ルツ
潮風揺れる甲板。いつの間にか日は傾き、橙色のカーテンが空を包もうとしている。こうして冷静になってみると、あれだけ長い間アールと言い争っていた時間はなんと人生の無駄だったことかと思わされてしまう。

ナマエが好きなのは本当だ。それはアールだって同じだろう。でもだからこそ、譲れないという気持ちが先走って、つい言い争いに発展してしまう。きっとそれはアールも全く同じなのだろうけれど。

ふと、先ほどのナマエを思い出してみる。あんなに怒った彼女は初めて見た。彼女を取られたくないからケンカをして、結果彼女に嫌われてしまうなど、とんだ笑い話だ。
大体、自分もアールも、彼女の気持ちを確かめたことすらない。それは単純に答えを知ってしまうのを恐れているから。けれどいつまでもこのままでいていいはずはないことも、わかりきっていることだった。

「ルツ」

その時、突然後ろから聞こえてきた声にルツは弾かれたように振り返る。そこにはナマエがいて、何故か彼女はきまり悪い表情を浮かべながら、静かに髪を風になびかせていた。

何ともタイミングが悪い。会いたくなかったというわけではないが、何となく顔を合わせづらかったのだ。

「あ…あー、ナマエ。どうした?」

彼女も気まずいのか、何やら口ごもっている。今回の件、いや、今までの件にナマエに落ち度などないというのに。

「うん、あの…ちょっとさっきは言い過ぎちゃったなって思って…」

「ごめんね」なんて申し訳なさそうに言うナマエ。何故彼女は謝るのだろう。そして、何故彼女はそんなにも優しいのだろう。

ナマエはルツからの許しを待っているかのように佇んでいる。謝るべきはこっちだ。けれど、今のこの雰囲気の中でこちらも謝れば変な空気になってしまうことは確実。

どうすればよいかわからずに、暫し沈黙が二人の間を支配する。やがてルツはがしがしと頭を掻いて、そしてナマエの頭に軽く手を乗せた。

「いや、俺も悪かったよ。というか全体的に俺らが悪いんだからナマエは謝んなくていい」

「でも…!!」

それでも申し訳なさそうにする彼女に、ルツは優しく微笑みかける。そうすれば、ナマエはもうそれ以上何も言わず、ルツの横に並んで共に夕陽を眺め始めた。

まだほんの少しだけ暗かったけれど、その横顔はひどく美しかった。それは僅かばかりの独占欲まで生まれてしまうほど。
どうすればこの笑顔を自分だけに向けることができるのだろうか。そんなものは彼女の気持ち次第だというのはわかってはいるが、どうしてもそれを望まずにはいられない。

「なぁ、ナマエは…アールのこと好きなのか?」

口をついて出た言葉は決して問題の核心をつくものではなくて。だがそれが精一杯だった。情けないと言われても構わない。それで少しでも彼女の心の内を知ることができるのならば。

ナマエは一瞬目を丸くしていたが、すぐに柔和な笑みを浮かべる。

「ううん、好きじゃない。だって私他に好きな人いるからさ」

「それは誰だ」と聞くことができたのならばどんなによかっただろう。けれどルツはナマエのそんな発言を聞いても、静かに驚くことしかできなかった。

だがナマエはそんな彼に視線を寄越すことなく言葉を続ける。

「その人はね、優しくて面白くて、よくみんなにいじられてて」

瞬間、心臓が大きく音を立てて揺れた。それはナマエの口から発せられる言葉の一つ一つの特徴に痛いほど。

「あと、狙撃の腕もピカイチ。アールとよくケンカするけど…私はそれ全部ひっくるめてその人が好きなの。その人以外を好きになることは多分ない…」

彼女が全てを言い終えたかなかったかのタイミング。多分言い終えてなかったのだと思う。もう自分を抑制することなどできなかったから。

気づけば彼女の体を強く抱きしめていて。小さな体が壊れてしまうんじゃないかと思うくらい強く。
暖かい。ナマエという人間をこんなに間近に感じたのは初めてだった。彼女が壊れてしまうよりも早く、自分の方がどうにかなってしまいそうだ。

そうして彼女の耳元へと口をよせる。今までどんなに絞りだそうと思っても出てこなかったそれは、こんな時に限ってするりと滑っていく。

「…好きだ、ナマエ」

ナマエは一瞬だけピクリと反応したが、すぐに首だけを後ろへと向ける。その頬は赤く染まっていて、それが夕陽のせいなのか恥ずかしさのせいなのかはよくわからなかった。
泣きそうな、それでいて嬉しそうな表情を浮かべるナマエ。彼女の細い綺麗な指は、ルツが彼女の体に回した腕に控えめに触れる。

「遅いよ…」

そう言うナマエに「悪い」と小さく呟いて、ルツは彼女を自分の方へと向かせる。


そのまま、二人の影が一つに重なるのには

さほど時間はかからなかった。
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