閉鎖された空間の中で聞こえるのは微かな人の息遣いだけ。
目の前の馬鹿に大きい扉に触れてみても何も起きることはない。ぶら下がる銃器も相まって、玄関ホールらしきこの空間は一層不気味さを増している。
窓という窓には鉄板が打ちつけられており、外からの光の一切は遮断されていた。
桐生は小さく息を吐いて監視カメラへと目を向ける。
先ほど体育館で起きた出来事。モノクマと名乗るぬいぐるみロボットから言われた、集められた新入生15人での“コロシアイ”。完全な閉鎖空間で永遠生活することの強要。
何もかもが非現実的すぎて正直頭はついていかない。
結局全員で学園内をもう一度捜索することになったが、それも無駄に終わりそうだった。
「希望ヶ峰学園…か」
ここは本当に希望ヶ峰学園なのだろうか。真実だと言われても何度でも疑いたくなる。一つ疑問を抱けばそれは波となって己の脳を支配していく。
だがそんなことよりも気になっていることがあった。気になっている、というよりは違和感と呼んだ方が正しいだろう。
纏わりつく嫌な空気に負けないほど妙な感覚が胸の内を満たしていたから。
「桐生クン、そっちは何か見つかった?」
後ろを振り向けばそこには桜庭が佇んでいた。
彼女も今日初めて会って、同じ不運に巻き込まれてしまった者同士だ。
桜庭は疲れたような表情を必死に押し殺しながら笑みを浮かべている。
無理はない。あれだけたくさんの信じられないことが起きて平常心でいろということの方がおかしな話だ。
桐生は気遣うような表情を浮かべてからゆっくりと首を横に振る。もとより捜索する気すらあまりなかったので成果など上げられるはずはなかった。
「こんな所で生活なんて…きっと嘘だよね…?明日には全部なかったことになってるよね…?」
桜庭から発せられた空っぽな問いかけはきっと彼に向けて放ったものではないのだろう。
彼女自身に言い聞かせるように。そうでもしなければ、目には見えない圧力に簡単に心臓を握りつぶされてしまいそうだったから。
それは桐生だって同じだった。これら全てが悪い夢か、もしくはただの大掛かりなマジックであって欲しいと、そう思わずにはいられない。
だが冷静さを欠いてしまうことも今はしたくない。目の前の桜庭をもっと不安にさせてしまうだろうし、慌てる自分を見てどこかにいるモノクマの操縦者、即ち黒幕にほくそ笑まれたくなかったから。
普段マジックで他人を騙す側の人間からしてみれば、逆に騙されるというのは不愉快極まりない。
他者にイラつきを、怒りを覚えたのは本当に久しぶりの気がする。
「とりあえず悲観的なことばっか考えててもしょうがない。再集合まで俺と行動しよう、桜庭。余計なこと考えないようにマジックでもしてやるからさ」
できるだけ優しく笑いかけて彼女を落ち着かせようとする。
今にも泣き出しそうだった桜庭はそんな桐生を見て、少し安堵したのか、ぎこちないながらも微笑んで頷いた。
「ありがとう。桐生クンはすごいね、こんな状況なのにしっかりしてて…」
「んー…こんな状況だからこそかな。むしろ慌ててる時間が惜しい」
慌てている暇があるならばその間に頭なり体なりを動かしていた方がよっぽど有意義だ。
慌てれば慌てるほど人間というのは深みにはまっていってしまうものだというのを知っているから。
「それがすごいんだよ。私なんてここで桐生クンに会わなかったら挫けてたかも」
「ここに来るまで誰とも会わなかったのか?」
「ううん、霧切さんに会った」
「あぁ、あの不思議な奴」
ちょうどランドリーを確認した後で偶然彼女と会って話しかけられたのだ。
不思議な雰囲気に一瞬気圧されそうになったものの、何とか普通に会話することができた。
「私ね、ランドリーの中調べてて、面白いトランプ見つけたんだ。絵のインスピレーションも降ってきたし、それもらっていこうと思ったんだけど…」
洗濯機がずらりと並べられた中で中央に置かれていた机。そこには恐らく洗濯が完了するまで待つ為の雑誌があったり、隣には自動販売機があったりと普通のランドリーとは何ら相違はなかった。
ただ、たった一つ、雑誌の中にしおり代わりに使われていたのか、一枚のトランプが僅かな違和感を発していたのだ。
「そしたら霧切さんが来て“それは私のだと思うから返してくれる?”って」
まるで宝物を奪われたかのように厳しい顔つきをしながら。
まだ出会って間もないが、霧切響子という人間は感情を簡単に面に出さないタイプだと決めつけてしまっていただけに驚きはひとしおだった。
「思う?確証なく自分のだって言ったってことか?それに面白いって…どんなトランプだったんだよ」
「うん、よくわからないし思い出せないけどそれは多分自分のなんだって。だから返したんだ」
返した時の彼女の表情はきっとこの先も忘れることはないだろう。
トランプの絵柄を手袋越しではあったが、指で静かに撫でて穏やかな表情を浮かべていた彼女を。まるで大切な人がそこにいたかのような。
だからこそ本当なのだと確信した。それは霧切にとっては何よりも大切な物なのだと。そして同時に切なくなった。
ただの予想でしかないけれど、あのトランプは恐らく霧切が好きな人か、それかそれに等しい人物にもらった物なのだろう。
そう考えると、ここに閉じこめられたことでその人物から引き離されてしまったことへの怒りが増した。
「すごくかわいいトランプだったよ。エースマークが桜になってて」
「へぇ…俺がマジックで使うのにもそういう面白アイテムあるよ」
そうして桜庭と他愛のない会話をする中でも広がっていく確かな感覚。一体何なのだろう、この感覚は。
それは頭に出かかっていることがギリギリの所でつっかえてもやもやする、あの感覚と酷似していた。
自分は霧切のことなどよく知らない。もちろんその桜のトランプも同じだ。なのに何故こんな感覚が生まれる。何故知らないと思う度に寂しさを覚える自分がいる。
「桐生クン?」
いつの間に止まってしまっていたのか、こちらを心配そうに見つめながら桜庭が駆け寄ってきた。
それでも膨れ上がる感情と違和感は消えてくれない。
「なぁ…桜庭。お前さ、閉じこめられた連中とはみんな初対面なんだよな?俺もそうだよな?」
「え…う、うん。そうだよ。苗木クンとも舞園さんとも霧切さんとも初対面。もちろん桐生クンとも…」
それは至極当然の答え。自分だってそう思っているのだから当たり前だ。
我ながらおかしなことを聞いたと思う。
やがて「大丈夫?」と心配そうに声をかける桜庭の頭を感情を気取られないようにぐしゃぐしゃと少し乱暴に撫でて、それから軽く笑った。
「大丈夫大丈夫。ごめんなー、心配かけて。もう平気だから、行こう。あ、何があるかわかんねぇからあんま離れんなよ」
「なんかボディーガードみたいだね、桐生クン」
「はは、“超高校級のボディーガード”に鞍替えするか?まぁ、お前はちゃんと俺が守るよ」
ふと、今度は桜庭が立ち止まる。
だが桐生の時のような深刻な感じではない。
後ろから彼を見つめて、何かを見据えているような。
すると今度は彼女の方が桐生へと疑問をぶつけた。
「桐生クン、今の言葉って、他の誰かに言ったりした?例えば…彼女さんとかに」
やけに暖かみを含んでいた言葉。初めて聞いたような感じがしない。自分が言われたのではなく、誰か他人が言った光景を羨んでいたような記憶よりあやふやなもの。
軽い疑問を聞いただけのつもりだった。だが、目の前の桐生はひどく切なげな瞳をしていた。
「俺には彼女なんていないしそんなこと他の誰かに言った覚えもない。けどさ…繋がんないんだよ」
点と点が繋がらない。自分だけがおかしいのか、他の皆もそうなのか、それすらもわからない。
何だ、一体何を忘れている。思い出せ、いや、何を思い出すという。ここに来てから教室で目覚めるほんの数十分の事を。有り得ない。数十分でここまで人を悩ます波瀾万丈の出来事など起こるわけがないではないか。違う、そうじゃない。忘れているのは人だ。人なんだ。
瞬間、体中に電気が駆け抜けたような気がして、思わず身を震わせる。
口からは自然と笑みがこぼれた。
「行こう、桜庭。もう時間だ。遅れるとあの石丸ってやつがうるさいだろうから」
ほんの少し不思議そうにする桜庭と廊下を再び歩き出す。
何も思い出せない。
そもそも思い出すことなどないのかもしれないのだけれど、きっとそれはない。
自分には忘れてしまったことが、忘れてしまった人がいる。それが誰かなんてさっぱりわからないけれどはっきりしていることだってあったのだ。
繋がらない点と点の中心で微笑む彼女。
桐生涼太は彼女のことを
(確かに好きでいたのだと)