何でもない日万歳とはよく言ったもので。
特に誰の誕生日でもないのに今、ナマエはケーキを作ろうとしていた。出来上がったばかりのスポンジに、それを彩る為の純白が周りを縁取っていく。飾られていく様はなかなかに美しい。
「…ふぅ、とりあえずクリームは塗ったから…次は搾りますかー」
今度は手に搾り袋。形にはこだわりたいので、失敗はできない。できるだけそーっとスポンジの表面へと腕を滑らせていく。
そして手に力を込めようとした瞬間、背後から聞こえてきた声にそれは中断された。
「よォ、ナマエ。何やってんだ?」
「わっ!!」
声を上げながらびくりと肩を震わせて大袈裟にリアクションを取るナマエ。危うく手のクリームを落としそうになる。さすがに中身をぶちまけるわけにはいかないので、ホッと胸をなで下ろした。
そしてさっきのは何事かと後ろを向いて声の主を確認する。
「あ、あぁ…なんだルツかぁ。びっくりした」
「びっくりしたのはこっちだ。声かけただけなのに過剰に反応しすぎじゃねぇ?」
そう言いながら彼女の手元を覗き込めばそこには作成途中のケーキが一つ。周りにはイチゴやらチョコレートやらがあり、彼女の手にはクリーム。今日は誰かの誕生日か何かだっただろうか。記憶にはないがもしそうだったとしても我が小隊は毎回誕生日など祝っていただろうか。
訝しげに彼女に目をやれば、ルツの思っていることがわかったのか、ナマエは眉尻を下げて困ったような笑みを浮かべる。
「いやね、今日食料庫確認してみたら見事に使わなさそうなやつばっか残っちゃってて…せっかくだから全部使いきっちゃおうと思って。ココさんから許可ももらったし!今日のデザートは見ての通りケーキってわけ」
なるほどと納得し、ルツは再度純白のケーキへと目を移した。何も乗っていなくてもそれだけで美味しそうに感じられるのは不思議だ。
「んで、デコレーションしようしてた途中だったってことか」
「そうそう。スポンジ焼いてる時もヨナが“手伝おうか?”って来てくれたんだけどあの子多分勉強サボって来ちゃったんだろうから断っちゃった」
ナマエの料理の腕は皆が認めている。ほっといてもパティシエ顔負けのケーキを作って持ってくるだろう。そこにヨナという危険なスパイスを加えようものならいくら彼女でもカバーしきれず謎の産物を生み出しかねない。手伝いを断ったことに大いに感謝せざるをえない。
だからといって、自分には料理のセンスがあるかと聞かれればもちろん自信などないに等しい。それに特に大した用が会って彼女の所に訪れたわけでもないので、邪魔になるくらいならば場を去った方がいいのだろうが、なんとなくまだ彼女の作業を見ていたかった。
「作業、見ててもいいか?」
そう静かに問いかければ、ナマエは首をこてんと横に傾ける。それと同時に、微かに彼女の髪から甘い香りがしたような気がした。
「いいけど…見ててもそんなに面白くなんてないよ?」
それでもいいと答えれば、まだ不思議そうにしながらも、作業へと戻るナマエ。
彼女は小柄なため、少し後ろから覗き込みさえすれば、手元は簡単に見ることができる。
慎重に等間隔にクリームを絞る彼女。真面目なその後ろ姿に、なんともいえない感情が沸き上がってくる。
時々思うことがあった。ナマエはつくづくお菓子のような女だと。こんなことを周りに言えば変に思われること間違いなしだが、確かに自分はそう感じるのだから仕方がない。
どことなくふわふわとしている雰囲気はまるでわたあめのようだし、照れている時の頬はおよそリンゴの如く艶めかしい。おまけに髪からは甘い香りがする。故に触れたらすぐに溶けてしまいそうな儚さはある。だけれどそれもまた、魅力の一つだ。
そんなことを考えていたら無性に彼女が愛おしくなって、気づけばルツはナマエを後ろから抱きしめていた。
「ル…ルツ?どうしたの?」
一瞬びくりと体を震わせるけれど、決して拒みはしない。それが自分への警戒心の無さからきているのだと理解しているだけに、思わず口元が緩んでしまいそうになった。
「別に、気にせず続けてくれ」
聞き取れないほどの小さな声で「うん」と返事をして彼女は作業を再開する。横目に映るナマエの頬と耳は真っ赤に染め上げられていた。
甘美な誘惑とは正にこの事だと、ルツは痛感する。たまらず耳に小さく口づけた。
「…んっ」
小さく声を上げて彼女が反応する。こういった仕草の一つ一つが面白くて仕方ない。
と同時に、驚いた拍子に手を握り締めてしまいクリームが搾り袋から勢い余って飛び出し、ナマエの指を濡らした。
「あ…もう、ルツが変なことするから…!」
顔を相変わらず朱に染めたまま頬を膨らませてナマエは抗議する。彼女がこういったことが苦手なのはわかっていたが少しやりすぎたかもしれない。罪悪感と共に、白い肌に白いクリームはなんて映えないのだろうなんて場違いなことも思ってしまっていたのだけれど。
「悪ィ!ちょっとやりすぎた」
そう言って手を拭ってやろうと腕を掴めば、自分が今ハンカチの類を持っていないことを思い出す。かといって洗い流すために彼女を腕の中から解放してしまうのはなんとなく癪だった。
しばらくボーっと彼女の指を見つめて、やがてルツはその白い指を自身の口へと含む。
「ちょっ…ちょっとルツ!!何してるの!」
「だって、洗うのもクリームもったいないじゃん」
我ながらもっともらしい言い訳に苦笑してしまう。普段皆から何か言われる時もそのくらいアドリブを上手くきかすことができればいいのだが。
それに、少し暴れはするけれど、ナマエも心から抵抗はしてこなかった。
「甘いな」
不思議な甘さ。元々甘いものは嫌いじゃない。これが好きなものと好きなものとを同時に食しているからこその相乗効果というやつなのだろうか。何とも不思議だ。まるで魔法のようで。
何も言わないナマエに目を向ければ、彼女は目を逸らしていて、必死に恥ずかしさに耐えているようであった。
それに気づいていないフリをして続ければ「もう…好きにして」なんて諦めの声が口からこぼれていたけれど
やっぱりその声は小さくて
同じくらい小さなリップ音にかき消されていった。