ひねもす
年下の少年兵が新しく我が小隊に来た。年下といってもそんな一回りも二回りも違うというわけではないけれど。

強いし大人びていて。けれど彼はすこぶる勉学が苦手だった。そして私はココさんから頼まれてヨナに社会を教えている。算数や理科よりはっきり言って私は生きてく上でそこまで必要な教科じゃないと思うけど、頼まれたらきちんとやりとげなければ。



「…ヨナ、今日は飽きるの早いね」

ノートに書き込まれた落書きの数々。私の決意は早々に打ち砕かれてしまったようだ。
しかし社会、というか歴史は口頭で教えることが多い。ホワイトボードや黒板なんてもちろんないから私の説明がどうしても多くなってしまうのは仕方のないこと。

私自身、別に本気で授業をしたいわけじゃないから構わない。こんな天気のいい日に部屋にこもって勉強なんてもったいないことこの上ない。お日様の光を浴びて、草むらでもどこでもいい、空のよく見える場所で昼寝をした方がよっぽど一日を有意義に過ごせるはずだ。それはきっとヨナも同じだと思う。

「ナマエはずっと歴史を勉強していたのか?学校で」

「まぁね。大学で歴史学を」

鉛筆を転がしながら質問してきたヨナが私の言葉で手を止めた。“大学”という単語が珍しかったのだろうか。

「大学は頭のいい人が通う所だろ?そこを卒業してナマエは武器商人の私兵になったのか?」

頭のいい人というのは少し語弊がある。確かに頭のいい人はそれ相応の入るのが難しい大学へ行くだろう。だがあんな場所、行こうと思えば誰だって行ける場所だ。金と字を書いて、ポストに届けを投函する能力さえあれば誰だって。

「んー…私は大学は卒業してないよ。途中でやめた。それで、ココさんの所に来たの」

「それは何故?大学を卒業すればもっといい仕事に就けたはずだろ?」

今日のヨナは質問が多い。私のことがそんなに気になるのだろうか。

教科書を置いて、ほんの少し前の自分の姿を思い出してみる。確かにあの大学はいい所だった。けれどそれ以上につまらなかった。約束された未来のかわりに、私は檻の中に入れられたのだ。いつだって上を向けば、そこには無機質な天井があるばかり。一日中書物に目を通して、レポートを作って、機会仕掛けの生活を送っていただけだった。

多分私は自分が思っていた以上にそのことが嫌だったんだと思う。だから、約束された未来を待つよりも、目まぐるしく変わる空の動きを眺める自由の方を私は選んだのだ。もちろん私は戦闘要員じゃない後方支援がもっぱらだから私兵なんてかっこいいものじゃないけれど。

「“鳥かごの中の景色だけを見て朽ちる鳥は哀れすぎる”ってココさんに言われてね」

「?ココの言うことはいつもよくわからない」

まったくその通りだと苦笑してしまう。
だけれどその言葉の真意を知りたくて来たみたこの世界は、なんとも形容し難いほどに素晴らしかった。正に彼女の言葉の通りだとも言えるか。

上手く説明することはできないけれど、ココに従ってここに来たからこそこうしてヨナ達に出会うことが出来たのだから、私の選択は間違っていなかったのだろう。それだけは胸を張って断言できる。

窓から差し込む光はひどく心地いい。それはまるで本当に格子の内側から外の世界を渇望する鳥になったような錯覚を私に与えた。大学にこもっていた時も今思えばそうだった。

そして私は陽光が眩しくて目を逸らす。逸らした先にはヨナ。彼は私が授業を中断したからか、ノートの落書き作業に没頭していた。なかなか上手いもんだ。彼は美術の才能があるらしい。

「こーらヨナ。教師を真横におきながら堂々とストライキ?」

ふにふにとヨナの頬を指でつつく。何とも柔らかくてかわいらしい。彼はそれを振り払うでもなく、鉛筆を置いて私の方に目を向けた。相変わらず長いまつげに大きな瞳だ。吸い込まれてしまいそうになる。

「先に話をやめたのはナマエだ」

「はは、それはそうだね」

何ともやる気のない返事だったと思う。けれども私自身もヨナと同じように授業がおっくうになってしまったのだから仕方がない。だからといって途中で止めるのはさすがによくないだろう。

上手く回らない頭で考えて考えた。窓から見える空は私の苦悩なんてお構いなしに輝いている。それを見ていると、ふと思い浮かぶことがあった。

「ねぇヨナ」

この時の私の顔はきっと悪巧みをする子供のようだったに違いない。
ヨナはいつもと変わらない眼差しを向けて私の言葉を待っていた。

「青空教室しよっか」

いかにも意味がわからないといった風に首を傾げるヨナ。彼は学校そのものに行ったことがないから知らないのもおかしくはない。

「外でやる授業のことだよ。草村とかまぁどこか見つけてさ、寝転がって雲の流れでも観察しない?夜は天体観測!夜は青空じゃなくなってるけどね」

「まぁまぁ面白そうだけどそれじゃ歴史の授業にならないよ」

それは確かに。我ながらとてつもなくいい案だと思ったのだが。暫く頬に指を当てて考えてみる。何もそこまで社会の勉強をすることにしがみつく必要はないのだろうけれど。

「でもやってみたい。青空教室」

いつもより少しだけ輝いて見えたヨナの瞳。
興味があるならばやらなければ損だ。何より、ヨナが望むのだ。応えてやらなければ。

後で勝手に出て行ったことを皆から咎められるかもしれないけれど、関係ない。そんなことなんかよりもヨナと過ごす一日の方がよっぽど大事なのだから。

「お、行きたい?ふっふっふっ、君には一日中空を見上げている覚悟はあるのかな?」

「普通なら無理だけど、ナマエが横にいたらできる気がする」

少し意地悪を言ったつもりだった。それが逆にカウンターで一発喰らってしまったような気分。子供にしてやられるなど情けないことこの上ない。けれどそれを顔に出すことはしなかった。それはこちらも年上の意地というものがあったからなのかもしれない。

「ふふ、じゃあ私とヨナの歴史を作りに行きますか!」

「何それ」

盛大に笑い飛ばす私に、呆れながらもヨナはしっかりとついてくる。

ヨナと出かけて、一日のんびりと空を見て過ごす。それはどんなに幸せなことだろう。

やがて夜になって帰ってきた私達に

何やらココさんが文句を言っていたけれど

私は不思議と幸福に満たされていて

何を言っていたのかは後で思い返してみても

わからなかった。


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