幸せの上書き
「今回は空路だー!」

飛行機を見上げて太陽の光に眩しそうにしながら、ナマエは嬉しそうに瞳を輝かせた。

ここ最近ずっと船での移動が多かったためか、随分と久しぶりに感じられる空移動に気持ちも自然と弾んでいく。

ココが空を飛ぶとろくなことにならないとレームは言っているけれど、それはそれでスリリングな体験ができて楽しめるというもの。興奮するなという方が無理な話だった。

「そんなにいいもんか?」

「もー…わかってないなぁルツは!」

後ろからかけられた聞き慣れた声にふてくされたような返事をして振り向けばそこには想像していたのと寸分違うことのない人物が佇んでいた。

「人間が空飛んでるんだよ?興奮するでしょー」

今までいた場所がミニチュアのようになっていく様は子供じみているのかもしれないけれど心躍る。

別に海が嫌いなわけではない。そもそも言うほど飛行機での移動が好きで拘りを持っているわけではないのだけれど。
ナマエにしてみれば移動手段などはっきり言って特に気にすることでもなかった。

「ま、俺はナマエが一緒なら何でもいいんだけどさ」

「おっ、それはそっくりそのままお返ししましょうかね」

まるで若い青年の若葉マークのような雰囲気にお互い気恥ずかしそうに笑う。

陶器のように滑らかで白い肌をほんのり朱に染めるナマエを見ていると、やはり飛行機はいいかもしれないなんて思うのは自分が単純だということの証明になってしまうだろうか。

そしてそんな感情は彼女の隣で、ずっと道を共にしていきたいと、そんなくすぐったくなるような淡い願いを胸の内に穏やかに産み落とした。

ココと広い大空や海を渡り、その過程で出逢えたたった一人の大切な人は、巡り会えた、きっとそれだけで奇跡と言っても、間違いではない。

「ねぇルツ。私、きっと今幸せなんだ」

いきなりの発言に一瞬眉間に皺を寄せる。

それでも戸惑いは目の前の彼女の表情を見れば、簡単に彼方へと吹き飛んでいった。

そのまま青空へと溶けて消えてしまいそうな柔らかな微笑みは今まで凪いでいた自分達の間に確かに風音と共に涼やかな風を運んだ。

「飛行機に乗って、船に乗って。職場には笑顔だって絶えないし何よりルツがいる」

触れる優しさ、愛しさ。感じられる想いの全てが幸せを伴って流れ込んでくる。

人一人に与えられる幸せというものの限度がもし決まっているというのなら、きっともう己の中にはこれ以上は与えられないのではないかと思ってしまうほど。

移動手段程度で心を弾ませる自分を思い返せば、それが証拠になる。

「だからこそかな。いつか下っていくのが怖いんだ」

幸せだと思えば思うほど、好きになればなるほど、失った時の反動は大きくなる。

今が幸せの絶頂だと考えてしまったら、あとは下っていくしかない。

例えば、今日乗るこの飛行機が墜落するとか、そういった不幸が。
すこし大袈裟で話が飛躍しすぎかもしれないが、自分はそれだけ尊いものを彼らから、ルツからもらってしまったから。

それら全ての感情を気取られたからかもしれない。ルツは静かに、それでいて明るい声でナマエの名を呼び、真っ直ぐにこちらを振り向く彼女の憂いを帯びた瞳を見つめた。

「俺だって幸せだよ。多分、ナマエが思ってる以上に」

「へぇ、じゃあルツも、もしかして私と同じ考えなのかな?」

茶化すようにそう言いながらも、真剣にルツの声に耳を傾ける。

風も再び凪いでいた。音も何も聞こえない、世界でただ二人だけになってしまったかのような空気が辺りを満たす。

「こういう時って何て言ったらいいのか正直よくわかんねぇんだけど…」

なんとも彼らしいと、そう笑おうとした時、ぐらりと体が傾いて気づいた時には体は温かな感触に包まれていた。

どくんと心臓が波打つ。
伝わってくる温もりに自然と頬も熱くなっていく。

力強く抱きしめられて、逃げようともがく隙すら与えてくれやしない。

やがて逃げることを諦めて、僅かに生まれる震えを必死に押し殺しながらルツの大きな背中に手を回せば、ルツも先ほどより強く己に力を入れてくる。

「幸せに下りなんてねぇよ」

耳元で響いた声はゆっくりと脳に響いていく。

染み込んでいく言葉は重たくて、何か大切なことに気づかされたような気がした。

下りなんてない。確かにそうかもしれない。こうして抱きしめられて初めて気づくなんて、なんて自分は鈍いのだろうと、自嘲したくなってくる。

目の前にある温もり。掴んで、掴まれて、その先にあるのはやっぱり。

「そう…そうだね、ごめん。何でかな、そんなことにすら気づかなかった」

「気にすんな。俺も今気づかされたよ」

お互いおかしそうにくすくすと笑う。それでも掴んだ体は離さない。


「私、今幸せだわ」

噛み締めるように呟かれた言葉は小さくて、ルツ以外の耳には届くことはなかったけれど、彼が嬉しそうに笑った気がしたから

また幸せは彼女の中へと

重ねられていった。


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