ。普段なら気にすることもなかっただろうが、先ほどの朝日奈とのやり取りで何となく女子を気にしてしまっている自分がいる。

霧切は綺麗だ。美人とはきっとこういう人のことを言うのだと思う。性格だって悪くない。誤解されることも多いがその先にある彼女の真意を知っているから、そうだと断言できる。

まぁそんなこと、偉そうに自分が分析してよいことでもないのだけれど。

「あ、そうだ。これ一緒に食べるか?さっき朝日奈に貰ったんだけど…」

箱に入れられているのは明らかに一人分の量ではないドーナツ。持った時点で何やら怪しい予感はしていたのだが開けてみて的中した。

確かに朝日奈一人ならこれぐらいすぐに食べてしまえるがそれは彼女に限った話なのだからそこを基準にされてしまうのは困ってしまう。

だがそれもまた、朝日奈らしさと言えるのは確かなのだろう。そういうところは純粋に気に入っている。

思わず優しげな笑いをこぼす桐生とは対照的に霧切は呟くように声を発した。

「…それは朝日奈さんがあなたにあげたものでしょう」

「でも義理だし。義理ならいんじゃね?」

桐生の言葉に、少なからず霧切の心が揺れる。

そうか。彼女は彼に想いを伝えなかったのか。好きだとそう言わなかったのか。

我ながら最低だと思う。口では、そして態度では朝日奈の応援をして一歩引いている風にしているくせに実際結果がこうだとひどく安心してしまう。桐生が朝日奈だけの存在になってしまわなかったという事実が何よりも。

むしろ二人がつき合うことになってくれたなら、こんなにまで仲間に対して最低な気持ちを抱くことにはならなかっただろうに。

もしくは彼を好きにさえならなければ。いや、それは無理な話か。どれだけ目を背けようと、どれだけ彼と関わり合いを持たないようにしようと、いずれはこんな風に桐生を好きになってしまったはずだ。

それはきっと朝日奈だって同じはずだから。

「どうした。心ここにあらずって感じだけど」

現実に引き戻されるような彼の声。手にはドーナツが握られていて、もう片方の手は差し出すようにドーナツが握られていた。

受け取ればより確かな匂いが鼻を掠めていく。

「それで、お前の用件は?」

「私もチョコレートを渡しに来ただけよ。朝日奈さんのだけでもう十分かもしれないけどね」

「お、いるいる。霧切の手作りとかレア度高いな」

「言っておくけど味の保証はしないわよ」

市販のチョコから作ったものに保証も何もないかもしれないが、あまりにも嬉しそうにする彼に思わずそう言っていた。

これだから簡単に狂わされる。これだからまた彼に惹かれていく。おさえつけようとしても溢れていくのだ。

「しかもナッツじゃん。お前これ知っててチョイスしたんだったら相当だな!」

透明な袋から確認できるナッツに桐生は一層嬉しそうに笑った。それが余計に彼女を苦しめてしまう原因になるとは知らずに。

どこまでも絡みついてきて離れない桐生への好意は次第にその強さを増していって。

もういっそここで想いを伝えてしまおうか。あなたのことが好きなのだと、言ってしまおうか。それができたならどんなにいいだろう。

そんなこと、できるわけはないのだと、自分でもよくわかっている。
今伝えたとて、彼が応えてくれることなんてないことがわかってしまっているからこそ言わない、いや、言えないのだ。

それは朝日奈の邪魔をしない為、なんて言い訳をしてまで。

「なんか今日は驚かされてばっかりだなー」

「心臓が保たない」なんて言いながら笑う桐生は本当に困っているようにも見えた。

自分が来るまでの間に朝日奈と何があったのかはわからないが、何かはあったらしい。

「お前は俺の好み知ってるし朝日奈は冗談言うし…」

「冗談?」

「俺のことが好きだって。冗談だって言ってたけどあれはキツい」

思い出すように言葉を紡ぐ彼を見て心臓が跳ねる。
それは冗談なんかではなく、本心だと知っていたから。

「もし本当だったら…なんて答えるつもりだったの?」

緊張を悟らせまいと拳を強く握りしめる。

全てに終止符を打つほどの質問でもないはずなのに。そんな自分に笑ってしまいそうだ。

彼は言葉を選ぶように手中の袋を弄くっていたが、やがてゆっくりと口を開く。

「多分、断ったと思う」

まるで日常会話をするように、さらりと吐き出された言葉は空気を揺らし、鼓膜を揺らし、心を揺らした。

彼女に対して申し訳ないと思っているくせに生まれる安心感は体中を支配していく。

「それで、もう一回見ると思うよ、あいつらのこと。今度はそういう風にさ」

その結果はどうなるかわからない。何が見えてくるのか、本当は誰が好きなのか、はたまた誰も好きではなく友人関係を築いていきたいだけなのか。
それでもそれこそが想いに対する誠意に繋がるはずだと桐生は信じているから、そうするのだろう。スタートが遅すぎるかもしれないけれど。

何とも彼らしい。そうでなくては。決めるのは彼なんだ、たとえ朝日奈の想いが、自分の想いがどこまでいこうとも。

「もしそれで霧切のこと好きになったらお前も全力でフってくれていいからな」

「そうね…考えておくわ」

答えなど考えるまでもない。そんなことは決まりきっている。それはもし本当にそうなればの話だが。
でもきっと結論が出るのはもうすぐ先のことだろう。何となくそんな気がする。

「よし、せっかくだから全部食べちまうか!つき合ってくれるか、霧切」

「いいわよ」

「はは、ありがとな」

結果なんて出るのはいつだっていい。予想より遅くたって早くたって。

でもそれでも今だけは、この溶けるような幸せなバレンタインに浸かっていたいと

霧切はただそう思っていた。


(私達は、あなたがいるから溶かされる)


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