幸福ドロップ
*長編の番外編なので名前変換は長編で使っている名前でどうぞ。













これは買い出し、これは買い出しと自分に言い聞かせて一体どれくらいの時間が経ったのだろう。多分時間的にはほんの数分。

だが広場でこんな風にただ一人の女を待ち続けているという様はいかにもデートだ。いや、しかし目的はただの買い出し。ココの思いつきで夜何かやるらしくその材料を買いに皆二人一組で出かけているだけ。そして自分の相手が偶然ナマエというだけなのだ。

女の準備に時間がかかるのはどこの国でもやはり共通なようで、ちゃんとした服に着替えてくるといってから待っている間、頭の中では様々な妄想が広がってしまっている。

普段彼女が着ているのはパーカーばかりだ。他は状況に応じてミリタリー用の戦闘服だったり。街を歩き回るのにはいつものパーカーでも十分だがココがナマエに変えてみたらどうかと提案してくれたのだ。ココにはあとで最大限の感謝をしなければなるまい。

そうしてぐるぐるとまた思考の波にのまれそうになっていると、焦ったような声と共に軽い足音が耳に入り込んでくる。

「ごめんなさいルツ!待たせちゃって…」

振り返った先にいたのは確かにナマエだった。だがおよそその姿は彼女らしくはなく、いや、似合っている。似合っているのだが見慣れていないせいか、今の彼女はルツの中の時を止めるのには十分すぎた。

止まってしまった彼を不思議に思ったのか、ナマエは小首を傾げて彼の顔を覗き込む。

「ルツ…?あの、やっばり変…なのかな…」

ハッと我に返ったのはそんなナマエの言葉を聞いた時だった。
目の前の彼女は見るからに落ち込んだような様子で、瞳にはうっすらと暗い色が宿っている。

「い、いや!変じゃねーよ!むしろいいって!」

素直な感想というのはこういう時に限って口から滑っていってはくれない。相手がナマエだとそれは尚更。

でもそれでも、しどろもどろになってしまった時でも決まって彼女は楽しそうに笑ってくれるから、それでいいかなんて思ってしまう。

「ふふ、本当ですか?ルツは優しいね」

ほら、こんな風に彼女は笑う。
他の皆の前ではなく、自分のためだけに向けられている穏やかな微笑み。

溶かされいく心はその限度を知らない。もうこれ以上ないほど溶かされていったと思ってもまた惹かれていく。

そうして本来の目的を忘れかけた時、時計が目に入ってきてまたハッとさせられた。

今日は買い出しだ。擬似的なデートに勝手に身を投じるのもいいかもしれないがそれでは後々困ることになりかねない。

「そ、それじゃあ行こうぜ」

「はい!えと…パンとワイン、だったよね」

酒が好きなのに酒に嫌われるとは難儀なものだ。いくら周りが止めようと結局はこうして彼女や自分達のために買ってきてしまう。

そういえばナマエが酒に酔っている映像は見たことがないかもしれない。
少しそんな姿も見てみたいと言ったら彼女は怒るだろうか。

そうして街を歩きながら見えるのは、どうしようもなく綺麗な光景で。
隣のナマエもまるで子供のように目を輝かせてヨーロッパの街並みを忙しく眺め回していた。

やがて辿り着いたパン屋からは焼きたての香ばしい匂いが二人の鼻を掠めていった。

「色々あるね。買うもの決まってるのに目移りしちゃいそう」

楽しそうにそう言いながら、それでも目的は忘れずにフランスパンを選んでいくナマエ。
こういったことはよくわからないのでどれがいいのかといった選別は完全に彼女任せだ。

真剣に悩みつつもパン選び一つにここまで楽しめるのは彼女ぐらいではないか。

純粋にその理由が気になった。それは相手がナマエだからということもあるのだろうが。

「楽しいか?そのパン選びってやつ」

些細な疑問は簡単に口から滑っていく。聞こえ方によっては淡白な男に思われるかもしれないがナマエはそうは思わなかったようで、いつもの綺麗な笑みを自分へと向ける。

「楽しいですよ。私は何かを選ぶっていうこと、あまりしたことがないので…」

選択すらことすら許されなかった昔。手繰り寄せる記憶はそんなものばかり。抗えば余計に縛られていく。
恐らく彼女がいたのはそんな環境。創造することしかできないけれど、間違ってはいない気がする。

ふつふつとぶつけようのない怒りが沸き上がってくるがやはりそんな憤りは目的地を見失って霧散していった。

いつの間にか眉間に皺でも寄せていたのだろうか、ナマエは決まり悪そうな、申し訳なさそうな表情を浮かべている。

「ごめんなさい、駄目でしたね…こんな話は」

「ああいや気にすんなって!そうじゃねーんだよ」

彼女の顔に陰りを生んでしまったことが自分で許せなくて取り繕うように笑ってみせる。

自分といる時は彼女には笑っていてほしいのだ。過去などそんなものはもう関係ない、今ナマエの隣にいるのは自分なのだから。

もしかしたらそれすらもナマエの笑顔が見たいという己の我が儘になってしまうのかもしれないのだけれど。

「お、そうだナマエ」

未だ暗い雰囲気を醸し出す彼女もいきなりのルツの言葉に首を傾げて瞳に疑問の色が塗り込められている。

「なんか選んでくれよ、買い出しとかに関係なく。お嬢達には内緒で二人だけで食っちまおうぜ」

「え…い、いいのかな、そんなことして」

「いいんだよ!言わなきゃバレねーんだから!」

悪戯っぽく笑うルツ。そうしている内に徐々にナマエの心もほぐされていった。

ルツ自身は気づいてはいないが彼の想いは少なからず彼女を揺り動かしている。

緩やかに伝達されていく熱はうっすらと彼女の頬を赤く染め上げる。

そしてそのまま先程のようにパンへと視線を移動させていった。

「じゃあ選んじゃうね。ふふ、後から文句はなしですよ?」

「ねーって。どれもうまそうだし」

そう、文句などあるわけがない。たとえハズレでもそれは同じだ。嬉しそうに選ぶ彼女を見られるというだけでお釣りがくるほど。

やがて訪れる静寂に溶けていくような感覚が胸の内を満たしていく。少しずつ落ちてくる幸せの粒に温かみを感じながらルツはゆっくりと口を開いた。

「またこんな風に“買い出し”、行けるといいな」

「はい、今度はみんなで」

“みんなで”。
いつもなら微妙な感情を産み落とす言葉も、今だけはすんなりと入り込んでくる。
いや、本当は気にしている余裕がなかっただけなのかもしれない。

今はただ、緩やかに流れてくる幸福感に浸っていたいのだと

そんなことだけを思っていた。


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